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大浴場の案内

 見ているだけで癒されるその少女の可愛い笑顔は、宿に入る時に緊張していた2人の心を和ませた。


「ご新規様ですね。わたくし、宿屋シエナの経営者(オーナー)『シエナ』と申します。今日は宿泊ですか?それともお食事ですか?」

「ぁ…宿泊でお願いします。…あの…宿の前にあった看板の料金の事ですが…って、えぇ!?あなたがオーナーなの?」


 深々とお辞儀をするやたらと丁寧な対応をするシエナと名乗った少女の問いにレイラが答えつつ、同時に驚きの質問を投げかける。

 シエナの見た目はどう見ても10歳前後の子供であった。

 そんな子供がこんな立派な宿屋を経営している。当然、疑問に思わない訳はなかったのである。


「はい、宿の宿泊料金は表の看板通りでございます。お風呂なしの、夕食と朝食2食付きのみの宿泊でしたら、9リウス程お安くする事も可能です」シエナはここで一旦言葉を区切ったのち

「まだ、13歳の若輩者ではありますが、この宿屋を経営させていただいております。何かご不明な点などございましたら、お気軽にお声かけくださいませ」

 と、笑顔で答えるのだった。


 『リウス』とは、この国の通貨の名称である。

 この国を建国した初代の王様の名前が、そのまま通過の名称となっているのであった。


「では…いくつかお尋ねしたいのだが」

 まだ成人前の13歳と言う若さに戸惑ってしまい、ついシエナにつられて、アッシュが中途半端な丁寧口調となってしまった。

「はい!何でしょうか?あ、立ち話も何ですし、どうぞこちらへおかけください」


 そう言って、シエナは宿の出入り口付近にあった小さな休憩所の方へと2人を誘導する。

 2人がソファーに座り、その座り心地の良さに驚いている間に、シエナは受付に準備されていた茶菓子と紅茶を持ってきて、2人の前のテーブルへと並べた。


「俺はアッシュ、こっちはレイラ。冒険者だ」

 シエナがソファーに座るのを見計らい、2人は自己紹介をする。

「アッシュ様にレイラ様ですね。よろしくお願いします」


「では、まず…お風呂っていうのは、どのくらいの大きさのものなのでしょうか?」

「お風呂は、個室についている訳ではなく、皆が共同で使う大浴場となっております。大きさは浴槽の大きさが丁度この休憩所くらいの大きさとなっております」

 レイラの問いに、シエナが間髪入れずに答える。


 小さな休憩所とはいえ、人が3~4人座れるだけの大きさのソファーが4つに、ソファーを挟んでそこそこの大きさのテーブルが2つあるこの休憩所は、それなりの大きさである。

 そんな休憩所と同じくらいの大きさの風呂となると、そこに溜める水の量や、その水を沸かす為の燃料費だけでかなりの金額となるはずだ。

 下手をすると、風呂のみの利用でも宿泊料金並、もしくはそれ以上になってもおかしくはない。

 それでこの宿泊料金…、とてもではないが正気の沙汰とは思えなかった。


「…なぜ、風呂付きでこんなに宿泊料金が安いんだ?」

 当然の質問である。


 シエナはその質問に対し、きょとんとしたような表情を見せたあと、少しだけ何かを考えるような素振りをしてこう答えた。

「私は、別にお金儲けをしたい訳ではないのです。ただ、お客様方に喜んでもらえる宿とサービスを提供し、そして何よりも美味しい料理を広めたいのです。本当はもう少し安くしたいのですが、そうすると流石に従業員にお給金も払う事ができなくなってしまいますし、他の宿からクレームが来てしまうのですよ…」


 はにかむような、少し困った笑顔を見せてシエナは人差し指で頬を搔いた。


「2食付き1泊の料金が少し安いだけであるならば、その話は納得できる。でも、風呂付きであの値段だと、明らかに大赤字のはずだ。何か裏があるんじゃないかと思ってしまうが?」

「あ、お風呂の維持費は、実はほとんどかかってないのですよ」


 アッシュとレイラは、驚愕の表情を浮かべた。

 お風呂の維持費はほとんどかからない?そんな訳がないのだから。


「…維持費がほとんどかかってないって…信じられる訳がない」

「ん~…まぁ、信じられない気持ちもわかりますが…ですが、維持費が嵩んでいるような状態で、料金を高くしているのならまだしも、安くしているのはお客様方にとっては悪い事ではないですよね?損をしているのは私なのですから。まぁ…別口の収入がいくつかあるので問題ないのですが」


 2人は黙ってしまう。シエナの言う通り、普通であればなるべく維持費を抑えて、料金設定を高めにしたりするのが当然であって、維持費がかかってないから安くしているという事実を、客に正直に話す必要などない。


「百聞は一見に如かず、です。大浴場の営業開始時間は1時間ほど後なのですが、準備はもう終わってますので、よろしければお試しに入ってみます?もちろん、その分の料金はいただきませんので」

 意味のわからない言葉の後にシエナが驚きの提案を出してくる。


 平民では滅多に入ることのできない風呂に無料(タダ)で入らせようとしているのだ。2人が驚くのは無理もない。


「その前に、良かったら紅茶と茶菓子をお召し上がりください。こちらの紅茶はローズマリーの紅茶でして、疲労回復の効果があるので是非お試しください。こちらの茶菓子は、饅頭(まんじゅう)と言いまして、優しい甘さに仕立ててますので疲れた身体によく染み込むかと思いますよ」

 そう言って、笑顔でシエナは紅茶と茶菓子を勧めた。

 これらも無料のサービスであるという事を伝えられた2人は、遠慮なく紅茶と茶菓子に手を伸ばした。


「おいしい!それに凄く良い香り!」

 紅茶を一口飲んだレイラが感嘆の声を挙げる。

「茶菓子もメチャクチャ旨いぞ!こんなに甘いのを食べたのなんて初めてだ」

 飲み物よりも、食べ物を優先したアッシュも同じくその美味しさに驚く。


 甘味も通常であれば高価な物である。

 それを無料のサービスとして、まだ宿泊料金すら払っていない客に対して振る舞うのは、いささか過剰サービスだと感じられるが、前世が日本人であるシエナにとっては、それは過剰サービスでもなんでもなく、普通のサービスの一環であった。



 紅茶と饅頭を堪能した2人はその後、シエナの案内によって宿の大浴場施設へと案内された。


「青色が男性用、赤色が女性用の大浴場でございます」

 暖簾(のれん)と言う言葉が存在しない世界なので、シエナは色で区別する説明だけをした。

「まだ、営業時間前で誰も入浴されていないので、少しだけ施設内のご案内をさせていただきます」

 そう言って、2人共を男性用の方へと手招きした。


「入られる前に、こちらで靴をお脱ぎください。脱がれました靴はこちらの靴箱へ入れられてくださいませ」

 暖簾と同じく、下駄箱と言う言葉が存在しないので、靴を入れる為の専用の箱と説明をする。

 下駄箱には、盗難防止の為に木の板で作られた鍵が設置してあった。板を抜くと鍵がかかるタイプのものである。

 2人は簡易的ではあるが、その今までにないタイプの鍵の発想に関心を示していた。


「お召し物は、こちらで脱がれてこの中へお入れください。ここにも先ほどの靴入れと同様に鍵が設置されてますので、盗難の心配はございません」

 脱衣所にいくつか設置された木でできたロッカーには、金属製の鍵が設置されていた。

 金属製のその鍵は、下駄箱の鍵と同じ様な機工で作られているが、木で作られた鍵と違って、かなり小さく薄い代物であった。

「取り外しました鍵は、鍵についてますベルトで手首か足首かに巻かれて、鍵を内部に収納すると邪魔になりません」

 シエナはロッカーの一つの鍵を取り外し、実際に手首に装着して見せる。

 鍵を直接手に持ったり、首からぶら下げる訳でもないので、これは確かに邪魔にならないだろう。

 アッシュとレイラは、説明を受ける度にその発想に驚くだけであった。


「浴室内はこの様になっております」

 続いて案内されたのが、メインである浴場内部であった。

 脱衣所の奥にあるドアをくぐったその先には、ツルツルとした肌触りの良い石の床がある広い空間に、先ほどの休憩スペースと同等の大きさの、木で出来た浴槽があった。


「なんだろう、何か安心できるような…良い匂いがする…」

 レイラが浴室内の香りに目を瞑って鼻で深呼吸をする。


「こちらの浴槽は、とある木で作られた浴槽になっております。大変良い香りのする木材でして、お風呂にすると特に安心できる香りになるのですよ」

 実はこの浴槽は(ひのき)で出来ている。檜は、シエナが街から少し離れた森の中で偶然発見した木であった。



 シエナの知る限りでは、この大陸ではあまり檜は自生していない。

 もしかすると、国外や島国などには群生しているかもしれないが、そこまで行ける手段もないし、取り寄せる術がない。

 もし、この国にある数少ない檜が全部刈り取られてしまうことがあると非常に困る事になるので、シエナは檜という木の存在を公にはせず、自身の宿の浴槽と、一部の部屋にのみ使用しているのだった。



「お湯はこちらから常に掛け流しで追加されているので、余程の事がない限りは浴槽内のお湯がなくなるということはございません」

 シエナが手で示した先からは、木で作られた水道からお湯が浴槽内に注ぎ足される形で流れ落ちていた。

 浴槽が一杯になってお湯が溢れ出しても、浴槽周りに作られている溝へお湯が流れるようになっているので、排水設備も万全である。

 排水された先にはシエナが作ったろ過装置があり、ろ過装置から再度お湯を沸かすタンクへと水が戻り、そこで沸かされたお湯が浴槽へと注ぎ足されるという、無限ループを作り出している。


 そして、1日のお風呂の営業が終了すると、ろ過装置の排水部分に設置された、排水先を切り替える装置によって、ろ過された環境に良い状態で街の排水溝へと流れ出るようになっているのであった。



「身体を洗う際にはこちらをお使いください」

 そう言ってシエナが2人に渡したのは、網目状の不思議な形をしたスポンジだった。

「こちらは、ヘチマで作りましたスポンジです。お湯に浸けるとある程度は柔らかくなりますが、あまり強く体をこすると皮膚まで落ちてしまい、痛い目を見てしまいますのでご注意くださいませ」

「そして、続きましては、こちらにございます3つの壺の用途をご説明いたします」


 シエナが案内した先には、赤・青・白の3種類の壺が置いてあった。

「赤色の壺には、『液体石鹸』が入っています。こちらのレードルを使って先ほどお渡ししましたスポンジにかけて、泡立ててから身体を洗うのにお使いください」

「え?石鹸!?」

 シエナが実際に泡立てて説明をしている途中に、レイラが驚く。

 この世界の石鹸とは通常、ぶよぶよとした固形物質である。高価な割にはあまり汚れは落ちない上、すぐになくなってしまう、匂いだって良くないのだが、それでも貴族達の多くは利用していた。もちろん、平民などが気軽に使えるような代物ではない。

 しかし、この石鹸は固形物質ではなく液状である。しかも、やたらと良い香りがして物凄く泡立っている。一体、レードル1杯でどのくらいの金額が発生してしまうのか想像もできないような代物であった。


「はい、私の手作りの液体石鹸です。残りの2つの壺の中身も手作りです。一応、体に触れても大丈夫な物質を使って作っていますが、良い匂いだからといって、飲んでしまうと、お腹を壊してしまうかもしれないので、飲まないようにしてください」

 微妙に的外れな受け答えをしてしまったシエナであるが、それに気づかずに次の青い壺の説明を続ける。


「こちらの青色の壺にはシャンプー…えっと…『洗髪剤』が入ってます。髪を濡らして手で泡立てるようにして頭皮をマッサージするようにしながら髪を洗うのにお使いください。最初の1~2回はもしかすると全く泡立たないかもしれないので、何度か洗い流してから泡立つまで繰り返して使ってみてください」

「最後にこちらの白色の壺には、トリートメントが入ってます。簡単に説明しますと、傷んだ髪を回復させる物です。先ほどの洗髪剤を洗い流した髪に馴染ませるようにしてお使いください。馴染ませた後は1~2回ほどサッと流すくらいで大丈夫です」


 その後も、浴室内に積まれている木の椅子や桶などの案内を続け、浴室出入り口付近に書かれている文字と絵の前まで2人を案内した。

「石鹸も洗髪剤もトリートメントも、見た目が似通っているので、どれかわからなくなった時にはこちらの絵を参考にしてください。また、大浴場内でのマナーも併せて絵にしてますので、他のお客様のご迷惑にならないよう、ご注意くださいませ」

 そこには、文字が読めない人の為にもわかりやすいように絵で説明がされていた。

 日本の銭湯や温泉などに描かれているようなイラストである。


「お風呂から上がりましたら、こちらに用意してますタオルをお使いくださいませ。使い終わりましたらこちらの籠に入れてご返却ください。たまに持って帰ってしまうお客様がいらっしゃるのですが…」

 ふわふわとしたその大きなタオルも、もちろんシエナの手作りである。


「今はまだ製作途中で設置はできてないのですが、魔晶石(ましょうせき)を使った髪を乾かす道具や、お湯で火照った体を冷やす扇風機と呼ばれる道具なども、ここに設置する予定なのですよ」

 そう言って、楽しそうに両手を広げて、シエナはクルクルとその場で回りだした。



 その姿は、本当に楽しそうであった。

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