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アッシュとレイラのちょっとした贅沢

「やった!ようやくランク2になれた!」

 冒険者ギルドの外で、赤髪赤眼の1人の男が喜びの声を挙げた。

 その男の胸に下げられている鉄のタグには、ランク2レベル1と刻まれていて、そのすぐ隣に下げられているブロンズのネームタグには『アッシュ・リューレ』と刻まれていた。


「やったねアッシュ。これで受けられる依頼の幅も少し増えたし、ギルド内の工房も使えるようになったね」

 アッシュの隣を歩いてる赤髪赤眼の女性の胸にも、同じようにランク2レベル1と刻まれた鉄のタグが下げられている。

 その隣のネームタグには『レイラ・ナタール』と刻まれていた。


 2人は今年の春、テミンへとやってきたばかりの新米冒険者であり、冒険者登録もこのテミンで初めて行った。

 今の季節が夏に差し掛かったばかりであり、登録したばかりの新人にしては早い昇格であるが、アッシュ達にアドバイスをくれた先輩冒険者などはランクが4であった為、アッシュにとってはようやくランク2になったという具合であった。


「ランクも2になったし、ちょっとしたお祝いみたいなものやらないか?」

 アッシュはレイラに相談する。レイラもそれに賛成し大きく頷いた。


「そうだなぁ。何が良いかなぁ」

 アッシュは、ほんの少しではあるが貯めているお金の入った布袋をジャラジャラとさせ、どんなお祝いをするのが良いか思い浮かべる。

「私、お祝いするなら行きたいところがあるの」

 レイラがそう言うと、アッシュは「ん?どこだ?」と反応をしてレイラの方を向いた。


「ほら、私達が初めてこの街に来た時に泊まった宿屋。あそこが良い」

 レイラの言葉にアッシュは手の平をポンと打つ。

「ああ!あそこならお祝いにちょうど良いな!俺達の思い出の宿屋でもあるし」

 現在、アッシュ達は冒険をせず街に滞在しているだけの時には簡易宿泊施設を、冒険後などの疲労が溜まっている時には格安の宿を利用していた。

 食事もなるべく安く済ませている。


 そんな2人にとっての贅沢は、『宿屋シエナ』に宿泊する事であった。


 初めてテミンに到着した日に宿泊をした宿。一見すると普通の宿にも関わらず、美味しい食事に寝心地の良いベッド、大浴場と他の宿にはない充実したサービスがあり、更に普通の宿よりも少し安い。

 普段、連泊をするには少々キツイ金額ではあるが、たまの贅沢として一泊をするならもってこいなのであった。


「…で、宿屋シエナって、確か三番街区にあるんだっけ?」

 アッシュは宿屋シエナの場所はかなりのうろ覚えであった。

 アッシュとレイラは主に冒険者ギルドのある一番街区か、商業特化区であり、主にテミンの宿屋が集まっている二番街区にしか基本的に用事がない。

 初めて宿屋シエナを訪れた時は、テミン自体が初めてであった為、住宅街メインの三番街区までたまたま足を運んだ事により、偶然発見しただけであった。


 これはアッシュとレイラだけでなく、他の冒険者も同様であり、宿屋シエナの宿泊客があまり多くない理由はそこにある。

 基本的に、三番街区に用事のある冒険者はいない。

 依頼人に会う為に三番街区へ行くことはあっても、その他の用事では行く事は、ほぼない。

 買い物であれば二番街区へ、宿泊であるなら簡易宿泊施設の多い一番街区か、格安の宿が多い二番街区に行くのである。

 四番街区にも格安の宿は多数存在しているが、四番街区は主に貧民街な為、治安がそこそこ悪い。宿も鍵無しのところが多い為、腕に自信のある者以外はあまり近寄ろうとしない場所である。

 一応は、三番街区にも小さな商店街やその他の店もあるのだが、二番街区に比べると品数が少ないので、三番街区に住んでいる住人以外はあまり利用しないのであった。


 それでも、宿屋シエナの事を知っている冒険者はそれなりに多い。

 珍しくて美味しい料理が食べられるところとして有名であり、立派な大浴場があるから当然である。

 現に、エレン達のようにわざわざ食事だけをしに宿屋シエナまで足を運ぶ冒険者は多く存在する。

 しかし、アッシュとレイラと同様に、拠点として利用するには少々高いと感じているので、宿泊はたまにの贅沢なのであった。


「そうだね。正確な位置までは覚えてないけど、確か近くに広場やパン屋があったのは覚えてるよ」

 レイラはその後に先輩冒険者が連れてってくれた酒場もそれなりに近くにあった事を思い出す。

「じゃあ、とりあえず近くまで行って、わからなかったら街の人に聞いてみるか」

 アッシュはそう言って、宿屋シエナへ向けて歩き出した。レイラも、その後に続く。




「ふんふんふんふ、ふんふんふふ、ふんふんふふ、ふ~んふふ~ん♪」

 宿屋シエナの受付裏の倉庫で、シエナはベートーヴェンの交響曲第9番第4楽章「歓喜の歌」…所謂、第九を鼻歌で歌いながら掃除をしていた。

 ルクス達とハーピーの岩山へ行った時に、自身が言った台詞から思い出した曲である。

 前世でクラシック音楽をよく聴いていた思い出が蘇り、少し懐かしくも思う。


「やっぱり歌は良いですねぇ~」

 誰もいない倉庫で独り言を言って、今度はドビュッシーのベルガマスク組曲第4曲「パスピエ」を鼻歌で歌い始める。

 丁度その時、宿の入り口に取りつけられてるベルのからら~んと言う音が鳴り響いた。


「いらっしゃいませ。宿屋シエナへようこそ」

 メリッサのお客様をもてなす声が聞こえてくる。

 シエナは「あれ?メリッサのいる時間帯に来客って事は…?宿泊客かな!?」と、嬉しそうに倉庫を出た。


「いらっしゃいませ。宿屋シエナへようこそ!」

 メリッサよりも若干元気良くシエナも同じように来客をもてなす。

 そして、宿屋に入ってきてた男女の姿を確認すると嬉しそうな声を挙げた。


「アッシュ様にレイラ様!お久しぶりです!」

 シエナの嬉しそうな言葉に、アッシュとレイラは驚く。まさか数か月前に一度宿泊しただけの人の顔を覚えてるとは思わなかったからだ。

 アッシュとレイラは、宿名や受けたサービスなどは覚えていたが、シエナの顔などは覚えてなく、せいぜい栗色の髪の小さな女の子としか覚えてなかったくらいである。

 もしかすると、自分達2人共赤髪の人間だからそれで覚えていた可能性も捨てきれないとアッシュは考えたが、それでも顔を見てすぐに名前を呼んでくれたのは嬉しいと感じていた。


「冒険者としての活動は順調ですか?」

 シエナの質問に、アッシュは「今日、ランク2に昇格したから、お祝いとしてここに来た」と答えた。すると、シエナは嬉しそうな満面の笑みを見せた。


「わ!お祝いをするのにウチを選んでくれるなんて、光栄です!それじゃあ沢山サービスしますね」

 そう言うと、シエナは2人を休憩所のソファーへと座るように促し、食堂の厨房へと向かった。

 シエナが離れた間に、メリッサが冷たい麦茶を用意して2人の前のテーブルに置く。2人はありがとう、とお礼を言ってから麦茶を一口含んだ。


「ん~!冷たい!外はもう暑くなってきたのに、こんなに冷たい飲み物が出せるなんて…やっぱり、凄いね。ここは」

 レイラはキンキンに冷えた麦茶を飲んでそう感想を漏らす。

 すると、メリッサは少しだけニヤリと笑うと「これから出てくるものを見たらもっと驚きますよ」と意味深に呟く。その雰囲気は少しミステリアスであった。



 それから5分程でシエナは戻ってきた。

 その手にはお盆が持たれていて、お盆の上にはガラスの器に入った宇治金時が2つ乗せられている。


「こちらはサービスのかき氷、宇治金時という物です。お好みでこちらの練乳をかけてお召し上がりくださいませ」

 シエナは2人の前に宇治金時と練乳を置いていく。

 練乳は、牛乳と砂糖とバニラエッセンスで作った簡単な代物ではあるが、甘味の少ないこの世界ではかなりの贅沢な嗜好品である。


「こ、氷!?この暑い季節に!?」

 アッシュは驚いた。どうすればこの暑い季節に氷が手に入るのか。普通に考えれば手に入る訳がない。

 そして、仮に氷が手に入ったとしても、それは相当な高額になるはずだ。以前の饅頭の時もそうだったが、サービスとして振る舞うにはいささか正気とは思えないとアッシュは思っていた。


 そして、メリッサの方を向いて先ほどの台詞を思い出す。

「お、驚くどころの話じゃないんだけど…」

 アッシュは少し小悪魔風の笑顔をしているメリッサに向かって呟くのであった。



 その後、アッシュとレイラは宇治金時を食べ、ほぼ同じタイミングで頭を抑えた。どうやら2人とも氷菓子を食べるとすぐに頭がキーンとなる人物のようである。

 2人が頭を抑えるのを見てから、シエナは口を開く。


「一気に食べると頭がキーンて痛くなるので、気を付けてくださいね」

 まるで、どこぞの鬼畜こけしのように、アツアツのたこ焼きを口に放り込んでから「熱いので気を付けてください」というような、食べる前に言えと言わんばかりの行動である。


「でも、これ凄く美味しいね。氷をこんな食べ方するなんて初めて」

 レイラの呟きに、アッシュは「氷自体食べてる人なんて見た事ないよ…」と、もっともな意見を述べる。

 シエナは、冷凍庫を開発したからこそ、夏でも氷が作り出せる。しかし、他の人達はそんな便利な道具を持っていない為、氷を見るのは基本的には真冬である。

 真冬に氷を食べようとする人間はいない。仮にいたとしても、かき氷のように細かく削ってシロップをかけて食べるような食べ方をする人間は、この世界には存在しない。今現在、この世界で夏に氷を食べる事ができるのは、宿屋シエナのみなのであった。


 2人は宇治金時を堪能した後、宿泊についての話しを進める事にした。

「2人部屋の風呂・食事付きを一泊お願いします」

 アッシュは受付にいるメリッサに自分達の望む宿泊プランを伝える。

 メリッサは「かしこまりました」と丁寧な一礼をして、宿泊料金を受け取り、部屋への案内を始めた。

 この時、メリッサが荷物運びを買って出た所、アッシュとレイラは今度は喜んで荷物運びを任せていた。


「ごゆっくりおくつろぎくださいませ」

 シエナは階段を昇り始めたアッシュ達に一礼をすると、宇治金時の入っていた器を片づけ始める。

 本当は自分が部屋へ案内をしたいところであったが、メリッサの仕事を奪うわけにはいかなかった。


 メリッサは、午前から昼過ぎまで限定のアルバイトのような従業員であり、主に担当するのが宿泊客のチェックアウトの受付と午前の食堂の会計であり、これから宿泊をしたいというお客様の部屋への案内は滅多にできないのである。

 一度、シエナが部屋への案内をしようとしたところ、静かに怒ってきたのを今でもシエナは覚えている。


(さて、掃除の続きでもしますか)

 そしてシエナは受付裏の倉庫へと戻り、掃除を再開するのであった。



「他にご不明な点などございましたらお気軽にお声かけくださいませ。それでは、ごゆっくりどうぞ。失礼致します」

 部屋の案内と、ちょっとしたサービスの説明を終えたメリッサが客室から退室すると、アッシュはベッドに寝転がってくつろぎはじめた。


「あ~…やっぱこのベッドいいな。寝転がるだけでじんわりくる」

 なるべく疲労を溜めないようには気を付けているが、それでもやはり疲労は蓄積されてしまう。

 その蓄積された疲労が、このベッドで寝転がるだけで癒されていくのがわかるとアッシュは思った。


「しかも、今日はお風呂にも入れるから、更に疲れがとれるだろうね」

 レイラは凄く嬉しそうに風呂を楽しみにしていた。現在、風呂は営業前で清掃中だから入る事ができない。

 前回はシエナがサービスで誰もいない貸し切り状態で使わせてくれたが、今回は他の利用客もいる状態だな、とアッシュは呟いた。


「まぁ、それも一つの醍醐味って事だよ」

 レイラの言葉に、アッシュは「それもそうだな」と言って、机の上の夕食のメニューを開いた。


「さて、今回は何食べようか」

 アッシュは、前に食べたのはこのハンバーグってやつだったよな、とハンバーグの絵を見て、その味を思い出す。

 途端にアッシュの口内は涎による洪水が発生した。


「やべ、思い出したら涎が…」

 そんなアッシュの行動に、レイラは微笑みながら客室に備え付けられていたタオルをアッシュに渡す。

 そして、2人肩を並べて1つのメニューをじっくりと眺めていた。




 大浴場の営業が始まると同時に、アッシュとレイラは大浴場を利用した。

 前に夕食を食べようと降りた時に混雑していたのを思い出し、食事前に入っておこうと考えたのである。

 暑い季節になってきたからか、男性客は減っていたが、女性客は増えていた。汗を流したいと思っての事だろう。


「もうちょっとゆっくり入りたかったなぁ…」

 風呂から上がった後のレイラの呟きを聞いたアッシュは、並ぶ必要はあるかもしれないけど、夕食後にも入りに行こうか、とレイラに優しく微笑んでいた。



 その後、2人は食堂へと向かい、接客をしていたシエナに料理を注文。

 アッシュは、カツ丼・玉子スープ・茹で卵付きサラダ、を注文するという、なんとも卵が多いメニューとなってしまっていた。

 レイラは、ロールパン・ナポリタン・ミネストローネ・ハムとチーズのサラダ、となんともイタリア風のメニューに偏っていた。


 2人は食後に、デザートでお勧めはあるかとシエナに訊ねたところ、「今はバニラアイスかプリンがオススメです」と言われ、追加料金を払ってプリンを注文し、そのとろける甘さに驚いていた。




「あ~…何か贅沢できたって感じするな」

 大浴場の営業終了前に、もう一度風呂に入った2人は、ベッドに横たわってその日一日を満足していた。

 いつもよりもほんの少し多くお金を払っただけなのに、桁違いのグレードのサービスを受けれたと実感している。

「また来れるように頑張らないとね」

 レイラは窓を開けて夜空に浮かぶ星空を眺めながら呟いた。


 アッシュは天井に向けて手を伸ばし、「もっと頑張らないとな…」と心の中で想うとギュッと拳を作る。

 そして、村を出てまで一緒についてきてくれたレイラとこれからも一緒に頑張っていこうと自身に誓うのであった。

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