誓い
いつの間にか、食堂内にはメリッサ以外の宿屋シエナの従業員が集まっていた。
アンリエットとアルバも含まれていて、皆、事の成り行きを黙って見守っている。
沈黙が長引いた為、ルクスは口を開いた。
「もう一度言う。シエナ、君が16歳になった暁には、俺と結婚をしてくれ」
シエナは、まるで頭から湯気が出ているのではないかというくらい、顔が真っ赤に染まった。
「え、えぇ!?冗談ではないのですか?ほ、本気…です、か?」
そしておそるおそるルクスにその言葉が本気かどうか訊ねる。
「本気だ!」
ルクスは堂々と、大きな声でその質問に答える。
シエナは嬉しそうに、しかしまるで困ったかのように両頬に手を当てて身を捩る。
そして何度もルクスの方をチラチラと見ては、手で顔を覆い隠し、「うみゃ~…」と繰り返す。
「あ、ありがとうございます。嬉しいです」
顔から手を離すと、ルクスの目を真っ直ぐに見て答える。その眼は潤んでいてとても嬉しそうであった。
そのシエナの返事に、周囲の人々も思わず「おぉ!?」と騒ぐ。
シエナはスーハースーハーと何度も深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
シエナの決心が固まったと周囲の人間が察知して、再度辺りは静まり返る。
やや頬に紅色を残したままではあったが、その深呼吸でシエナはだいぶ落ち着いたようであった。
そして、もう一度ルクスの方を向き、優しく微笑むと。
「申し訳ございません。お断り致します」
と、はっきりとルクスからのプロポーズを断って一礼した。
「……………」
「えぇーーっ!?」
ほんの数秒、皆はシエナが何を言ったか理解できずに沈黙していたが、シエナの言葉の意味を理解すると、ルクスを含め、周囲の人間全てが同じ驚き方をして声を挙げた。
「し、信じられない…私なら喜んで受けるのに…」
「あいつほどの顔でダメなら、俺なんて絶対ダメじゃん…」
「もったいない…」
周囲の人々がそれぞれ思う事を口にして、騒ぎ出す。
ルクスは茫然としており、宿屋シエナの従業員も口を開けてぽかんと立っていた。
その中で、唯一シエナだけが「『だが断る』の方が良かったかな?」と、ズレた思考をしているのであった。
「な、何故だ!?」
どう見ても好感触であり、プロポーズを受けてもらえると思っていたルクスは、シエナに理由を問う。
「なぜ…と言われましても…その、嬉しかったのは確かなのですが、私達はお互いの事をまだあまり知らないですし……それに…」
「お、俺…いや!私はルシウス・アルド・ヴィシュクス!この国の…ヴィシュクス王国の第一王子だ!」
理由を話そうとするシエナの言葉を遮り、お互いの事をまだあまり知らないと言われたルクスは咄嗟に身分を明かした。
ルクスが突然身分を明かしてしまった事により、ティレルとケイトはあちゃー、と頭を抱える。
ルクスが王族であると知った周囲の人間、特に女性陣から「きゃー!王子様だって!?」と、黄色い声が挙がる。
唯一、シエナだけが「あ、やっぱり王族だったかぁ」と心の中で納得する。
「ヴィシュクス王国第一王子、ルシウス・アルド・ヴィシュクスは、シエナ!君を私の正式な妻として迎え入れる!もちろん、受けてくれるな?」
身分を明かしたルクスは、王族からの…第一王子からのプロポーズをよもや断るまいと思い、再度シエナに結婚を申し込む。
シエナはきょとんとした顔をした後、笑顔で答えた。
「いえ、王族なのでしたら尚更お断り致します」
「えええぇぇーーーっ!!」
先ほどよりも大きな驚き声が、周囲から沸きあがる。
「なんで!?王子様だよ!?」「お姫様になれるのに!」と言った声や、「玉の輿どころの話じゃないのに!」と言ったような羨ましがる女性陣の声がところどころから聞こえてくる。
ルクスはガクリと膝を落として床に手をついた。
「な、なぜ…だ…」
シエナの理由が聞きたい、今度は絶対に口を挟まない。
そんなルクスの心の声が聞こえてくるようだった。
「その…まず王子様との結婚は、もちろん私も女の子なので憧れますが…そしたら宿屋をやめなきゃいけないですよね…?」
シエナの衝撃の告白である。
お姫様になるのと宿屋を経営するのを天秤にかけ、宿屋を選ぶと言うありえない選択であった。
このシエナの言葉に一同は騒然とする。
「いや…普通天秤にかけないだろ…」
誰かが呟いたその言葉に、その場にいた全ての人間が頷く。
「何言ってるんですか!私は、この人生は宿屋を経営する為に生まれてきたんですよ!途中で投げ出したくはないんです!」
シエナは的外れな怒り方をして、自分の人生の生き様を語る。
「それに、私なんかの血は絶対に王族に混ぜちゃダメです。穢れた血です」
シエナの言葉に、ティレルが「あ…」と思わず声を漏らして、慌てて自分の口を塞ぐ。
ティレルの謎の行動に、皆の視線がティレルに集まる。
「い、いや…なんでもない。続けてくれ」
ティレルは焦ってシエナに続きを話すように促す。
「そもそも…王族は由緒正しき家柄と婚姻関係を結ばれるのでは…?何故、ただの平民の私なんかを…」
シエナも普通なら、王族は王族と、もしくは王族とそれに近しき貴族と婚姻関係を結ぶと考えていた。
間違っても平民と結婚をするなんて、おとぎ話の中でしかあり得ないと考えている。
「そ、それは…」
ルクスはフラフラとしながらも立ち上がり、ヴィシュクス王国のしきたりを語った。
シエナは王族のしきたりを聞いて「なるほど~」と納得をすると、「では、今回はご縁がなかったということで…ルクス様の今後一層のご活躍をお祈り致します」と、まるで企業のお祈りメールのようなプロポーズに対する不採用通知をするのであった。
「ま、待ってくれ!もう一度、もう一度考えなおしてくれ!」
ルクスは懇願するようにシエナに必死なアピールをする。
その言葉にシエナは「わかりました。では、結婚しましょう」と笑顔で微笑んだ。
シエナの言葉に、ルクスは安堵して表情が和らんだ。しかし、シエナは言葉を続ける。
「結婚をする代わりに、王族という身分を捨てて、この宿屋へ婿入りしてください。それなら結婚致します」
まさに鬼畜であった。
シエナのその言葉に、ルクスは「そ、それは…」と、目を泳がせ、再度床に膝をついてしまう。
王族と言う身分は、そう簡単に捨てられるものではない。
もし、本人が捨てたいと本気で願っても、勝手に捨てられるものでもないのである。
王族として生まれたからには、王族としての責務を果たさなければならない。
国と国民を守るという責務である。
それを放棄するということは、国民からの信頼を全て裏切るという行為である。
どうする事もできないルクスは、その場に崩れ去るのであった…。
しばらくの間、食堂内はざわついていた。
王子がお忍びで街に来ていた事も驚きだが、その王子がただの宿屋に宿泊しているという事実。
王族からのプロポーズを断り、更に結婚する条件として身分を捨てろというシエナの言葉。
信じられない事ばかりであり、周囲の人間がざわつくのも当然である。
「し、シエナ…こんなに良い縁談はないのに…なぜ断るんだ」
シエナの父親代わりとして、エルクがシエナに訊ねる。
エルクはシエナに幸せになってもらいたいと願っている為、王子と結婚をすれば絶対に幸せになれると思っていた。それだけに、なぜシエナが断るのかが理解できなかった。
「先ほども言いましたが、私はこの人生は宿屋をやりたいんです。それに、相手が第一王子であるなら、王位継承権も第一位ですよね?ほぼ王様になると思います。そしたら王妃になってしまいますよ…」
それの何が悪いのだろう?そんな心の声がその場にいる全ての人間から聞こえてくるようだった。
「王妃になったら、自由は絶対になくなります。跡継ぎだって産まなきゃいけないですし、料理だってさせてもらえそうにないですし…そんな人生真っ平ごめんです」
特に、シエナは料理ができなくなるのが嫌であった。
「もし、王妃になっても宿屋を続けさせてもらえるほどの自由が与えられるなら、考えなくもないですが…まあ、無理でしょうね」
どこの世界に、王妃を城の外へ出して自由を与え、宿屋を経営させる国があるだろうか。
結局、シエナはルクスの結婚の申し込みを拒否するという選択肢しかないのであった。
放心状態のルクスを晒し者にはできないと思ったティレルは、ルクスを担ぐようにして食堂を出た。
ケイトも慌ててそれに続く。
騒ぎの中心であるシエナは、その哀愁漂う背中を見送ると、まるで何事もなかったかのように「さ、営業再開です」と言って仕事を始める。
あまりの切り替えの早さに、その場にいる全ての人があんぐりと口を開けて立っているのだった。
「ご迷惑をおかけしました…」
次の日、まだ放心状態であるルクスを連れて、ティレルとケイトは宿のチェックアウトの手続きを済ませた。
流石に今の状態のルクスを、そのまま宿屋に泊めるわけにはいかないと感じたのである。
「えっと…こちらこそ申し訳ございませんでした」
次の日の早朝に何があったのかを知ったメリッサは、宿泊日数が残っているにも関わらずにチェックアウトをしようとするティレル達に、シエナに代わってお詫びをする。
その際に、宿泊しなかった分の料金を返金しようとしたのだが、ティレルに「迷惑料代わりに…」と、受け取りを拒否されてしまうのだった。
ティレル達が宿を出ると、外には箒で店先を鼻歌混じりに掃除しているシエナの姿があった。
シエナは、ルクス達に気付くと笑顔で近づいていく。
その表情は、昨日の出来事など何もなかったかのように感じるほどであった。
「おはようございます。これからお出かけですか?」
明らかに出かけるにしては荷物が多いと不思議に思っているシエナは、まさか一行がチェックアウトの手続きを終えてるとは知らないのであった。
「いや…今、宿のチェックアウトを済ませたところだ。迷惑かけたな」
ティレルがそう告げると、シエナは驚きの表情を見せる。
「え!?まだあと1泊残ってるじゃないですか」
ティレルは先ほどのメリッサとのやり取りをシエナに説明をする。
シエナは、複雑そうな表情を浮かべて「残念です…」と呟いた。
「シエナ…」
それまで放心状態であったルクスが、シエナの姿を見て意識を取り戻した。
しかし、元気はあまりないようである。
シエナは自分の名を呼んだ相手であるルクスを見ると、少しだけ申し訳なさそうな表情をして、頬を赤く染めた。
「昨日は…ありがとうございました。断っておいてなんですが、本当に嬉しかったです」
シエナの言葉にルクスは泣きそうな表情になる。
生まれて初めて好きになった女性に結婚を申し込み、それを拒否されてしまったのだから当然である。
それも、自分が拒否などされる訳がないと自信満々であったのだから尚更であった。
「…今回は、振られてしまったけど…俺、諦めないからな」
ルクスはそれまで借りていたティレルの肩から離れ、自分自身の足で立ってからシエナに宣言をする。
諦めないと言われたシエナは、少し照れた表情をして「期待しています」と微笑んだ。
シエナの言葉に、ルクスは少しだけ明るい笑顔を見せる。
(まだ、少しは望みはあるのかな…)
ルクスは諦めずにシエナにアプローチをかけようと心に誓う。今度は、振られても放心状態にならないように心を強くして挑む。そう決意して…。
シエナは諦めずに努力をする人間は好きであった。
一度や二度、振られたくらいで諦めてしまうような男は願い下げなのである。
ただ、それがストーカーのようなしつこさであるならば話しは別であるが、マナーを守った情熱的のアプローチであるならば大歓迎であった。
(私が成人するまであと3年かぁ…それまでこの人が諦めずにいてくれたなら…その時は結婚してもいいかな?)
シエナは口には出さなかったが、己の中でルクスに対して条件を決めた。
本当は宿を続けたいが、もしも、自分が16歳になってもルクスが諦めずに結婚を申し込んでくるならば、その時には覚悟を決め、宿をやめて結婚をしよう。
そう心に誓うのであった。




