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シエナの幸せ

「それでは、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」


 深々とお辞儀をした後、シエナは宿の受付の方へと戻っていった。

 残されたアッシュとレイラは一旦顔を見合わせ、それぞれ男湯と女湯の方へと分かれて入っていった。



 アッシュが脱衣所で服を脱いでいると、突然靴箱の方から声がかけられた。


「忘れてました。もしよろしければ、ご入浴中に少しではございますが、服の汚れを落とさせていただきますが、いかがいたしましょうか?」

 靴箱によって遮られているのでお互い姿は見えないが、アッシュはすでに全裸になりかけていた為、少し恥ずかしく感じてしまっていた。


「ぇ、ぁ…はい、よろしくお願いします」

 突然の事だったので、アッシュはまたもや、つられて丁寧口調となってしまう。

「では、脱がれました服はこちらの籠へとお入れくださいませ」


 その言葉と同時に、靴箱の影から籠が置かれたのだった。

 アッシュはその籠の中へ服を入れた後、武器をどうするか悩んだ後、武器はロッカーの中へ仕舞いこんでヘチマのスポンジだけを持って浴室内へと入っていった。



 アッシュが浴室へ入っていったその少し後、レイラの方でも同様のやり取りがなされ、シエナは2人分の服が入った籠を持って、裏庭の方へと歩いて行き、2人の服の洗濯を始めるのであった。


「初めて入る風呂が、こんなに大きな物になるなんて…何か凄い体験をしてるみたいだ」

 浴槽に浸かりながらアッシュが呟く。アッシュの生まれ育った村では、川での水浴びが主であり、寒い冬などは桶にお湯を張り、それに浸した布きれで体を拭いたりする程度であった。

 今まで宿泊してきた宿屋も、風呂なんて当然ある訳がなかったし、風呂の代わりとして桶にお湯を1杯張っただけの物が有料サービスで存在していたくらいであった。


 有料サービスとは言っても、桶1杯分なのでそんなには高くはない。が、今、自身が浸かっている風呂を見てしまうと、その桶1杯分のお湯ですら、ボッタクリに思えてしまうのであった。


「それにしても…お湯に浸かる事がこんなにも気持ちいいなんて…」

 疲れ切ってしまっている身体が、じんわりと癒されていく感じがよくわかる。

 あまりの気持ち良さにアッシュは眠くなってきていた。


「アッシュ、聞こえる~?」

 アッシュがウトウトとしていると、風呂場の上の方からレイラの声が響いた。

 アッシュが上の方を見上げてみると、高めに作られている天井は、よく見ると隣の女湯の方にも繋がっているようだった。

 一応、覗き防止の為に木で作られた格子が何段階かで組まれていたが、そのまま繋がっているために声がよく響くようになっているのであろう。


「聞こえるぞ。どうした~?」

 眠りかけていたアッシュは、顔がお湯に浸かりかけていたので少し姿勢を正しながら、少し大きめで間延びするような声でレイラへ返事をした。

「気持ち良いね~。疲れが吹っ飛んでいく気分だよ~」

「あぁ、俺も同じ事考えていた」


 その後も、2人はシエナから説明された通りに身体や髪を洗い、自分の全身からありえないくらいの汚れが落ちていくのを実感して、自分がどれだけ汚かったのだろうかと思ってしまい、少し落ち込んでしまった。

 だが、身体を洗った後にもう一度浴槽へと浸かると、あまりの気持ち良さに落ち込むことすらどうでも良くなるのであった。



 しばらくした後、少し名残惜しさを感じつつも、アッシュは風呂から出たのであった。

 ドアをくぐり、脱衣所の方へ入った丁度その時、服を洗濯し、乾かして持ってきたシエナと脱衣所で鉢合ってしまった。


「ぁ、失礼致しました。湯加減はいかがでしたか?」

 全裸の男が目の前にいるにも関わらず、シエナは恥ずかしがる素振りも何もなく、服を台の上へ並べていく。

 逆にアッシュの方が動揺してしまっている。


「ぁ、あぁ…凄く気持ちよかったです…」

 タオルで股間の部分を隠しながら、アッシュはそう返事をした。

「それは良かったです!ぁ、服はこちらへ失礼しますね」


 笑顔でそう言って、シエナは女湯の方へと向かっていくのであった。



 シエナの並べていった自分の服を手に取ったアッシュは、その服の色々な事に驚いた。


 血や泥などの汚れは、ほぼ綺麗さっぱり落とされていて、新品のように綺麗になっていた事。そして、服はホカホカと温かかった。

 いくら春先とはいえ、この短時間で服がここまで温かく干せるなんてありえない。それに、汚れが綺麗に落ちている事もそうだが、その服からは、花のように甘い香りが漂ってきたのだった。


 もう、驚く事にも疲れてきたな。と、アッシュは苦笑しながら服を着て、暖簾をくぐって男湯から出た。

 風呂場の目の前の廊下には、椅子が置かれていたので、そこに座ってアッシュはレイラが出てくるのを待つのであった。


 それから十数分後、不思議な表情をしながらレイラが女湯の方から出てきた。

 アッシュと同じく、自分の服の状態を不思議に思っていたのである。


 風呂から上がったばかりのレイラの姿を見て、アッシュは顔が赤くなった。

 アッシュにとっては元から美人だと思っていたレイラの姿が、更に美しく見えたからだ。

 実際に、服は綺麗になっているし、髪の毛もトリートメントの効果によりダメージケアがなされてサラサラになっている上に、まだ湿っていてしっとりとしていた為、普段よりも色っぽく見えたのだった。


「アッシュ?顔赤いよ?」

「ぇ!?ぁ、ふ、風呂から上がったばっかだからだよ!!」

 やたらと動揺しつつ、アッシュは赤くなった顔を隠すように後ろを振り返って歩きだした。



 2人が宿の受付に戻ると、そこには大勢の利用客がいた。

 受付で客の対応をしているのは、シエナではない別の女性であり、シエナの姿は見られなかった。

 受付にいた利用客の多くは女性であり、そのほぼ全てが大浴場の方へと向かっていった。もうあと少しで、大浴場の営業開始時間だからである。


「お待たせ致しました。アッシュ様にレイラ様ですね。シエナから話は伺っております。私は、今日の受付を担当させていただいておりますセリーヌと申します」

 シエナと同様に、深々とお辞儀をするセリーヌと名乗ったその女性は、腰まで伸ばしたブロンドの髪をしていた。


「よ、よろしくお願いします…」

 レイラの顔が少し引き攣っていた。セリーヌの胸が巨乳であったからだ…。


「それで、宿泊の方はいかがなさいますか?」

「はい、1泊お願いします」

「大浴場の営業時間は只今の時間、16時から20時までの4時間となってますので、今、ご入浴されてきたのでしたら、風呂無しの2食付き1泊のプランをオススメ致しますが?」


 通常であれば、より高い料金を案内しそうなものであるが、セリーヌもシエナと同じようになるべく客に安く済ませ、より良いサービスが受けられるようにする傾向があった。

 それは、シエナの経営方針の教育の賜物であった。


「どうする…?俺は…、いや、レイラの好きなようにしていいよ」

 アッシュがレイラの方を見る。アッシュとしては、たった今風呂から上がったばかりなので風呂無しのプランで良かったが、もしかするとレイラがもう一度風呂に入りたいと望むかもしれなかったのだ。


「………」

 レイラは考え込むようにして黙り込んだ。

 アッシュと同様に、風呂から上がったばかりなので必要ないとも感じているが、寝る前にもう一度入りたいとも思っている。しかし、風呂無しプランであれば9リウス安く済むので、その浮いた分で何か他の事も出来るかもしれない。

 しばしの間、考えこんでいたレイラは、結局、風呂無しの2食付き1泊のプランを選んだのであった。


「いいのか?もう一度入りたそうな顔してるが?」

「いいの、浮いたお金で追加の料理の注文もできるかもしれないから、本来の目的だった美味しい物を食べるのを優先しようよ」

「…わかった。じゃあ、2食付き1泊風呂無しで」

「かしこまりました。仕切り無しの2名部屋でのご案内となりますがよろしいですか?」


 仕切りってなんだ?そんな疑問がアッシュの頭に浮かんだが、とりあえず頷いておいた。

 レイラが宿泊台帳に名前を記入している間に、アッシュがセリーヌに宿泊代金を支払う。


「それではお部屋へ案内させていただきます」

「あ、ちょっと待った。…その、シエナは…?」

 アッシュは、先ほどから姿の見えないシエナの居場所を質問した。


「シエナは現在、食堂の営業開始の準備をしております。こちらの扉の向こうにいますので、御用がございましたらお呼びいたしますが?」

 セリーヌがそう言って、ロビーの隣にある大きな両開きの扉を開けようとする。

 食堂に繋がるこの扉は、食堂の営業開始時間と同時に開放するのであった。


「あ、いえ大丈夫です。ちょっと気になっただけなので」

 仕事をしている人間の手を煩わせるわけにはいかないので、アッシュは慌ててセリーヌを止めた。

 丁度その時、食堂の扉が開いてシエナが顔を覗かせてきた。


「誰か呼びました?」

(なにこれ可愛い)

 扉の間から顔だけ覗かせてくるその行動は、とても可愛らしく、その場にいた3人は心の底から癒されるのであった。


「あ、アッシュ様にレイラ様。当宿のお風呂はいかがでしたか?」

「凄く良かったです。…ただ、安さの謎が深まるばかりだったけど…」

 シエナの百聞は一見に如かず、と言う言葉の意味は、ニュアンスで何となく感じとっていたアッシュ達であったが、そもそもの使い方が間違っていたのである。

 宿の宿泊費や風呂の料金が安い理由など、維持費がかからない仕組みを見ない限りは、どこにも見つかるわけがないので、謎が謎を呼ぶ状態であった。


「石鹸も洗髪料も凄く良い香りがしますし、トリートメントというもののおかげで髪もこんなにツヤツヤに…凄く幸せな気分です」

 レイラがそう言って幸せそうな顔をした瞬間、シエナは満面の笑みで喜んだ。


 シエナの宿を経営する目的は、様々なサービスと接客、そして美味しい料理で自分だけでなく、利用してくれた全てのお客様にも幸せになってもらいたいからなので、そのお客様が幸せそうにしているのが、現世のシエナの何よりの幸せだった。


 そのシエナの姿を見て、アッシュとレイラは理解した。

 お金儲けの為ではなく、本当に人々に喜んでもらう為だけにこの少女は頑張っているのだと。

 それは決して、理屈とかそういったもので例えられるものではなかったのだった。

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