ヴィッツの領主、テスタッチョ
次の日の朝、シエナ達は宿泊していた宿をチェックアウトしてヴィッツの領主の館へと向かう。
馬車内でシエナが「思ってたよりベッドのマットレスが硬かったです…」と、残念そうに呟いていたが、それはシエナが自分のベッドに慣れ過ぎてしまっている為でもある。
「それよりも俺はシエナがかなりの大食いだったことに驚きなんだが…」
前日の夕食で絶対に食べきれないと思った食材の山をシエナが食べきった事には全員が驚いていて、ティレルの台詞に続いてルクスが「普段もあれだけ食べてるのか?」とシエナに質問をする。
「いえ、普段は我慢して普通の量を食べてます。昨日も本当は食べ足りなかったですけど…」
あれだけ食べたにも関わらず、シエナは食べ足りていなかった事を打ち明ける。
その小さな体のどこにあれだけの量が収まるのか不思議でならないと、ルクス達はシエナのお腹を見る。
ルクス達4人が食べた量の倍近くの量をシエナは1人で食べ、今朝の朝食も3人前をペロリと食べていたはずだが、シエナのお腹は全く膨らんでいない。
そして、それでもまだ食べ足りていない事には驚くばかりである。
「なんで普段は我慢してるんだ?」
「私、結構際限なく食べてしまうので、普段から暴飲暴食してると食費が大変な事になってしまうんですよ。それに、普通の量さえ食べてれば生きてはいけるので普段は我慢するようにしてます」
もし、この世界にスキルの概念があれば、間違いなくシエナには『過食』か『飽食』のスキルがレベルマックスでついている事だろう。下手をすると『暴食』かもしれない。
シエナは自分よりも巨体のコカトリスを完食してしまっている。シエナ自身も自分がどれくらい食べれるかわからないし、一番シエナが謎に思っている事は「明らかに自分の体積よりも多く食べてる…」という事であった。
「何か、シエナをお腹いっぱいになるまで食べさせてあげたいな」
ルクスがぽつりと呟くと、それを聞いていたシエナは嬉しそうに笑う。
「ほんとですか?嬉しいです」
その笑顔を見て、ルクスは「シエナがお腹いっぱいになるのって、どれくらいなのだろうか…」と心の中で呟くのであった。
時刻にして午前の10時少し前頃、シエナ達はヴィッツの領主館へと到着する。
途中の坂を登っている途中に、シエナがサスペンスなアイキャッチっぽい効果音を口ずさんだりしていた。
もちろん誰にもネタがわかる訳がないが、シエナは「つい効果音を口ずさんでしまいましたが、何も起きませんように」と祈るだけである。
「ルシウス様。お待ちしておりました」
館の大きな玄関の前にズラリと並ぶ執事やメイド、そしてその中心にいる上品な雰囲気を醸し出している30代辺りの美しい女性が立っていて、その女性の言葉に続いて執事とメイドがルクスに対して頭を深く下げる。
ルクスは「そう畏まらなくて良い。面を上げよ」と急に王族っぽい口調で喋りながら馬車を降りてその女性の前まで歩く。
「久しぶりだな、テスタ。台風の被害は受けてないか?」
テスタと呼ばれた女性は、優しく微笑んで「お久しぶりです、ルシウス様。町は多少なり被害に遭いましたが、ここは大丈夫でした。心配してくださってありがとうございます」とお礼を言う。
「ティレルにケイトも、お久しぶりです。お元気でしたか?」
次にテスタは馬車から降りてきたティレルとケイトに挨拶をした後、最後に降りてきたシエナの姿を見て「誰だろう…?」と首を傾げた。
「はい、テスタッチョ様もお元気そうでなりよりです」
ティレルとケイトは膝をついてテスタに挨拶をする。
シエナはその挨拶を見て「え!?その挨拶って自分もした方が良いのかな!?」とあたふたする。
「それで、そちらの方は?」
テスタは当然の疑問を口にしてシエナの方を見る。
シエナはわたわたとしつつも普通に頭をペコリと下げてお辞儀をした。
シエナは今までにないくらいの緊張具合であり、その様子にルクス達は「こんなに慌ててるシエナは初めて見るな」と少しだけ驚いていた。
「あらあら、可愛らしいこと。私はここ、ヴィッツの領主をしておりますテスタッチョ・エスタ・ヴィッツと申します。気軽にテスタと呼んでください。それで、あなたは?」
「お、お初目にかかります。わ、私シエナと言います」
テスタはシエナの挨拶に微笑んだが、すぐに「ん?」と言う表情をした。
「シエナ?…もしかして、あのシエナ?」
「あの、が何を指し示すのかはわからんが、何か噂を聞いているんだったらそのシエナで間違いないと思うぞ」
シエナの代わりにルクスが答える。
『あのシエナ?』と聞かれて本人が『そのシエナです』と返すわけにもいかないので、シエナにとっては渡りに舟であった。
「まあ!グラハムから話しはよく聞いてるわよ。まだ子供で見た目も幼いのに誰も思いつきもしなかった色んな料理や道具を生み出しているって」
余計な一言がついていたテスタの言葉にルクスがシエナの方を見てみるとシエナは照れていた。見た目が幼いとかそういうのでシエナは怒りはしないのである。
むしろ、事実なのであるからしょうがない。
「あまりにグラハムが自慢するものだから、いつか会ってみたいと思ってました。今度テミンへ行った時に私の方から会いに行こうかと思ってましたが、まさかルシウス様達と一緒に来られるとは思ってもいませんでした」
テスタの言葉に、グラハムは一体どれだけシエナの事を喋っているのだろうか。そして、どれだけの他の貴族達にそれを広めているのだろうか。と、ルクスはそんな事を考えていた。
そして、立ち話もなんですから中でお茶でも飲みながら話しましょう。と言うお約束の台詞と共にシエナ達は領主館の中へと招き入れられる。
中に入るとエントランスはかなり広く、洋風の館によくある両サイドから2階へと上がれる大きな階段が存在していた。
シエナは古い洋風な建物は好きであり、エントランスを見ただけで「わー!すごいすごい!」とはしゃいでいる。
しかし、その階段は使わずにテスタは真っ直ぐに進み、階段の奥に見える大きな扉へと向かう。
扉の前へと到着すると、2人の執事が扉を開けてテスタは部屋の中へと進む。
中は応接室となっていて大きなテーブルがあり、いくつもの椅子が置かれている。
ルクス、ティレル、ケイト、シエナ、そしてメイド達、の順で後へと続き、シエナ達が大きなテーブルの前に立たされると、すぐにメイド達が椅子を引く。
「どうぞおかけくださいませ」
テスタがそう声をかけるとシエナ達は椅子へと座り、メイド達はそそくさと応接室を出て行く。
「今、メイドがお茶を用意致します。美味しい紅茶葉が手に入りまして」
美味しいと聞き、ピクリと反応をしたシエナは期待を込めた表情をしている。
紅茶が来るまでの間は、ルクス達が仕事として台風の被害に関する事を大まかに話し合っていた。
細部の事やその他内政に関わる話し合いは後からとして、先に触りだけ知っておく程度である。
それに、あまりに詳しい情報を話すにはテスタにもルクス達にも都合が悪い人物がその場にいる。
シエナである。
国の知られてはいけない重要な情報も中に含まれている為、ただの平民であるシエナに知られてはまずいのである。
ルクスとしては、別に知られても問題ないと感じているし、むしろシエナなら逆に解決策を思いついてくれそうだとも思っているが、ティレルがそれを制止した。
シエナも「私は口が軽いので、本当に重要な事は私の前では話さない方が良いですよ」と、言っていて、今この場で話す事はせいぜい「台風で家屋が何件被害に遭った」や「舟が何隻か壊れたり流されたりした」程度である。
全くそういう話しをしないのと、ほんの少しだけでもしておくのでは後々でかなりの差が出てくる。
先にある程度の情報を知っておくだけでも、後の話し合いがスムーズに進められる事になるし、大まかな事でも質問したい事が先に考えられるからである。
ちなみに、ルクス達がその話し合いをしている間、シエナは新鮮な魚介を使った料理を懸命に思い出そうとしていて、結局ルクス達の話しは全く耳に入っていないのであった。
こんこん、と応接室のドアがノックする音が聞こえ、執事の1人がドアを開けるとメイド達がサービスワゴンに紅茶セットを載せて運び込んできた。
ふんわりと甘い匂いが部屋の中に充満し、シエナはその匂いを嗅いで「あ、クッキーの匂いだ」と、料理の事を考えるのをやめて涎を垂らした。もはや、パブロフの犬並の条件反射である。
メイド達が役割分担をして、ティーカップやクッキーの乗った皿をテスタ達の前へと置いていく。
そしてメイドの1人がティーカップに紅茶を注いだところで、シエナはその紅茶が何の種類かわかってしまった。
「それでは、仕事の話しは一時中断してお茶会に致しましょう」
テスタが笑顔で、特にシエナの方を見てから「最近見つかったばかりの珍しい紅茶葉を使用しています。どうぞお召し上がりください」と言うと、シエナは少しだけ複雑そうな表情をしながらティーカップを抓んで持ち上げた。
「あ、この紅茶、前にグラハムのところで飲んだやつだ」
紅茶を一口飲んで覚えのある味に、まるで『この問題!前に○○でやったところだ!』と言ったような感想をルクスが漏らすとテスタは少し残念そうな顔をした。
「あら、グラハムに先を越されてましたか…。非常に美味しい紅茶でしたので広めようかと思ってましたのに」
良い物を誰よりも早く見つけ、それを広めて流行らせたいと思うのはどの世界の人間も同じであり、テスタもその1人にすぎなかった。
「この紅茶…確かダージリンって言うんだっけ?シエナが見つけてきたんだろ?」
ルクスがシエナの方を向いて質問をすると、シエナは「はい、ミレイユと一緒に見つけました」と答える。そのやり取りにテスタは思わず驚いた。
「え!?この紅茶の葉はシエナが見つけてきたのですか!?」
あまりの驚きに、つい今しがたルクスが質問した内容をそのまま質問してしまうテスタ。それだけ驚いたという事だろう。
美味しい紅茶を発見したから、それを広めたいと思ったらまさかの紅茶葉自体の発見者が目の前にいる。
若干ドヤ顔をしていたテスタは耳を赤くして恥ずかしがった。
そして、クッキーにも最近作られた新しい調味料を使用したのです。と、勧めようと思っていたが、そこでテスタはグラハムから聞いたシエナの事を思い出す。
『まだ子供なのに、誰も考えた事のないような料理や道具を生み出してる』
もしかして…、とテスタは冷や汗を流しながらシエナに質問を投げかける。
「このクッキーには『バニラエッセンス』と言うのを少量練り込んでいるのですが…もしかして、これも貴女が…?」
テスタがおそるおそるシエナに質問をすると、シエナは笑顔で「はい、そうです。良い香りがするでしょう?」と答えた。
テスタは天井を見上げた。
「最近、テミンから新しい料理や調味料が流れてくるのですが、そのほとんどはシエナ考案なのですか?」
「はい、おそらくはほぼ全部。たまに私から学んだ事を参考に私が教えてない料理や道具も作られていますが、9割は私のだと思います」
一体、どういう思考をしていたら自分の息子と同じくらいの歳の子がそんなにたくさんの事を思いつくのか…。
テスタの興味は完全にシエナに傾き始める。
現在、国だけでなく他の貴族からもグラハムの評価はかなり高い。
街が発展しているだけでなく、今までにない技術を無償で提供していて、ヴィシュクス王国の更なる発展を願っているからである。
そして、グラハムの評価が高くなった理由を作ったのが全てシエナのおかげだとすれば…。
(これは是非、ヴィッツでも新しい何かを考えてもらわなければ…)
領主として町を繁栄させ、そして国からの評価もほしい貴族達にとって、誰も思いつかないような物を生み出すシエナは非常に価値が高い。
利用するようで悪いとは思うが、テスタはシエナを取り込んで町の発展を考えるのであった。
「シエナはご家族とテミンで暮らしているのですか?」
まずはシエナをヴィッツに招き入れる為の情報収集である。
家族と暮らしていて、家族と離れたくないと言われれば、その家族ごとヴィッツに来てもらえるようにテミンで暮らすよりも裕福な生活ができるように便宜を計らえば良い。
そして、家族と暮らしていなければむしろ好都合である。
「本当の家族はいません。多分、しぶとく生きているでしょうが…。今は家族みたいな人達と暮らしています」
シエナにとっては、本当の家族よりも、宿の従業員全員が家族みたいなものである。なので、そう答えた。
「家族みたいなもの?」
テスタは、シエナの「本当の家族はいません。多分、しぶとく生きているでしょうが…」と言う台詞も気になったが、それ以上に家族みたいな人達の方が気になった。
「はい、私、テミンで宿屋を経営してまして、その従業員全員が私の家族です」
テスタは早速心の中で頭を抱えた。
まさかの宿屋の経営者である。これはヴィッツに来てもらうのは難しいかもしれない。
しかし、ここで諦めていては領主は務まらない。
テスタは更に情報を集める為に質問を続ける事にする。
そして、その様子を見ているルクス達は、テスタがシエナをヴィッツに招き入れようとしてるんだろうなぁ…。と、薄々感づいていた。
「シエナは今、何歳なのですか?」
見た目からして8歳から10歳くらいだと思っていたが、宿屋を経営してるとなるともしかすると見た目が幼いだけなのかもしれない。
グラハムも確かに『見た目は幼い』と言っていた。しかし、『子供』とも言っていたので、16歳未満の未成年である事は間違いないだろう。
「私は13歳です。…13歳に見えないでしょうけど…」
もう、何度も同じやり取りをしているシエナは、自分の歳を答えた後の相手の顔は想像がついている。
そして、テスタの表情を見ると、やはりと言うか驚いた表情をしていた。
その驚き方は、やはり「13歳でこの見た目は可哀想」と哀れむような表情である。
テスタは咳払いをして、気を取り直すと質問を続けた。
「その宿屋は、親から受け継いだものだったりするのですか?」
「いえ、3年ほど前に建てました」
テスタは驚きの連続であった。そして、質問をすればするほど、逆にシエナの事がわからなくなっていく感覚に陥り、少しだけ頭が痛くなる。
(そういえば、まだシエナから両親の話しとか聞いてないなぁ…)
クッキーを食べ、紅茶を飲みながらルクスはそんな事を考える。
ほんの少しだけは話しは聞いていたが、詳細は聞いていない。聞く機会もあったがなんとなく遠慮してしまった為、機を逃してしまっていたが、今度改めて聞いてみようとルクスは考えるのであった。
「貴女にとって、宿屋は何なのですか?」
親から受け継いだわけでもないのに、子供が新しく宿を建てるなんて余程の決心がないと出来ないことである。テスタはもちろんシエナが借金をしてまで宿屋を建てたと考えていたので、そういった質問をした。
「人生…かな?」
シエナは顎に手をあててそう答える。
「私にとって宿屋経営は生きがいであり、人生そのものです。そして、そこで働く従業員は皆家族です。そう!家族な宿は人生です!」
無駄に力説をするシエナ。
シエナをヴィッツに招き入れるのはほぼ絶望的であると感じたテスタ。
しかし、それでも諦めずに何か策はないかと考える。
そして、シエナもやたらとテスタが自分の事に関して質問してくることに疑問を感じ、「もしかして、私にヴィッツで暮らしてほしいのかな?」と、ようやくその考えに至った。
普通に考えなくても、自分の持つ知識はかなり役に立つだろう。
それが料理関係と便利な道具に特化していたとしても、国に献上すればかなりの高評価がもらえるはずである。
現に、グラハムも自分に「これからもよろしく頼むぞ」と、自分を頼りにしている部分があったので、領主達にとっては自分は価値のある人間なのかもしれない。
シエナはそう考え、ようやく自分の価値を見出すのであった。
(う~ん…。私を巡って争いとか起きなければ良いのですが…)
その時には「私の為に争うのはやめて!」と、言ってみたい台詞ランキングの上位に食い込む台詞を言ってみたいとも思うが、争いは好きではないので、なるべくなら避けたいところである。
そして、テスタが更にシエナの事を聞こうと口を開いたところで、シエナは「こんなことわざを知ってますか?」と呟いた。
唐突なシエナの呟きにテスタは『?』を浮かべる。
「『急いては事を仕損じる』何事も順序と言うものがあるのです。焦ると失敗しがちなので、落ち着いて行動しましょう?」
そう言って、シエナはダージリンの紅茶を一口飲み、テスタは自分の目論見がバレている事に気付いて顔を真っ赤にして俯くのであった。




