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台風

「暇だな~…」「暇ですねぇ…」

 宿屋シエナの3階にある、従業員の共有部屋にて、宿屋シエナで雇われている従業員ほぼ全員が暇そうにだらけていた。

 その場に姿が見えないのは、自宅通いのリアラとメリッサ、そして、住み込みで働いているシャルロットの3人である。

 時刻は午前の10時頃であり、普段ならば休み以外の全員が仕事をしている筈だが、彼此(かれこれ)3日はこの調子が続いている。


 今現在、宿屋シエナには1グループの宿泊客しか存在しない。

 それは、またシエナが暴力事件を起こしたとかそういった訳ではなく、別に理由があった。


「早く過ぎ去ると良いのですが…」

 そう呟いて、シエナは窓の外を見ようとして、窓が塞がれているのを思い出す。

 塞がれている窓からは、何かがバンバンと叩きつけるような音が聞こえてきて、たまに轟音が響き渡る。



 現在、テミンの街は台風の直撃を受けていた。

 この台風は毎年の恒例であり、夏の中旬辺りになると決まって大型の台風がヴィシュクス王国を襲うのである。

 この大型の台風は、早い年だと5日程で過ぎ去るが、遅い年だと8日過ぎてもテミンの街に襲い掛かる。そして、今年は台風の直撃を受けてからすでに3日が経過しているのであった。



 毎年恒例の台風な為、テミンではこの季節になると台風に備えての動きがある。

 まず、金銭的な余裕のない冒険者は、台風が過ぎ去るまで宿泊可能な簡易宿泊施設か格安の宿を探し出す。

 そうしないと、台風が来てから宿泊できる宿を探そうとしても、どこの宿も満室だからだ。


 次に、宿以外の店はほぼ全て臨時休業となる。

 非常に強い風が吹き荒れる為、誰も外に出かけようとしない。この台風の中で外に出ようとする者は、余程の馬鹿か、何か重大な用事がある者だけである。


 街に住む人々は食料を買い込み、台風が過ぎ去るまで自宅に籠り、冒険者は無理矢理にでもなるべく安い宿に宿泊をする。

 この荒れた天気の中、一応営業をしていたり働いているのは、冒険者ギルドや役所、そして宿屋くらいである。

 そして、そのどれもが泊まりこみで働く事になるのであった。



 宿屋シエナは、宿としては営業しているが、宿泊が1グループだけな為にほぼ休業状態であった。

 この強風が吹き荒れる大雨の中、宿泊客が増える事はほぼ皆無であり、皆、できる仕事が何もなく暇を持て余している。

 エルクですら、事務作業は初日で全て終わってしまっているので暇を持て余している程である。


「ねぇ、シエナ。何か面白い話とかないの?」

 セリーヌの突然の無茶ぶりに、シエナは頭の中で、オチが「その犬は尾も白い」と言った話しか思い浮かばない。

 普段であるならば、もう少しマシな事を思いつくのであるが、この台風のせいで気が滅入っていて思考が鈍っているのであった。


「あ~、やっぱお客さんが入らないと、掃除する箇所が少なくてやりがいがないねぇ…」

 丁度その時、唯一仕事を持っていたシャルロットが共有部屋へと戻ってくる。

 シャルロットは、宿屋シエナの主に清掃を担当している。その為、どんなに客がいなくても仕事をする事が可能であった。


 シエナ達は、シャルロットが掃除に向かおうとしていた時に「1人で掃除は大変ですよね?手伝いましょうか?」と、手伝い…もとい暇つぶしとしてシャルロットを手伝おうとしていた。

 しかし、シャルロットは「だめだめ。掃除と少女を愛でるのが私の生きがいなんだから」と言って手伝いを拒む。


 シャルロットは、宿屋シエナに来る前は、貴族の館のメイドであった。

 6歳の頃から10年近くその貴族に奉公していて、清掃係としてかなり優秀なメイドであり、更にはその貴族の娘にかなり気に入られていた為、若くして副メイド長に着任している程の人物であった。

 もちろん、同性愛者(ガチレズ)少女嗜好主義(ロリコン)と言うのは隠し通していた。

 しかし、ある理由でメイドをやめてしまう事となるが、その話はまた別の機会となる。


「そういえば、ルクス様が2階の廊下でうろついてましたわよ」

 アンリエットがシャルロットに冷たい麦茶の入ったコップを渡し、それをお礼を言いながら受け取ったシャルロットは、ふと思い出したかのように呟いた。

 現在、この宿に宿泊している1グループとは、ルクス、ティレル、ケイトの3人である。


 台風が直撃する寸前に、滑り込みで宿泊しに来て、それまで誰も宿泊客がいなかったシエナは大喜びした。

 もちろん、ルクス達は本来は領主の館で宿泊しているので宿屋シエナに宿泊する必要は全くない。

 しかし、台風の直撃で何日もシエナに会えないのは嫌だ!と、ルクスが言った為、滑り込みで宿泊に来たのであった。


「ルクスさんも暇なんでしょうね。せっかくなのでここに呼びますか」

 シエナは立ち上がり、共有部屋を出ていく。

 少しだけシエナがウキウキしていたのを、部屋にいた全員が見逃していなかった。そして、普段なら宿泊客は全員「様付け」であるはずのシエナが、ルクスに対して「さん付け」である事にも気づいているのであった。



「ルクスさん。何してるんですか?」

 2階に降りたシエナは、廊下の燭台をボーッと眺めていたルクスに話しかける。

 ルクスはパッと明るい笑顔を見せてシエナに近づく。まるで飼い主に懐いている犬のようであった。


「いや、シエナと話しがしたかったんだけど、中々降りてこないからさ。どうしようか迷ってたんだ」

 もし自分が降りてこなかったらずっとここにいたのだろうか。と、シエナは思った。


 そしてシエナは思い出す。

(そういえば、普段も私が降りてくるまでずっとフロントで待ってるよね…)

 王族ならば、おかまいなしに従業員専用の場所であっても入ってきそうであるが、ルクスはそうはせずにずっと待っている。

 しかも、誰かにシエナを呼んでくれといった伝言も頼まずに来るのを、ただじっと待っているのであった。


(しかも、私が忙しそうだったら話しかけるのもやめて待ってるよね…)

 これも、王族であるならば遠慮なしに話しかけてきそうなものであるが、ルクスはシエナの迷惑になりそうな事は滅多にしない。

 稀に、タイミングが悪い時があるが、そういう時にはすぐに出直す事が多かった。


「本当は上に行って呼びたかったけど、上の階は従業員専用なんだろ?だからどうすることもできなくってね」

 そう言ってルクスは頭をポリポリと搔く。

 そんなルクスの様子にシエナは微笑んだ。そしてルクスの手を取り…。

「ルクスさんならいつだって来て良いですよ。従業員用とはなってますが、専用って訳ではないですし」

 そう言って、シエナはルクスにいつでも共有部屋に来ても良いと許可を出す。


 これが、ルクスが許可もなしに勝手に入ってくるような輩であったなら、逆に追い出していただろう。

 しかし、ルクスは決してそういう事はしなかった。逆に、本当は話をしたくてしょうがないのに、いつ現れるかわからないシエナをいつまでも待っている程である。

 シエナの方が待たせてしまってる事を申し訳なく感じてしまうくらいであった。

「と、言う事で、今から上へ行きましょう。ティレル様とケイト様も呼びましょうよ」

 シエナはルクス達を共有部屋へと誘う。ルクスはもちろん喜んでそれに応じた。



 シエナは、ルクス達を連れて共有部屋へと戻る。従業員はそのシエナの行動に少しだけ驚いたが、あまりにも暇を持て余していた為に、ルクス達を歓迎する。

「へぇ、ここが宿屋シエナの従業員が集まってる部屋なのか」

 ルクスは部屋に入るなりキョロキョロと部屋の中を見渡した。

「これからはいつでもここに来て良いですからね。皆さんも、ルクスさん達が来た時にはおもてなししてあげてください」

 シエナは笑顔でルクスに共有部屋にいつでも入って良いことを伝えると、他の従業員にもこれからはルクスがちょくちょく部屋にやってくる事も伝える。


 この部屋は、見られて困るものは特に何もない。

 個人情報が集まってる部屋という訳でもないし、宿の売り上げはシエナとエルク、そしてアンリエットだけが知っている地下の金庫に隠してある。

 ここは、ただ単に従業員が主に集まっている部屋なだけである。


「ちなみに、ここが私の部屋です」

 そう言って、シエナはルクスに自分の部屋のドアを手で指し示す。

 ルクスは、その部屋に興味津々と言った表情を見せた後、ハッとした顔をして平静を装った。


(見たいんだろうなぁ)

 流石にそう言った雰囲気は察する事のできた。そして、ほんの少しだけ悪戯心が芽生えて意地悪でもしようかと思ったが、それは可哀想かな?と思ったシエナはそのまま自分の部屋のドアを開ける。

「良かったら、中で少しお話ししませんか?」

 ルクスの顔を立てる為にも、もっともらしい理由をつけて、部屋の中へと誘う。

 ルクスは少し緊張した表情となったが、喜んでそれに応じ、ティレルとケイトは、ルクスに対して遠慮をしたので、結局、シエナの部屋に入ったのはルクスだけであった。




「ここが…シエナの部屋か」

 部屋に入ったルクスは、思わず鼻で深呼吸をして、その部屋の香りを堪能する。

(あまい香り…シエナの良い匂いがする…)

 見方を変えればかなり変態である。


「あ、あの…あんまり堂々とされると恥ずかしいのですが…」

 シエナは頬を赤く染めて恥ずかしがる。こういうのはもっとわかりにくく行動してほしいものであり、あまりにも堂々とされると逆に注意もしにくくなるものであった。

「ごめん、良い匂いだったからつい」

 ルクスは素直に詫びる。その顔は真剣そのものであり、シエナは更に注意がしづらくなってしまうのであった。


「シンプルだけど、良い部屋だね。…これ、何?」

 ルクスはシエナの部屋の中をぐるっと見渡した後、部屋の隅に置かれているよくわからない物体の数々に興味を示した。

 それは、シエナが魔晶石を使って、地球の道具を再現しようとしている、製作途中の道具の数々である。


「説明するにはちょっと難しいですねぇ…えっと、これはドライヤーってやつで、濡れた髪を乾かすのに使う道具です」

 中でも一番説明が簡単なドライヤーを手に取り、シエナは説明をする。

「へぇ、どんな感じで使うんだい?」

「えっと…これは未完成品だからまだ使えないですが…そうですね、原理としてはこの魔法と同じです」

 そう言って、シエナは熱と風の複合魔法をルクスに向かって放つ。

 ルクスは一瞬だけ驚いたが、その生ぬるい風に「なるほど、熱を帯びた風で髪を乾かすのか」と、使い方に納得していた。


「でも、魔法で使えるのになんで未完成なんだ?」

 その質問にシエナは落ち込む。ドライヤー内部に仕込んでいる金属の板に書きこんでいる文字自体は間違いなく、魔晶石も問題ない筈なのだが、何故か熱魔法しか反応せずに、風が巻き起こらないからだ。


 それをシエナが説明すると、ルクスは顎に手を当てて少しだけ考え込む。そして…。

「魔法を複合させずに、単体で発動させてみたらどうかな?」

 ルクスの言葉に、シエナは頭の上に「?」を浮かべた。


「これって、その複合魔法で使えるようにしようとしてるんだろ?そうじゃなくて、魔晶石を2つ使って、手前に熱魔法、奥に風魔法を設置して、それぞれを単体で発動させたうえで合わせてみたらどうかな?」

 その瞬間、シエナは目から鱗が落ちた気がした。


「そっか!その手がありました!」

 ルクスのアドバイスを聞くと、シエナはすぐさまドライヤーの分解に取り掛かる。

 ルクスはそれを後ろから覗き込むようにして眺めていた。




 しばらくの間、シエナの「う~ん…」という唸り声と、金属をカチャカチャとする音や金属の板を削る音が鳴り響く。

 たまに外で雷鳴が響き渡り、ドライヤー作りに没頭していたシエナは、その轟音にビクッと反応するのであった。


 30分程の時間が経過した頃、シエナはドライヤーを組み立て終わると満足した表情で椅子の背もたれにもたれかかる。

「完成したのか?」

「うわっ!?」

 ルクスが話しかけると、シエナは驚いて椅子から転げ落ちた。

 あまりに没頭しすぎたせいで、ルクスが部屋にいるという事を忘れていたのであった。


 ドッドッとなる心臓を抑え、シエナは立ち上がってルクスの方へ振り向くと、一旦深呼吸をしてから満面の笑みでドライヤーを掲げる。

「完成です!これで問題ないはずです!」

 シエナは完成したドライヤーに魔力を込め、ドキドキしながらスイッチを押す。

 地球のドライヤーと違い、中にファンが入っているわけではないので、ぶぉぉぉと言う音は鳴らず、さぁぁぁと静かな音が鳴ってドライヤーから風が吹き出る。

 少しだけ待つと、その風は生暖かくなっていき、やがて温風へと変化した。


「やった!成功です!」

 シエナは両手を挙げて喜び、思わずルクスに抱き付こうとしてピタリと動きを止めた。

(って来ないのかよ!!)

 ルクスも、シエナが抱き付いてくる素振りを見せたので、抱きとめる姿勢をしたまま固まる。とんだぬか喜びである。


 シエナは大興奮である。

 今までずっと完成しなかった道具がようやく完成できた喜びから、「これを大型にすれば…!エアコンができます!寒い冬とはおさらばです!」とかなり興奮している。

 シエナは、脂肪がかなり少ない為、寒いのがかなり苦手なのである。


「そういえば、後ろから見ていて思ったんだけど、金属の板に書いてた文字は一体何の文字なんだ?」

 ルクスは、今まで見た事もない文字に疑問を持った。

 少なくとも、このアーネスト大陸にはシエナが使っていた文字はなかったはずである。


「日本語です!」

 興奮気味のシエナは、その質問にパッと答え、そしてすぐに「あっ!」という表情を浮かべた。

「にほんご…?聞いた事ない言葉だな。どこの言葉なんだ?」

 その質問にシエナは少し気まずそうにする。答えても何も問題はないのだが、どう説明したらいいものかがわからないのである。


 そんなシエナの様子に、ルクスは前々から立てていた憶測を確信に近いものに変えた。

「…前に公園で前世とか来世の話しをしたよな…」

 その言葉にシエナは黙って頷く。

「その時から薄々思っていたんだ…。シエナ、君は…前世の記憶ってやつを引き継いで生まれ変わってるんじゃないか?」


 シエナは驚いた。

 輪廻転生をした際には、その記憶はなくなるという話しは確かにしていた。それ以降は意味深な切り方をしてその話題を無理矢理中断させている。

 普通なら、そこから前世の記憶を引き継いで転生するなんて憶測は立てようとは思わないだろう。


「もし、そうだと言ったら…それを信じますか?」

 シエナの表情は暗い。

 どれくらい昔かシエナは覚えていないが、遥か昔の前世で何度か周囲の人間に「自分は前世の記憶がある」と言ったところ、頭のおかしな奴扱いをされたという記憶だけは魂に刻まれていた。

 以来、シエナの魂は、前世の記憶があるという事を秘密にするようになってしまった。言ったところで頭のおかしな奴扱いされるのが目に見えてるのだから。しかし…。


「信じる」

 ルクスは、真っすぐにシエナの目を見て答えた。

 その目は一点の曇りもなく、完全にシエナの事を信じていると語っている目であった。


 シエナは涙を零した。

 魂に刻まれた記憶から、一度も信じてもらえなかった辛い記憶。

 それを目の前の男性は信じてくれた。


「だ、大丈夫か!?」

 突然シエナが涙した事により、ルクスは焦ってしまう。明らかに、泣かせてしまったのは自分なのだから。

「大丈夫です。嬉し涙です」

 シエナはゴシゴシと涙を拭きながら嬉しそうに笑う。誰も信じない事を信じてくれる人がいると言うのは、なんと嬉しい事なのだろう。そう感じて…。


 そして、シエナはルクスと同じように真っ直ぐ目を見て、真剣に答える。

「ルクスさんが仰った通り、私は前世の記憶を持ってます。…完全にってわけではないですが、ある程度の事は覚えてて、知識なんかはきっかけがあればかなり鮮明に思い出せるんですよ」

 そして、前世の地球での夫や子供、孫にすら秘密にしていた事を打ち明ける。


「それで…色んな道具だったり料理を…シエナの前世は、こことは比べ物にならないくらい発展してたんだな」

 シエナを知る全ての人が思っている事だが、何故、シエナは次々と色んなものを生み出すのか不思議でたまらなかった。

 ルクスは、その謎が少しではあるが理解できた事を嬉しく思い、同時に、自分達の世界がシエナの前世の世界よりかなり劣っているという事も理解した。


「さて、ドライヤーも完成しましたし、私も今まで秘密にしていた事を打ち明けられてすっきりしました」


「それで、お礼と言ってはなんですが、私にできる事ならなんでもしますよ」

 シエナは、ドライヤーのアドバイス、そして、秘密を信じてくれたお礼にと自分のできる範囲でルクスの願いを叶えようとする。


 そう言ったシエナに、ルクスは。


「ん?今、なんでもするって言ったよね?」

 と、まるで模範解答のように反応をするのであった。

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