明智十兵衛光秀
「やっ、はっ、」
一人の青年が上半身をさらけ出し、汗を流しながら真剣に木刀を振っていた。目を瞑りながら綺麗な太刀筋で空気を切り裂く。
しばらくすると更に若い少年が側に寄ってくる。
「十兵衛様!」
「ふぅ〜〜、弥平次。様付けはいらないぞ」
「そんなことはどうでもいいのです!それよりも、黒坂様がお呼びでございます」
「???そうか、すぐに行くと伝えてくれ」
青年―――明智十兵衛光秀は汗を水で浸した布で拭き、すぐに着替えをする。借りている道場を出て黒坂家の屋敷に行くと、どうしてか主人はいそいそとしていた。
不思議に思った十兵衛だが、何も告げられずに広間へと連れてかれた。
「黒坂様、どういった御用でしょうか?」
「・・・・・・」
質問をしても何も答えてくれない。これ以上聞いても鬱陶しいだけだと思い、十兵衛もそこで聞くのをやめた。
広間へ入る前に「失礼のないように」と言われた十兵衛は黒坂に続いて中へと入る。
中に入ると十兵衛の目にまず入ってきたのが、見知った中年の男の姿。朝倉家一門衆の景紀。だが、そんな身分の高い人よりも更に上座に座る童に気が付いて、微かに驚く。
歳の頃は五、六歳。非常に落ち着いた雰囲気で、なぜだか十兵衛を見ると明らかに顔を綻ばせた。
「失礼します」
十兵衛はそう言って正座になり頭を下げる。黒坂は景紀の隣に座る。
「苦しゅうない、顔を上げてくれ」
「ははっ、」
顔を上げると相変わらずニコニコと笑う童。十兵衛は理由がわからなかったがとりあえず自己紹介をした。
「拙者、美濃国明智の生まれ、明智十兵衛光秀と申します。孫犬丸様におかれましては、」
「待て待て待て!どうして俺が孫犬丸だと分かったのだ?」
「?それはもちろん、左衛門尉様よりも上座に座られていること、若狭より武田家の使者として孫犬丸様が来られていることから推察しました。そして何よりお父君によく似ていらっしゃる」
「父を知っているのか?」
「お話したことはありません。ですが、拙者は小さき頃より土岐次郎頼充様に使えており何度か若狭へは行ったことがあり、何度かお目見えさせていただきました」
「ほぉ〜〜、聡明と聞いていたが、一瞬で俺の正体を当てれたか。流石だな!」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
深々と十兵衛は頭を下げた。
子供らしく首を傾げる孫犬丸。
「謙虚だな。ちなみに疑問だがどうして美濃の者がここにいるのだ?昨年の乱か?」
「!!!よくご存知で!拙者は頼充公が亡くなられた後、叔父の明智光安様に拾われて仕えていました。が、昨年の乱で我々明智は道三様に与して負けました。拙者は明智家再興のために・・・逃されました」
逃げることというのは武士にとっては恥以外の何物でもない。
「まあまあ、その話をすると暗くなりますから」
「そうだったな、左衛門尉殿。そうだ、最後に質問いいか十兵衛?」
「ええ、何でも」
「お前の両親は誰だ?」
「はっ、父は幕臣の進士氏一族の山岸信周、母は明智氏の出の者でございます」
「そうか、分かった」
その後、十兵衛は何故か和丸と呼ばれた少年と中将棋をする流れとなった。
中将棋は昔から敵無しであった十兵衛だが、十も年の離れた少年相手に苦戦を強いられた。それでも何とか勝つことができた十兵衛。少年の方はもの凄く悔しそうな表情をしていたので、少し申し訳なくなってしまった。
試合が終わってしばらく談笑した後、そのまま下げられた。
どうして呼ばれたのか分からないままだったが、質問する時間なく帰ることになった
「十兵衛様、どのようなご要件だったのですか?」
別の部屋で待機をしていた三宅弥平次が、屋敷を出てしばらくして質問をする。
「さあ、よくわからない。ただ若狭武田の孫犬丸様にお会いしたよ」
「え、あのあくび様ですか」
「弥平次、そのようなことを言うものではない。そんなのただの人伝の噂に過ぎない」
「つまり、本当は有能な方だったのですか?」
「・・・それは分からない。あまりお話はしなかったからな。ただ、不思議なお方だった」
「重政、明智十兵衛をどう見る?」
「どう見ると言われましても・・・しいて言うのなら、大変優秀な武士なのでしょう。中将棋もかなりの実力で、話によりますと和歌も公家らが絶賛するほど。綺麗な所作をしており、体格から見るに剣の腕も相当だと思われます。あくまで思ったことですが、その腕は某とあまり変わらない、或いはそれ以上かと・・・」
重政が詳しく意見を言ってくれる。
なるほど、俺のイメージ通りの第一印象だった。ただ、頭の中で想像していたよりも武闘派な見た目であることには驚いた。
正規の歴史の中の印象的に、武闘派や軍師と言うよりは外交官というのが強い。もちろん、戦では軍功を上げるほどの実力だが、それでも外交官としても多く歴史に名を残す。
教養の高さから公家にも人脈を築き上げ、幕臣や将軍と懇意にして。こういうところが彼の有能さの、人柄の良さが直結している。
「しかし、孫犬丸様。どうしてそこまであの者が気になるのですか?」
「それはもちろん、家臣にしたいと思ったからだ」
「・・・・・・」
何故か押し黙る重政は、後ろにいる和丸を一瞥してから呆れたように告げる。
「それを和丸の前で言いますか・・・」
「???」
理由がわからず和丸の顔をじーっと見てみると、どうしてだか目に涙を浮かべていた。
「どうした、和丸。どこか痛むのか?」
「孫犬丸様、和丸の気持ちを考えてあげてください。某相手でも負け無しであった和丸が久しぶりに負けたのです。しかも、そんな人を家臣にしたいと主君に言われてしまったら嫌に決まっています」
「・・・別に和丸を家臣から外すわけ無いじゃないか。そもそも使い方が違う。おそらく明智十兵衛は軍師というよりも外交官とした役割の方が役に立つ。今でも俺の軍師は和丸だけだぞ」
「孫犬丸様!!!」
俺の言葉で一瞬で顔をパッと明るくさせる。どうして六歳の童が元服した青年を励まさなければいけないんだか。
「はぁ〜〜。和丸、お前から見て彼はどう見えた」
「・・・奥底が見えない感じです」
「奥底が見えない?」
「はい、考えていることが掴めないのです。そういう意味では孫犬丸様の仰る、外交ということにおいては強いと思います」
そうか、和丸もそう見るか。
正直、明智光秀を手元に置くのはもの凄く怖い。家臣としてはSSR級の大当たりだが正規の歴史的には本能寺の変を起こしているような裏切り者だ。でもやっぱりその能力は欲しい。
「よし、登用しよう!すぐに黒坂と左衛門督様に使いを出そう!」
「本当によろしいので?」
「ああ、有能なやつはぜひ欲しいからな!」
「孫犬丸様がおっしゃるのなら、従います」
「すぐに交渉してまいります」
二人はすぐに俺の言葉に従ってくれた。・・・和丸は少し不服そうだったけど。
まず光秀を登用した黒坂備中守景久に会って、ぜひ光秀を欲しいと告げた。困ったような表情をして出された答えは、「殿のお許しが出れば」。
ということで義景に今度は話に行くと、「本人が望むなら」と簡単に言ってくれた。ちなみに、両者ともには交渉前に百貫ほどを渡していた。
流石この時代、賄賂が最強だ!
外堀を埋めた俺は、最後に光秀を勧誘するために屋敷へと呼び寄せた。
明智光秀についての出自は諸説はあります。
実は母親が若狭武田家の出自である、と知った時には驚きを隠せませんでした。何と孫犬丸の祖父である信豊の娘で義統の妹に当たる女性が、光秀の母であるお牧の方だとか!つまり、孫犬丸の従兄弟に当たるのです!
・・・・そうです、少し無理がある話なのです。ウィキにはあくまで”?”としか書かれておらず、実際はどうだったか分かりません。
そもそも光秀の生まれは一五二八(或いは一五一六)とされており、叔父に当たるとする義統が一五二六年生まれ。じゃあ義統の姉が母親に当たるのか、と考察すれば、以前書いたように義統が生まれた時には信豊はまだ十三歳。それでさえギリギリの年齢なのに、それよりも前に生まれているわけがない。
そうなると必然的に武田家と縁戚関係説は無いと考えられます。縁戚関係があったら孫犬丸は楽だったのに・・・。
その他の説も真偽は不明であり、総合的に考えてこの世界では幕臣の進士氏の一族であると考えます。(なおこの世界での信周は、進士晴舎という人物とは別人)