かえるの息抜き短編 ③
#タイトル
「人生で一度は言ってみたあの台詞です」
「せやから猿里」
「羊山さんよく間違われますが、”ざと”ではなく、さるさとです。濁点がない方の猿里です」
風情のある定食屋カウンターに、ビジネススーツ姿の若い男性二人が並ぶ。
お昼が進む中、職場の先輩である隣のエセ関西人からの呼び声に、猿里が訂正を求めていた。
休みをとった箸は、また焼肉定食をついばむ。
「なんか言いにくいねん。気になるんなら、ざる里くんにしよか」
「羊山さんはそんなにも濁点が愛おしいんですか。それはもう恋人ほどですか、失うのが怖いんですか。さるさとでお願いします」
「サール・サトクン」
「そう来たか、とか悔しがればいいんですか。勝手に僕の国籍変えないで下さいよ。断固、猿里でお願いします」
「そういや俺の名前をシースーみたいにすると、ヤギになっちゃうんだわ。驚きだろ」
「張り合ってもらわなくても結構ですから」
やれやれ。猿里は残りの食事を掻き込み、手を合わせごちそうさま。
お冷を飲んで、羊山へ向き直る。
「それで話の続きはいいんですか?」
「うん? 話の続きって」
「羊山さん、一度は言ってみたい台詞がどうのこうの言っていたじゃないですか」
爪楊枝をくわえ、しーはーしーはーと音を鳴らす羊山が、拳と手のひらであざとい柏手を一つ叩いた。
「下手をしたら一生に一度の事かもしれねえ。ならよ、いざその時が来たのなら、びしっと決めてぇじゃねーか。そん為にも練習しとこうぜって話だったよな」
「関西人は飽きたんですね。キリがないのでサクっとお相手しますけれど、まるでプロポーズの事のような物言いですが、羊山さんが言ってたのってドラマやマンガなどでよく耳にするあの台詞言ってみてなあ~、の話だったはずですよね」
「おう、てやんでバーローうめえ」
「それ以上はウザくなるんで、ほどほどでお願いします。確か『ここは俺にまかせてお前は先に行け』が言いたいんでしたっけ?」
「燃えるよな。俺冥利に尽きるイイ台詞だよな」
「燃焼具合と状況が全くですが、恐らく一生言えるような機会はないと思いますし、言えるような場面に出くわさない方が幸せなんじゃないんでしょうか」
「ほお、この話にはノれないクチか」
「いえ、そうではなくて。僕はその台詞から危機的な状況、戦争の場面を思い浮かべたんですけれど、死亡フラグ振り切れてますよ。きっと羊山さん死んじゃいますよ」
会話が途絶えれば、店内のガヤガヤとした雰囲気だけが漂った。
そうして、一時の後である。
「仕方がない、遊びはここまでだ。本気でお前もノれる台詞を教えてやろう」
「羊山さんがどこへ向かおうとしているのかさっぱりです。ただ、本気でないと相手に失礼ですからね。後輩の僕が言うのも気が引けますが、取引先では常に全力でお願いします」
「若人よ、皆まで言うな。そしておののけ猿里。『マスター、いつものやつ』、これならどうだ」
「……意外とその本気は侮れなかったですね。なんか負けた気分です。僕もちょっとその台詞は言ってみたかったりです。あと、さるさとです」
猿里の鼻先で、どやっとした顔が生まれた。
「僕ここに来るといつも焼肉定食だから、おばちゃんにいつもの、って注文しても通じるかなと思う時がありますね。実際は恥ずかしくて言えませんし、お店からすれば迷惑かも知れませんから――」
「俺、ここのおばちゃんに『いつものやつ』で注文したことあるな」
「本当ですか!? すごい……ことではないですけど、羊山さんすごいですね。嫌な顔とかされませんでしたか」
「おばちゃんは会社の女子と違って、いつでも俺を笑顔で迎えてくれるな」
「さらっと会話に哀しみを添えないで下さい。僕が知りたいのは結果です」
「おう。いつもの日替わり定食が出てきたぞ」
「その”いつもの”は、日によって違いますね。……なかなか考えされられます」
喉に小骨が引っかかったような顔の猿里に向け、羊山がぱちんと指を鳴らした。
「あと本物志向な俺は、飲み屋で『マスター、いつものやつ』もあるな。おばちゃんはマスターじゃないだろ」
「僕は他人のこだわりには寛容な方なので、あえて何も言いません」
「遠慮すんなよ。そして驚け、”いつもの”は結構通じるもんなんだわ。初めて飲みに行った店だったけどよ、ビールが出てきたぞ」
「もうただの嫌がらせ以外の何者でもありませんね。お酒は二十歳からなのに、良い子はマネしないで下さいって注意書きが必要なくらいの感じです」
「猿里にしては珍しく、言っている意味がイマイチつかみにくいな」
「羊山さんがすごく残念ってことですよ。それに比べてさすがと言うべきでしょうね。無難なマスターに乾杯です」
コップを手にする猿里だが言葉とは裏腹に掲げるでもなく、お冷のおかわりを注ぎに行く。
「『運転手さん、前の車を追ってくれ』」
「まだ続けるんですか」
注ぎ足されたコップが二つ、カウンターにコトリ置かれてすぐだった。
羊山の芝居がかった台詞が猿里へ投げつけられた。
「猿里はつれないなあ」
「そんな事はありません。愛情いっぱいですよ、山羊先輩」
猿里の営業スマイルは一級品である。
「これって、追いかける時、タクシーの運ちゃんに言うよな」
「当たり前のように言ってますが、ドラマとかでの話ですからね。現実ではしっかり行く先言わないと乗車拒否される可能性がありますよ」
「確かにドラマと現実は違った。俺の追跡は二つ目の信号であえなく潰えた」
「既に試みた後でしたか。本当に迷惑で」
会話がぷつり途切れる。
原因は店に短く響いた声にあった。自分の名を呼ばれた猿里は振り向く。
そこには羊山と同じくして会社の先輩である馬場の姿があり、目が合うや否や、お前携帯の電源落ちてるだろ、との指摘が飛んだ。
「すみません――急ぎですか?」
猿里はスマホを確認、馬場の様子からして連絡が取れない自分の状況に問題があったと察した。
馬場は打ち合わせの時間になっても出席が確認できないとのことで、取引先から自分に電話があったことを猿里に伝える。
「馬場さん、その件でしたら、会議の時間が変更になったとメールで連絡を受けていましたが」
「電話確認したか?」
「いえ、先方からはメールだけだったので、何も」
「たまにそういうのあるよな。どうせ向こうで行き違いがあったんだろ。猿里は悪くない……が」
羊山の推測が正しいのか判断できる材料はない。しかし、猿里が参加する予定だった打ち合わせが時間変更もなく、今現在、こうしている間にも行われていることは確かなようだ。
「誰が悪い悪くないの問題じゃねーよ。あちらさんがお待ちしていますって言ってるんだ。さっさと行くぞ、猿里」
羊山を見やってから馬場が後に続けとばかりに、猿里へ急ぐ背中を見せる。
そこへ。
「待て! 猿里」
本日二度目、猿里の名が店に響く。
馬場と猿里が注目する先には、呼び止めた羊山の迫真とも思える顔があった。手には財布と伝票とが握られている。
「ここは俺にまかせて、お前らは先に行け!」
猿里の肩に馬場の手がそっと添えられた。
その仕草は、お前がどうにかしろと伝えてくるものであった。
「もともと羊山さんのオゴりなんですからね。わざわざ呼び止めないで下さい。それとお勘定済ませても羊山さんは来なくていいですから。あともう一つだけ。猿里です、濁点のない方でお願いします」
言葉の余韻も残らないままに、男達は去って行く。
定食屋カウンターに、満足気な顔の男が一人残るばかりであった。
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