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王宮

 ふわりとした浮遊感から軽く下へと落ちる感覚を覚えた時には、懐かしい場所に着いていた。

 大きく広い真紅の絨毯を敷かれた通路、左右対称に並ぶ白の柱、鏡のように磨きあげられた床、高い天井から下げられた、この国でも限られた場所でしか採掘出来ない稀少宝石である銀水晶のシャンデリア、ここは千早が生まれ育ち、逃げ出した場所。

 この国の王族が住まう王宮にして、国王の

 見上げた先、通路の突き当たり、この国王の間の一番奥には、国王の間全体を見渡せる高い位置に据えられた椅子がある。

 ひときわ豪奢な装飾がなされたその椅子は、この国の最高位に至る者のみが座す事を許されている、正しく玉座。

 そして、そこに当たり前のように座り、こちらを温もりに満ちた暖かな目で見下ろす男。

「おかえり、千早」

「……千歳ちとせ

 この国の国王にして、千早と同じ年齢としの腹違いの兄、紫咲むらさき千歳。

 千早とは半分しか血が繋がっていないのに、その顔は鏡に映したかのように、よく似ている、と千早と千歳の顔を見た者達は皆、口を揃えてそう言った。

 違うのは、目の色だけ。千早は深海と同じ藍色の目をしているが、千歳は輝く黒真珠の目の持ち主だ。

「十夏と億斗もご苦労様。よく千早を連れ帰ってくれた。……ただ」

 千歳は千早に向けていた目線を、その腕の中にずらす。

「関係のない子がいるね。その子は誰だい?」

 千歳の冷めた目にす直葉はわずかに身を固くしたが、そらす事はしなかった。

「ちょっと、なんで君までここにいるわけー?」

「お前が戻り森から一緒につれて来たんだろうが」

 不満げに唇をとがらせる億斗を、呆れながら十夏は横目に見た。

「お前の異能は、自分の手で触れた物や人を移動させる。千早に触れた時に、その女の服だか髪だかも一緒に触っちまったんだろう」

「ってなわけみたいでー、申し訳ありません、陛下。俺のミスです」

「まあ、来てしまったものは仕方ないね」

 笑ってごまかす億斗に、千歳は肩をすくめる。

「すぐにでも戻り森に戻したいところだが、億斗?」

「すいませーん。かなりの長距離を移動したので、霊力がガス欠に近くて、今すぐってのは無理です」

「だろうね。じゃあしばらく王宮にいてもらおうか」

「千歳、手荒な真似はしないでくれ。コイツは僕を助けてくれたんだ!」

 千早は直葉を抱き寄せながら、必死に頼み込む。

 その心中は後悔で一杯だった。何故あの時、とっさの事とはいえ、直葉を抱き込んでしまったのか。

 直葉をこんなところに連れてこないためには、彼女を突き放さなければならなかったのに。

 千早は判断を間違えてしまった。

 結果、もっとも巻き込みたくなかった少女を、全ての始まりであるこの場所まで連れて来てしまった。

 もうこれ以上、危険に晒したくはない。なのに今すぐ、戻り森に帰してやる事も出来ない。

「頼む、千歳……!」

 どれだけみっともなくても、カッコ悪くても、千早は兄にすがるしかなかった。

 決定権は兄である千歳が持っているからだ。

「お前がそこまで言うのなら、彼女は手厚く待遇しよう。だから千早、お前も王宮から勝手に出ていかないでくれよ」

 千歳は目許を穏やかに緩める。それは弟を心底大切に想う兄の姿に違いなかった。

「神獣の霊宝を見つけ手に入れるまでの辛抱なのだからな」

 弟が望まぬ形の。


 千早は王宮内の自室に戻されていた。

 そこに直葉の姿はない。王の間から退室した後、引き離されてしまったのだ。

 直葉の安全のためにも、彼女が戻り森に帰れるまで自分の側においておきたかったが、千歳は許してはくれなかった。

 手厚く待遇する、と言っていたが本当にそうなのか知る術もない。

 何故ならば、千早は自室にいるといえ自由に外に出られない状態だったからだ。

 部屋全体に結界がはられて内側から外に出られなくなった自室に、千早は軟禁状態だった。

 千早が二度と城から逃げ出す事のないように、王宮内の結界能力を持つ異能に千歳が命じたのだろう。

 それでもなんとか外に出られないか、と試しに自室の扉に椅子をぶつけたり剣を振るったりしてみたが、傷をつける事すら出来なかった。

 千早は力なく椅子に座り込み、両膝に両肘をついて組んだ手を額に当てていた。

 直葉の安否が知りたい。けれど、どうすればいいのか?

 考えても考えても、妙案が何もうかんでこない。

 その時、キィと静かな音を立てて扉が開かれた。

 千早はそれに、弾かれたように顔を上げた。

 扉を開けて入って来たのは、幼い少年と妙齢の美女。

万那マナ百合ユリか……」

 ゆったりしていると言うよりはサイズがあっていないと言った方が正しいくらいにだぼついた服に膝下の長さのズボンを来た万那。

 国に仕える神官や巫女のみが纏う藤色の法衣姿の百合。

「殿下」

「千早様……」

 万那・ヤンウェイ。

 白山シラヤマ百合。

 二人は億斗や十夏と同じく王弟殿下直属部隊の属している、つまりは千早の側近とも言える臣下だ。

「なるほど、この部屋の結界は万那のはった結界ってわけか。それじゃ僕が破れるわけねぇな」

 万那が弱冠12歳ながら王弟直属部隊に籍をおいているのは、広範囲に強固な結界をはる事のできる霊力と異能があったからだ。

「結界の外に出してもらうわけにはいかねぇんだろうな」

「ごめん殿下。陛下の命令だから」

 万那は朝焼け色の髪で青磁の目を隠すようにうつむいた。

「いや、謝らなくていい。分かってた事だ。ただこれだけは教えてくれ」

 これだけは知りたい。これだけが知りたい。

「直葉は、無事なのか?」

 引き離されてから、そればかりを考え続けていた。それ以外の事を考える事なんて、出来るはずもない。

「大丈夫、無事だよ。俺のはった結界の中ではあるけど、ちゃんと王宮内の賓客用の部屋でいるから」

「そっ……か。良かった……!」

 千早は心の底から安堵した。

 胸の奥で凝り固まっていた不安を全て吐き出すくらいに大きく息を吐く。

 万那の結界の中という事は、千早と同じように閉じ込められているのだろうが、それでも、無事だったのだ。

「千早様、わたくし達は千歳様の命令により、貴方様の許に参りました」

 百合が、光り輝く金糸の髪をさらりと揺らしながら、冬空色の瞳でじっと千早を見つめてくる。

「千歳はなんて言ってるんだ?」

「神獣の霊宝を手に入れるまで、千早様を城内にて守れ、と」

「そりゃあ、城内から逃がすな、の間違いだろうが」

 渇いた笑いを漏らしながら、千早は天井を仰ぐ。

けれど、千歳は本気なのだろう。本気で自分のやっている事が千早を守り千早を救う、と信じている。

 千早が、どんなに違うと言っても。叶わないと言っても。

 千歳はそれを信じて、すがっている。

 それは千歳だけのせいじゃないけれど。

「千早様、わたくし達は千歳様の命令により、貴方様の許に参りました」

「?」

 それはさっきも聞いた。なのに何故、一言一句違わず再びそれを口にするのか。

 訝しむ千早の前で、百合が膝をつき、万那もそれに倣う。

「けれど、わたくし白山百合と」

「俺、万那・ヤンウェイは」

 二人は声を揃えて、告げる。

「王弟殿下、露草千早様の直属部隊に籍をおく者です」

 国王ではなく、千早にこそ忠誠を誓っているのだ、と告げる。

「……いいのか?」

 千早は確かめる。

 お前達は、億斗や十夏と同じように千歳の考えに、願いに賛同したのではなかったのか?

「殿下を助けたかった、だから陛下に従った。きっとそれが殿下のためになると思ってた。けど殿下は王宮から、俺達のもとから逃げ出した。ううん、俺達がそうさせてしまった」

「正直なところを申しますと、心情は未だに千歳様や億斗や十夏と近いところにございます。けれど、わたくし達の主は、千早様なのです。どれだけ辛くとも、千早様のお心を踏みにじるなどという不忠をこれ以上、重ねるわけには参りません」 

 王宮から逃げ出した千早を連れ戻す事に、万那も百合も協力した。けれど、それはずっと迷っていた。

 千歳は、億斗は、十夏は、全て千早のためだと言う。万那も百合もそう思っていた。なら、どうして千早は、逃げ出したのか。

 決まっている。自分達が千早のためを大義名分にして、千早の望まぬ事をし続けたからだ。

 だから、もう違えない。それがどれほど辛く苦しくとも、自分達は耐えてみせる。

 ただ一人の主のために。

 万那と百合は泣きそうな顔をしていた。実際、二人の瞳に涙がたまっている。けれど、二人はそれをけしてこぼすまい、と顔を上向かせ、耐えてくれていた。

 それが誰のためなのか、千早は分かっていた。だからここで言うべき言葉は、謝罪ではない。

「ありがとう」

 感謝の言葉だ。

 スゥと息を整えると、千早は胸を張り、軽く顎を引いた。

「王弟、露草千早が命じる。我を解放せよ」

「仰せのままに」

 主の命に忠臣は、こうべを垂れた。


 ガンガンガンと繰り返し、音が響いていた。

 しかし、その派手な音に見あっただけの結果を出すことは出来ず、悔し紛れに直葉は獣変化させた腕で太ももを叩く。

 千早と引き離された後、直葉はこの部屋に連れて来られた。

 そして現れた女官達に、頼んでもいないのに服を着せかえられ、薄化粧を施され、髪を凝った形に結われたのだ。

 しかも女官が出ていった後は、部屋全体に結界がはられて、外に出る事が出来なくなってしまった。

 腕のみを獣変化し、熊の爪と剛力で力任せに破ろうとしたが、びくともしない。

 ミヤシロに勝るとも劣らぬ異能がはった結界なのだろう。

 これが、この王宮における手厚い待遇というものなのか。それとも、この上質な服と化粧と髪型で、おとなしくしていろという事か。

 そんな事するくらいなら、ここから出してほしい。

 直葉は今、自分が着せられている服を睨みつける。

 純白の肌に心地良い布地を使い色彩鮮やかな色石を品良くあしらったワンピース。

 王宮の物だ。さぞかし良い品なのだろう。

 だが、同じ白なら清樹でいつも着ているシェフコートの方がずっといい、と心の中だけで不満をぶつけてみてもどうしようもない。

 何とかしてこの部屋から、出て千早と合流しないと。

「このままでは駄目か」

 獣変化を一度解いて、人のものに戻した腕を見る。

 しかし、これ以外に結界に対抗する術が直葉にはないのだ。

 もう一度、と腕を構えた時。

 キィンと甲高い音が空気を裂いた。そして、その音に反応するようにして部屋全体にほどこされていた結界がゆっくりと、しかし確実に消えていく。

 どうして?と戸惑う直葉の耳に答えを与える声が聞こえた。

「直葉!」

  扉が壊れるのではないか、という勢いで飛び込んで来た人物。その顔と伸ばされた両腕が見えた時には、直葉は床を蹴りその人物の背中に自分の両腕を回していた。

「千早!」

「直葉、大丈夫か?怪我はないか?」

「私は大丈夫だ。千早こそ」

「僕もなんともない」

 額を合わせて、視線を絡ませ、薄い硝子細工にそっと触れるかのように、互いが互いの頬に手を伸ばす。

 ほんの少しの間、離されていただけなのにもう何年も会っていなかったかのように思えた。

 千早は一度だけ、存在を確かめるように直葉を抱き締めた後、体を離して直葉の肩をつかんだ。

「直葉、ここから出て戻り森に帰れ。千歳は億斗の力が戻り次第、帰すとは言っていたけど、正直どうなるか分からない」

「千早は?千早はどうするんだ?」

 直葉は自分の身よりも、千早の事が心配だった。

 千早がこれからどうなるのか、どうするつもりなのか、それを聞かないまま行く事なんて出来ない。

「大丈夫だ。僕も一緒に行く。心強い仲間がいるんだ」

 笑って言う千早の目線を追うと、そこには幼い少年と天女のような美女がいた。

「千早の仲間か?」

「ああ。僕に、僕達に力を貸してくれるってよ」

「そうか」

 千早の嬉しそうな表情に、直葉も自然と顔が綻んだ。

「じゃあ行こう。長居をしていてもまずいだろう」

「待て、直葉」

 千早は直葉の腕を引き、彼女の足を止める。

 こんな時に話すべき事ではないのかもしれないが、こんな時だからこそ話しておかないといけない事があった。

「直葉、僕はお前の事を僕の事情に散々巻き込んでしまった。だから、お前にはきちんと話しておきたい」

 ずっと話してはいなかった事。話してはいけないと思っていた事。

 千早が王宮から逃げ出した理由。

 全てはあの日、窓から見えた空が清々しいほどに晴れ渡っていたあの日が、全ての始まり。

「僕は、生きてもいないし死んでもいない。時間から切り離された存在だ」

 けして叶わない願いは、叶えてはいけない願いは、あの日から始まった。


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