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宿屋シエナへようこそ!

 まだ少し肌寒い風を感じる春に季節を移したばかりの頃、2人の男女の冒険者がテミンの街へ辿り着いた。


「ようやく…ようやくテミンに辿り着けたんだ…!」

 男が門の前で喜びの声を挙げる。

 幼い頃からの憧れの街、そこで冒険者として名を上げる。まだ、その夢は叶ってはいないが、その第一歩を踏み出せた事に喜びを感じずにはいられなかった。


「ここまで本当に大変だったね…。でも、これからはここで暮らしていけるようにもっと頑張らなきゃね」

 男に寄り添いながら女がそう口にする。


 2人は、門で街への滞在受付を済ませテミンの街の中へと足を踏み出した。


 しかし、2人は現在、ある問題に直面していた。

 テミンに辿り着くまでの長旅で繰り返してきた野宿によって、体は完全に疲れ切ってしまっている。

 今後はこの街を拠点にして冒険をするつもりではあるが、辿り着いたばかりの今日一日だけは、奮発してでも、疲れを癒す為に快適に眠ることのできる宿を選ぶべきか、美味しい食事のできるところでお腹いっぱい食べるべきかを悩んでいるのであった。

 そして、それら両方を満たせる程の金銭的な余裕は2人にはなかったのである。


「…宿は、当たりハズレがでかい…。高いお金を払っても疲れを癒せる程の宿屋でなかった場合のショックが大きいと、精神的にもキツイから、俺は美味しい食事ができる所を探すべきだと思うが…レイラはどう思う?」

「…アッシュの言う通り、美味しい物を食べる方が良いと思う。宿屋の当たりハズレは、人によって違うし、実際に泊まってみないとわからないからリスクは犯せられないよね…。それに、街には簡易宿泊施設があるみたいだから、野宿よりはマシなハズよ」


 アッシュと呼ばれた男の問いに、レイラと呼ばれた女は答える。

 実際には、食事にも同じリスクが付きまとうのではあるが、宿に泊まるよりかは食事の方が安くて済むし、何より2人はかなり空腹の状態である。


 簡易宿泊施設とは、冒険者が集まりやすい大きな街に必ず存在する、毛布1枚だけ貸し出される雑魚寝専用の超格安の宿泊施設である。

 天井が低く、隣り合う人との仕切りなど何もない広い空間ではあるが、雨風が凌げるその宿泊施設は、貧乏な冒険者にとってはありがたい施設であった。


 問題があるとすれば、寝ている間に荷物が盗まれる事があると言うことだろう。

 元々貧乏であるのに、冒険をするのに絶対に必要である大事な武器などを盗まれるリスクがあるのが、簡易宿泊施設の悪いところであった。



 その後もアッシュとレイラは、後悔をしない為にも相談を続け、結果は宿に泊まるよりも食事を優先する方へと決定した。

 簡易宿泊施設では、交代で荷物を見張って寝る事にしたのであった。


 アッシュとレイラは、簡易宿泊施設の利用料金を確認した後、安くても美味しい食事のできそうな食堂を探して街の中を彷徨った。

 何件か良さそうな食堂を見繕い、それでも他にもっと良い食堂がないかを探して彷徨っていたところで、レイラが1軒の宿に興味を示した。


「ねぇ、ここの宿…こんなに綺麗なのに他の宿に比べると料金が少し安いんだけど…」

 宿の表に出されていた料金の書かれた看板をレイラが読み上げる。


 アッシュは文字を読む事ができない為、文字を読んだり書いたりするのはレイラの仕事となっている。

 そこに書かれていた宿泊料金は、この街の至るところに存在したどの宿よりも安い料金となっていた。

 何故か、他の料金とは違って桁外れに高い料金も一つだけあったが、それ以外は全て安い料金である。


「見たところ、まだ建てられてから数年も経ってない新しい宿みたいだけど…なんでこんなに安いんだ?」

 料金を聞いたアッシュが疑問に思うのは当然である。


 通常、大きな街には主に4種類の宿が存在する。

 1つは、先ほど紹介された、宿と呼ぶにはほど遠い『簡易宿泊施設』である。

 他は、『格安の宿』、『普通の宿』、『貴族向けの高級宿』の3種類となっている。


 格安の宿は、その名の通り料金が安く設定されている宿である。

 簡易宿泊施設とは違い、きちんと部屋で分かれているのだが、部屋が狭い上に鍵が付いていなかったり、ベッドの布団が使い古しだったりするので、汚くて臭かったりする宿である。

 そして、格安の宿が存在するのは、主に貧民街である。

 しかし、冒険者の多くは、格安の宿に宿泊する事が多い。野宿や簡易宿泊施設に比べれば遥かにマシなのであるし、そもそもがあまりお金を持っていないので、普通の宿に連泊をするとすぐにお金が尽きてしまうのだ。

 それに、貧民街以外の場所に建てられた格安の宿は、食事は付いてないが、それなりにマシな宿ではあるので、冒険者はそういった多少はマシな格安の宿を探しだし、そこを拠点にしているのであった。


 普通の宿は、街の至る所に建てられている宿で、料金も何もかもが他の普通の宿と一緒で平均的な料金設定である。

 格安の宿と違い、食堂や食事付きの宿が多く、お金に余裕のある冒険者は、こういった普通の宿に宿泊する事が多い。

 ただ、見た目や料金が平均的な普通の宿であって、中身やサービスが格安の宿並の宿屋も結構多く存在するので、その当たりハズレの差はかなり大きいのであった。

 アッシュとレイラは、テミンの街に来るまでの旅の間、何度かそこそこの規模の街で宿に泊まった事があったのだが、格安の宿の方がマシだったのではないかと思える宿屋に当たってしまった事があったのだった。


 最後に、貴族向けの高級宿は、これもその名の通り、貴族向けの宿であり、料金設定はかなり高めである。

 主に貴族を相手にしている宿の為、ちょっとした不備があると貴族は誰も泊まらなくなってしまうので、高級宿は部屋や食事、その他のサービスその全てにおいてが他の宿に比べて規格外のグレードである。

 泊まる客層がほぼ貴族に限られる為、宿が存在するのは富裕層の住む高級住宅街だけである。

 もちろん、冒険者が宿泊できるような料金ではないので、冒険者は見向きもしないのであった。



 そして、今2人の目の前にある宿屋は、大きな3階建ての立派な木造建築の宿であり、宿の周囲の見た目もかなり綺麗にされている為、一見すると高級宿に見えなくもないが、普通の宿であった。

 それなのに、料金は格安の宿よりはもちろん高いが、普通の宿と比べると、幾分か安い料金設定となっていた。


「ここに『夕食朝食付き・お風呂付き』って書かれてるんだけど、この料金で普通の宿屋くらいの料金になってるよ…?」

 アッシュが驚く。驚くのも無理のない話である。

 夕食と朝食付きは、素泊まりのみの状態で、宿屋付属の食堂で注文をするよりかは安くつく、その代わり宿屋規定の料理しか出てこないので、注文することができない。という、どの宿屋も行っている割引サービスの1つであるので、そこは驚くところではない。

 驚くべきところは『風呂がある』という事実である。


 風呂と言うのは、基本的には王族や貴族しか使わない物である。

 簡易的な風呂自体は設置できたとしても、お湯を沸かす為の燃料である薪や、風呂に入れるだけの水の調達が、平民には難しいからである。

 当然、冒険者や平民向けの普通の宿に、風呂が設置されていることはないのである。


 仮に普通の宿に風呂が設置されていたとしても、この料金設定では大赤字もいいところであろう。


「『宿屋シエナ』…だって」

 レイラが宿の出入り口の上に掲げられている看板に書かれている宿名を読み上げる。

 この時点で、レイラの心の天秤はこの宿に泊まってみたいという方向へ傾いていた。


 見た目は高級宿の様な出で立ちなのに安い料金設定、夕食と朝食の2食付き、そして何よりお風呂があるというのが、女性であるレイラの心をひどく揺さぶらせた。



 元々、素泊まりだけであれば普通の宿に泊まる事がギリギリ可能であった手持ちのお金であったが、それをすると何も食べる事が出来なくなる為、2人は簡易宿泊施設に泊まり、食事をしようとしていたのだった。

 しかし、宿屋シエナであれば、料理を選ぶことはできないだろうが朝夕にそこそこは食べる事も出来て、ベッドで寝る事も出来る。更にお風呂に入る事も出来て、2人の手持ちのお金を合わせても、そこそこのお釣りが出る程である。



 レイラは無言でアッシュを見つめた。

 宿を諦めて美味しい食事を、と、つい先ほど相談して決めたばかりだから、ここに泊まってみたいと口に出して言えなかったのである。

 また、万が一ここがハズレの宿であった場合、アッシュに申し訳ない。

 その考えが、レイラの気持ちを一歩後退させてしまったのだった。


「…わかってるよ。ここに泊まってみたいんだろ?」

 レイラの気持ちを察してか、アッシュが優し気な表情をしてレイラに言葉をかける。

 そんなアッシュの言葉に、レイラは驚きの表情を見せた。


「同じ村で兄妹のように育ってきたんだ、レイラの考えてる事くらいすぐわかるさ。レイラだって、俺の考えてる事くらいお見通しだろ?」

 そう言って、アッシュはレイラの頭をぽんぽんと撫でるように叩いた。


「…いいの…?もしかすると、料理は美味しくないかもしれないし、ベッドだって汚いかもしれない…お風呂だって、少し大きな桶にお湯を張っただけの物かもしれないよ…?」

「大丈夫。もし、そうだったとしても俺はレイラを恨んだりなんかしない。後悔なんてしない。レイラと一緒ならどこでだって幸せなんだ」

 赤面するレイラにアッシュはそう答える。


「レイラは俺が冒険者になりたいと言う夢に、一緒について来てくれた。凄く嬉しかった。…だから、俺はそんなレイラがやりたい事があるならば、同じくどこでだってついていくさ!」


 ただ、宿に泊まるかどうかを決めるだけの話なのに、何故か壮大な話のようになってしまうアッシュであったが、そんなアッシュの気持ちがレイラは堪らなく嬉しかった。


 2人は、意を決してこの宿屋への宿泊をすることにした。

 もし、この宿屋がハズレだったとしても、それは今回の勉強料にしようと言うことにしたのだった。



 からら~ん、と、出入り口のドアに付けられた鐘の音と共に、2人は宿の中へと足を踏み入れる。

 踏み入れたその先には、ベッドが2つに折られたような形をしているソファーがテーブルを挟んで4つほど置かれている小さな休憩所となっていて、宿の受付はその奥に見えた。


「いらっしゃいませ!宿屋シエナへようこそ!」

 受付にいた10歳前後とみられる栗色の髪をした少女が元気良く笑顔で2人を招き入れた。

1~2部での主人公の台詞がまさかの合計2回のみ。

3部からは沢山しゃべります。


※2部と3部のサブタイトルを修正しました。

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