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7. 『夜の風』

『おやすみ、アディ』


 ユリウス様が呼んだその愛称を呼んでくれる人は、今は亡きお母さんだけでした。

 だからでしょうか。

 その夜は私は実の母、ブリジット・エーデルのことを夢に見ました。

 長い赤毛に私と同じ緑の瞳、それから日に焼けた肌。快活な笑顔。

 教会で先生をしていたお母さんは、私の自慢でした。



 私が生まれ育ったのは、王都の近くにある小さな町でした。

 街道沿いにあるため人通りは多く、様々な人々が行き交っているにぎやかな場所でした。ただ、多くの人々がいるということは、良い人だけではなく悪い人もいるということです。

 街道沿いを根城にしているらしい山賊の一味や、平民から必要以上に税を取り立てる悪徳貴族、奴隷商人。そんな人々も、休憩するのにちょうどいい位置にある町に立ち寄ります。

 町の人々は口々に言いました。


『きっと、夜の風がこらしめてくれるに違いない』


『夜の風』とは私の住んでいた地域周辺に出没する盗賊……いわゆる義賊でした。

 人々を虐げる悪人達から金品を盗み出し、困っている人達に分け与えていたのです。


『アディ、これは私とアディだけの秘密よ。この力は、いざというとき以外は使ってはだめ』

『はい、お母さん』


 全身黒い服を着たお母さんが微笑みます。足元には悪徳貴族から盗み出した宝石の山が袋に詰まっていました。


『じゃあ、いい子で寝てるのよ。私はこれを配って来るから』


 そう言ってお母さんは夜の空へと消えて行きました。軽々と屋根から屋根へ飛び移っていく様子はまさに『夜の風』です。

 私のお母さんは、義賊『夜の風』だったのです。

 それを知っていたのはもちろん私だけです。

 私はお母さんから様々な技術や知識を教えてもらいました。

 高い場所から飛び降りても平気なのも、魔法が使えるのも、実はそのためです。

 でも、お父様に引き取られて貴族の娘になって、この力は二度と使うことがないだろうと思っていました。



 一晩が過ぎました。

 カーテンの隙間からは朝日が差し込み庭の小鳥たちのさえずりが聞こえます。

 そんな爽やかな朝ですが、なんだかあまり眠れた気がしません。

 視線の先のソファには、昨夜ユリウス様が貸してくれたカーディガンが置いてあります。

 それを視界に入れた瞬間、思い出すのは昨夜、ユリウス様に優しく抱きしめられたことです。


(……一体どうしてあんなことをされたのだろう? ユリウス様は『俺に構うな』とおっしゃっていたのに)


 もしかして、私が構うのは駄目ですが、ユリウス様は私を構っていい、ということなのでしょうか。

 ユリウス様のことはよくわかりません。


「おはようございまーすアデライト様! あ、もう起きてらっしゃったんですね」

「おはようございます、ハンナさん、リーリアさん」


 朝はいつもハンナさんとリーリアさんが起こしに来てくれます。

 今日は、私が目覚めるのが少し早かったみたいです。

 化粧台の前に座り、二人があれこれとドレスを選んでいるのを眺めていたときでした。リーリアさんが何かを思い出したのかこちらを振り向きました。


「あ、そうでした。アデライト様。本日ですが、ルーシー先生が急遽ご都合が悪くなられたようで、午前中の授業がお休みになりました」

「あら、そうなのですね」


 ルーシー先生は私の淑女教育の家庭教師です。週に二、三度、午前中に来ていただいています。午前中の予定が白紙になってしまいました。何をして過ごしましょうか。

 そこでふと私はあることを思いつきました。


「ハンナさん、リーリアさん、一緒にお出かけしませんか?」



 そして私達がやって来たのは、王城からほど近いたくさんのお店が並ぶ大通りでした。

 馬車から降り立つと、大勢の人々が行き交っている様子に私は圧倒されました。久々にお屋敷の外に出ましたが、やっぱり王都は人の密度がすごいです。


「アデライト様、人が多いですからお気をつけください」

「どこでも案内しますよー」


 先に降りて私に手を貸してくれたリーリアさんも、街歩きに詳しいハンナさんも普段の制服ではなく可愛らしいワンピースを着ています。私も今日は、彼女たちのワンピースと形の似ているアイボリーのワンピースに帽子、という姿です。


「今日は何を買うおつもりなんですか?」

「……実は、ユリウス様への贈物を買いたいのです」

「ご主人様へ……それはお喜びになるでしょう」


 ぱあっとハンナさんの顔が輝き、リーリアさんはまじめな顔で頷きました。

 ユリウス様には色々と貰ってばかりです。そのうえ、昨日は私が突拍子もないことをしたせいで心配させてしまいました。そのお詫びも兼ねて何かユリウス様のために贈物ができないかと考えたのです。

 だから今日はハンナさんとリーリアさんが一緒に来てくれて助かりました。

 男性に贈物なんてお父様以外したことがないですから。


「何を贈る予定なんですか?」

「それが……実はまだ考え中なんです。ユリウス様のお好きな物や欲しい物など二人が知っていたら教えてほしくて」


 ユリウス様に何かお礼がしたいと思ったものの、何を贈ればいいのか私は頭を悩ませていました。

 この一カ月ほどのユリウス様を思い出してみても、あまり好きな物というのはわかりませんでした。いつも鋭い黄金色の眼光でこちらをにら……見つめているような。そういえば昨夜は少しだけ微笑んでいました。


「…………」

「アデライト様?」

「あ、なんでもありません」


 つい昨夜のことを思い出してしまい、いぶかしげに見つめてくるハンナさんを慌てて笑ってごまかしました。

 ふむ、とリーリアさんは指を顎に当てて思案しています。


「ご主人様のお好きな物や欲しい物……ですね。それでしたら」

「うん、わかるけど……渡せる物がいいんだよ」

「え? どういうことですか?」


 ハンナさんもリーリアさんも私をじっと見つめてくるのでたじろいでしまいました。急にどうしたのでしょう……。

 絹のような黒髪をさらりとなびかせたリーリアさんがまじめな顔で言いました。


「結論から言いますと、ご主人様は以前はほとんど屋敷にお戻りにならなかったので私達でもわかりません。ですが、アデライト様が贈られる物ならなんでも喜ばれると思います」

「私もそう思います! お世辞じゃなくて本気で。 だから一緒に選びましょう!」

「そうですか……では、協力お願いします!」


 二人もユリウス様へ何を贈ったらいいのかはわからないようでした。けれど一緒に贈物を選べるのはなんだかわくわくします。

 一体ユリウス様は何を贈ったら喜んでくれるのでしょう?

ここまでお読みくださりありがとうございました!

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