孫犬丸と義賢
近江国観音寺城
「お久しぶりです、六角承禎様」
俺は丁寧に頭を下げて挨拶をするが、誰も何も返してこない。むしろ承禎(義賢)は顔を赤くさせて頭の血管が浮き出ながら睨みつけてきて、傍に控えている家臣たちも片わらに置いてある刀に手を乗せている。
今回の北近江への出兵の説明を六角家から求められた若狭武田家。本当は父と義頼が向かう予定だったが、どうしてか俺が指名された。
父はだいぶ渋ったが六角家も頑固で、守護代である内藤勝高と熊谷直之が一緒に行くということで折り合いがついた。
十歳の俺が六角家の圧に負けて不利な約束をしないための保険だからな。まあ、二人共俺の裏の顔を知っているから問題はない。
「・・・・・・」
言葉を発さずにただただ睨みつけてくる義賢に、さすがの勝高と直之も少しビビっているようで、後ろをちらりと見てみると冷や汗をかいていた。
相手は格上の、しかも名門の大名の当主だから。
義賢の傍にいる家臣たちは、前回とほとんど変わらず。蒲生定秀に蒲生賢秀、平井定武。それともう一人だけ渋い顔の男がいるが、事前情報だと後藤賢豊だと思われる。
「どうしたんですか、皆さん怖い顔をして?」
「「孫犬丸様!」」
俺が丹後侵攻中にやったことを知っている二人が、青い顔をして諌めてくる。別に俺は悪いことをやったわけではなく、浅井家を攻めないとは一言も言っていない。ただ北近江に攻めただけで、斬られるような事は何もしていない。
・・・まあ、俺も内心で心臓がバクバクだけど。
「久しぶりだな、孫犬丸」
低い声でゆっくりと喋る義賢。俺も冷や汗をかきながら次の言葉を待つ。
「どういうつもりで浅井を攻めた?」
「某に聞かれましても分かりませんよ。ただ父が言うには京極家を助けるためだそうです。まあそれはただの大義名分に過ぎず、あくまで領地を広げるためです」
「浅井家は一応は六角家の従属な立ち位置だぞ」
「それなら六角家が浅井家を攻めるのはおかしいのでは?」
俺の言葉に一度押し黙る義賢。流石に浅井家は自分の庇護下だというのは無理のある言い分だ。
「貴様はいつから構想していた?」
「え?何のことですか?」
「いつから浅井家を攻める策を立てていた!」
「某のような童が、そのような事出来るわけ無いじゃないですか」
「黙れ、そういう御託はいい!教えないと言うなら斬り捨てるぞ!」
うっ、流石に切れている。このままはぐらかしていたら命が危ない。
「・・・最初から計画をしていたわけではございません。ただ、もしもの保険をかけただけです」
「保険だと?」
「ええ、最初から狙っていたわけではないんです。ただいつか攻めるときに備えて、前回某が介入して六角家と浅井家の和解をして、その間に浅井家の内情を調査、ついでに軽い内部分裂を起こさせたのです」
「貴様・・・」
「六角家が取ろうと、浅井家が取ろうと、あまりどうでも良かったのです。あくまでも、もしもに備えていました。・・・ですが、そのもしもが起きてしまい仕方なく動いたのです」
出そうになる言葉を堪えるような顔を浮かべながら、俺の話を聞く義賢。
「何故動いたのかと言うと、織田家が危険と判断したから。織田家が今川家に勝ち今川家当主が戦死、配下豪族であった松平家が独立。そして現在、織田家と松平家は同盟を組んでいます」
「それが浅井を滅ぼしたことにどう繋がる?」
「織田家の次なる目標は美濃の斎藤家。ここは当主である斎藤義龍が亡くなり、次期当主には嫡男の斎藤龍興が就きますが・・・・器量は良しとは言えません。東が安全になった織田家は好機とばかりに美濃取りを始める。ただそこで不安なのが六角家の援軍」
「浅井家と同盟を結ぶことで、我々の援軍を牽制するのが目的と言うのか?」
「織田家としては斎藤家を挟み撃ちにできて六角家に牽制を入れられる浅井家はうってつけ。浅井家も美濃を取った織田家と組めば六角家との戦を優位に進められる。軍事同盟、或いは婚姻同盟を画策するかもしれません」
「つまり貴様は、それを見越して浅井家を滅ぼしたと?」
「詳細は言えませんが、織田家が大きくなられては困る。だから、それを止めるために動いたのです」
俺の言葉に嘘は含まれてはいないが、明らかに意味不明なまさに暴論。ちゃんとした理由を説明できないので(どうせ理解されないし)これ以上は答えられない。
「貴様は未来が見えるのか?」
「はい?!」
「言っていることは意味が分からず、答えになっていない。だが嘘を言っているふうには見えないし、確かに織田が浅井と同盟を結んで美濃を取ることは考えられる。だとしたらそれを松平が独立をしていない、織田と松平が同盟を結んでいない、斎藤義龍も死んでいない去年から見通して浅井家を取る策を立てたのか?」
ギクッ!確かに今回の作戦は去年の夏頃から立て始めているから、未来を見たのかと言われればそうなるかもしれない。実際未来を知っているし。
「え、ええ、まあ、友人に腕の立つ陰陽師がいるので」
皐月、言い訳に使ってすまん!
「まあ、いい。貴様が普通の童では無いことぐらいは分かっているからな。これ以上追求しても何も出てこなさそうだし、益々理由が分からなくなるから、ここらで止めよう」
「そう言ってもらえると助かります」
ふぅぅ〜〜〜、とりあえずは斬られずに済んだ。
「だが、ここでこちらが何も得ずに貴様らを返すわけには行かない」
まあそうだよね。狙っていた獲物を関係のほとんどない、しかも自分たちよりも小国に奪われたのだから、怒っているのだろう。大国としてのプライドもある。
クソ、若狭武田家はまだまだ小国なんだな。
「ええ、もちろんこちらとしても六角家とは揉めたくありません」
「それで、何をくれる?」
「そうですね、まずは坂田郡を全てお譲りします」
「!!!全てこちらが貰って良いのか?」
「父は少し渋っていますが、まあ大丈夫でしょう。それとこちらの条件を飲んでいただけるのであれば、浅井郡の一部もお譲りします」
「!?!?!?何を要求する?」
「我々のことに一切口を出さないこと。どこを攻めようと、誰を匿おうと一切追求はしないでください。あ、もちろん将軍を倒すようなことはしません」
俺の発言を受けて、蒲生定秀と後藤賢豊が刀を持ったまま立ち上がる。定秀は俺をじろりと睨みつけながら怒声を浴びせてくる。
「貴様、六角家を侮っているのか!浅井の小倅は何処にやった!」
「浅井の小倅?はて、誰のことでしょうか?」
「惚けるな!武田家など、我らの手にかかればすぐに滅ぼせるのだぞ!」
「下野守、落ち着け。前回も同じように煽られているぞ」
義賢が諌めたことで、二人は刀を置いて座り直す。
「一応聞いておくが、浅井の小倅たちはどう使うつもりだ?」
「・・・・・・」
「まあいい。こちらに手を出してこないというのであれば見逃す」
「「殿!」」
「何よりも久政の首のほうが大事だ。浅井の小倅は仮にも偏諱を与えて一度は親子になったのだから、何処で生きてようが、何処で野垂れ死んでようがどうでもいい」
義賢が賢政に固執をしていなくてよかった。これで浅井兄弟の命は奪われずに済んだ。
「それだけか、要求するものは?もう少しぐらい要求してもいいぞ」
どうやら土産は喜んでくれたらしい。まあそうだろう、ほとんど兵を出していないのに浅井家領の約半分近くを手に入れられるのだから。まあ、こうまでして機嫌を取っておかないとな。喧嘩はできないから。
「高島郡の中での領土の境は、百瀬川(田屋城南を流れる川)を基準になるのですか?」
「そうだな、ちょうど田屋氏の支配とこちらの支配の境界線だ。だがどうしたい?」
「石田川までください」
「貴様!!!」
いよいよ斬りかかってきた定秀だが、息子の賢秀によって羽交い締めにされて止められる。
「孫犬丸殿、あまり父を煽らないでください」
「すみません」
まあ怒っているのは定秀だけではないだろう。
なにせ高島郡の石田川までとなると、数万石は増えることになる。そこには六角家からの代官がいる地域で、正式な六角家の土地ではないものの、ほぼ六角家のものと言って良い。
「図々しいやつだな」
でも、正直そこまでは貰いたい。
現在、近江国と接している若狭の領地は三方郡北部の境界線で、このままだと武田家の領土は細長くなり、移動がしづらくなってしまう。
もし石田川までこちらの領地となれば、三方郡との境界線のほとんどと近江国が接することになり、だいぶ行き来がしやすくなる。
「代わりと言っては何ですが、若狭にいる”商会”を紹介しましょうか?」
「繋がりがあるのか!」
「そりゃあありますよ」
だって俺が経営しているもん。これで近江国南部への足がかりが出来て、向こうは俺が作った欲しい商品を簡単に手に入れることができるようになるからWin-Winだろう。
「その他にも、今後の対三好戦で銭と兵を少しは出しますよ。今年中は難しいですが」
「それは有り難いな」
「どうでしょうか?国友もお譲りしたわけだし・・・」
これで納得してくれないか?
国友を渡すのは大きな痛手だけど、交通のためには仕方がない。国友は無くとも、今現在丹後の何処かで鉄砲作りをするため、色々と準備をしている。だから国友自体にすごい固執はしていない。
「・・・そうだな、あそこら辺を失ったとしてもお釣りがジャジャラと出るぐらいには貰ったな。いいだろう、領地としてではなく、そちらに都合の良い代官を送るのでどうだ?」
「分かりました、それでよろしくお願いします」
表向きは幕府の蔵入地に代官を送るだけだが、実質若狭武田家のものとなる!
「そうだな、それじゃあ後は後ろの奴らと詳しく話そうか」
俺と義賢の交渉を、驚いた表情でずーっと聞いていた勝高と直之が我に返る。
その後の交渉で、両家の軍事同盟などが決まった。
次の投稿は二十二日頃です。