交渉②
「・・・と、行きたいところだがまずはこちらからの土産を渡さなければ」
「土産ですか」
「ああ。重政、出せ」
そう言うと、重政が側においてあった袋を開ける。
中には二つの四角い木の箱があり、そのうち大きい方をまずは勝長に渡す。
「それは何ですか?」
「某には分からないのですが・・・」
「その四角い箱に入っているのは石鹸というものだ」
「石鹸?」
この時代の人々は石鹸を知らないのか。まあ、だからこそ土産としてちょうどいい。
渡された箱を恐る恐る開ける勝長。開けた瞬間、感嘆の声を上げる。
「おお、これはいい匂いだ!」
「ああ、そうだ。梅花空木の匂いだ」
梅花空木とは日本の固有の花木。本来は春に咲く花だが、流石守護家なだけあって乾燥させた香り付けのものがいくつかあった。
「匂いはいいのですが・・・この四角い石はなんですか?」
「それが石鹸というものだ」
「石鹸?」
「ああ、体を清潔にできるものだ」
「なんと!噂でしか聞いたことありませんが、南蛮人たちが体を綺麗にするために使っているというものですか!」
この時代、石鹸はまだ日本にはない。正確には殆ど知られていない。ヨーロッパで盛んに作られているため、鉄砲伝来とともに輸入されてきたばかり。しかも高価ということで一部の大名などしか手を出せない高級品。
「これは奥方にも喜ばれるぞ」
「そ、そうですが・・・どうしてこれを某に?その〜ものすごくお高いものではありませんか」
「心配ない。俺自身が作ったものだ」
「「作った!!!!」」
勝長と重政の声が重なる。
「簡単だ。油や灰などを使って二ヶ月前から作っている」
「そんな単純なもので・・・」
「まあ、製造技術は秘密だがな。もしこちら側になるなら融通するぞ」
「・・・すでに交渉に入っていると」
「さあ?」
まあ、まだまだ序の口だ。
「これは某が頂いてよろしいので?」
「ああ、そうだ。近々量産できるようにして帝への献上品にするつもりだ」
「そうですか。少し心が揺らぎますな」
やはり簡単には折れてくれないか。
「ああ、そうだ。これも土産として持ってきた」
そうして俺はもう一つの小さめの箱を開ける。すると中からほんのりと甘い香りが漂う。
「こ、これは何なのですか?甘い良い香りがするのですが?」
「これは、家主貞良だ」
「こ、これが噂の家主貞良ですか!」
「そうだ。南蛮人の国で作られたあの家主貞良だ」
「こ、こんな高価なものを某に・・・」
「いや、これも俺が作ったものだ」
「こ、これも孫犬丸様が作られたものなのですか!」
先程よりも更に驚く。
「ああ、そこまでは難しくないし、工夫すれば安く手に入る物で作ることができる。まあ、作り方は秘密だがな」
「・・・そうですか」
砂糖や卵、麦粉などを使って作ることができる。オーブンがなくても鍋で焼くことができる。もちろん俺の知っているカステラではないが、香りとふわっとした感じはどこか懐かしさを感じられる。
「これもいつかは朝廷に献上しようと思う。これも作り方なら教えて構わん。どうする?」
明らかに心が揺らいでいる表情をする勝長。先程までの余裕のある笑顔は消え、真剣な表情を浮かべる。
「この石鹸と家主貞良だけでももの凄い価値がありますな。領内で量産できれば若狭に多くの商人が来るかもしれません」
「そうだろう。まだ作りたいものもいくつかある。それらを売れば多くの銭が入る。それを使って若狭を発展させればより良い暮らしになっていく。どうだ、魅力的だろう?」
考え込む勝長。敢えて俺がこの知識をどこで知ったのかは聞いてこない。
「心は揺らいでおりますが、これでも一城の主であり武士でもあります。信念を持って今回は反旗を翻しました。もうあと少し背中を押していただければもしかすると・・・」
こいつ、まだ何かを欲しようとしている。こういうやつが狸親父と呼ばれるんだな。
「いいだろう。まず、俺がこれから行う策を話そう」
「ほう」
「孫犬丸様!」
「心配するな重政。説得できる自信がある」
「・・・分かりました」
重政を宥めて話を続ける。
「まず父上は懇意にしている朝倉家或いは六角家に援軍を要請しようと考えていらっしゃる。ただ、それはお主にとってあまり良くないことだろう。お前は他国からの干渉を嫌っている。違うか?」
「・・・・仰るとおりです。若狭は守護家そして国衆からできているもの。国衆を蔑ろにするような伊豆守様の行動に我慢ができなかったから今回の行動にでたのです」
「俺もあまり他国からの干渉を受けてほしくない。だからこそ―――」
俺はその後重政たちに話したあの策を伝えた。
「一つだけ、進言があります」
「何をだ?」
「昌経殿と某は戦場を共にした仲なのです。できれば追放だけとはいきませんか?」
「それは無理な話とお主も分かるだろ?」
「・・・三好に使われるのがオチですか。ですが、あの昌経殿が。確かに怪しい部分もありましたが」
「しっかりと調べてから殺すつもりだ」
「・・・分かりました。いくら戦友だろうとこの若狭を脅かす者への容赦はいりません」
納得してもらって助かるな。
「それでだ。こちらから提案できる最後の切り札は、お前を粟屋家本家に任命することだ」
「・・・・・・」
こちらをじっと見つめる勝長。
実は勝長は粟屋家本筋ではない。本筋である右京亮家は一五三〇年代に最盛期を作り上げた粟屋元隆が祖父である信豊ではなく、その叔父を擁して謀反を起こして討伐され、没落した。勝長の越中家はその分家だと言われている。
右京亮家は辛うじて白石山城などで生き残っているが昔ほどの勢力もない。
戦国時代で本家という言葉はある程度大きな意味を持つ。だからこそ勝長も本家という肩書を欲しているだろう。
「右京亮家はすでに没落していて粟屋本家と名乗るのはおかしいと思っているのだろう?今回の件も、お祖父様からの褒美の一つはそれなのだろ?」
「・・・ご明察です。官位も貰えると言われましたよ」
「それぐらいなら父上にも伝手はある。何より朝廷に領地を献上したとなれば、もっと早く高い官位を貰えるかもしれない。こちらに付くことをお勧めする」
こちらが提案する札は全て出し切った。後は勝長がどう判断するかだ。
自信はあるが、確証はない。天のみぞ知る、だ。
「では、二日―」
「孫犬丸様。答えはすでに決まっています」
「・・・家臣たちと相談しなくて?」
「心配いりません。否とは申させませんから」
「で、どうする?」
「もちろん、孫犬丸様、いえご当主、武田伊豆守様へ寝返らせていただきます」
僅か一刻の間に寝返らせることに成功させてしまった。
深々と頭を下げる勝長。それに続くように他の家臣たちも頭を下げてくる。
一人、又右衛門と呼ばれていた家臣が渋るように勝長を見ていた。だが、その目線を受けた勝長は声を低くして言う。
「又右衛門。俺の言うことが聞けないのか」
「・・・分かりました」
これで粟屋家は全てこちらについたことになる。後は熊谷と祖父だけだ。




