異能
千早は、おおいに困惑していた。
なんでこんな事になってんだ?
「千早、大丈夫か?揺れはきつくないか?」
「……ああ問題ないよ」
揺れはな!
むしろ問題は別にある。そして、その別の問題のほうが気にかかって、千早の頭は揺れを気にする余裕があるほどに回ってはいなかった。
なんで、なんで僕は直葉の背中に跨って森の中を練り歩いてんだよ!
話は少し前に遡る。
棗と柊が戻って来たから、晩御飯を少し豪勢にしようとを決め、その材料を調達することにした。
この戻り森は、自然の恵みが豊かで土が肥沃なこともあり、食物がよく育ち、森を探せば珍しい野菜や果実などが、たくさんあるのだ。しかも薬草なども生えており、戻り森に住む者の中には、薬屋を営んでいる者もいるらしい。
流石に森で調達できないもの、たとえば服などは、森の外へと出て買ってこなければならないが、それでも森の住人たちはほとんどの物を戻り森の中で揃えようとしていて、滅多に森の外には出ないそうだ。
「今回探すシュリンの実とコウオウダケも戻り森の中にあるものだから。少し森の奥まで行くことになるけど大丈夫だ」
このとき、千早は直葉の発した大丈夫の意味を、あまり深く考えなかった。
てっきり、迷ったりはしないから大丈夫もしくは、食材はすぐに見つかるから大丈夫とかそんなことだろうと思っていたのに、まさか、まさか移動手段なら大丈夫という意味だったとは……!
現在千早は調達した食材をいれる籠をふたつ抱えた状態で、あの白い熊の姿をして四つ足でのそりのそりと歩く直葉の背に跨り、森の中を移動しているのだ。 もちろん、千早は直葉が熊の姿であらわれ背に乗るように促された時に猛抵抗した。
いくら熊の姿だからといって、自分よりもふたつ年下の少女の背中に乗り、騎獣代わりにするなんてとんでもない、と。
直葉に「熊の姿の私は、清樹で一番長身で大柄の閑芽よりも大きいから大丈夫」なんて言われても、到底看過できるものではなかった。
しかし当の直葉本人にとってはたいしたことではないらしく、自分の背に乗るどころか激しく抵抗し距離までとりはじめる千早に業を煮やし、強硬手段に出た。
手段名、乗らないなら乗せるまで。
あろうことか、彼女は千早の足と足の間に頭を突っ込み、そのまま千早の体を軽く跳ね上げるようにして、自らの背に強制的に跨らせたのだ。
お分かりいただけるだろうか?この気持ち。
自分より年下の女の子に背に乗るよう促され、抵抗すればとんでもない方法で乗せられ、森の中を移動している。
男として、千早はうちのめされていた。
くわえて、千早は体質的に体になかなか表れないが、かなり鍛えている身だ。 体術も剣術もそれなりのものだと自負している。それが熊の状態とはいえ女の子に軽く跳ね上げられた。
単純に力負けした。
うちのめされ、うちすてられた気分だ。
鍛練、再開しよう……!
清樹で働きはじめて、仕事を覚えることに必死で鍛練を怠けていたぶん、量も増やして、あとはそうだ、自分の事だけでなく相手にも改善を求めよう。
「直葉、女性としての慎みを持とうな」
「え、なに?」
自分のしたことにまるで問題を感じていない、そういえば初対面でいきなり大した躊躇いもなくあっさりと、男である自分の前で裸身になった子だ。
しかも服を着る事を忘れていた、とまで言った子だ。
「仕事を教えてくれたから、今度は僕が直葉に教えたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「礼儀作法とか、な」
千早は笑い、心中のみで付け加えた。
女性としての、だがな。
シュリンの実は、すぐに見つける事が出来た。
実の成る樹木が一ヶ所に群生していたためだ。
シュリンは鮮やかな赤い実で、一見手のひらに納まる程度の大きさだが、よく見ると小さな鈴ほどの実がより集まり、手のひらに納まる丸い実になっている。
「この実はどんな風に調理するんだ?」
「シュリンは甘味があって香りが良いから、主にソースとかパイやタルトにするかな。あと、胡乃実に頼んでフルーツティーやジュースにしてもらうつもり 」
千早が慣れない手つきでもたもたと実をもいでいるのに対して、直葉は、熊の姿のまま鋭い爪を器用に使って、実がたくさん成っている枝を切り落としていく。
熊の姿をしているので、高い位置であろうと容易に手が届き、速度も早い。
それなのに切り落とし方や切り落とした実の受け止め方はとても丁寧で、実そのものには、傷ひとつ付けていない。手慣れているのがよく分かる。
それを延々と繰り返しているうちに持ってきていた籠のひとつがシュリンの実でいっぱいになる。それを確認して、直葉は手を止めた。
「これだけあれば大丈夫だ。千早、手伝ってくれてありがとう」
「いや、僕はほとんど何もしてないようなもんだし」
実際、千早がひとつ実をもぐのにもたついている間に、直葉は三つももいでいた。
なのに、彼女はとても嬉しそうに笑う。
「そんな事はない、とても助かった。次はコウオウダケを採りに行くから、よろしく頼むよ」
「気を遣ってでも、そういってもらえるなら、次はもっと頑張らせてもらうぜ。で、コウオウダケはどこに生えてるんだ? 」
「ああ。連れて行くから、乗ってくれ」
少し身を沈めて、千早が背に跨がり安いようにしてくれる直葉に、その気遣いはいらない、と千早は顔をひきつらせた。
次に案内されたのは、岩場だった。
岩場と言っても、ここは森の中なので岩しかないわけではなく、草地の上に岩があり、さらにその上に土がかぶり草が生えているといった方が正しい。
そして、その岩と岩の間に人一人が入れる程度の隙間がある。
「この隙間から入るのか?大丈夫なのかよ」
「大丈夫だ。中はかなり広いんだ」
千早が隙間を眺めていると、隣に立ったらしい直葉の長い白雲色の髪が視界に入る。
髪が、長い……まさか!
嫌な予感と驚きで、つい音がしそうな勢いで首を動かした。しかしそれが間違いだった。
裸身の美少女、再び、である。
またも衝撃で遠くなっていく意識を千早は必死に引き戻しながら、直葉を思いきり怒鳴りつけた。
「なんっで、人の姿になってんだ?!」
「え、だって、熊の姿じゃ隙間につっかえるから」
「なら服を着ろ!は、はは、裸のままでいるんじゃねぇぇえ!!」
「あ、はい」
勢いに負けたのか、直葉は服を入れてきた包みを広げ始める。
ここで広げるな!と怒鳴りつけてやりたくなったが、離れた位置で着替えられて、他の人たちに目撃されても事だ。ここは千早が背を向け耐えるしかない。
見なければいい。見なければいい。だが、しかし、しかし、だ。
必ず絶対に直葉に女性としての慎みと礼儀作法を教えてやる!つか、教え込んでやる!!
千早は改めて誓いを立てた。
ちなみに、服が入った包みは出かける前に、千早が鬼のごとき形相で直葉に言い聞かせて持たせた物である。
直葉がきちんと服を着たところで、二人は岩と岩の間にある隙間へと、身を滑らせた。
直葉が言ったとおりに中は広くなっておりしばらくの間、下へと下って行くなだらかな坂道がある。
そして、その坂道の向こう、下から淡く差してくる青い光が見える。
中は、坂を下って行くごとに広くなり、馬が五頭横に並んでも、余裕で通れるであろうくらいの広さになった。そこからまた、更に奥へ奥へと進んで行く。
青い光は、最初こそ朧気ではあったが、しだいに岩壁を照らすほどになってきている。
「着いた」
千早は目の前に広がる景色に息を飲んだ。
そこは、一面、透き通った青い光の世界だった。
目の前にあるのは、水底まではっきりと見える青の地底湖。
その青に染め上げられた岩壁は、まるで夜空のようだ。
その岩壁に小さく、しかしはっきりと、銀色に輝く星の光を連想させる花びらに似た形の何かが生えている。
それがコウオウダケだった。
「綺麗だ……」
感嘆の吐息と共に言葉が漏れる。
もっとこの場にふさわしい美辞麗句があるのだろうが、人間は本当に美しいものを目にした時は、思ったより端的な言葉しか出てこないらしい。
世界にはこんな、久遠に見つめていても飽きることのないであろう場所があったのか。
「食べ物があるような場所には思えないだろう」
千早は声もなく、頷いた。
「コウオウダケは、こういった薄暗い場所でのみ発光するんだ。まるで夜空で瞬く星のように。だから清樹では、ディナータイムのメニューとして、店内だったら照明を落として出したり、外のテーブルで夜空の下で出したりしてる。さすがに、コウオウダケの光だけだと暗すぎるから、戻り森の職人が、熱に強いフレイヤ鉱石から作った、花の形のランプもテーブルに置いてるんだかな」
夜空の下で星と同じ銀色に輝く花びらの形のコウオウダケと、フレイヤ鉱石の花の形のランプ。
「それは、とても風情がある夕食だ」
「なら、その風情のある食卓を目指してコウオウダケを採りにかかろうか?」
「ああ、少しもったいない気もするが」
千早はこの美しい光景に触れるのに躊躇いを覚えながら、青く染まった岩壁に手を伸ばした。
だって、コウオウダケのディナーを目でも舌でも味わいたい。
「そういや、あの棗と柊っていう人たちも、異能か異族なんだよな。どういったタイプなんだ?直葉みたいな獣変化型?」
千早の問いに、直葉は目を瞬かせる。どうやら驚いているらしい。
そんなに、おかしな事を聞いただろうか。千早としては、何気ない問いだったのだが。
「そうか……。王都やその近辺の領地は異能や異族は神と人の子孫だって事が、きちんと常識として広まってるんだったな」
直葉はそう呟くと、「まずひとつ言っておく」と前置きした。
「王都やその近辺と違って、王都から離れたこのあたりの辺境地方や鄙などでは、異能や異族は差別と偏見の対象なんだ」
「なっ……!?」
そんな話、千早は聞いたことがない。彼にとって、異能や異族は神の血を引く存在として、国に認められ、国を守り国のために戦ってくれる国にとって大事な存在だ。
それが差別され、偏見の目を向けられているなんて、頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。
「辺境地方や鄙じゃ、異能と異族は神の血を引くものではなく妖魔の呪いを受けた忌み子扱いで、捨てられたり売られたり、酷いときは産まれてすぐに殺される事もある」
「異能や異族が妖魔の呪いを受けた忌み子だと!誰だ?そんな事言い出した大馬鹿は!?」
妖魔は闇を好み夜に活動する、人を喰らう異形である。
その性状は獰猛にして残酷。人を餌にしか思っておらず、力の強い大物の場合、高い知能を有し言葉を操る事も出来る。 しかし、人を呪うなど、そんな話は聞いた事がない。
むしろ、力の強い妖魔は普通の刀剣ではかすり傷ひとつつける事も叶わず、異族や異能のみが自らの能力を持って倒す事が出来る。
その異族や異能に対してなんたる侮辱か。
怒りで握った拳が震える。
しかし、直葉は過ぎるほどに冷静だ。
「異族や異能が忌み子か否か、真偽のほどはどちらでもいいんだろう。ただ得体の知れないものを忌避する口実があれば」
「得体が知れないって……異族や異能は天上より人の世界に降りて来た神々が人と交わり生まれた存在。古から伝わる歴史の書にもそう記されている!妖魔の呪いだとか忌み子だとか言い出す馬鹿は、ただ単に差別や偏見を使って他者より優位な立場にいたいと、地位ばかりに固執する中身のない奴に決まってる!」
だいたい地方を治める領主や里長はなにをやっている。そんなふざけた風聞を そのままにして、異族や異能に対する蛮行を見てみぬ振りとは。
それでも、国や王家から人の上に立つ事を許された指導者か。
いや、そんな奴らに地方をそこに住み生きる民を任せ、事態に気づかずにいた王家にも責任はある。
そしてもうひとつ、千早は怒っている。
「直葉たちも、なに冷静に状況を受け入れてんだ!理不尽な差別をされてるんだぞ。いわれのない偏見を受けてるんだぞ。なら怒れよ!ふざけんなって、声上げて怒りを叫ぶところだろうが!」
直葉はポカンとして千早を見た。
物心ついた時から、異族として差別されて来た直葉は、ただそれを受け入れるしかなかった。
昔は異族や異能が神々の血をひく存在とは知らず、里の者たちが言うように、妖魔の呪いを受けた忌み子だと思っていたから、どんなに傷ついても反論する事ができなかった。
そうではないと知った頃には、差別にも偏見にも慣れて、心を痛める事もなく冷静に受けとめられるようになっていた。
だけど、違ったのか。
受けいれなくてよかったのか。
受けとめなくてよかったのか。
反論してもよかったのか。
傷ついている、心を痛めていると、声を上げてよかったのか。
「怒っても……よかったのか……」
「当たり前だ。いわれのない理不尽を許してんじゃねぇよ。例え何が相手でも、だ。それから、悪かった」
「え、何がだ?」
いきなり謝罪をされて、直葉は戸惑う。理由がわからなかったからだ。
「知らなかったとはいえ、無神経な発言だった。俺が、棗や柊について聞いた時に答えなかったのは、察するにその差別や偏見が原因なんだろ?」
「……ああ、その通りだ。地方や鄙にいる異族や異能は迫害や人買いから身を守るために、只人のふりをして暮らしている事が多くて、異族や異能だって分かっても、その正体について聞く事はあまりしないから」
自分も異族や異能であるなら、余計に聞く事に躊躇いが生じる。立場は同じ、ならばどんな目にあって来たかもおおよそ想像はつく。
「辛い記憶はすすんで口にしたいものでもないからな」
「悪い。本当に、無神経にもほどがあった」
「いいよ、むしろ少しほっとした。千早のように異族や異能について自然に問う事のできる人がいるなら、迫害された過去は消えなくても迫害の消えた未来はあるかもしれないと思えるから」
それに、千早は怒ってくれた。
異族や異能に対する差別や偏見に、怒ってくれた。
そして、差別や偏見に怒ってもいいと、怒れと言ってくれた。
そんな事を言ってくれたのは、千早が始めてだった。
差別や偏見を受けてきた異族や異能は、その多くがどこかそれを受けいれ、仕方ないと諦めている。そして、この戻り森にいるものがそうであるように、外で生きる事を諦めている。
でも、諦めないでもいいのかもしれない。
「そろそろ帰ろうか」
「そうだな。コウオウダケを使った料理が楽しみだ」
どうやら千早は、コウオウダケをかなり気に入ったらしい。
これは期待を裏切らないものを作らないとな、とコウオウダケを詰めた籠を持つと、コウオウダケがふたつ、籠からこぼれ落ちた。
地に落ちた衝撃で、小さく跳ねて転がっていくコウオウダケを追いかけようとした直葉に、千早は背筋が急激に粟だつのを感じた。寒気が止まらず、頭の中で警鐘が鳴り響く。
「待て!!」
激しい制止の声に、直葉は思わず足を止める。
振り返り、こちらの様子を訝しむ彼女の背後で、それは起こった。
激しい崩落音。落ちて来るのは、岩に石に土砂。
直葉の背後は、新たに壁が出来たかのごとく、それらで埋めつくされている。
ほんの少しの差だった。
千早の制止の声がなかったら、今ごろあの岩や石で傷を負い、土砂に押し潰されていただろう。
「千早……」
戻り森には異族や異能以外入って来る事はできない。
もし入って来れたならば、その者は異族もしくは異能であるという事。
そして千早は、戻り森に入って来た。
しかし異族である直葉の姿に、少なからず驚いていた。そのことから異族の獣変化姿に、あまり慣れていない事がうかがえる。
ならば、答えはひとつだ。
「異能……なんだな」
戻り森に入る事ができて、異族でないならそれ以外あり得ない。
千早は何も言わなかった。
しかし、その目は確かに肯定の意を示していた。