浅井家攻め
一五六一年 永禄四年 四月
若狭武田軍八千が遂に近江へと侵攻する。三方郡から国境を超えて田屋明政のいる田屋城へと進軍。状況を把握していない周辺の豪族たちはいきなりのことで驚き、田屋城へと集まる。
しかし、もちろん田屋明政はすでに裏切っており、城は開城されて若狭武田軍の拠点として活用された。
田屋明政の裏切りに驚いた豪族たちが、保身のためにほとんどが寝返る道を選んだ。
この時点では、まだ若狭武田家の進軍は浅井家に伝わっていなかった。むしろ六角家からの進軍を警戒しており、小谷城周辺に兵を固めていて北には兵があまりいなかった。
そのため、そこからの若狭武田家の進軍は楽だった。
順調も順調で、余呉湖辺りまではほとんど妨害はなかった。周辺の豪族や浅井家家臣も若狭武田家に通じているか降伏をして、一度の籠城戦のみでほぼ無傷で進軍。
そして伊香郡を掌握するというところで、遂に浅井軍が動き出した。遅い動き出しには、やはり浅井家内部の瓦解が伺える。
南に集めていた三千と小谷城周辺の二千、合わせて五千が北上して木之本辺りに布陣をする。
田屋明政という重鎮が裏切り、次期当主である賢政が囚われ、そのスペアである次男までもが敵の手に渡ってしまったため、士気はあまり無い。
更に、恐れていた事態がどんどんと重なる。
孫犬丸の配下で円才率いる忍衆が混乱する小谷城から、賢政の一番下の弟を誘拐することに成功する。これにより、浅井家は跡取りが誰もいないことになった。
そしてもう一つが、井口城にいた井口経親が若狭武田家と内通していることが発覚する。きっかけは、突如として雨森清貞がいる雨森城を攻めたこと。
いきなり攻められたことで雨森城は落城して、雨森清貞は討ち死に。
浅井家本軍が布陣していた場所に近い所での裏切りにより、久政は一度後退することを決断した。
久政が小谷城に下がったことにより、余呉湖付近に陣を張っていた若狭武田軍は進軍。
先頭を内藤重政と粟屋勝長、次軍に武田義頼と稲富祐秀、その他一部丹後勢の合計七千が井口城を目指して進軍する。
そして制圧した北部の監視のために武田義統が千ほどで余呉湖付近に残った。
進軍した七千は本陣を田部氏の田部山城に置く。
伊香郡ではどちらに付くか真っ二つに分かれていて、浅井家に渋々従っていた豪族たちは若狭武田家に、浅井家に取り立てられて勢力をつけた浅井家家臣が浅井家に付いた。
お互い近隣同士で戦を始めるなどして混乱が起き、少しばかり若狭武田家は制圧するのに苦労をした。それでも、ほとんど順調に行っている。
七月
遂に両者が動き出す。
長い間睨み合っていたが、若狭武田軍が先に動いて小谷城への進軍を始める。その数は五千。残りの二千はまだ周囲で抵抗する勢力を潰すために別行動となった。
対する浅井家は三千ほどでぶつかることになった。兵数が減ったのには寝返りがあったのもあるが、何よりも南から六角家が攻めてくるという理由もある。
それを若狭武田家は狙っていた。
まだまだ浅井家を攻める気の無かった六角家だが、いきなり武田家が浅井家を攻めてあたふたとしてしまった。間違いなく一番驚いただろう。
このままでは浅井家領を全て取られてしまうことに焦った六角家は、急遽四千の兵を編成して北へと向かわせた。
六角家にしては少ない兵力だが、この兵の少なさも孫犬丸たちの狙いだった。
ちょうどこの頃六角家と三好家は緊張状態にあった。
六角家と仲の良い細川晴元が三好長慶によって監禁されたこと、三好家の重臣である十河一存が亡くなったこと、それに乗じて紀伊の畠山家が岸和田城を取り込んだこと。
多くのことが重なって、六角家は三好家との戦を進めていた。
そんな中で、自分の獲物だったはずの浅井家が飲み込まれようとしている。何とか少しでも美味しい思いをしたいという気持ちと、三好家との戦が目の前に迫っているという状況から、僅かながら兵を出したのだ。
若狭武田家としては、その六角家の少しの兵が目的だった。
南から攻められていることで、浅井家はそちらに兵を回す。となると、若狭武田軍とぶつかる兵数は自然と少なくなる。
若狭武田家としては六角家と敵対したくはないから、元々一部領土は六角家に譲るつもりだった。でも、大軍で参戦されると想定以上の領土を取られることになるから、六角家には少ない兵数でいてもらいたい。
あくまで若狭武田家がほぼすべての領土を手に入れて、参戦してくれたことへの感謝を込めて六角家に領土を少し渡す―――つまり恩を売ることも目的の一部。
だからこそこの時期を選んだ。全てが孫犬丸たちの手のひらの上だ。
七月上旬、遂に浅井家と武田家がぶつかり合う。
浅井久政率いる三千と内藤重政率いる五千。この戦には九郎や八郎はいない一方で、光秀や弥平次、和丸が加わっている。
浅井家は、赤尾清綱や宮部継潤、新庄直頼、浅井井規などの名だたる将たちが奮戦をする。
一方で若狭武田家も、粟屋勝長や稲富祐秀、武藤友益、明智光秀、熊谷直之など、精鋭で攻める。
必死の浅井家に手こずる武田軍だが、和丸の策で敵を誘いつつ包囲したり、夜襲を仕掛けたりして徐々に数を減らしていく。
また忍を使って城を燃やしたり兵糧を燃やしたりして、相手の精神まで削っていく。
浅井井規と赤尾清綱の討ち死に、新庄直頼の離反などもあって、戦闘が始まって一週間後には浅井軍は瓦解する。
小谷城へと引いていく軍をジリジリと追撃をしながら、周囲の城も制圧していく。
計算された作戦により、夏中には小谷城周囲の制圧を完了する。また南部へも進軍して、六角家が手こずっていた坂田郡も制圧。
全てが終わった後、六角家も加わった約一万二千の兵で三千で籠城をする小谷城を包囲する。
「・・・また孫犬丸様はこんな前線におられるのですか」
ポチに跨る俺を見つめる重政は呆れたようにため息を付く。俺は苦笑いを浮かべながら、数キロ先にある山の上に築かれた城を見つめる。
重政の本陣がある丁野山城に俺はいる。小谷城のある山をぐるっと囲む大量の兵を一度見た後、重政の方に顔を向ける。
「交渉には応じそうにないか?」
「ええ、まあ。徹底抗戦の構えです。攻めにくい城なので総攻撃は難しく・・・現在は城内の将を調略中です」
「そうだな、あまり兵は失いたくないな」
正史で織田家が小谷城を攻めた時も、確か裏切り者が出ている。だから、今回も大丈夫だろう。
それにしても不思議な感覚だ。本来なら知識でしか知ることのできなかった浅井家を、目の前で滅ぼすことになるとは。
丹後一色氏とはまた別の感情が沸き起こる。やっぱり有名な家だからかな?
「そういえば九郎がもの凄く文句を言っていたぞ」
「アハハハ、確かに言うでしょうね。でもこれは前回の罰ですから」
微かに聞こえてくる小競り合いの声が俺の耳に届く。
「よし、じゃあ行って来る」
「???どちらに?」
「六角家が怒り狂っている。どうして浅井家を攻めたのかの説明をしに来いと言ってきたらしい。父上が苦い顔をしていた」
「???しかし、それが孫犬丸様と何の関係が?」
「どうやら六角家は俺をご指名らしい」
俺が裏で色々と六角絡みのことをやっていたことを思い出した重政の顔が青ざめる。
さてさて、生きて帰ってこられるか?
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