救済
なんとか4話目です。千早の異能についてのお話です。
「危険予知……?」
「ああ」
それが、露草千早の異能だ。
未来に起こる危険を感覚的なもの、寒気や気分の悪さで予知する能力。
「あんまり使える異能じゃねぇけどな」
「なぜだ?」
危険を予知できる異能はとても便利に思える。
実際にたった今、あわや岩や石、土砂に潰されかけたところを、千早の異能で救われた直葉は首をかしげる。
「自分の意志で使いこなせないんだ。僕の意志とは関係なく、勝手に危険を予知してしまう。しかも分かるのは危険が起きるって事で、どんな事が起きるのかは全く分からない。本当に些細な事だったり、命に関わるような事だったり……でもそれは実際に起きないと分からなくて、危険を予知できても回避する事ができない事もある」
それに回避できたとしても、それが必ず良い結果になるとは限らない。逆に更なる禍を呼ぶ事もある。いや、実際に呼んでしまった。
だから、僕は逃げ出したんだ。
「本当に意味ない異能だよな……」
「そんな事ない」
直葉が言った。きっぱりとそれは違うと口にした。
「私は千早の異能のおかげで助かった、救われた。千早が危険な事が起きるって予知してくれたから、助けようと声をあげてくれたから、私は今こうやって無傷でいられる」
千早の異能で死んでいたかもしれない命を救われた。
千早の異能は使えなくなどない。意味がないなど、けしてない。
「千早の異能は人を守ってくれる、とても素敵な異能だよ」
千早は、涙が出そうになるのを、必死にこらえた。
この異能が嫌いだった。
危険を予知できても、それがどんなものなのか分からない。予知できたとしても回避できない事もある。
だから、ずっと嫌いで嫌いで仕方なくて、そしてあの日、あの蒼窮に赤が飛び散ったあの日、 この異能に絶望した。
危険を回避できたところで、別の禍を呼んでしまうなら意味などない。
大切な人を、好きな人を、別の危険に晒してしまうなら、この異能は、危険予知は、危険を回避するのではなく危険を呼びこむものじゃないか。
「ありがとう、千早。私を助けてくれて」
そう言われた。そう、言ってくれる人がいた。
この異能は誰かを守れる素敵な能力だと、言ってくれる人がいた。
ただそれだけの事だ。でも、それでも、ただそれだけの一言が千早は欲しかったのだ。
何故ならその一言を言われただけで、泣きたくなるくらいに嬉しくて、救われたような気持ちになれたから。
「僕こそ、ありがとう」
この忌まわしい異能に、感謝の言葉を与えてくれて。
ありがとう、と言ってくれて。
清樹に戻ると、閑芽、棗、柊の姿がなかった。
綺麗な木目が暖かみを感じさせる丸テーブルに、集めてきた食材や荷物を置き、呼びかけてみるが返事がない。
千早と直葉は不思議に思い、お互いの顔を見合わせる。
「三人とも何処に行ったんだ?」
「三人なら結社に行きました」
声がしたので、振り返ってみるが誰もいない。
しかし、荷物を置いていたテーブルに先程までなかった硝子のコップがふたつ、中身は透き通った赤紫色の飲み物、ベリーベルの実で作られたジュースだ。
清樹のドリンク担当はひとりしかいない。
「胡乃実か。近くにいるのか?」
「はい」
直葉の問いに、壁の向こうからおずおずと顔を半分だけ覗かせて、胡乃実が小さく応えた。
だが、千早と目が合うと瞬く間に顔を引っ込めてしまう。
「胡乃実、僕が清樹で働くようになって日にちも経った。そろそろ顔を見ながら話せないか?」
「まだ無理です!」
拒否の声だけは、普段の胡乃実からは信じられないないほどに大きい。
地味にキツイな。
千早は少々へこんだ。
胡乃実が、かなりの恥ずかしがり屋なのは知っているが、未だに壁や人の後ろに隠れながらでしか会話してくれないのは、それなりに悲しい。
しかし、これでも出会ったばかりの頃に比べれば、かなり進歩しているのだ。
始めの頃、胡乃実は千早が近くにいるのを察すると、例え仕事中であっても逃げ出してしまい、千早は胡乃実の影どころか気配すら掴めなかった。
その恥ずかしがりっぷりときたら、千早がこれは恥ずかしがっているのではなく、ただ単に自分が嫌われているだけではないか、と疑ってしまうくらいだった。
そこから閑芽や直葉が恥ずかしがる胡乃実を、半ば無理やり千早と交流させて、少しの距離と障害物を挟んで姿を見ない状態でなら、会話できるレベルまでにしたのである。
今は、少しでも長く会話できるように特訓中だ。いつか、ちゃんと顔を見ながら話せるように。
この様子だと先は長そうだが。
「結社ってなんだ?」
それでも千早はできるだけ、胡乃実との会話を続ける。千里の道も一歩から、だ。
「む、結社は、この戻り森の奥にある湖の中の社の事です」
「湖の中に社?それってどういう事だ?」
湖の中とは、つまり水中という事だ。当然、社は水浸しどころではなく、水に満たされているはずだ。
それなのに何故、水中に社があるのだ。
「心配はいりません。結社の主であるミヤシロ様は異能であらせられますので」
「異能……」
要するに、そのミヤシロなる人物の異能で社の中に湖の水が入らないようにしているという事か。
ここでどんな異能なのか、と聞くのがマナー違反だという事は先程直葉とのやり取りで学んだばかりだ。
しかし、水中の社に水が入らないようにする異能ならだいたい想像はつく。
自然物の操作か、空間隔絶の異能、恐らく後者だ。
戻り森には異能や異族以外の者が立ち入れないように、かなり強力な結界が張ってある。そして、その結界を張ったのは異能だと千早にも分かっていた。
しかも、立ち入ろうとする者を選別できる結界を張れるとなると、相当強い異能だ。
「ミヤシロ様と呼ばれてるって事は、その人は戻り森の中でも地位の高い人なのか?」
「そうですね。ミヤシロ様の一族は異能や異族が多く、この辺りでは呪われた一族として迫害されていたのですが、そんな境遇に負ける事なく、自分たちのように迫害されている異能や異族が安心して暮らせる場所を造ろうと、この戻り森に異能や異族の居場所を造り、私たち迫害された異能や異族を護って下さっているのですから」
呪われた一族として迫害……。
直葉にも教えられた事ではあったが、やはり腹が立つ。
そんな事を言う奴らは全員まとめて、一発殴ってやりたい。
千早は舌打ちしそうになるのをこらえる。
ここで舌打ちなどしたら、恥ずかしがり屋なのを抜きにしても、気の弱い胡乃実はきっとまた千早と距離を取ってしまう。それは避けたい。
「色々教えてくれてありがとな」
「いえ」
短い返事に遠ざかって行く軽い足音。話が終わったと判断してその場から離れたようだ。
「お疲れ。ちゃんと話せたな」
直葉が穏やかな笑みをうかべて、ジュースの入ったコップを差しだしてくる。
胡乃実が作ってくれたジュース。直葉にだけでなく、千早の分も。
胡乃実も胡乃実なりに、千早との関係を良いものにしようと努力してくれているのだ。
「話せるようになったのは、胡乃実が即座に逃げる事がなくなったからだな」
受け取ったコップに口をつける。
ベリーベルの実の甘酸っぱさが口内に広がる。甘いだけではなく、どこか涼しさも感じさせる、言うまでもなく香りも最高だ。
「美味いな」
「うん」
飲んだ後ではあったが、千早と直葉はコップを合わせ乾杯した。
「もう一度、言ってもらっても?」
板張りの床に座した閑芽は、彼らしくもなく、少しひきつった表情でそう言った。彼の傍らに座している棗や柊も、軽く目を瞠っている。
閑芽の求めに、彼が座している場所より一段上、御簾の向こうの御帳台の中に在る人影が繰り返した。
「清樹にいる少年、露草千早に会いたい」
閑芽は眉を寄せる。
「何故?千早については分からない事は多いが、戻り森で暮らしている異能や異族に危害を加える様子はない。だから貴方は俺たちに彼を迎えに行くよう伝えたんだろう?」
千早はまだ知らないが、この戻り森には二重の結界が張ってある。
ひとつは異能と異族以外の者の進入を阻む結界。そしてもうひとつは、戻り森に危害を加える者を阻む結界だ。
戻り森は、確かに異能や異族を受け入れる場所。しかしそれは、異能や異族全てとは限らない。この戻り森に、そして戻り森に住む異能や異族たちに危害を加え故意に不利益をもたらそうとする者は、異能や異族であっても戻り森には入れない。
正しく言うならば、ひとつめの結界は越えられても、ふたつめの結界に阻まれるのだ。しかし、このふたつめの結界にも阻まれなかった者は戻り森に住む者の迎えを受けて、ようやく戻り森に入る事を許される。
直葉が千早を見つけたのは偶然ではなく、ふたつめの結界を越えてきた彼を、結社のミヤシロから連絡を受けて、迎えに来たからだ。
何故、わざわざ迎えに来たかというと、 ふたつめの結界を越えたとしても、戻り森の住人が迎えに行かなければ、完全に戻り森に入る事が出来ないためである。
「千早はふたつの結界を越えて来た。それは戻り森にも、俺たちにも危害を加える気はないって事だ。それなのに何故、今になってあの子に会う事を望まれるのか?理由をお教え頂きたい、ミヤシロ様」
御簾の向こうの人影、ミヤシロは閑芽の問いかけに、ゆっくりと口を開き答えた。
「それは露草千早にのみ、答える」と。