アリスの涙
「これ、ジュダスさんの取り分です」
そう言って、シエナはチャーチルから渡された礼金から銀貨を3枚ジュダスに渡した。
普通に、ジュダスにとってははした金レベルではあったが、先ほどのやり取りもあり、渡してきたのがシエナだった為、ありがとう、とお礼を言って素直に受け取る。
「本当にありがとうございました。あなた達が駆けつけてくれなかったら…」
「お礼だって少なかったのに、泊まる場所まで手配してくださって、本当に感謝の言葉もありません」
チャーチル達は再度お礼を言って頭を下げる。
「困った時はお互いさまです。今度は私の宿を宣伝して、助けてくださいね」
シエナが笑顔で答えると、チャーチル達も笑顔を返して「必ず」と答えた。
「それじゃあ、そろそろ行くか」
ティレルがそう言って馬車の方へと向かう。ケイトと御者もティレルについていき、馬車へと乗り込む。
「それでは、ジュダスさん。あとはよろしくお願いしますね」
シエナはジュダスに近づき、小声で耳打ちをする。
名目上では、ジュダスもテミンに帰るから雑談をしながら一緒に帰ろう、という事になっているが、実際には護衛である。
護衛がなくてもチャーチル達は問題なくテミンへ帰りつけるだろうが、アリスの事を考えたら万が一という事もある。
アリスは大量に血を失っていたが、ジュダスの回復魔法のおかげでだいぶ顔色は良くなってきている。
それでも本調子にはまだほど遠く、フラついてしまう場面も多いので、ジュダスが一緒にいるだけでかなり心強いだろう。
「わかった。シエナ達も気を付けてね」
ジュダスはそう返事をして、ふと馬車の方を見た。
馬車は外見は質素である。なのに、チラリと見えた馬車の内部はかなり豪華であった。
商人ではない、よな…?普通の冒険者で馬車を利用って…それもあまりないよな…?と、ジュダスはシエナから離れ、チャーチル達のところへ向かいながら思考する。
(外見は質素なのに中はかなり豪華に装飾されている…これは…ひょっとして…?)
ジュダスは振り向いて楽しそうにシエナに話しかけているルクスを見た後、ニヤリと嗤う。
(あいつ、ヴィシュクスの王族…だな)
他にも色々と考えられそうな事は沢山あるはずなのに、なぜか断言するようにジュダスはルクスの正体を見切った。
そして、ルクスと仲良くしているシエナの方を一瞥した後に、ジュダスは「今後は色々と楽しい事になりそうだ」と、心の中で呟くのであった。
(それにしても、意外と戦車の名前がついてる人って多いなぁ…エルクさんもそうだし、偽名で多分意味は違うんだろうけど、ルクスさんもそうですし)
シエナは、もし他にカーヴェーやヘッツァーという名前の人が現れたら、カーヴェーたんヘッたんと呼んでみたいな、と考えてニヤニヤと笑っていた。
「あ!途中の休憩で食べるおやつでも渡しておくんだった!」
ジュダスやチャーチル達と別れ、馬車に数分程揺られたところでシエナは唐突に声を挙げる。
「悪いけど、流石に戻らないからな…」
別れてまだ数分しか経ってないとはいえ、大蜥蜴やサラマンダーとの戦闘、その後の会話などで多少の時間を喰ってしまっている。そこから戻ってからおやつなど渡していたら、かなりのロスになってしまう。
シエナもそれを理解しているので、ただ単に渡しそびれていた事を後悔するだけであった。
「どんなおやつを渡そうと思ったの?」
シエナの作るお菓子はどれも美味しいので、ケイトは興味津々に質問をする。
「今回作ってきたお菓子は最中というお菓子です。食べてみます?」
シエナはケイトの返事を聞く前に、走行中にも関わらず馬車の後ろからリアカーへとぴょんと飛び移り、中をごそごそと漁る。
そして、最中の入った紙袋と、水の入った竹水筒を発見すると、それを持って馬車の中へと飛び移った。
「はい、どうぞ」
シエナはケイトに最中を手渡して、その後ルクスとティレル、そして御者にも最中を手渡した。
最中を受け取ったケイトは、それを半分に割ってみて中身を見てみる。
「シエナってホント小豆のお菓子が好きなんだね」
中身はもちろん、粒あんで作られた餡となっていて、シエナの大好物である。
「く、口の上の方に引っ付いた…」
ティレルは一口で最中を口に放り込んだが、最中の皮は口の中にかなり引っ付きやすい。
一番厄介なところに引っ付いてしまったようで、ティレルは四苦八苦していた。
「あはは。やっぱり引っ付いちゃいましたか。はい、お水をどうぞ」
シエナは持っていた水筒をティレルに手渡し、飲むように促す。
水を口に含んでもすぐに取れるわけではないが、ないよりかはかなりマシである。
御者もこんなに甘いお菓子を自分にも分けてもらえると思ってなかったので、感動しながら少しずつ口にしていた。
そんなこんなで、シエナ達はヴィッツまでの道のりを楽しみながら進んでいるのであった。
場面は移り変わりチャーチル達一行は…。
血を失っているアリスの為に休憩をこまめに挟みつつであったり、ジュダスが途中でアリスをおぶったりしながら進み、シエナ達と別れてからおよそ10時間の時間をかけてテミンへ帰り着いたチャーチル達は驚く事となる。
シエナの厚意に甘え、宿に泊めさせてもらおうと宿屋シエナを探したところ、まだ建てられてから数年も経ってない綺麗で立派な宿を発見、それが宿屋シエナであった。
チャーチル達の想像では、シエナはそこそこ大きいと言っていたが、シエナの体からして大きく見えるだけの親から引き継いだりした小さな格安の宿だと思っていた。だが本当に大きな宿であり、外見だけ見ると貴族が泊まりそうな高級宿に見えなくもなかった。
それなのに、表の看板に書かれていた料金表は普通の宿よりも少し安い程度。
更に驚くべき事はお風呂があると書かれていることである。
これには宿屋シエナまでついてきていたジュダスも「三番街区にこんな宿があったなんて…」と驚いていたくらいである。
「あとの宿の人との話しは自分達でよろしく。ボクは自宅に帰るよ」
「ありがとうございました。ジュダスさんのおかげで無事に帰り着く事もできました。このお礼は、後日改めてさせていただきます」
チャーチルの言葉に、ジュダスは「別に何もしてないよ」と言ってそのまま後ろを振り向いて四番街区の方へと歩き始めた。
「あ、あの…っ!ありがとうございました!またお会いしましょう!」
勇気と気力を振り絞り、アリスが一歩前に出てジュダスに声をかけると、ジュダスは振り向かずに人差し指と中指をくっつけた状態で立てた右手だけを挙げてその言葉に答えた。
イケメンだからこそ許されるが、なんともキザったらしい光景である。
食堂の営業時間が終了したばかりであり、宿としての営業も終了しようとしていた為、おずおずと宿屋シエナに入ったチャーチル達が、受付にいたセリーヌにシエナの手紙を渡すと、それを読んだセリーヌは笑顔でチャーチル達を4人部屋へと案内をした。
「旅で疲れているでしょうし、荷物を置かれたらまずはお風呂に入られてはいかがでしょうか?先ほど大浴場の営業が終了したばかりなので、貸し切りで入れますよ」
基本的に宿屋シエナの従業員は、経営者であるシエナや総支配人であるエルクに何も許可を取らなくても、かなり自由に物事を決めて良い事となっている。
事後報告は必要ではあるが、自分勝手な判断だと咎められる事はなく、むしろ褒められる事が多い。
判断に迷いそうな時は、1人で悩まずに他の者に報告や相談をして、複数人で判断すれば良いだけであり、従業員はルールに縛られずに自由気ままに接客ができている為、ストレスなく働く事ができているのであった。
セリーヌは、エルクを除く最古参の従業員であるのでかなり自由にしている。とは言っても、セリーヌもまだ勤め始めて約3年であるが。
逆に一番最近宿屋シエナで働き始めたロベルトに関しては、自分が自由に行動すると迷惑がかかると思っている為、決められた事しかできない。
セリーヌと同じく古参であるガストンは、元々決められた事を忠実に守るタイプなので、勝手な判断はしない。
宿屋シエナの従業員も、十人十色なのであった。
「お風呂って…どんな感じなの…?」
そもそもお風呂がある事が信じられないビショップがセリーヌに質問をする。
「少し大きめの浴槽がある共同の大浴場となってます。お湯もずっとかけ流しで注ぎ足されているので、なくなる心配もないので、沢山使っていってください。まずはご案内致しますね」
大浴場の事を物凄く簡単に説明したセリーヌは、チャーチル達を大浴場へと案内し、靴箱やロッカー、液体石鹸や洗髪剤、トリートメントの使い方を説明した。
その際に、シエナの作ったドライヤーの事も教えていて、特に魔法を使うビショップがドライヤーの存在に驚いていた。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
セリーヌはペコリとお辞儀をして、脱衣所を出ていく。次にセリーヌが向かった先は食堂の厨房である。
食堂の営業も、つい先ほど終了したばかりであり、このままではチャーチル達は何も食べる事ができない。
余り物にはなってしまうが、それでも何か美味しい食べ物を食べてもらいたいと思ったセリーヌは、ガストン達に何か作れないかを聞きに向かったのであった。
「わ、すごい…こんなにお湯が…」
「良い匂い、何か安心できる香りだね」
マチルダが常に掛け流しで出ているお湯に驚き、ビショップが檜の匂いに思わず鼻で深呼吸をする。
「さっき説明された液体石鹸がこれか、これは凄いな。石鹸が液状になってるだけでも凄いのに、甘い香りがする」
チャーチルが液体石鹸の入った壺のレードルで、石鹸を掬って匂いを嗅いでみる。
「このヘチマで体を洗えば良いんだったよね。ヘチマってこんな使い方できたんだ~びっくり」
ビショップは、セリーヌに渡されたヘチマのスポンジをもふもふして遊んでいる。
「アリス、大丈夫か?ほら、ここに座って。洗ってあげるから」
マチルダの言葉にアリスは「うん」と頷いて、木で出来た椅子に座る。
桶で浴槽のお湯を掬い、手を入れて温度を確認してからマチルダはアリスの体にお湯をかける。アリスは少しだけ驚いていたが、お湯の気持ち良さに表情を和らげた。
体を洗い終えた4人は、一緒に浴槽の中に浸かっていた。
アリスが本調子でない為、心配したマチルダがアリスを抱えている状態ではあるが、アリスも安心しきっている表情でお湯を堪能している。
落ち着きのないビショップが泳ぎだそうとしていたが、チャーチルがそれを制止する光景はまるで全員が姉妹のようであり、微笑ましくも見えた。
「幸せね…」
ぽつりとマチルダが呟く。するとそれまで和んだ表情をしていたアリスが突然泣き始めてしまった。
「ど、どうしたの?」
ビショップが驚いてアリスを宥めようとする。
「私、もう死んだと思った…そして、皆もあんなに大量の大蜥蜴に囲まれて…もうだめだと思ってた…。私達全員、本当に、生きてて…良かった…」
ぐすぐすと、アリスは泣きじゃくりながらそう漏らす。
今、この瞬間に幸せをかみしめられるというのは、生きていたからこそであり、シエナ達が駆けつけなければアリスだけでなく、チャーチル達も全滅していただろう。
アリスは自分自身が生きていた事、そして大事な仲間が無事であった事を再認識し、涙したのであった。命あっての物種とはまさにこの事である。
「アリス…」
マチルダはアリスを抱きしめたまま頭を撫でる。
「今日はゆっくり休ませてもらって、明日は簡易施設が利用できるくらいは稼がないとね」
現在、チャーチル達は1リウスすら持ってない状態であり、次の日から何かしらの依頼を受けて報酬をもらうか、素材を採取して売らないと確実に野宿決定となってしまう。
今この瞬間の幸せがある喜びをもう一度分かち合う為には、頑張らないといけないのであった。
「さ、本当はもう営業終了しているみたいだし、これ以上は迷惑かかるから出よっか」
そう言って、チャーチル達はお風呂から上がる。
風呂から出てすぐに、アリスが貧血で倒れてしまったが、これは湯上りの立ちくらみも含まれるので仕方のないことだろう。
「私が看ておくから、チャーチル達は先に着替えてて」
ビショップが気休め程度ではあるが回復魔法をアリスに使うと、アリスの顔色はすぐに良くなっていく。
元々、ジュダスが治癒力を高める回復魔法を移動中にも断続的に使用していた為、アリスは失った血の半分近くを取り戻していたので、今はもう少し休む程度で平気なのであった。
「あ、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
着替え終わったチャーチル達が部屋へ戻ろうと受付の前を通った時、セリーヌがチャーチル達を呼び止めて、食堂へと案内する。
チャーチル達は頭の上に「?」を浮かべていたが、食堂に入ってテーブルに着かされるなりすぐに運ばれてきた料理に驚きの表情を見せた。
「え!?す、すいません。私達、お金ないので…」
そもそも宿泊だけを無料にしてもらっただけと思っているチャーチルは、運ばれてきた料理の代金を支払うお金がない事を正直に話す。
「あ、大丈夫です。シエナからの手紙にきちんと書かれてましたので」
そう言って、セリーヌはポケットからシエナの手紙を出す。
シエナの手紙には、宿泊代金無料だけでなく、もちろん料理も無料で振る舞ってあげてくれと書かれている。
そして、チャーチル達は次の日の朝に知らされるのだが、実は手紙には「しばらくお金に困っているはずなので、3~4日は泊めてあげてください」とも書かれているのであった。
「あ、あの…私達が渡したのって、助けていただいたお礼の銀貨が数枚だけであって、こんなにもてなされるほどでは…」
チャーチルは立ち上がって更に正直に話していく。
自分達がお礼として渡した銀貨は、この宿に1人が宿泊できる分だけであり、4人分とはなっていない。
その上で、お風呂を使わせてもらい、更に料理までご馳走されたとなると、却って申し訳なく感じてしまったのであった。
「大丈夫です。私もなんとなくですがそんな気がしてました。まあ、どうせシエナの事なので」
そう言って、セリーヌはチャーチルを座らせて、笑顔で「冷めないうちにお召し上がりください」と言うのであった。
シエナの手紙は簡潔に書かれている為に全貌を視る事はできない。
しかし、普段のシエナの行いから、セリーヌは「いつもの人助けだろうなぁ」と感じていた。
そもそも「お代は先に受け取っている」と書き回している時点で、それが宿泊代金ではなく別の理由の物だとセリーヌは理解できているくらいである。
「それに、この料理も今日の余り物であったり、近いうちに廃棄する予定だった食材を使用しているので、むしろ、食べていただけると私達が助かるのです」
そう言って、セリーヌは「料理を食べてくれる事が私達の助けとなる」と、逆にお願いをした。
これは、本当にそういった理由ではなく、チャーチルのように正直者であり、施しを受けてばかりでは申し訳ないと思うような人物に対して、シエナがそういった言い回しをしてくださいと教育をしていたのであった。
そうする事で申し訳なさを和らげて、逆に人助けをしてあげているんだ、という気分にさせる事ができるからである。
料理を前にして、チャーチル達のお腹はぐぅ~…と鳴った。
チャーチル達が見たことのない料理がいくつもあったが、どれも美味しそうな料理であり、ここ数日はまともな栄養も摂れていなかった為、セリーヌの言葉にもはやチャーチル達も遠慮はなくなった。
「では、お言葉に甘えまして…」
そう言って、チャーチル達は料理を口にして、その濃い味に頬っぺたがジーンとなる感覚を覚え、それぞれ料理を堪能する。
アリスは、再度生きていた喜びを一緒に噛みしめ、嬉し涙を流しながら料理を口にしていた為、「少ししょっぱいや…」と呟くのであった。




