独立懸架式馬車
「ただいま戻りました~」
「おかえりなさい」
シエナが帰宅をすると、丁度階段を降りてきていたエルクが嬉しそうに挨拶をしてきた。
「これはまた随分と大荷物ですね…」
「はい、中身は全部スライムです。明日から色々実験します」
「わ、わかりました…」
シエナの言葉に珍しくエルクは引くのであった。実物を見た事はないが、スライムを持って帰るような人物は今までいなかったので当然である。
「何か変わった事とか報告する事はありましたか?」
「はい、1件ございます」
シエナの質問に、エルクは用意していた報告書を差し出す。
「シエナさんが出かけられた次の日、訳有りそうな方を無料で宿泊させました。これがその報告書です。問題がありそうであれば、私の給金から天引きされても構いません」
エルクの言葉に、シエナは「天引きなんてしませんよ」と、言いながら報告書を受け取ってふむふむと頷きながら目を通す。
書かれている内容を読み、シエナは満足げな表情をする。
「流石エルクさんです。これだと私も無料で泊めてたでしょう。喜んでいただけてましたか?」
「はい、非常に喜んでました。今はお礼はできないが、必ず恩を返しに来ます。と泣いておられました」
報告書には、1人の薄汚れた恰好の男性と、2人の女性の事が書かれていた。
「情けは人の為ならず、です。理由など関係ないので、困っている人がいたらどんどん助けてあげてください」
シエナは笑顔で答える。
「…シエナさんの言う事がたまに理解できませんが…了解です」
「それでは、私は少し寝てきます。夜通し歩いてたので眠くて眠くて…」
そう言ってシエナは欠伸をする。
「はい、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
その後、シエナは自室へと戻り、寝やすい恰好まで服を脱いでベッドに腰かけたところで、自分の体の異変に気が付いた。
(あれ?あれだけ魔力使ったのに全然減ってない…?なんでだろう?)
寝る前と起きた後の残魔力の確認をして、どれだけ寝ればどのくらい魔力が回復するか、また、どれくらいの栄養を摂れば回復が早くなるかをシエナは毎日チェックしていた。
そして、大きく重い荷物を持って夜通し魔力を使って歩き続けていたのにも関わらず、シエナの魔力は全く減ってなかったのである。
(何かしたかなぁ?スライム持って帰ってきたくらいだけど…スライムは別に関係ないよね)
首を傾げて考えてみるが、急に眠気が最高潮になってしまった為、シエナはそのまま倒れ込むように眠りについてしまった。
数時間後、シエナは起きた時には魔力の事はすっかり忘れていて、早く馬車を完成させたいという事ばかり考えているのであった。
それから数日の間、シエナは宿の営業の合間を縫って馬車の開発に努めていた。
タイヤの形にスライムを整えて、巻きつけようとしたら大きさが合ってなかったり、硬さを調節しようと加熱したら蒸発し始めて失敗したりと、自分の思うようには中々いかずに悪戦苦闘していたが、最後にはなんとか納得のいく形で馬車を完成をさせたのであった。
「よし、これで多分大丈夫。後は実際に馬に引っ張ってもらっての走行テストや耐久テストをしたいけど…」
当然、この宿屋には馬などいない。
耐久テストだけなら、シエナが引っ張って走れば良いが、それだと乗り心地の確認ができない。
「領主様に馬借りようかな…試作型が完成しましたって言えば多分貸してくれるよね…」
そう呟き、シエナは手紙を書き始めた。
領主に試作型の完成報告と、馬を貸してほしいという内容を書き記した簡潔な手紙である。
その手紙を街の中をうろついている孤児に、少しの賃金を握らせて領主館に届けてもらった。
そして次の日…。
「まさか領主様が直々に来られるとは思ってもいませんでした」
受付前の休憩所で、お茶と茶菓子を出しながら、シエナは驚いていた。
シエナの目の前に座るナイスミドルという言葉がピッタリな男性が、突然宿にやってきたからである。
その男性は、テミンの街の領主であり、かなり偉い立場にあたる人物である。
普通であるならば、シエナの方から出向かなければならない。
「シエナ君の発明する物はどれも素晴らしいからな。前に新型馬車の話しを聞いてから、完成が待ち遠しくてな。完成したと聞いて、いてもたってもいられなくなり、つい他の業務を後回しにして来てしまったよ。はっはっは」
そう言って領主は笑う。が、領主の背後に立つ護衛の3人は頭を抱えてため息をつくのであった。
「あの…肝心の馬は…?」
「安心しろ、ちゃんと連れてきている」
その言葉を聞いてシエナはホッとため息をつく。もし、これで肝心の馬を連れてきていなかったら全く意味がないのであった。
「それでは、せっかくなので馬車の耐久試験と、乗り心地の確認を致しましょう。裏庭に置いてるので、馬は回り込んで連れてきてください」
「うむ。おい、馬を裏に回せ」「はっ!」
領主の言葉に護衛の1人が宿の外に出ていく。
「それでは、領主様はこちらへ」
そして、シエナ達は裏庭へと向かうのであった。
「ほう、これが新型馬車か。見た目は普通の馬車とあまり変わりないようだが…?」
領主は訝しげにシエナの作った馬車を見る。
「はい。見た目は従来の馬車に似せて作りました。しかし、こちらをご覧ください」
シエナは手で車輪の部分を指し示す。
「うん?なんだ、このブヨブヨした物体は」
「これは、先日狩猟したスライムで作りましたタイヤと言う物です。従来の車輪は、木か金属のみで作られてましたが、これは金属の車輪への衝撃を減らし、耐久度を上げる為の緩衝材代わりになってます」
「ふむ…?」
シエナのその説明に領主はよくわかっていないようだった。
「そして、肝心なのはこちらです。馬車の下をご覧ください。このサスペンションがこの馬車の目玉の独立懸架と言う機工になってます」
「この金属で作りましたバネが、振動を吸収してくれて、衝撃をかなり抑えてくれます。更に、それぞれが独立して上下に動くので、デコボコした道であっても追従性が向上してスムーズに進めるようになっているのですよ」
シエナはその後も、独立懸架式の説明を得意げに続ける。
しかし、領主はシエナの説明を聞いてもよくわからないのであった。
「…よって、この部分から下さえあれば、上の荷台スペースはお好きなように作る事ができるようになっています。今回は素の状態でどれだけの乗り心地になるかを確認していただきたく思いまして、内装は無いそうです。なんちって」
シエナがそう言ったところで、領主と護衛3人は真顔でシエナの方を向いた。
静かになったこの空間には、気まずい空気だけが流れ、それまで笑顔であったシエナの顔は、笑顔のまま耳まで真っ赤になった。
「…ゴメンナサイ…今の言葉は聞かなかった事に…」
両手で顔を隠すようにして、シエナは恥ずかしがった。
「おぉ、これは素晴らしい。全然振動を感じないぞ」
シエナのギャグを聞かなかった事にした領主は、その後シエナと共に馬車に乗り込み走行テストを開始した。
馬車の車輪がそれぞれ独立してサスペンションを効かせる為、それなりに大きな段差があっても乗客室には振動はあまりこない。
今回は、椅子など何も置いてない素の状態であるが、それでも今までの馬車よりも乗り心地が抜群となっている。
これに柔らかめの椅子などを設置すれば、残った小さな振動なんてほぼ感じなくなるだろう。領主はそう考えていた。
「車輪に使用しましたスライムのタイヤは、無くても特には問題はないのですが、無かったら少しだけ振動が強くなって、車輪の耐久力が減ってしまいます」
「そのタイヤというのはスライムじゃなきゃ作れないのか?」
「いえ、本来はゴムという素材を使います。私が探した限りではこの周辺にはゴムの木は生えてないので、おそらくは別の大陸か、暖かい島国などにあるのではないかとは思っているのですが…」
シエナの言葉に領主は首を傾げる。
「前々から思っていたのだが、まだ見つかってもない素材の事を、何故シエナ君は知っていたりするのかね?」
「生まれ持っての知識です」
領主の質問に、特に考えずに答えるシエナ。
シエナは特に前世の記憶や知識を持っている事は隠そうとは思っていない。ただ、言ったところで頭のおかしい人と思われるのは確かであるので、言わないだけである。
「はっはっは。生まれ持っての知識か。では、以前魔晶石を利用して作った湯沸かし器とやらも、生まれ持っての知識なのか?」
シエナの言葉を左から右へと流して、領主は更なる質問をする。
「いえ、湯沸かし器は自分で考えついた道具です。なんとなく、魔晶石がこういう使い方できるんじゃないかなぁってインスピレーションから作り出した物です」
「ふむ?まぁ、シエナ君のこういう天才的発明はこれから世の中を便利にしていく為に必要である。これからもよろしく頼むぞ」
「はい、かしこまりました」
「ところで、この馬車は試作型と言う事だが…試作型でこれだけ乗り心地が良いのだ。これをこのまま国王様へ献上したいと私は思ってるのだが、どうであろうか?」
領主の言葉に少しだけシエナは考える。
いずれはこの独立懸架式馬車を国で量産してもらい、少しでも乗り心地の良い物にしてもらった方が自分が助かる。
しかし、今回のこの馬車は試作型であるので、それを国に献上するのはどうなのだろうかと、シエナは思うのであった。
「今は内装は無いそうだが、私の方で恥ずかしくないように仕立て上げ、献上する前に何度も耐久のテストもしておこう。どうだ?」
領主は少しだけニヤニヤした顔でシエナに提案をする。
先ほど自分がスベったギャグを蒸し返してきた事に、シエナは赤面しつつも真剣に考えた。
「…わかりました。街の外での長距離走行テストもして、サスペンションや車輪に異常がないかの確認はしっかりとお願いします。それと、こちらはこの馬車の設計図になってます」
そう言って、シエナは領主に紙束を手渡す。
「ふむ、私が見ても全然わからないな。やはりこういうのは技術者でないと」
領主は設計図をパラパラと見るが、仕組みはやはりよくわからないようであった。
「とにかく、素晴らしい馬車と言う事だけは確かだ。何か褒美を取らせよう。何が良いか?」
領主はシエナに欲しい褒美はないか質問をする。
「味噌を流行らせてください」
シエナはすかさずに答える。
「味噌…この前持ってきたアレか…。いや、流行らせてやりたいのはやまやまだが…。なんとも見た目が…な?」
領主の顔も少し暗くなる。
「見た目はともかく、味噌は本当に素晴らしいんですって。あと万能調味料の醤油も一緒に流行らせたいんですよ」
シエナはずいっと領主に詰め寄る。
「わ、わかった…検討しておこう」
やるとは言ってない。領主は心の片隅でそう思うのであった。




