//2nd Stage_困惑と恋仲と、年長者の憂鬱
一方、ほぼ同時刻。
株式会社オフフェイク本社内にある、オープンミーティングスペース。
会議終了を告げる進行AIの言葉で、皆が一斉に席を立つ。窓際の席にいた木立も、中空に浮かべていたタスクリストを消すと席を立ち、隣席にいた上司のあとに続いた。
今日のこの会議も、いつも通り自宅からバーチャルで出席する予定だったのだが、今朝方いきなり「先方の社長が出席する」という一報が入り、急遽出社することになった。直接これだけの顔を見るのは決算期以来だ。
まさか誰か何かやらかしたのかと社員全員が戦々恐々として出席した会議だったが、噂の若き敏腕社長は特段目立った発言をすることもなく、会議はつつがなく終了した。
小さく安堵の息を吐いて、このあとのスケジュールを思い出す木立に、するりと寄ってきた先方の社長が一言。
「木立さん、でしたっけ」
「はい」
「お疲れさまでした。よろしければ、このあと食事でも」
「え……ええ、ぜひ」
なんで俺?
珍しく引きつりそうになる営業用スマイルを懸命に維持しつつ、木立は内心で非ッ常ーに驚いていた。不愉快な警告音が脳内のどこからか聞こえる、ような気がする。
今日の会議は別に木立がメインというわけではなかった。この社長とは今日が初対面。名刺はさっき交換したが、そのあと一対一で会話する機会なんてなかったし、今日の会議で木立が発言したのは担当案件の状況報告の数分だけで、そのときこの社長からも二・三質問があったが、特に問題なく受け答えできた、はずだ。
……と、ここまでを電光石火の勢いで計算した木立の脳はすぐに謎のエラーで停止して、すぐさまアラート付きの疑問符に埋め尽くされる。助け舟を求めて隣の上司をちらりと見ると、根っからのエンジニア気質である彼女は木立よりもあからさまに眉根を寄せて、盛大に首を傾げていて。
「……あー、いい、お前、今日は直帰で良い!」
追い出すようなジェスチャーをする上司。
「え、あ、ありがとうございます」
「では、行きましょうか」
なんだこの、あからさまな人身御供。
おおよそビジネスマンとしては失格極まりない生返事をしまくりつつ、木立は颯爽と歩く目の前の背広を追いかけるようにして、自社のエントランスを通り抜けた。
「――すみません、突然。随分驚かせたようで」
数メートルほど進んだところで、唐突に男――江西が言った。
「え、いえいえ」
少し上の位置にある後頭部を見上げつつ、木立は慌てて首を振る。
数ブロック先に予約していたらしい移動式料理店ののれんをくぐる。年齢確認のシグナルが鳴る。自動アレルギーチェックの同意ボタンを押す。
席に着くなり、江西は気まずそうな顔をしてテーブルに両手をつき、がっと頭を下げた。
「その節は大変なご迷惑を」
「……へ?」
次々と料理が運ばれてきて、二人の間に並べられていく。
「聞いていませんか」
「なにが……でしょうか」
おや、と江西が顔を上げたところで、江西の電話が鳴る。どうやら緊急用の着信音らしいそれに、さっと表情を曇らせる江西。
「どうぞ」
と木立が言う。
「失礼。お先にどうぞ」
示されるまま箸を持った木立の対面で、一礼した江西が端末を耳に当てるなり、
『えにしー! 聞いて聞いて!』
木立の席にまで聞こえてくる、やけにはしゃいだ高めの声。
江西の顔がぐっと険しくなる。
「またなんかやらかしたのか」
『さっきね、ソージュが観に来てた!』
電話の向こうが聞き覚えのある固有名詞を発したのに、お通しの煮豆をつまんだ箸を止めて、木立が呟く。
「……ソージュ?」
「ええ。……おい、切るぞ。あとで行く」
強制的に電話を切った江西が木立に向き直って、ため息混じりにうなずく。
もしかして、と木立の脳内によぎる、一つの可能性。
「……さっき、そのソージュから着信がありまして。ソージュのローカルのぞいて自作の武器、勝手に使って、NPCのアバター動かして、存在方式まで改ざんしてるチートプレーヤーがいる……って」
「ええ、申し訳ない。俺が何を言っても聞かない奴で」
(あ、『私』が『俺』になった)
プライベートに切り替わった、というどうでもいい情報を頭の端で理解する木立。ええと、と混乱しきりの思考を切り替える。
さっき、怒り心頭のソージュに「今すぐ探し出せ」と言われた、白い少女のAZNは――。
「てことは、VAIUって、まさか……」
あまりに有名すぎる名前だ。星の数ほどあるFSRMMORPGの中でとりたてて上位にいるわけでもないDozen Fableの中で、一プレイヤーがそう名乗っていたからって、まさか誰も本物だなんて思いやしない。
「お察しの通り、俺の連れです。申し訳ない」
再び頭を下げた男に、木立は口を開けたまま数秒固まった。
たった数ヶ月前まで世界中の名だたる企業を怯えさせ、社会現象とまで言われていた有名な凶悪ハッカーが、なぜかいきなり司法取引に応じて合法ハッカーとなった、というセンセーショナルな大ニュースが世界を駆け巡ったのが、ちょうど二ヶ月前。
そして、その正体が、どこの組織体にも属さない若干19歳の少女たった一人で、目の前に座る男と恋仲にあると報じられたのは、ほんの一ヶ月ほど前のことだ。
並べられた皿を前に、「まぁ食べながらにしましょうか」と幾分砕けた感じで言った江西が、ぱきんと箸を割る。
手前の皿をつつきつつ、江西が愚痴っぽく言った。
「数日前からFSRMMORPGに興味を示しましてね。いつものとおり、少し経ったらすぐに飽きて他所に移るとは思うんですが……ソージュくん、だいぶお怒りのようで。まぁ当然ですが」
くいっと食前酒を飲み干して、ようやく人心地ついた木立が、ネクタイを少し緩めて片手を振る。
「あー、でもまぁ、元はと言えばソージュの勝手を許してるのは俺ですし、ソージュが短気なのも事実なので、何割かは差し引いて考えてあげてください」
武器カスタマイズ至上主義で、誰の迷惑も二の次の、とても横暴な我らがパーティーリーダーの顔を思い浮かべて、木立は続ける。
「人付き合い大嫌いなソージュの、乱暴なコミュニケーションにも非はあると思うし」
江西が首を振る。
「いえ、ずっとビジター設定なので、おそらく話しはしてないんだと」
「え?」
「人見知りというか、とんでもない内弁慶でしてね」
「ああ……なるほど、それで」
「ええ、存在方式の改ざんを」
「ああいや、そうじゃなく……どおりで俺に連絡が来たわけだと」
苦笑する木立に、首を傾げる江西。
「そりゃ、木立さんが運営だからでしょう?」
「いえ、所在探査なら俺より仕事の早い奴がいるんですよね。でもそいつも、さすがに硝子越しとなるとお手上げだったんだろうなと」
弱冠現役女子高生の実妹を示して言った木立の説明に、別の運営メンバーのことだと勝手に解釈した江西が、ああなるほど、とうなずいて魚を口に運ぶ。
「謝罪とご説明が遅くなって申し訳ない。直接申し上げたほうが良いと思いまして」
「いえいえ、これですっきりしました」
「一応、今朝、出がけに即席の情報防護壁をいくつか仕掛けておいたんですが、想像以上に早く解除されてしまいました。俺の帰宅時間までは保つかと思ったんですがね。かといって、あいつの接続環境をすべて遮断すると、今持っている複数の案件が回らなくなって、下手をすると世界経済が破綻しかねないので」
「はぁ……」
あまりのぶっ飛んだ話に現実味の沸かない木立が、ついまた生返事を返してしまったのも仕方のないこと。
2022/1/30:挿絵修正