説得 (武田信豊)
孫である孫犬丸が儂に会いに来た。
その知らせを受けて、私室にいた儂は耳を疑った。
どうして敵であるはずの孫犬丸が?あの義統の策か?それとも、孫がわざわざ会いに来たのか?いや、後者は無いだろう。そんなことをあの義統が許すはずは無い。
息子と対立し始めたのは数年前からだろうか。まあこれは若狭武田の、いや儂の宿命ということだ。従弟と対立し、息子とも対立する。それに思うことは無い。
ただ、儂らの争いに巻き込まれる孫を思うと心は苦しく思う。何も知らないで、幼いながら身内同士での戦が起こる。
だが、それがあの子の宿命だ。この時代に生まれた以上、戦乱の世で生きていかなければならない。そんな宿命を背負っている。
・・・あの孫犬丸か。
よくわからない子供、という印象だ。別に何かを積極的にやっている訳でもなく、目立ったことをしていない。ただ、喋ってみるとその大人っぽさが分かる。早熟という言葉では表わせられない。とにかく不思議な孫だ。
「大殿様。いかがしますか?」
知らせを伝えに来た小姓が儂の返答を待つ。
「広間に通せ」
「はっ!」
「会うのは二人っきりでと伝えよ」
「はっ!」
儂の指示を聞いて小姓は下がる。
孫犬丸に最後に会ったのは昨年の年始だろうか?住むところも離れておるし、義統があまり会わせようとしてくれない。だから久々ともあり、心が踊っている自分がいる。
儂は着替えて、孫犬丸が来るまで待った。
広間で待っていると襖がスルリと開く。儂は少し身構えながらも背筋を伸ばす。
「孫犬丸、久しいな!」
すり足で濃の前まで歩いてくると、綺麗な姿勢でその場に着座する。とても五歳児とは思えないが、今は気にするべきではない。
「お祖父様、この度はお目通りを叶えていただきありがとうございます」
「そんなかしこまらなくて良いぞ。儂とお前は敵対し合っているとはいえ、血の繋がった家族じゃ」
「それは、失礼しました」
物分りの良い子で何よりじゃ。あの頑固な息子の子とは・・・・いや今は息子の悪口じゃない。
「それで、どうして儂のもとに伴を二人だけ連れて来たのじゃ?まさかこちらに付くと申すのか?」
「いえいえ、そんなことはしません。負け馬に乗るほど、判断を鈍らせてはございません」
最初から煽り口調の孫犬丸。
この孫、わざと儂を切れさせようとしている。言葉の端々から何度も経験したことのある煽り臭が漂っている。だが、儂は大人じゃ。これぐらい、簡単に躱せる。
「早熟な孫だと思っていたが、違うらしいな。口だけが先に育ってしまったらしい」
「そうかもしれませんね。逆にお祖父様は、大変ですね。頭から先に退化されるなんて」
「何だと?」
「こんな無謀な戦を始めるなどと、どうやらお祖父様はボケてしまわれたのかと思ったまでです」
流石にその言葉に儂はワナワナと震える。
「小童が偉そうに言うな!儂は何十年もこの戦国の世を生き抜いているのだ!それで判断を見誤ったことはない!」
「一昨年の丹波出兵も?」
「ぐっ、いや」
痛いところを突かれる。
「あれは義兄である細川右京大夫(晴元)様の要請で仕方なくだ!当主としての色々な関係があるのじゃ」
儂は何とか反論するが、依然として孫犬丸はこちらをまっすぐと見つめて全く動かない。
「十数年前にも負けたというのに、無駄に兵を動かして民を疲弊させるのが領主の仕事ですか?正直、管領職を追われた晴元様に何の価値があったのでしょう?今では近江の朽木で打倒三好などと騒がれていますが、本当にできると思っていますか?さきの戦はただただ三好との緊張が高まっただけ。それは本当に意味のあったことですか?」
孫犬丸と合う目を逸らすわけにはいかなかった。そうでないと、自分の非を認めることになる。いや、元から知っていた。自分にはこの世を生きていく才がないということを。
あの時、他国に幾度も無駄な出兵をして従弟と対立した時。あれが何よりもの儂の凡将としての証拠である。それを儂は分かっておきながらも、どこかで認めたくなかった。
そんなことを、誰も言わなかった。儂にそんな無礼な指摘を出来るのは親族だけであり、あの息子でさえ儂のことを昔はあまり悪く言わなかった。それだけ当主という椅子は強い。
それなのに、儂が隠居したとはいえ堂々と儂を非難する目の前の孫には驚きを隠せないでいる。
「儂が無能であると?」
「そこまでは申しません。ですが、もし有能な当事者であればこのような不毛な内乱を避けるでしょう」
その通りである。
この戦はまさに不毛。戦力が互角な以上いつ決着が付くかもわからない。それはつまり民たちを苦しめることになるのじゃ。
今回の儂の行動はただ義統が気に食わなかっただけ。他国から干渉を許そうとする息子を懲らしめるため。
そんな自分の独りよがりの行動で若狭を巻き込んでしまっている。
根本的な領主としての心構えを忘れておった。それをまさか五歳児に気付かされるとは。
「孫犬丸は、この戦を止めれるというのか?」
「ええ、お祖父様が降伏をしてくださるならば今年の春には戦を終えられます」
「今年の春だと!」
そんなに早く終わらせることが出来るのか?こんな大規模な内乱を!
「驚かれるのも無理ありませんが、確信はあります。こちら、粟屋勝長の裏切りの手紙です」
懐から出された文を貰う。そこには紛れもなく粟屋家の家紋が入っており、中身にはしっかりと家臣一同と当主の誓紙であった。
そして、一番下の方に一言書かれていた。
『どうか、ご賢明な判断を』
見慣れている勝長の直筆。
そうか、あやつは儂を見限ったか。
「それとお祖父様、これを」
もう一つ渡された紙を恐る恐る読むと絶句してしまう。
「まさか、あの逸見が・・・」
そこには三好を牽制するために大飯郡を任せた逸見昌経が三好と内通をしているという証拠が書かれていた。
「そこに書かれていることは事実であり、嘘ではございません」
「・・・大丈夫だ。疑ってなどいない」
ただ、自分の人望のなさに心を砕かれた。信じていた重臣二人に裏切られたとは。
・・・あれだけ決心して内乱を始めたというのに、目の前の孫一人相手に僅かな時間で揺さぶられる。
どう考えても目の前の孫を言い負かすことなど出来ない。
「孫犬丸、お前は儂にどうしてほしいのだ」
とりあえず聞いてみる。そう、儂は交渉席に乗せられたのだ。自ら、それを望んでしまった。
待っていましたと言わんばかりにニッコリと笑う孫犬丸を見て、思わず悪霊に取り憑かれているのかと疑いたくなる。
「要求は四つ。一つはお祖父様の降伏と城の無血開城。二つ目は逸見昌経の誅殺。そして三つ目はお祖父様からそちら方の将への降伏勧告。そして四つ目は、責任を取って断髪をして国外追放されることです」
予想通りの要求が返ってくる。どれも当たり前のものだ。儂が国外追放されるのも当然のこと。
「・・・いつ、返答されますか?」
ここで返答を伸ばしてじっくりと考えたい所だ。だが、それでは戦が長引くだけ。
最後に元当主として、やらなければいけない。
それがこれまで行ってきたことへの償いになるかもしれん。
「孫犬丸、一つ聞いていいか?」
「何でしょう?」
「お前はこれからこの国をどうしていきたい?」




