暗躍③
一五六〇年 三月下旬 近江国浅井郡小谷城
「・・・どうなっているんだ?」
「何のことでですか?」
「とぼけるな!貴様ら貴族―――いや近衛家が裏で煽動したんだろ!」
怒り狂う久政は今にも俺達を殺さんとした顔になっている。だが、俺は臆すること無くじーっと相手のことを見続ける。
「近衛家が煽動?ふっ、そのくらいで崩れるようならそれまでの当主ということですよ」
もうお家芸となってしまった”煽り交渉”。俺の言葉に激昂して刀に手をかけようとする久政だが、賢政や他の家臣たちに全力で止められる。
前回の交渉から約二ヶ月近く。若狭の方でも色々と起こっているが、近江でもまた大きな事が起こっていた。
もちろんどちらも俺と和丸、光秀が仕込んだことだから予想はしていた。
六角家に反旗を翻した浅井家だが、二月中頃に内部で分裂がおきた。
浅井家は元々はただの豪族に過ぎず、成り上がって今の地位にいる。それを快く思っていない北近江の豪族は少なからずいる。
またそれとは別に久政に対して快く思っていない人達もいる。
そういう不穏分子を焚きつけるのは容易いことだ。近衛家にこれまで恩を売ってきたからこそその名声を使い、不穏分子達を煽動した。
具体的には、浅井家が朝敵になるかもしれないという噂を流した。また幕臣たちを動かしてもらって、豪族たちに色々と吹き込んでもらった。
その成果で、北近江の西の浅井郡(現長浜市余呉町以西)と坂田郡にいる豪族たちが兵を出すのを辞めた。彼らは六角家との和睦を求めており、久政はそのことで今悩んでいる。もちろん俺が色々と動いたが、知らぬ存ぜぬを決め込もう。
「それで、某を呼んだのはただ愚痴を言うためでしょうか?で、あるならば、こちらも忙しいので御暇させていただきます」
忙しいのは事実だ。
ちょうど一色家の若狭侵攻が始まったばかり。もちろん重政たちを信じているが、心配はする。あと、父からまたお叱りを受けるだろうし・・・
何も言わずに悔しそうにこちらを睨んでくる久政。俺は少し待ったが、流石に痺れを切らしたので立ち上がろうとした。
すると、賢政が口を開いた。
「お待ち下さい!」
「賢政!止める必要はない!帰りたければ帰せば良い!」
「父上、本気で仰るのですか!現状において、六角家と戦などしている場合ではございません!」
「朝敵など簡単にされるはずがない。どうせ嘘だ」
「だとしても、豪族の方々や家臣たちは簡単には説得できません!朝倉家も援軍に来ません!たとえ時間をかけて説得したとしても、その時はすでに六角家に滅ぼされています」
久政と賢政の言っていることは正しい。朝敵にされるなどただのデマであり、ただしそれを信じた豪族や家臣を説得して兵を出してもらう時間は浅井家には残されていない。
彼らが取るべき道は二つ。和睦をするか、六角家に最後まで抵抗するか。
後者はあまり希望がない。六角家の内部に不穏な空気があるとは言え、豪族と力を合わせてきた浅井家には兵数を捻出できない。精々五千出せたらいい方で、よっぽどの奇跡がない限りは勝てるわけがない。
彼らには攻め滅ぼされない選択―――飴が目の前にある。その和睦条件もそこまで浅井家に悪いものばかりではない。
さて、久政はどういう選択をするのか?
「・・・和睦条件を聞こう」
良かった、とりあえず滅ぼされる可能性の方を避けたか。あとは和睦案に乗ってもらう。
俺の交渉に全てがかかっているな。
「まずは浅井家からの謝罪を、当主或いは次期当主が観音寺城に来られて行うこと。次に裏切った高野瀬秀隆への援助をやめ、攻める際には先鋒を務めること。現在両家が揉めている犬上郡(坂田郡の下)については、六角家の支配を認めること。そして―――」
「まだあるのか!」
「ええ、これが最後になりますが、浅井家の一門からどなたか六角家に送ること」
「!!!それは人質を送れということか!つまり、従属しろと!」
「ええ、端的に言うとそうです」
「到底受け入れられるわけが無い!」
他の家臣たちも同じ思いなのか、俺を睨みつけてくる。広間に殺気が漂う中、俺は少し間を置く。
ちなみに俺の後ろに控えているのは、弥平次だけ。和丸は忙しくて来られないため、俺が全てをやるしかない。
「使者殿。その提案は到底受け入れるわけがありません」
「・・・確かにそうですね」
賢政の言葉に俺は同意する。本当にその通りであり、彼らの怒りは最もだ。
六角家からの支配から脱するために反旗を翻したのに、また元通りでは示しがつかない。
六角家からの要望はほとんど俺が言った通りのものだったが、一部は少し内容を変えている。
六角家としても戦をそこまで望んでいないので、ある程度は妥協するだろう。だけどまずは、六角家の面子のためにも無理難題を突きつける。
「何とかならないのか?」
久政の言葉に俺は考え込むフリをする。すでに答えは決まっているが、少し焦らすことも交渉術の一つだ。
「そうですね・・・関白殿下ならできなくもないかもしれません」
「具体的に分かるか?」
俺がまだ童であることを忘れて質問をしてくる。まあ、中身は大人だからな。
「謝罪の件と高野瀬秀隆の件については絶対だと思います」
「ああ、それは分かっている。犬上郡については・・・できれば話し合いたい」
「そうですね、国友がありますし」
国友は、戦国時代では重要な場所の一つだ。鉄砲作りが行われている場所であり、多くの戦国大名が発注をしている。
また鍛冶の町として、武具などを多く生産している。
「最後の人質の件。これはどうしても譲ることはできない」
これが最大の問題だな。両者互いに譲れないものだ。
浅井家は何としても六角家から離れたいし、六角家としたら浅井家を手元に置いておきたい。
ただ、少しは糸口があると思う。そもそも、今回の件で六角家は浅井家との関係を見直そうとするはず。これまでと同じようにしてまた反旗を翻されたら威信に関わるため、これまで通りにはしないと思っているだろう。
俺個人としても、浅井家は独立していてほしい。・・・今後のためにも。
とりあえずまずは相手の引き出しを見てみることにする。
「もし、仮に六角家が人質を要求しないことに応じた場合、浅井家は何を出せるのですか?」
「何かを引き換えにしないといけないのか?」
「当たり前です。六角家は従属していた家に独立されるのですから、面子を潰されるのです。それ相応の対価を要求します」
「・・・こっちは別に和睦だけが道じゃないんだぞ」
この期に及んでまだ強気か。
「では勝手に滅んでください。関白殿下は浅井家から多額の献金を受けているからこそ、救う手を差し伸べたのですよ。にも関わらずそれを振り払うおつもりで?」
「今のは戯言だ」
「そうですか、それで何を対価として差し出しますか?」
久政はしばらく考えた後、賢政の方を向く。意見を求められていると察した賢政は一瞬考えた後、口を開いた。
「やはり、犬上郡の割譲でしょうか?後は賠償を」
そうだね、土地か金での解決になるだろう。俺としては前者の方が交渉がしやすいと思っている。
「こちらとしても同じ考えでございます」
「犬上を渡さなければならないのか。国友があるというのに・・・」
「そうですね、国友は朝廷の管理にするのはいかがでしょうか?」
俺の提案に全員が首を傾げる。伝家の宝刀、”献上”だ。
「浅井家としても、六角家の軍備拡張を危険視されているのですよね?ですからそれが無いように、朝廷の管理地とするのです」
「帝のものになると?」
「ええ、ですが警備として両家が兵を出し合うのです」
「警備?」
「国友を一応賊から守るためです(本当に襲われるかは分からないけど)。国友は渡さなくて済みますし、六角家の面子もある程度は保てます」
「・・・・・・確かにマシではあるな」
っていうか、何で毎度毎度俺は朝廷に利を持っていっているんだ!また前嗣がウハウハになるじゃないか!
「和睦の内容として今ので交渉してくれないか?」
「ええ、それはもちろんでございます」
とりあえず久政は納得はしてくれたらしい。浅井家の全員が不安そうな表情を浮かべているが、俺としても早く終わらせたいから全力で六角家を納得させるつもりだ。
俺はその日の内に小谷城を発ち、観音寺城へと向かった。




