二つの宴
九月中旬 二条邸
「クソ、近衛の小僧め!やりやがった!」
二条家の屋敷では、晴良の大きな声での悪態が響き渡る。
あの集まりから七日。着々と葬儀及び即位礼の準備が進められていた。
葬儀はたくさんの献金(主に孫犬丸から)により盛大に行われることになっており、即位礼も献金のお陰で順調に、十一月に行われる運びとなっている。
「二条殿。随分のお怒りのようですね」
晴良の目の前に座る彫りの深い顔をした男が宥めるように言って酒を飲む。
「修理大夫殿には分かるはずがないだろ!あの場で麻呂は近衛に負けてしまった。これでは鷹司の件について不利になってしまう!」
修理大夫―――三好長慶に愚痴をこぼす晴良。すでに酔いは回っており、公家らしからぬ振る舞いも目立つ。それだけ、大きな出来事なのだ。
「そもそも、三好家が本来は負担するべきなのだぞ!足利将軍家は朽木に籠りっきりで当てにならんから、陪臣とはいえそなたたちを頼りにしている。にも関わらずどこの馬の骨かもわからない無名の者に先を越されるなんて!」
武家は公家以上に銭が必要なんだ、などとは口には出さずニコニコ謝る長慶。三好家にとって摂関家の一つが味方であることは、大きな恩恵を受けている。
そして、長慶も実は同じ気持ちだった。
大国である面目は潰れ、逆にけち大名などと噂されている。
実際は千貫ぐらいは軽く払えはするし、官位などを貰えれば普通にあと二千貫ぐらいは献金する予定だった。それがこの世の普通だからだ。皆官位欲しさに献金し、それは貴族たちも理解していた。
だからまさか対価もなしに献金するとは誰も想像できなかった。
それはある意味では不常識であり、ただ、責められることではなくむしろ褒め称えられるもの。
まして、自らの名前を告げないともなれば売名行為でもない。忠義の心だけで献金した。
そうなると民衆の目には名もなき献金者は忠臣や英雄に映り、三好は不忠義者や悪者に見える。名もなき忠臣は民衆の間では大きな話題となっている。
「どこのどいつなのだ!」
「某も探して入るのですが、ほとんど分かりません。ただ、推測するに若狭付近で活動している、最近清酒や家主貞良、石鹸を売っている商人たちで間違いはないかと」
「それほどまでに儲かるのか?」
「あくまで単純な計算でございますが、家主貞良や石鹸は五つで一貫はするのです。清酒に至っては一升瓶(一.八リットル)二つで一貫します。それを毎月二百以上も売っているのですから」
「最近は砂糖や椎茸、歯刷子なども売っている。そうか、そいつらならば可能か」
二人はしばし沈黙をする。そしてすぐに晴良が口を開いた。
「堺の商人はそれを黙認しているのか?」
「なにぶん尻尾が掴めないようで、圧力をかけれないとのこと。何よりも京を中心的に売られていたため気付くのに遅れ、調査を始めた頃にはすでに手のつけられない人気がありました」
「色々と融通してやったのに、こういう時には役に立たないか」
長いため息を吐きながら続ける。
「修理大夫殿、これ以上近衛らに勢いづかれたらまずいぞ」
「ええ、分かっております。朝廷での発言力を失いたくはございません」
「腰抜け将軍はどうなっている?」
「日に日に戦への準備をしております。おそらく数年以内には吹っ掛けてきます。ですが、適当なところで和睦しますよ。流石にこれ以上対立していては世間への対面が悪いですし」
「まあ、そっちはどうでもいい。それよりも若狭の方はどうするのだ?」
その言葉に長慶は目を少し瞑った後、意を決したように声を潜めた。
「ここだけの話ではございますが、実は裏で一色が若狭へ向けて動いております」
「一色が!しかし、攻め込んでも返り討ちに合うだけだろ?」
「いいえ、此度は念入りに仕組んでおります。本願寺と浅井、斎藤を動かして朝倉と六角の動きを封じ込めます」
「つまり麻呂に本願寺を動かせと」
「ええ、できればお願いいたします。某と本願寺は・・・色々とありましたからな」
遠い日を思い出すように目を細めたが、すぐに話を続けた。
「援軍の見込みがなくなれば、後は簡単でございます。一色と山名の連合を組めば大飯郡は取れると思われます」
「三好は入らないのか?」
「あくまで支援だけでございます。我々としては、丹波を安定させたいので大飯辺りさえ取ってもらえればいいので」
「だが、勝てるとは限らないぞ。後は大飯郡を取られたとなると、流石に六角や朝倉の援軍と共に奪いに来るだろう?」
「もし負けるようなことがあれば、その弱った一色を我々がいただくまで。一色が大飯郡を奪ったのなら、我々も介入して戦闘するまでです」
「それほどまでに安定せぬか?」
「ええ、国衆共が足元で暴れており他への出兵に影響が出ているのです」
二人は見つめ合う。
「まあ、事情は分かった。我が息子の九条家を通じて本願寺に打診してみる。だから、後のことは上手くやれよ」
「ええ、それが我家のためになるので」
「これ以上、近衛を勢いづかせるわけにはいかない」
晴良は月に向かって乾杯をした。
十月上旬 あの会議の後 近衛邸
「ホホホ!あの晴良の顔を見たか!豆鉄砲を食らった鳩のような顔を!実に滑稽だったぞ!」
愉快そうに笑う前嗣の頬は赤色に染まり、グビグビと酒を飲む。お祭り騒ぎに思われるが、まだ先帝が崩御されたばかりということで、屋敷の奥の方で喪服を着て宴を上げていた。
少し広めの部屋には五人。
近衛前嗣と久我通堅、二人の叔父に当たる徳大寺公惟、土御門有脩、そして明智光秀。
徳大寺公惟は元々は近衛家の生まれで、前嗣と通堅の父親の弟に当たる叔父である。最初は久我家に養子に入ったが、その後は清華家の徳大寺家の名跡を継いだ。
公惟だが、実は前嗣よりも一歳下の年下叔父となる。・・・この時代の親族関係は色々と複雑なのだ。
「前嗣殿、もう少し控えたほうが良いぞ。問題になるやもしれない」
「公惟殿は少々臆病だ。我々は今回の勝者であり、忠義者。多少は咎められないだろ」
「へへへ、天下で〜♪、一番偉いのは〜♪、そう!兄様なので〜す♪!」
子供なのにも関わらず酒を飲んで完全に酔っている通堅は、ふらふらな足取りで舞を舞う。なんとも洗練されているが、その声から出る微妙なリズムに苦笑いを浮かべる四人。
「十兵衛殿、このような場に参加していただきありがたく思う」
「徳大寺様!拙者のような者に”殿”付けなど無用です」
「いいえ、今回の献金は誠にあり難きこと。それに誠意で応じることの何がいけないのでしょうか?」
「拙者の功ではなく、主の孫犬丸様の功でございます!」
「そうだぞ、公惟殿。お主は些か生真面目だぞ」
「そういう前嗣殿は自由奔放すぎるぞ」
歳が近いため家柄関係なく話す二人。そこに、酔っている通堅が入り込んでくる。
「まあまあ、今日はめでたい日ですよ!もっと盛り上がっていきましょう!ねえ、有脩殿!」
「え、ええ、まあ」
有脩は親王殿下に直接言葉をかけられてから上の空状態。酒をちびちびと飲んでいるだけだった。
「晴良のあの顔をもう一度拝みたいものだよ!」
「・・・疑問なのですが、関白殿下はどうしてそこまで二条様がお嫌いなのですか?家同士が対立しているからなのか、はたまた個人的に嫌いなのですか?」
「愚問だぞ十兵衛!どっちもに決まっているだろ!あ奴に初めて会った時から嫌なやつだった。歳が上だから傲慢な態度を取りやがったのだよ」
キリッと光秀を睨みつけながら不機嫌そうに言う。そこに通堅が口を挟む。
「十兵衛さん、兄様の言うことはあまり気にしないでください。どっちもどっちなところがあるのですよ」
「何だと!」
「兄様も昔から怖いもの知らずな人でしたよ。似たもの同士だから毛嫌いしあっているのです」
「それは確かにそうだな」
「公惟殿まで言うか!」
不機嫌になり、露骨にそっぽを向く前嗣。それを見て光秀は想像していた関白のイメージとかけ離れていて、思わず苦笑いを浮かべた。
「賑やかですな」
「十兵衛殿から見てそう思われますか」
「ええ。お若いのに大きな家を背負っておられる方々。このように親族仲良く、賑やかにされているのに感心いたしました」
「そうですな、自分も前嗣殿も通堅も。全員まだまだ若輩者同士。だからこそお互いが支え合っているのです。自分は別に関白だの官位だのは望んでおりません。ただただ、平和な日常、皆が笑い合う日々を見ていたいだけです」
その言葉に感銘を受ける光秀。
「二人とも、コソコソ話をするな!今宵は宴!楽しく行こうではないか!」
前嗣の言葉に二人は顔を見合わせて苦笑する。二人とも改めて酒を入れて、一気に飲み干す。
楽しい宴は朝まで続くのだった。




