ミレイユとの出会い
その日、シエナは普通の街娘の恰好をして、王都エインリウスとテミンの街の中間辺りの、テミンから北西の位置にある断崖絶壁の岩山を目指して歩いていた。
護身用のナイフは携帯していたが、モンスターや魔物、それに盗賊が出る恐れがある街の外で出歩くような恰好ではない。しかし、それでもシエナはいつもの冒険者服ではなく、普段着を着ているのであった。
「ミレイユは元気にしてるかな~?」
シエナはニコニコした笑顔で薄暗い森の中を進んでいた。
友達に会いに行くだけなので、ガチガチの装備で身を固める必要もない。
そう考えたシエナはミレイユに会いに行く時には普段着を着ているのであった。
これが親友のディータみたいに、同じ街中に住んでいる人間であるなら問題はない。
しかし、今シエナが会いに行こうとしているミレイユという者は、街に住んでいる訳でもなく、更に人間ではなく魔物であった。
ミレイユはハーピーという鳥の魔物である。
人と同じような頭部に、人と同じような胴体。
しかし、腕は大きな翼となっていて、下半身は鋭い爪を持った鳥の姿となっている。
獰猛な魔物で、縄張りに入ってきた者にはその鋭い爪で襲いかかり、時にはそのまま巣へ連れ去って餌とする。
抵抗する者に対しては、遠距離からの風の魔法による攻撃を仕掛けてくる厄介な魔物で、ハーピーが巣を作っている岩山は、王都や街に住む人間に『ハーピーの岩山』と呼ばれ、恐れられていた。
ハーピーの岩山は濃い魔力の霧で包まれた場所であり、そこでは特殊な水晶が採れるのであった。
その水晶は魔晶石と呼ばれている。
魔晶石は、魔力の濃い危険な場所で採れる事が多く、そういった所には危険な魔物が多く生息しているのであった。
それ故に、魔晶石は非常に高級品なのである。
そんな危険な場所ではあるが、シエナは気にする様子もなかった。
むしろ、早くミレイユに会いたくてスキップをしながら進んでいるくらいであったのだった。
「とうちゃ~く!」
途中の平原を全力で走り、普通であるならば1日半から2日はかかる距離を、シエナは僅か半日で踏破した。
崖の下に立ったシエナは、ポケットから小さな笛を取り出し、空に向かって思い切り吹いた。
「ピーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
笛から甲高い音が鳴り響き、近くの森からは小さな鳥が一斉に飛び去っていく。
しばらくすると、崖の上からバサバサと音を点てて、1匹の鳥の魔物が降りてきた。
「シエナ、ひさしぶり、あいたかった」
少し片言で人間の言語を喋るこの鳥の魔物こそが、ハーピーであり、シエナの友達のミレイユであった。
ミレイユはピンク色の髪の毛をしていて、人間でいう白目にあたる部分が黒く、瞳の色は金色であった。
胴体にあたる部分は、少し膨らんだ乳房が丸見えの裸であり、遠目から見てもそれがメスであることがわかる姿をしていた。
「ミレイユ!久しぶり。元気にしてた?」
「うん、げんき、だったよ。シエナ、も、げんき、だった?」
「ちょっと前に落ち込む事はあったけど、元気だったよ」
シエナは嬉しそうに自分の少し上で旋回をするミレイユに語り掛ける。
「いまが、げんき、なら、それで、いい」
ミレイユはそう言うと、鋭い牙を見せて笑う。
「ミレイユ、だいぶ人間の言葉上手になったね」
「いっぱい、れんしゅう、した。シエナ、と、もっと、はなし、たくて」
その言葉にシエナも嬉しくなる。
元々、ミレイユは餌として捕まえてきた人間の言葉を覚え、人間の言葉を少しだけ喋れていた。
シエナと初めて出会った時には今よりももっと片言で、シエナがゆっくり喋らないと理解はできていなかったが、シエナと会話を楽しみたい為に、日々言葉の勉強をしているのであった。
ちなみに、勉強の方法は人間を捕まえて、喋らせて覚えているだけである。
もちろん、用済みになった後には餌として食していて、シエナはそれを知っているのであった。
それ自体は、弱肉強食の世界であるので、悪いとは思っていない。むしろ、自分も本来であればその中の1人であったはずであるし、そうなってもしょうがないと思っていた。
「それじゃあ、よろしくね」
そう言って、シエナは体の力を抜いて、自分自身に重量軽減の魔法を掛けた。
ミレイユはそんなシエナの肩を、爪で傷つけないように優しく掴むと、翼を羽ばたかせて空高く舞い上がった。
傍目から見ると、小さな子供が魔物に連れ去られている光景にしか見えないが、2人は楽しそうな表情をしていた。
「シエナ、あとで、わたし、たちの、歌、きいて、ね?みんな、れんしゅう、いっぱい、して、うまく、なった」
「うん、楽しみにしてるね」
ミレイユの言葉にシエナは笑顔で返す。
ハーピーは歌が好きな種族で、歌で通じ合えるのである。
そして、今の状況になると思い出されるのが、ミレイユとの出会いの思い出であった。
それは、今から4年程前の出来事であった。
9歳になったばかりのシエナは、宿を建てる為のお金を貯める為、高く売る事ができる魔晶石を求めてハーピーの岩山に辿り着いた。
切り立ったこの崖を、どうやって登ろうかと試行錯誤している時、シエナの体は急に宙に浮いた。
「え!?な、何!?」
両腕に激痛が走り、下を見てみると地上はどんどん遠ざかっている。
そして、上を見上げてみると、そこには不気味な笑みを浮かべた鳥の魔物の姿…。
当然、シエナは焦った。
(このままだと、食べられる!?どうにかしないと…!)
しかし、掴まれた両腕は激しい痛みを伴っていて、満足に動かすことはできず、更に地上との距離はかなり離れてしまっていた為、もし、この鳥の魔物を撃墜できたとしても地面に叩きつけられて死亡する未来しか見えなかったのであった。
(あぁ…やっと夢を叶える第一歩を踏み出すことができたのに…)
その第一歩から躓いてしまい、シエナはこの世界で生を受けたそれまでの人生を振り返り、良い思い出が何もなかった為、絶望に打ち拉がれた。
魔物はそんなシエナの様子など関係なく、自分の巣に持ち帰ろうとする。
シエナはせめて最後に見ているこの空からの素晴らしい光景を目に焼き付け、生まれ変わった時には鳥になりたいと願った。
そんなシエナは、その心境からか、シエナは前世の日本で好きだった歌を思い出し、歌い始めた。
前世の自分の子供や孫が、学校の合唱コンクールで歌った有名な合唱曲。
今の心理状態に一致するその歌を、シエナは魂を込めて歌っていた。
歌の一番が歌い終わる頃、シエナはふと上を見上げた。
それまでより高く飛ぼうとしていた魔物が、同じ高さでずっと羽ばたいていたからだ。
「イマ、ウ、タ?」
「…?」
魔物がシエナに話しかけてくる。しかし、聞き取りにくい上に酷い片言であった為、シエナは魔物の言った意味がわからなかった。
「イマ、ウタ、キキ、タイ」
(今の歌、もう一度聞きたいって事かな…?)
シエナはもう一度歌い始めた。今度は、一番だけでなく、最後まで…。
シエナが歌を歌い終わった頃、魔物の目からは涙が零れ落ちていた。
「イ、イ、ウタ」
(感動…してくれた、のかな…?思い切り日本語で歌ったんだけど…)
魔物には、当然日本語なんてわかる訳はなかったのだが、シエナが魂と感情を込めて歌っていた為、それが魔物の胸に響いたのであった。
「ウタ、オシ、エテ」
「…え?」
シエナは思わず疑問の声を出す。
(今、歌を教えてって言った…?)
「クワ、ナイ、オマ、エ、ウタ、オシ、エ、テ」
「わ、わたし、で、よけ、れば」
思わずシエナも片言で返す。しかし、それで通じたのか、魔物はそれまでシエナの腕を力強く握っていた爪の力を少し緩め、無言で上へと飛び始めた。
しばらくすると、岩壁に直径3メートルほどの穴が開いている場所があり、魔物はその中へシエナを連れて入った。
「ココ、イエ、ワタシ」
穴の中は広い空間になっていて、所々に魔晶石が埋っていて淡く光っていた。
その空間の中心に、木の枝や枯草で出来た鳥の巣のような物があり、その周りには動物や人間と思われる骨が転がっていた。
魔物は、自分の巣にシエナを優しく降ろすと、腕を掴んでいた爪を離し、シエナの前に降りてジッとシエナの目を覗き込んできた。
「あ、あり、がと…私、シエナ」
「?」
魔物は首を傾げる。
「わたし、名前、シエナ。シ・エ・ナ」
「シエ、ナ…?」
「そう、シエナ。あなた、は?」
再び魔物は首を傾げた。
(う~ん…名前はないのかな…。私と、一緒だね…)
そう考え、シエナは魔物に優しく微笑んだ。
「メ、レ、イ」
「え?」
「メ、…?レ、イ?」
(目?き…きれ、い?目が綺麗って事?)
そう思い、シエナは魔物の目を覗き込む。
白目の部分が黒色で、瞳の色が金色のその魔物とシエナは、それから少しの間、ジッと見つめ合うのであった。
「メ、…レ、イ」
魔物は仕切りにその言葉を繰り返す。
(名前を言ってる訳ではなさそうだけど…なんか、繰り返し聞いてたら「メ、キレイ」だったり、「ミレ、イ」だったり、言ってる感じだなぁ。あ、そうだ)
シエナは思いついたように魔物を指差した。
「あなた、ミレイユ。ミ・レ・イ・ユ」
「ミ?レ、イ、ユ?」
「そう、ミ・レ・イ・ユ」
途中のミレイと聞こえていた部分で、シエナは魔物の名前を思いついたのだった。
それをしばらく繰り返すと、魔物は翼をバタバタさせ、「ミレイユ」と繰り返した。
「わたし、シエナ。あなた、ミレイユ」
そして、シエナは自分を指差して「シエナ」と言い、魔物を指差して「ミレイユ」と言うのを何度も繰り返す。
「ワタ、シ、ミレ、イユ。ワタ、シ、ミレ、イユ」
ミレイユと名付けられた魔物は、嬉しそうに羽ばたいた。
「シエ、ナ、オシ、エテ、ウタ」
ミレイユの言葉に、シエナは優しく微笑むと、再度先ほどの歌を歌い始めた。
ミレイユは、翼をたたみ、眼を閉じて静かにシエナの歌を聴くのであった。
「シエナ、ついた」
シエナがミレイユとの出会いを思い出していると、いつの間にかミレイユの巣に到着をしていた。
巣の中は、相変わらず動物の骨などが転がっていて、壁に埋っている魔晶石は明かりの代わりに淡く光っている。
「みんな、よんで、くる。シエナ、まって、て?」
「うん、わかった」
ミレイユはシエナを置いて、外へと飛び去っていった。
シエナは出入り口の竪穴の縁に座り、そこから見える景色に感動した。
「やっぱり、ここから見る景色は何度見ても感動するなぁ」
標高2000メートルはある高さから見下ろす大地は、壮大であった。
真下に広がる森はこれから夏にかけて緑を増していて、遠くに見える平原には豆粒よりも小さく見える何かが動いているのがわかる。
「あれは、冒険者かな…?ん~…?いや、馬車を使ってるみたいだから、商人かも。護衛…いるのかな?」
目を細めてそれを見ようとするが、あまりにも遠すぎてはっきりと見る事はできなかった。
「シエナ、おまたせ」
そこへミレイユが羽ばたく音を響かせて戻ってきた。
ミレイユの周りには、同じ種族であるハーピーが他にも7匹いた。
「それじゃあ、うたう、ね。シエナ、は、あとで。まずは、わたし、たち、から」
「うん」
そして、ハーピーの群れは羽ばたきながら歌い始めた。
それは、シエナがミレイユと出会った時に歌った歌で、ハーピーの群れはその歌を日本語で歌っていた。
(う~ん…相変わらず、翼を持ってる魔物がこの歌を歌ってるのはシュールだなぁ)
その光景にシエナは思わず苦笑しかける。
(…でも、うん。やっぱり、ミレイユ達の歌は綺麗…。この世界の言葉に歌詞を替えようと思ったら長くなるから、そのまま日本語で教えたけど…。これはこれでやっぱり良いもんだよね)
シエナは目を瞑り、ミレイユ達の歌を静かに聴いた。
少し忘れかけてきていた前世の子供達との楽しかった思い出が蘇り、シエナの目尻には涙が浮かんだ。
ミレイユ達が歌い終わり、シエナは拍手をする。
皆、嬉しそうな表情をしていた。
「つぎ、シエナ、うたって。このまえ、の、がいい」
「うん、わかった」
シエナは崖から落ちないように立ち上がり、卒業ソングとして人気の高い合唱曲を歌い始めた。
ハーピー達はそれを静かに聴いて、時には涙する。
言葉はわからなくても、想いを乗せた歌は人も魔物も関係なく伝えることができる。
シエナはハーピーのミレイユと、出会えた喜びと感謝の想いを込め、いつの日かやってくる別れを惜しんで歌を歌った。
その後、ハーピー達のリクエストで、シエナはアニソンを歌いまくるのであった。




