縁と祝
俺が席へと戻った後は、何とも言えない空気が三人の間に漂っていた。
子供である俺が六角を褒めた以上、貶すような発言をしたら器の小さな人だと思われる。だからか一斉に二人は六角家を褒めだした。
聞くに耐えない称賛を始めた時点で俺は別のところの会話に意識を向けた。
でもそれ以降は特に耳寄りな情報はなく、かと言って話し相手は重政以外いなかったので退席することにした。
俺は席を立って気付かれないようにそっと出る。
重政もそれを察して俺とともに退出する。
酒の匂いの籠もった大広間から出てすぐに新鮮な空気を肺に取り込む。中からはガヤガヤと話し声が聞こえてくるが、どれもくだらないものばかり。
待ち合わせの部屋へと向かおうとした時、不意に後ろから声をかけられる。
「お待ちください、孫犬丸様!」
振り返ると、そこには先ほど助けた六角家の名代の若い男がこちらへと近づいてくる。
「先程はお助けいただきありがとうございます」
「・・・何のことですか?俺はただ左京大夫様を褒めただけですが?」
「謙遜されるとは、噂とは全く違うお方です。あ、いえ、噂を信じていた訳ではないですが」
俺の後ろから怖い圧がする。重政の方は見ないでおこう。
「ご存知のとおり、我が六角家は現在難しい立ち位置にいます。ですから、周囲から言われることは当然ですが誰も庇ってはくれません。ですが、孫犬丸様は庇っていただいた」
「俺には難しいことは分からない。何せ六歳だからね」
そう俺が言うと若い男がにやりと笑う。
「ご謙遜を。どうです、この後ぜひお話をしたいのですが」
「生憎だが先客がある。またいつか機会があればな。兄上は六角の出だからもう一度会うことはあるだろうし」
「そうですか、それは失礼しました」
素直に頭を下げる。こういう強引ではない人には好感が持てる。
「お呼び止めしてしまい申し訳ありません。ただ、この御恩は忘れませんので近江に用があればぜひお迎えします」
「そうか、それはありがたい」
「!そうでした、名乗りがまだでした。某は六角家が家臣、日野城城主蒲生下野守定秀が嫡子、蒲生左兵衛大夫賢秀と申します。ぜひ、今後ともよしなにお願いします」
深々と頭を下げた後、大広間へと戻る賢秀。
「中々に律儀なお方でしたね」
「ああ。と言うか、六角家重臣の蒲生家か。不思議な縁になるといいな」
俺はそのまま約束した客へと会いに行った。
大広間を出て、屋敷の離れにある大きな部屋。
特に決まった用途のないその部屋へと入ると、すでに先客が五名いた。先程よりはマシにしろ酒の匂いが漂っている。
「犬丸、遅かったわね!」
皐月が干物を手に取りながら言う。
皐月の他にも、和丸、粟屋勝長、熊谷直之、そして重政の父親である内藤勝高が座っていた。皐月以外の全員がこちらに気付くと、姿勢を正して体を向けてくる。
「「「「孫犬丸様、御慶申し上げます」」」」
全員頭を下げて挨拶をしてくる。
俺はそれに返答した後、上座へと座る。
「勝長、直之。何故皐月と和丸、それに勝高がいるんだ?聞いていないぞ?」
「それは失礼しました。ですが、新年の祝いの席です。お許し願います」
まあ特に困ることがあるわけではないからな。ただ、勝高がいることには結構驚いた。
「突然参加して申し訳ありません。ですが、どうしても孫犬丸様から直接息子の話をお聞きしたかったので」
「ち、父上!」
すっかり難波江では大人として皆を率いていた重政だが、親の前ではまだまだ恥ずかしそうな顔をする。新鮮で見ていて嬉しい。
「まあ、重政はしっかりと支えてくれているぞ。流石俺の右腕だよ。でも、それだけを聞きに来たわけでは無いだろ?」
大広間では大きな宴会が開かれていて、それに内藤ら重臣三人はもちろん呼ばれている。
本来ならそちらに参加しているべきだが、わざわざ抜け出してでも話したいことが三人にはあったのだろう。
「そうですね、騙すような真似をして申し訳ありません」
勝長が頭を下げたが、気にしないように言って話を続けさせる。
「まずは、我々は感謝を伝えたかったのです。孫犬丸様よりお教え頂いた石鹸や家主貞良、清酒のお陰で領内が潤い始めています。
もちろん、知られぬように作っておりますので生産の量はまだまだです。が、それでも一ヶ月で一年間の年貢料と同じだけを稼ぐことができました」
「独り占めはしていないよな?」
「もちろんでございます。少しずつ周辺の信用できる領主に教えております。ですので、製法は未だに知られていないかと」
ならOKだ。それだけが唯一の気がかりだからな。
ちなみに彼らが作った製品は全て吉郎が――――改め俺が創設した吉郎がトップを務める商会によって買われている。
全ての売買権はこの商会が有しており、お陰で売上の二割は入ってくる。そのうちの三分の一が俺の下へと支払われる。所謂特許権だ!
もちろん正当な商会だからしっかりとした値段で買い取っている。
もしこの商会を通さなかった場合、全力で圧力をかけさせてもらう。二ヶ月前に勝手に売買していた豪族は、いつの間にか不敬罪で追放処分になった。
その影響でか、それ以来は勝手な売買の報告は受けていない。
「この若狭が潤うならそれでいい。引き続き頼んだぞ」
「「「ははっ!」」」
男三人が綺麗に頭を下げる。
「では、ここからはこの筑前守めがお話させていただきます」
筑前守とは勝高のこと。
内藤守護代家は代々この官位を名乗っている。
「二つございます。良い話と悪い話。どちらからお聞きになりますか?」
「悪い方は長くなるか?」
「・・・ええ」
「では良い方から」
まさかこんな聞き方をされるとは思ってもいなかった。
俺的には良い話を後から聞く派だが、話が長くなる悪い方を後にすることにした。
「それでは、一つ目の話なのですが―――」
チラッと重政を見てから続けて言う
「実はこの度、重政の婚姻が決まりまして」
「・・・・・・・・・はい!?!?!?!?!」
突然の告白に一瞬頭が真っ白になる。っていうか、今も頭がこんがらがっているのだが。
「待て待て待て。その話、いつからのだ?」
「実は一年前より考えてはいたのですが情勢が許さず。結果、今年の春の吉日に執り行いたいと思っております。孫犬丸様もぜひ、ご参加してください」
「あ、ああ。もちろんだ。重政、おめでとう」
「ありがとうございます」
決して喜んでないわけではない。無論、嬉しく思っている。だが、身近な、しかも女性とは無縁そうな重政が結婚するとは思ってもいなかった。・・・まあ守護代の嫡子で若くして戦功を立てて城主になり、しかも顔も整ったクール系。優良物件だ。
しかも、重政はもう今年で二十の立派な青年だ。
「相手は誰なんだ、重政」
「孫犬丸様にお仕えする前から共に育った、幼馴染でございます」
何と、この時代では良くある政略結婚では無いと。しかもその赤くなった頬。絶対相思相愛だろ!お幸せに!!!
「仲が良いなら何よりだ。まあそうなると俺の近習の任は―――」
「いえ、このまま続けさせてください」
「だがな、重政。お前もそろそろ勝高の後を継ぐために実家に戻った方がいい。城主の任まで解かれるわけではないから、難波江は和丸たちに任せればいい」
「某は城主に未練があるわけではございません。孫犬丸様にお仕えしたいのです」
もの凄く嬉しいことを言ってくれるが、その好意に甘えるわけにもいかない。内藤家の話に俺が入って良い訳がない。助けを求めるように勝高を見るとニコニコとしている。
「お気遣い感謝しますが、こちらは大丈夫でございます。むしろ、息子がそこまで強い意志を持っていることが誇らしいです。ですので、どうか重政をよろしく頼みます」
重政に続いて勝高も頭を下げる。ここで断ったら俺が悪者だな。
「分かった。俺としても隣に重政がいないと落ち着かないからな。となると奥方を連れて難波江に来てもらうことになるが・・・」
「そこはしっかりと説明しております」
すでに外堀は埋まっていたか。
「「「重政殿、おめでとうございます!」」」
皐月たちも祝いの言葉を重政に伝える。それを照れながら「ありがとうございます」と返す。
そんな祝福ムードが一段落すると、次には悪い方の話が待っていた。
「それで、勝高。どんな話だ?」
「はっ、一色と将軍家のことにございます」
一転して重苦しい空気が部屋を覆った。




