一五五五年 畿内
『さて、この若狭と周囲の取り巻く環境について白虎に分かりやすく説明していくぞ』
白虎のために、俺は直接脳内に喋りかけながら説明する。
俺が生まれたのが天文二一年、西暦一五五二年。
今は天文二四年、一五五五年。時の天皇は後奈良天皇、将軍は十三代目の足利義輝。
この時代の畿内(現近畿)は特に大荒れ。
管領を務める細川氏が分裂を起こし、敵対勢力同士がそれぞれ将軍を担ぎ上げ敵対。
そこに付け込むかのように下剋上を果たしたのが三好長慶。
三好家は元々阿波(現徳島県)の国人だったが、守護である細川家の下で勢力を拡大。長慶の父元長は家臣一の軍事力で功労を立て、それを引き継ぐかのように長慶も活躍。
主君からの裏切りを経験していた三好は一五四九年に下剋上を成し遂げる。
主君だった細川晴元は近江(現滋賀県)へと将軍義晴、義輝とともに逃げる。
代わりに共に戦った細川氏綱を細川家の主家に入れて傀儡政権を作った。
(細川家の中でも阿波家、野州家、和泉家といった分家がある中で、本家筋に京兆家があり代々管領をを務めてきた。この座を巡って長年対立。十八代目は三好長慶と組んだ氏綱になった)
とりあえず畿内は三好が力を付けていた。
主に畿内では和泉(現大阪府)、河内(同じく)、摂津(ほぼ現兵庫県)、山城(現京都府)、丹波一部(ほとんど現京都府)。他にも淡路(現淡路島)、阿波、讃岐一部(現香川県)などを有していた。
その他の畿内勢力は、大和国(現奈良県)を筒井家、紀伊国(現和歌山県と三重県一部)を畠山家、志摩国と伊勢国南部(現三重県)を北畠家、伊勢国中部を長野家、近江南部と伊勢国北部を六角家が、近江北部を浅井家、丹後を一色家、但馬(現兵庫県)を山名、播磨国(現兵庫県)を赤松家、浦上家、別府家が乱立している。
とにかくこの時期はややこしい。
全国を見ても小さな独立勢力が生まれるなどして全てを把握するのは難しい。
だから白虎への説明は近畿、そして若狭を取り巻く情勢についてを詳しく話す。
若狭国(現福井県敦賀市以西)周辺大名について。
西は昔より対立している丹後の一色氏、南には勢いのある三好氏。そして東には越前国を治める朝倉氏。
一色氏とは、若狭武田氏の歴史の通り対立関係にある。そして実際に何回も戦争をしている仲だ。
三好とも因縁の仲。
去年も逃げてきた細川晴元の要請で祖父である信豊が丹波へと出兵しているものの、三好長慶の家臣でかの悪名高い松永久秀の弟である松永長頼に敗れている。
その責任を取って、半隠居状態になった祖父に代わって父が代理当主に付いた。
三好とは数十年前から丹波で戦闘を繰り返しており、油断ならない。
最後に東に目を向けると越前の朝倉氏がいるが、こことはあまり大きないざこざはない。
ただ通常の歴史において朝倉氏の影響がこれから強くなってきて、最終的に乗っ取られてしまう。
こうして見るといつ滅びてもおかしくない・・・のだが。
更にここから若狭武田がいかに危ういかがよく分かる。
領内に目を向けると、これまた酷い。
有力な国人である守護代内藤氏、逸見氏、栗屋氏、熊谷氏と独立色が強い。
特に逸見氏は一五六一年に、栗屋氏も同年に反乱を起こす。
これには祖父と父の対立もあり、俺の父方の叔父に当たる元康が来年に祖父とともに、大叔父(祖父の弟)も加わる大きな内紛になる。
とりあえず父である晴・・・じゃなかった。
最近何故か史実よりも早く義統と改名したんだった。
この時代では結構名を変えることが多く、父も初めは信統、次は将軍より一字貰って晴信、それから義の字を貰って義統と変えていく。
俺が転生したから早まったのか?よくわからないが、とりあえず呼び慣れた名前になったのは良かった。
とりあえず、外は敵だらけで中は混乱。
そんな家に俺は生まれた。
「孫犬丸様。失礼いたします」
一通りの話を終えた頃、一人の若者が入ってくる。
「おお、くらのすけか」
襖を閉め、すり足で寄ってくる青年の名は内藤内蔵助重政。今年十八歳で一昨年元服したばかりの青年だ。
内藤氏は守護を補佐する守護代の地位におり、重政の父である内藤筑前守勝高は、俺の父の重臣だ。
内藤氏は武田家の分家で、俺の又従兄弟。祖父の弟が興した家となる。
重政は俺の身の回りの世話をする近習であり、良く部屋に訪れる。
「実は某の友をぜひ孫犬丸様の配下にしていただきたく参りました」
「はいか?」
そんなことを急に四歳児に言われてもな。
「入れ、和丸」
「は、はい」
そう言って入ってきたのは小柄な体つきの少年。そばかすのついた自信なさげな顔に、弱々しい体。
「ほら、自己紹介を」
「は、はい!せ、拙者、三方郡国衆が一人、三方弾正左衛門忠途が嫡男、三方和丸にございます!」
「みかたわまる?」
「そ、そうです!」
緊張しているのか硬い表情をする。
それにしても三方氏?聞いたこと無いような・・・
「孫犬丸様。和丸は今年で十三になりますが、非常に利発でこの歳で孫子の兵法を熟知しているのです」
「重政様、孫子の兵法というのは流石に四歳の―」
「何を言う、和丸。孫犬丸様も利発であられる。すでに字も読めるし、会話だって普通にできる。孫犬丸様、孫子を知っていますか?」
俺へと目線を戻す。
目の前で褒めないでくれ。中身は違うのだから。
「ああ、すこししっている。となりのから(中国のこと)のへいほうかだ」
「何と!知っているのですか!」
「すこしだ、すこし」
孫子の兵法は読んだこと無いが存在は流石に知っている。だから、ぜひ読んでみたいと思っている。
「孫犬丸様は最近読書に熱中されているからな!将来この武田家を継いで立派になられるお方だ」
何で重政が胸をそらすんだ。
「孫犬丸様!拙者は仕えてもよいでしょうか」
「ああ、かまわぬ」
「有難き幸せです!」
和丸が涙目になって勢いよく頭を下げる。
「和丸はきっと役に立つと思います。和丸、しっかりと奉公するように」
「はい!重政様」
「その呼び方はやめろ」
「では重政殿?」
「ああ、それでいい」
俺への用事が終わると、途端に友人同士の会話をしだす。
俺はそれを無視して立ち上がる。
立ち上がると言っても体は動きについていけず、ふらふら歩きになる。
それに気づいた重政は急いで俺のもとに駆け寄ってきて抱きかかえる。
「どちらまで?」
「しょもつこまで」
「分かりました」
俺は抱きかかえられながら、目的地へと行くのだった。
※本来は孫犬丸の父である武田義統は信統→晴信→元栄→義信→義統と改名しており、義統と名乗るのは1561年とされています。が、ここではややこしいので早いうちに義統と改名したことにさせていただきます。
こちらの都合で申し訳ありません