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怒りのシエナ

 ここ最近の宿屋シエナは忙しかった。宿と言うよりも、食堂がメインで忙しいのである。

 先日、冒険に出掛けて仕入れてきたハイオークの肉で、無事に料理教室を開く事ができ、その時に教えたカツ丼はもちろん大好評であった。

 カツ丼を作る時に広めた醤油も、少しずつ人気が出始めていて、シエナは「この調子で味噌も…!」と、考えている。


 回鍋肉もメニューに新規導入した所、それなりの人気メニューとなり、最近テミンで流行り始めている人気料理が宿屋シエナが発祥という噂が、さらに人を呼びこんで宿屋シエナの食堂は連日行列ができる程となっているのであった。


 中には、わざわざ二番街区から「自分の食堂にも同じメニューを入れたいので出来るだけ沢山レシピを教えてほしい!」と、頭を下げてお願いに来る料理長もいたり、シエナの作った調味料を、大量生産して売りたいと申し出てくる商人もいた。

 シエナはもちろん喜んでレシピや調味料の作り方を教えた。料理や調味料が広まるのは大歓迎である。

 特に、醤油とマヨネーズとケチャップ、そして味噌は、広まってくれれば料理教室で教えられる料理のレパートリーも増えるので、調味料を大量生産したいと申し出た商人には協力を惜しまなかった。

 味噌だけは、その見た目からか、あまり良い感触を得られなかったのがシエナにとって残念なところであった。


 ただ、平民では食べれなかったり買えないようなあくどい値段で商売をする事だけはしないでください。と、お願いをし、高くて仕入れが難しい物に関してはシエナがなるべく安い値段で仕入れて売るようにしている。

 塩や香辛料は高級品なのである。


 他にも、カツ丼用のカツを作る為に使用した油で、別の揚げ物料理のレシピもいくつか公開した。

 オークカツを除いた一番人気の揚げ物はコロッケであった。

 パン屋の主人に「コロッケもパンに挟んで食べると美味しいですよ」と、教えると、パン屋はすぐにコロッケパンを売り始めた。コロッケパンも、カツサンドと同じく人気商品となったのだが、料理を挟めばパンは売れる。と、味をしめたパン屋が色んな料理をパンに挟んで売り始め、見た目や味が悪いパンばかりが出来上がってしまい、逆に売り上げが落ちてしまう出来事が発生し、パン屋の主人がシエナに泣きついてくるのは、それから少し未来の話しであった…。



「いらっしゃいませ!あ、エレンさん、クラウドさん、カルステンさん!また来てくださったんですね」

 シエナは笑顔で3人を席へと案内する。


「今日は何を食べようかな。オススメとかある?」

「どれもオススメですが、今日は良い鶏肉が手に入りましたので、唐揚げ定食が特にオススメになってます」

「じゃあ、俺はそれにしよう」

「あ、ずりぃ。じゃあ俺は何にしようか…」

 シエナはニコニコと笑顔で3人の注文が決まるのを待つのであった。





 あの日、テミンへ帰ってきた一行は、一度宿にハイオークの肉やいらない荷物を置いて、討伐証明部位である頭だけを持って、冒険者ギルドへ向かった。


「俺達、功績ポイントはいりません」

 受付で依頼の完了報告をしている時に、エレン達3人は、功績ポイントの取得を拒否した。

「なんでだ?あれだけ欲しがっていたじゃねぇか?」

 依頼を受けて1日で戻ってきたり、その冒険中の内容にも驚きだったが、功績ポイントの取得拒否をする3人に、ダフロスは更に驚いた。

「今回、俺達は自分達の実力不足を思い知らされました。シエナがいなかったら夜襲にあってとっくに死んでいたでしょう。実力も足りてない上に、他人に頼って上げたランクでは、胸を張ることなんてできません」

(ほんの半日前まで、ひよっこだと思っていたのに…急に良い表情をするようになりやがって。今夜は美味い酒が飲めそうだ)

 エレン達の真っ直ぐな眼差しに、ダフロスは思わず口元が緩みそうになったのだった。


「しかし、ハイオークに夜襲をかけられるとはついてなかったな。シエナも、殴られた腹は大丈夫なのか?」

「はい、念の為、あまり得意ではないですが、回復魔法も使って治癒しておきました。内蔵も特に傷ついてないと思います」

 ダフロスは心の中で胸を撫で下ろした。今、目の前にいる4人は、ダフロスが将来有望だと思っている冒険者の中でも、特に期待を込めている4人であった。特にシエナはまだ成人もしていない。

 それがハイオークなんてつまらない魔物に全滅させられるような事があっては堪ったものではない。

「まあ、無事で何よりだ!今後のお前らの更なる成長を期待しているぞ!」

 そう言って、ダフロスは依頼の完了報告の授受処理を終えたのであった。


 功績ポイントはシエナへ、そしてお金の報酬はちゃっかりエレン達が受け取っている。

 それはそれ、これはこれ、である。


 シエナはお金に関しては特に気にしていない。

 昔ならともかく、今はそこそこのお金を貯めこんでいるのだから。


 その後、4人は宿屋シエナに戻り、シエナは採ってきたばかりのハイオークをメインに料理を作った。

 出された料理はどれも美味しく、今まで見た事も食べた事もないようなその料理の数々にエレン達は感動したのであった。





 その結果、エレン達は宿屋シエナの食堂の常連になっていた。

 今現在は、遠くへ行くような依頼は受けずに、近場で少しずつ実力を伸ばしていく依頼の受け方をしているらしい。ダフロスが密かに望んでいた実力の伸ばし方を自分達で考えて実行し始めたのだ。

 そして、夕方頃になって宿屋シエナに向かって晩飯を食べるのが日課になってきているようであった。


 シエナは、是非宿の方にも泊まってみませんか?と、誘った事もあったのだが、エレン達は普段は格安の宿に宿泊している。

 それも、月毎の連泊プランで宿泊している為、街にいる間はその格安の宿に泊まらないと損をするのだった。

 シエナは少し残念そうにはしたが、宿泊をしなくても、こうして食堂の方の常連になってくれてる事を感謝して、笑顔で接客をしていた。



 …その時であった。

「なんだぁ!この料理は、クッソ不味いなぁ!!」

 バンッ!と音を立てて立ち上がる30代後半の程の男性がいた。


「どうされましたか」

 シエナは慌ててその男性客に近寄る。

「どうもこうもねぇ!この食堂では客にこんな不味い料理を出すのかよ!?」


「な!?おい待てテメェ!シエナの料理のどこか不味いって…っ!」

 エレンが怒りを覚えて立ち上がり、男に向かって掴みかかろうとしたが、それをシエナが手で制した。

 こういったクレームのほとんどは、食事代金を踏み倒そうとしている者の手口である。

 シエナもそれを理解しているが、エレンが掴みかかろうとした為、その場の空気を先に収める事にした。

 外にはこの食堂で早く料理を食べたいと待っているお客様が大勢並んでいるのである、余計なトラブルを起こすよりも、さっさと片づけてしまう方が早い。


「申し訳ございませんでした。お口に合いませんでした料理の代金はいただきません。代わりの料理もすぐにお持ち致します」

 そう言って、シエナはペコリと頭を下げる。


「はん!わかればいいんだよ!」

 そう言って、男はそれまで食べていた料理の乗った皿を、床に叩き落とした。


 その瞬間、シエナは目を見開いた後、男の方を睨んだ。

「あ?なんだ?その眼は?」

 男は更に床に叩きつけた料理を踏み潰す。


「おいばか!皆!逃げろ!!」

 その時、男の近くにいた常連客の一人が叫ぶ。

 常連客が叫んだと同時に、男は鼻血を出して床に倒れていた。


「なっ!?いったぃっ!?」

 一体何が、と言おうとしていた男は、シエナに馬乗りにされて殴られ始めた。


 シエナの眼からは、光がなくなっていた。

 シエナからはいつもの笑顔がなくなり、無表情だった。

 ただ、目の前の男を殴り続ける。


「や、やめっ!う、や、やめっ!いっ!!」

 男は顔を庇ってやめてくれと懇願しようとするが、言葉を発しようとする度にシエナに殴られてうまく喋れなかった。


 普通に殴っても、シエナの力では男にダメージを与える事はできない。

 シエナは、無意識に(・・・・)魔法で体を強化していた。

 本気で殴っても、死なない程度の強化である。

 しかし、本気で殴っても、相手が気絶しない為の絶妙な強化でもある。


 食堂にいた女性客から悲鳴が挙がる、が、シエナは構わず男を殴り続けた。

 終始無言で殴り続けた。


「シエナ!やめるんだ!!」

 エレンがシエナの後ろから抱き付き、男から引き剥がす。

「邪魔を!するなぁーー!!」

 叫んだシエナはエレンをも殴り飛ばした。


 その眼には怒りの色が宿っていた。

「フー!フー!」

 シエナは、肩で息をして男の方を振り向く、殴られ続けていた男は、一度引き剥がされた間になんとか立ち上がって逃げようとしていた。


(真っすぐいってぶっとばす!右ストレートでぶっとばす!!)

 逃げようとする男に向かい、シエナは走りだし、頭で思っていた通り、右ストレートで男に殴りかかった。

 殴られた男は、食堂の壁に叩きつけられ、そのまま膝をついた。

 そこに容赦ないシエナの追い打ちの飛び膝蹴りが男の顔面にめり込んだ。


 シエナは再度、男に馬乗りして殴り始める。

 食堂の外からも、悲鳴の声が聞こえてくる。

 しかし、シエナは男が泣いても殴るのをやめない。その行動に慈悲はなかった。


 シエナに殴り飛ばされたエレンも、なぜシエナがこんな事になったのかが理解できず、どうすることもできなかった。


「シエナ!!」「シエナ!」

 そこにエルクとアンリエットがやってきて、同時にシエナの名を叫ぶ。

 シエナは、エルクとアンリエットの叫びにピクリと体を止め、2人の方を振り向いた。


「…あれ…私…いったぃ…な…に…を…」

 その瞬間、シエナは現在の状況を知る。


 血塗れになっている自分の拳、そして、自分に馬乗りにされ、ヒューヒューと息をして顔面血だらけのボコボコになっている死にかけている男性。

 悲鳴を挙げているその他の客達。

 無残にも踏み潰された料理…。


「あ…あぁぁ…」

 現在の状況を理解したシエナの目から涙が溢れだし。


「うわぁああぁぁぁぁぁ!!!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」

 シエナはそれまで殴っていた男の顔に触れ、回復魔法をかけ始めた。


 まるで呪詛のようにずっと「ごめんなさい」の言葉を繰り返しながら、シエナは泣きながら男の顔を癒す。

 シエナは、回復魔法を使い慣れていない為、完治まで時間がかかってしまう。

 それに加えて、呪詛のように繰り返すごめんなさいの言葉と涙。それのせいで、元々遅い回復に更に時間がかかってしまっていた。

 静まりかえる食堂の中、シエナの嗚咽だけが木霊していた…。



 20分程の時間が経過した頃、シエナに殴られていた男の顔はきれいに治っていた。

 シエナは力無くペタンと座りこみ、ずっと「ごめんなさい」と小さく呟いている。


「シエナ!大丈夫だ!!大丈夫だから!!」

 エルクとアンリエットがシエナに抱き付く、その瞬間、シエナは繰り返していたごめんなさいを止めて大声で泣き始めた。


 食堂内にいる客も、外で待っていた客も、何事かとやってきた野次馬も、皆シエナの泣き声を聞いて、何故か悲しい気分になった。

 大声で泣くシエナの姿は、今までの大人びた雰囲気と違い、年相応の小さな子供であった。



 しばらくすると、シエナは泣きつかれて眠りについた。

 眠る直前まで泣き叫び続けていた為、まるで糸の切れた人形のようにパタリと倒れたのである。

「ガストンさん…シエナさんを部屋のベッドへ寝かせてあげてください…」

 エルクは料理長であるガストンにシエナを託した。


 食堂がこんな状態では、とてもじゃないが今日は営業はできない。

 ガストンはコクリと頷き、シエナを抱えて3階へと上がっていった。



「皆さま、大変ご迷惑をおかけしました。只今より臨時閉店とさせていただきます。ご迷惑をおかけしましたので、お代はいただきません。本当に申し訳ございませんでした」

 エルクは周囲でざわついている客達にそう伝え、殴られ続けていた男へと静かに歩み寄った。


 男は、呆けるように座り、きれいに治された顔面をずっとさわっていたが、近寄ってくるエルクのその表情に、ビクッと体を強張らせた。

 エルクの表情は、怒りと悲しみで歪んだ表情になっていた。


「大変申し訳ございませんでした!」

 エルクは深々と頭を下げ、男に謝罪する。

 しかし、その拳はギュッと握りしめられ、ブルブルと震えていた。


「…こっちこそ、すまなかった…」

 男は下を向いて謝罪の言葉を口にした。

 普通なら殺されかけているところだったのだから、罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせていてもおかしくはなかった。

 しかし、そんな言葉を口にすれば、目の前のエルクに殴り飛ばされる可能性だってあるし、何よりシエナの様子がおかしすぎるのが気になったのであった。


「あの娘は…いったい…」

 男の質問に、エルクもアンリエットもピクリと反応を示す。

 あまり答えたくない。

 そんな雰囲気が2人から滲み出ていた。


 少しの沈黙の後、エルクが口を開いた。

「あの娘は、滅多な事では怒りません。私達が知る限るでは、怒るのは食材を粗末にした時だけです」

「そして、あの娘が怒る時はいつもあんな感じになってしまいます」

 その言葉に男が青ざめる。先ほどまでの自分の状況を思い出したのだろう。


 シエナがあの様な状態になったのは今回が初めてではない。

 これで4度目だった。

 そして、その全てが客がシエナの目の前で食べ物を粗末に扱った時であった。


「シエナは、生まれてからすぐに親に虐待をされていたそうです…一度は餓死寸前まで陥ってしまったそうで…あの娘の食への感情は、おそらくそこから来ているのでしょう…だからこそ、目の前で食べ物を粗末に扱われると、あの娘は怒り狂ってしまうのです…」

 エルクの代わりにアンリエットが答え始めた。

「今回の事は、本当に申し訳ありません!ですが、これ以上、あの娘から幸せを奪わないでください…!あの娘は、幸せにならなきゃいけないんです!」

 アンリエットはボロボロと泣きはじめた。

 見ず知らずの人間に、これ以上シエナの事は話したくない、それがシエナの幸せを奪った人間であるなら尚更である。

 シエナの辛い過去を知る2人は、泣き始めたのであった…。

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