いざ難波江へ
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弘治二年 一五五六年 四月 若狭国
俺は今、後瀬山城から去ろうとしている。
重政と和丸、その他十数人の武士を引き連れて後瀬山城から少しずつ遠ざかっている。
重政の乗る馬の前に座りゆっくりと進んでいく。
俺は馬に揺られながら腰にかけている腰巾着を取る。そしてその中に入っている青い手のひらサイズの少し大きめの玉を見つめた。
「それは?」
「お祖父様から貰ったものだ」
重政の質問に答える。
青く黒ずんだ玉は真ん中に『童』の字が刻まれていた。
数日前、国外追放となった祖父から突然送られてきたこの玉。
手紙には数代前から伝わる若狭武田家の家宝だとか。一体何なのか、真ん中の字はどういう意味なのか。分からないが、祖父から渡されたものだ。大切に持っておくことにした。
さて、若狭の乱が終わって一ヶ月。
乱の処理に父たちは追われている中、俺は自由に過ごしていた。
そんな中、突然父に重政に付いていくように言われた。
重政は山県氏当主をこの前の戦いで討ち取った功で、大飯郡青保郷難波江城の城主に任じられたのだ。異例の抜擢かもしれないが、それだけ人が足りないのだ。
もちろん、重政は将を討ち取った功と守護代家の嫡男であるということを鑑みての抜擢だ。
ちなみに難波江城が支配する地域はもともと大草氏が支配していた。大草氏は奉公衆(室町幕府の将軍家直属の武士。各地で幕府領の管理をしている。)として難波江を支配していた。
が、今回の乱でどうしてか祖父側に回った。大方有利と判断して私利私欲で参加したのだろう。だけど味方であり自分の領地の隣の逸見昌経が誅殺され、逸見氏がほとんど寝返った結果不利となり、処罰を恐れて一族は散り散りに去ってしまった。
結果、難波江は戦をすること無く手に入れたのだ。
その後ここをどうするかで議論されたらしい。
難波江は隣の丹後国に近く、北には内浦湾と呼ばれる漁業が盛んな場所がある。そこは武田家が抑えてあるが、その内浦湾と近くの大きな城下町である高浜を結ぶ大事な場所。
そこで抜擢されたのが重政というわけだ。
ただどうして俺も同行する羽目になったのか。
理由は二つ。
まずは支配を強化するため。
ちなみに逸見の領地は大幅に削られ、高浜一体は帝の直轄になった。そこは土御門家の現当主の弟、土御門有政が治めることになった。
その他の土地は、逸見氏と武功を上げた武将へと分けられた。逸見氏は実質三分の一まで領地を減らされた。
そして難波江は丹後に近いということで、信頼できる人であり周囲を監視するためという理由から嫡男である俺も行くことになった。
要は支配を強めるために利用されたのだ。
もう一つの理由は、俺を外に出すためだそうだ。
義統が名将と評価されていく中で嫡男である俺の悪い噂が自然と広まっていったらしい。無能だの引き籠もりだの。まあ、実際外に殆ど出ていないからな。
結果、それを耳にした義統が自分の名声を気にして俺を追い出すことに決めたらしい。
いや、俺は五歳だぞ!
少し義統の名を売りすぎた。俺に同じことを求めるようになったらしい。
ちなみに何故か龍水丸の名声も上がっているらしい。それが関係あるのかは知らないが、龍水丸は東の加茂城の城代に任じられた。もちろん、サポートとして馬杉と黒田も一緒だ。
あっちはもう十四歳になっているから、まあ城代に任じられるぐらいは非難されないか。
さて、ということで俺は主にこの二つの理由から親の付き添いのないまま僻地に押し込められた。本当にひどい。・・・まあ、気楽ではあるけど。
難波江は前世では高浜町に属している普通の場所だ。
特徴は・・・俺の印象では無いと言わざる終えない。
でも、今の時代は内浦と高浜を結ぶ重要な場所ではあるから多少は発展している。
どうして俺は今回の事に怒っていないのかと言うと、これでやっと気楽に内政ができるから。
後瀬山でやるとどうしても目立ってしまうが、僻地でならバレずに色々とできる。
難波江は四方を山に囲まれており、川も流れ、海も目の前。隣には高浜と京を結ぶ若狭街道があり、交通としては中々発達している。意外にもいい立地ではある。
ここでなら、したい内政ができる。
道中は、途中途中で挨拶を受けながらゆっくりと進む。今はまだ田植えの時期のため青々とした田んぼしか見えない。
雪はほとんど溶けて無くなっているが、それでも肌寒さはまだ残る。
道中ではよく商人や農民とすれ違う。農民の人々は思ってた以上にはやせ細ってはおらず顔には笑顔があった。それを見ると、自分がしたことが間違っていなかったと嬉しくなる。
商人たちからは情報などを聞いて回ったが、特段大きなものはなかった。
西へ西へ行くにつれて少しずつだが人通りは少なくなる。
やはり若狭の中心は小浜であり、そこが一番栄えている。高浜も立派な城下町ではあるが、それでも江戸時代にならないと発展しない。
一方で農民よりも漁師はよく見かけるようにはなる。
小浜を含む東が海外などとの貿易の拠点とするならば西は漁業が盛んな土地。
まあ、若狭国自体が日本海とリアス式の恩恵を受けている漁業の場所だ。製塩も古くから活発であり、海の幸が多い。
特に鯖漁が凄く、京都へと一日で送られて庶民に非常に人気。鯖を輸送するのに使われることから、若狭街道の別名は鯖街道。複数の道から塩でしめた生サバを一日で輸送されると、ちょうどいい塩加減になっているとか。
ちょっと想像して思わず涎が垂れそうになる。
もちろん小浜も鯖漁は盛んであり、俺も何回も食べたことがある。だが、それに高浜も負けていないだろう。
高浜で一泊して次の日には難波江城に着いた。
難波江の町は二つの山に挟まれた谷に位置しており、そこから北に数百メートル離れた山の上に城が築かれている。
その難波江城の北の麓にも小黒飯と呼ばれる小さな漁村がある。
難波江とは山一つ挟んだ場所に小黒飯はあり、本当に僻地。
難波江に農地はあるにはあるが、やはり漁師が多い。
着いた俺らは時間があるということで村のお寺へ参拝し、城へと向かった。
すれ違う人たちは刀を持っている武士たちの集団ということもあり、怯えたように端によって頭を下げる。
城の麓に着きやっと長い長い旅が終わろうとしていた時、何故か悪寒が走った。
俺は正面の出迎えに来てくれた城の兵の中で、異様な雰囲気を醸し出す一人の少女を見つけた。
歳は十代前半で端正な顔立ちに特徴的な前髪の一筋の銀色の髪。
何より着用している服が明らかに周りと違い、浮いている。
後ろに控えている武士たちも、他の兵に比べて屈強でよく鍛えられている。
だが、そんな彼らを超えるようなオーラを纏っている少女に目を向けざるおえない。
『主、注意した方がいいぞ』
言われなくても警戒している。ていうか、重政たちも警戒心を剥き出しにしている。
本来なら出迎えだけのはずなのに、ピリピリとした空気になってしまった。それを感じ取ってか、はたまたただ無神経なだけなのか。
少女が一歩前に出て元気よく名を名乗る。
「そんなに警戒しなくていいわよ。私の名前は土御門皐月!貴方たちの主君に会いにここに来たの!」




