ティレルの予想
午前の食堂の営業が終了し、ほぼ日課にしている宿前の清掃を終わらせた後、シエナは裏庭にある倉庫でそれなりに大きな木箱をいじっていた。
「う~ん…魔晶石が足りないかぁ」
シエナが作ろうとしている物は、冷蔵庫であり、その木箱の内側には鉄板が貼りつけられていた。
その鉄板の更に内側には、以前、狩猟をしてきた凍らせた方のスライムが張り巡らせられている。
スライムを凍らせて、その冷気を利用して冷蔵庫を作り上げようとしているのであった。
ただ、スライムを凍らせるだけなら、自分の魔法を使えば簡単にできるのであるが、それだと何度も重ねて冷却魔法を使う必要があり、自分が数日間、宿を空けている時には誰も使う事ができない為、宿屋の従業員なら誰でも使えるように改良しようといるのであった。
魔晶石に魔力を溜め込み、その魔力が尽きるまでは連続してスライムを凍らせる魔道具を作ろうとしているのであるが、手元にある魔晶石では数が足りなかったのである。
シエナは、熱を操る魔法が特に得意であり、魔道具製作も、熱を上げたり下げたりするだけの道具であれば、それなりに簡単に作る事ができる。
しかし、それでも魔晶石の数が足りないと、パワー不足であったりすぐに魔力が枯渇してしまうのであった。
「よし、足りなければ採りに行けば良いだけです!」
シエナは軽々しく口にしているが、本来、魔晶石は危険な場所、危険な魔物が多く生息するような所にあり、そこへ行っても必ず魔晶石が採れる訳ではない。
魔晶石の採取はハイリスクハイリターンな為、それ故に高価なのであった。
しかし、シエナの場合はリスクはそれなりに少なく、リターンが大きい場所を知っている。
『ハーピーの岩山』
そこに住むハーピーのミレイユと、シエナは友達であり、他のハーピーとも友達である。
そして、ミレイユ達はシエナの為に魔晶石が多く採れる場所を見つけてくれているのであった。
冒険者ギルドでも、魔晶石の採取依頼はたまに出ているが、それを受けようとするハンターは多くない。
成功した時の報酬は抜群に高いのであるが、依頼が失敗に終わる可能性がかなり高く、失敗に終わればそれだけ評価を下げられてしまうからだ。
そんな中、採取依頼が出ている時にシエナはたまにふらっと依頼を受けて、簡単に依頼を達成してしまうので、冒険者ギルドの職員の間では、魔晶石の採掘依頼はほぼシエナ専用の依頼、と認識している程である。
ちなみに、ここ数週間はシエナは冒険者ギルドに顔を出してなく、その間に3度程魔晶石の採取依頼があったのだが、どれも期日が過ぎてキャンセルとなってしまっている。
それほど、誰も受けようとしない依頼なのである。
「う~ん、と…料理教室は一昨日したし、ディータと遊びに行く日も、まだもうちょっと先だし…他に予定は…」
シエナは、今からの数日間の予定や、外せない用事を忘れてないかを思い出そうとする。
「うん、特にないですね。今回はゆっくり行って、ミレイユちゃん達とゆっくり遊んでから帰ってこようかな?」
そして、特に予定はない事を確認し終えると、これからの冒険の支度を始めるのであった。
シエナが冒険の旅支度をしている頃、テミンの領主館の一室ではルクスとティレルが会話をしていた。
内容は他愛もない雑談であったのだが、ルクスがいつものようにシエナの話題を出したところでティレルは呆れかえってしまう。
「ほんと…なんで1日でそんなに好きになってしまったんだよ…一目惚れではなかったけど、一日惚れじゃないか…」
ルクスもなんでだろうなぁ?と、不思議そうな表情をする。
「わからん、全然わからん。俺もいつの間にか好きになってた」
その後はルクスがプロポーズを断られた話しに発展し、ルクスは頭を下げ落ち込むが、そこでふと思い出された事があり、顔を上げる。
「そういえば、シエナが穢れた血とかなんとか言った時、ティレル、何か変な反応してたけど…あれ、なんだったんだ?」
ルクスが質問をすると、ティレルは気まずそうな表情を出す。
「…黙ってようかと思ってたが…しょうがない。あの日、ルクスが公園に行ってる間に冒険者ギルドに行ったのだが」
知ってる。と言わんばかりにルクスは頷く。
「凄腕冒険者って聞いてたし、ギルド職員にシエナの事をちょっと聞いてみたんだ」
「それで判明したんだが…おそらくシエナは…」
妙なタメを作り、ティレルが勿体ぶるとルクスはゴクリと喉を鳴らす。
「シエナは、グバン帝国の出身だと予想されるんだ」
「な!グバン帝国の、だと!?」
ルクスは驚いて声を挙げる。
グバン帝国は、現在ヴィシュクス王国に戦争を仕掛けてくる可能性が非常に高い敵対国であった。
可能性が高い。というよりも、確実に攻め込んでくる。と言った方が正しいかもしれない。そんな国である。
遅くても10年以内に、普通であと5年以内には攻め込んで来る可能性が高く、グバン帝国の準備がすでに整っているのであれば、今すぐにでも戦争を仕掛けてくる可能性だってある。
しかし、流石にまだ準備が整ってないのは確認できてる為、最低でもあと3年は大丈夫だと予想されている。
シエナがそのグバン帝国の出身かもしれないと聞かされ、ルクスは驚く。
「何故、シエナがグバン帝国の出身だと?」
敵対国の出身だと信じたくないルクスは、根拠を訊ねる。
「最初はギルド職員にシエナのランクとかだけ聞いてたんだがな、別の地域からやってきて本登録を済ませるとあっという間にランクを上げていったって言ってたから、興味本位で出身地を聞いてみたら調べてくれてな。結局、出身地はわからなかったのだがシエナがギルドの仮登録を行ったのはグバン帝国領の町だったんだよ。しかも、仮登録がされたのは今から7年前のシエナが6歳の時」
この世界には個人情報保護法などと言う法律は存在しないので、質問をされれば皆正直に答える者達ばかりである。中には絶対に秘匿するようにと言われる情報もあり、そう言ったのは確実に秘密とされるが、基本は情報はダダ漏れである。
ティレルは続けて「流石に6歳の子供が、当時2つも離れた国で仮登録を行わないだろう」と付け加える。
当時2つも離れた国、と言ったのは、以前までヴィシュクス王国とグバン帝国の間にはもう1つ国があったからである。
フォルト王国。
今からおよそ7年前にグバン帝国に攻め込まれ、1年近くに渡る戦争の末、敗戦した国である。
敗戦後にはグバン帝国の領土となり、現在ではグバン帝国と名乗らされている。
山岳に囲まれた土地ではあるが、大きな河が流れ、緑豊かな資源の豊富な国であった。
その資源を狙われ、フォルト王国はグバン帝国に攻め込まれてしまった。
グバン帝国は、アーネスト大陸の最西端に位置する小さな半島の小国ではあるが、人口はかなり多い国であり、気性の荒い人間ばかりが住んでいる国である。
逆に、フォルト王国は国の面積はグバン帝国の5倍程の大きさがあったのだが、人口は少なく、穏やかな人種が揃った平和主義の国であり、そこに付け込まれてしまい、抵抗空しくも敗戦に終わったのだった。
戦争に慣れていない人種だが、1年近くも抵抗できたのは、地の利が生かせていたからである。
そして、フォルト王国の土地と資源を手に入れたグバン帝国は、今度はフォルト王国と同じくらいの面積を持つ、ヴィシュクス王国を狙っていた。
今は、戦争の準備段階であり、手に入れた資源を使い、兵や兵の装備を整えて訓練をしているところである。
ヴィシュクス王国は、グバン帝国を迎え撃つ為、ヴィシュクス王国と元フォルト王国の間に位置するバッヘラ大平原にて、戦争の要となる砦を築いている。
フォルト王国と同じように、平和主義であるヴィシュクス王国は、攻め込むのも攻め込まれるのにも慣れていない。
そして、フォルト王国のような山岳地帯と違い、ヴィシュクス王国は平地ばかりであるので、この砦が破られればあっという間に蹂躙される可能性が非常に高かった。
自分達が弱いと知っているヴィシュクス王国は、何度もグバン帝国に不可侵条約や平和条約を結ぼうと遣いを出しているのだが、全て突っぱねられている。
必ず戦争は起きる。
そう確信しているヴィシュクス王国では、最初で最後の砦を建設し、何とか防衛を試みようとしているのだった。
『穢れた血』
その昔、誰かがグバン帝国の人に対して呟いた言葉である。
アーネスト大陸に存在するほとんどの国が平和を愛する国であり、そのほとんどの国がグバン帝国のように野蛮な人種ばかりが存在する国を忌み嫌っていた。
平和主義の国ばかりの中、野蛮な人種の揃ったグバン帝国は、アーネスト大陸に存在する穢れた血の人種と言われているのである。
「もしかするとシエナはグバン帝国の出身なのかも」と考えていたティレルは、シエナが自分の事を穢れた血と答えた時に、反応を示してしまったのだった。
「…シエナが、グバン帝国の出身…信じられない…」
それでもシエナが敵対国出身だと信じたくないルクスは、現実から目を背ける。
一般人同士であるなら問題はないだろうが、王族となれば話は別であるのである。
相手がこの国の者であれば、限りなく可能性は低いが結婚を認められる事もあるだろう。
しかし、それが敵対国、それも穢れた血と呼ばれるグバン帝国出身だと聞かされたら、どんなに美しく聡明で結婚相手はその人しかいない、と言われるような人物であっても、逆に結婚は認められないだろう。
ますますシエナとの結婚が非現実的になっていく様子に、ルクスは焦りを感じるのであった。
「と、とりあえず、シエナに直接聞こう!きっと何かの間違いさ!」
たまたま、シエナは親と旅をしていて冒険者ギルドへの仮登録をグバン帝国で行った。という可能性を捨てきれないルクスは、直接シエナに話しを聞こうと思い、立ち上がる。
ティレルは、信じたくないと言うルクスの気持ちはわかるが、現実を見た方が良いと思い何も言わずについていくのであった。
「う~ん…、せっかくだからお土産にベーコンでも持って行こうかな」
エルクやアンリエット、他の従業員にも3、4日宿を空けると話し、冒険の準備を進めているシエナは、ミレイユへのお土産も準備し始めた。
ミレイユ達へのお土産は、全て肉系の食べ物であり、それが一番喜ばれるのである。
ガストンに「いくつか肉持っていきます」と声をかけ、シエナはそれをリュックに詰め込んでいく。
いくら経営者とはいえ、無断で食品の在庫を持ちだすのは問題になるからである。
「さて、忘れ物はないかな?」
食品倉庫で全ての準備が終わったと思われたシエナは、指先呼称確認をしながら忘れ物がないかを確認する。
忘れ物がない事を確認すると、シエナは食品倉庫を出て冒険へと出かけようとするのであった。
シエナが外へ出る為に受付を通ると、そこにはメリッサと会話をしているルクス達の姿があった。
「あら、ルクス様にティレル様、ケイト様。おはようございます」
シエナは頭を下げて挨拶をする。
「ああ、おはようシエナ」
ルクスはシエナの声がした方を振り向いて挨拶をし返すと硬直した。
シエナは、突然硬直したルクスにどうしたのだろうかと、こてんと首を傾げると、急にルクスが興奮し始めた。
「可愛い!いつもの服も髪型も良いけど、その恰好も凄く凛々しくて可愛いね!」
もうすっかりシエナにメロメロになっているルクスは、初めて見るシエナの冒険時の恰好をべた褒めするのであった。
特にルクスが惹かれたのはシエナの髪型である。
肩甲骨辺りまで伸びていたシエナの髪は、ポニーテールとなっていて、普段隠れて見えていなかった首が見えるその髪型にルクスは興奮している。
「あ、ありがとうございます…」
シエナは若干引きつつも、ルクスにお礼を言う。
ティレルとケイトは、ルクスが少しずつ残念な王子になっていく様を見ている為、深いため息を吐く。
「その…これからしばらく冒険に出かけて留守にします。おそらく4日か5日後には帰ってると思いますので、何かお話ししたいならその時に…」
「どこに冒険へ出かけるの?」
シエナの話しを聞かずに、ルクスは質問をする。
「あ、はい。ハーピーの岩山へ。魔晶石を採りに」
シエナはそれくらいの質問なら答えても時間の無駄にはならないからと、サッと答える。
シエナの回答にルクス達は驚く。
「え!?一人で!?危ないよ!」
魔晶石の採掘を1人で行くなんて自殺行為だと言わんばかりに、ルクスはシエナを止めようとする。
もちろん、ティレルとケイトも同じように止めようとしていた。
「いえいえ、もう何度も1人で採りに行ってるので大丈夫です」
あっけらかんと答えるシエナに、ルクスはそれでも心配だと言い放つ。
シエナは、「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ~」と軽く答える。
「俺達もついて行って良い?邪魔しないようにするからさ」
ルクスの唐突な提案に、特にケイトがギョッとした表情をした。
そんな危険な場所になんて行きたくないと言う表情である。
「う~ん…まあ、今回は急ぐ冒険でもないですし…良いですよ」
シエナは少しだけ考えると、同行を許可した。なんとなく感じたのが、拒否をしたとしても何かと理由をつけて、ルクスがついてきそうな気がしたからだ。
それならば、最初から一緒に行動していた方が幾分か楽である。
心の中で「拒否しろ、拒否しろ」と願っていたケイトは顔が青ざめる。
そんな様子を見ていたティレルは、諦めからか肩を竦めているのであった。




