新しい客人
「なんだ?新顔か」
清樹で働きはじめてから二週間程たった頃、見かけない顔がふたつ、否二人やって来た。
誰だ?この男と女は……。
千早は、清樹で過ごすようになってまだ日は浅いが、この喫茶レストランには決まった客しか訪れず、そしてその客たちも、この戻り森に住んでいる者ばかりだという事は、もう分かっていたので、全く見たことのない二人に少し驚き、警戒してしまった。
男のほうは、首の詰まった前で閉じる形の上衣に、足首まで覆う淡い緑の袴姿で、女のほうは、青い膝上のワンピースで、軽い防具を身につけて、腰に矢筒、背に弓を背負っている。
「千早、大丈夫だ。この二人は閑芽の友人だ」
「帰って来たのか?棗、柊」
直葉が、千早の警戒を解くように彼の肩に手を置き、閑芽が嬉しそうに二人、棗と柊に歩み寄る。
「閑芽、なんだよ?そのガキ」
「ガ……っ!そんなに年齢変わんないだろ!!」
なんだか前にも同じような事を言ったような気がする、誰かに。
そして、その誰かにあたる男は、千早を庇うように声を張る。
「そうだぞ、棗。千早は年齢の割りにちっちゃいけど、俺たちよりひとつ年下なだけだ!」
とても庇っているようには思えないが、閑芽は本気だ。
そんなやりとりに冷静に突っ込むのは、現われた女だ。
「棗、いきなりその言い方は失礼。閑芽、それはフォローになってない」
「そうなのか!?」
「なんであんたが傷ついた表情してんだよ?!この状況で傷ついたのは、僕だろ!」
初対面の相手にガキと言われ、更にち、ち、ちっちゃいとか……別に気にしてねぇよ!例えこの場にいる男どもが自分より、10cmは身長高いとかどうでもいいよ!この棗ってヤツ、高いのは顔面偏差値だけにしとけ!なんて、全然思ってないんだからな!
「棗がごめんなさい。私は柊・ユリカナ。閑芽の友人で、普段は棗と一緒に国中を旅しているの。よろしく 」
「立川棗だ。まあ、適当によろしく頼むわ」
背に届くほどの翠黒のまっすぐな髪に、深い茶色の瞳をした、涼しげな美貌を持つ柊。
態度は粗野で目つきもきつく、口も悪いが、首を覆うほどの不揃いな黒髪に銀色の目、女っぽくはないが、整った顔をしている棗。
千早は、その二人を見たあと、直葉と閑芽に視線をやる。
「どうした?千早」
軽く首をかしげる直葉に、何故か知らないが、満面の笑みの閑芽。
そして、ここにはいないが、胡乃実の顔を思い出す。
……まだ逃げられてばかりなのではっきりとは思い出せなかった。まあ、これは仕方ない。にしても、にしてもだ。
こいつら、顔が良すぎる。
清樹で働きはじめて、お客さんの視線とか見てたら分かったけど、ここにいるヤツらの顔の優秀具合、マジで半端ない。
彼処にいたアイツらもそうだったし、なんだよ?僕の周りには美形が集まる決まりになってんのか?
「千早、何か考えごとか?」
「い、いや。なんでもない」
直葉が、黙り込んでいた千早を気遣うように問うてきたので、慌てて首を左右に振った。
まさか、直葉たちの顔について考えていたなんて言えないし、ここに来る前の事を少しとはいえ、思い出していた事を気取られたくなかった。
そうだ、忘れるな。
この場所が、どれだけ居心地が良くても。
ここにいる人たちの側が、どれだけ居心地が良くても。
僕は逃げ続けなくてはいけない。
けして、捕まるわけにはいかない。けして、連れ戻されるわけにはいかない。
「千早、仕事に戻ろう。あと棗と柊が帰って来たから今日の食事は少し豪勢にいこうかな?なにかリクエストはあるか?」
直葉が帰ってきた二人に顔を向ける。
「なんでも。直葉のご飯はなんでも美味しいわ」
柊がにこやかに答える。
「私は清樹の料理人だからな。料理が美味しくなかったら、仕事にさしつかえる」
「そりゃそうだ」
おどけたように棗が返すと、直葉は少し頬をふくらませた。
その拗ねたような表情がなんだか無性におかしくて、千早は思わず笑ってしまった。
それに直葉は、さらに頬をふくらませる。それがまた、おかしくて笑いが止まらない。
「そ、そこまで笑わなくても」
「悪い悪い」
だから、彼女の隣はいずれ必ず離れる場所だ。
「で、どうだった?」
清樹の閑芽の部屋には、彼の他に棗と柊がおり、木製の丸テーブルを囲んで、それぞれ椅子に座している。
千早と直葉は夕食用の材料を採りに出掛け、胡乃実はお茶を持って来てくれたあと、すぐに自室へと戻っていった。
棗は閑芽の問いに即座に答える事はせず、まずお茶に口をつけた。
「王都で、軍や祭祀殿の神官や巫女の一部が、おかしな動きをしている」
「一部?一部ってどういうことだ?」
「一部は一部だ。全部が動いてるわけじゃねぇってっ事だよ」
「棗」
柊が咎めるように名を呼べば、棗は分かってる、とばかりに続けた。どうやら、言い渋っていただけで、はぐらかすつもりはないらしい。
おかしな動きをしている一部が、どういう一部なのか。
「動いてるらしい一部のヤツらは、王弟の直属部隊の兵士に巫女」
王弟。今はすでに亡き先王とその第二王妃との間に生まれた現国王の腹違いの弟だ。
先王と第一王妃との間に生まれた現国王である兄と違い、表舞台に姿を見せることはほとんどなく、どんな姿や顔だちをしているのかは王宮にいる人間以外は誰も知らない。
ただ、兄である国王は、この弟を大切にしており、弟もまた兄の政を助けるために力を尽くしているため、国ひいては国王に仕える官吏たちには、国王の懐刀として、認められている。
その王弟の直属部隊が動いているということは……
「国王の命で、王弟が自らの直属部隊を動かしたということか?」
「王弟本人が、もともとあまりよく知られていない人物だから、はっきりそうだとは言えないけれど、私と棗は、可能性は高いと思っている」
そして、その推測が当たっていたとして、王弟が直属部隊を動かしたのだとしたら、王弟の、そして国王は一体何をしようとしているのか?
「目的はなんだ?それは分かっているのか?」
棗と柊は、ふと動きを止めて、視線を交わしあった。
その様子に、閑芽は訝しむ。
棗と柊は、旅をしながら国中の情報を集めている。そして、その情報をもとに情報屋を営んでいる。その情報はかなり信頼できるもので、実際に閑芽は何度も二人の集めた情報に助けられてきた。
その二人が、自分たちが集めた情報を口にすることを躊躇っている。
それはつまり、棗と柊達自身が、自分達の集めた情報の真偽を疑っているということだ。
それでも閑芽は、二人が答えてくれるのを待った。
棗と柊の情報屋としての腕を信じているからだ。
その閑芽の思いを感じとってか、棗が殊更ゆっくりと口を開いた。
「……神獣の霊宝だ」
閑芽は、息を呑み絶句した。
あまりに突拍子もない話だったからだ。
神獣の霊宝。
それは、遥か昔の古の頃、まだ世界には天上とそこに住まう神々しかいなかった頃の話。
神々は自らの骨と血と肉と神力を組み合わせ、四匹の神獣を生み出した。そして、彼らにこう命じた。 「お前たちの魂は、世界と命を創る霊宝。お前たちこれより、天上から下に世界を創り、その世界で生きる命を創れ」
四匹の神獣は神々の命に従い、自らの魂である霊宝をもちいて、天上より下に大地という世界を創り、その大地で生きる人を創った。いつしか、大地は人の生きる世界、人界と呼ばれるようになっていた。
そして、人界が創られしばらくした頃、神獣を生み出した神々たちが神獣の創った人界へと降りてきた。神々は人界とそこで生きる人を好ましく思い、人と交わり、子を成した。
そして、人界に人の他に異族と異能という人が、新たに創られた。
神獣たちは、今でも自らの魂である霊宝をその身に秘めながら、この人界で人々と、神々の子孫である異族と異能の者たちを見守りながら、暮らしているとされ、今でも神獣の姿を見たという口にする人間はわずかながらもいない事はない。
無論、嘘か真か別にして、の話ではあるが。
とにかく、これが世間一般的に広く知られている神獣の霊宝に関する伝承で、霊宝は世界と命を創る力ゆえに、あらゆる病を治し、不老不死をもたらし、黄泉路にくだったものすら現世に呼び戻すことが可能とされ、けして、多くはないうえに、実際には嘘かもしれない目撃証言を頼りに、神獣を探し捕らえようというものもいる。
だが、そんな事をしている者はたいてい、まっとうに生きていない破落戸だし、神獣はいわばこの人界とそこに生きる者たち全ての祖神だ。
そんな尊い存在を捕らえようなど、とんでもないことだ。
なのに、その神獣の霊宝に王弟の直属部隊は手を出そうとしている。
つまり、その霊宝を王弟もしくは国王、あるいはどちらもが求めているということ。
これでは、棗と柊が答えを口にする事を躊躇うのも当然だ。閑芽も、なんと反応していいものか分からず、ただ頭をがしがしと掻いた。
「ねぇ、そういえばあの千早って子、どんな子なの?」
このまま変な空気が続くよりは、と柊は無理矢理話題を変えた。棗もそれに乗っかってくる。
「そうだな。立ち居振舞いからして、こんな辺境で育った奴じゃあねぇだろ?どんな奴なんだ?」
柊と棗としては、気を遣ったつもりではあったが、その気遣いは閑芽に頭痛を引き起こした。
忘れてはいけない事を、忘れていた。
露草千早、彼は王族の人間かもしれないのだ。