策略②
若狭国遠敷郡後瀬山城
「それでその者が、浅井を裏切ったという田屋明政か」
「お初にお目にかかります、田屋新三郎明政と申します」
「なるほど、裏切る動機は申し分ない。元々浅井家の後継者だったが、その席を浅井久政に取られた恨み。それと、浅井家を存続させるという、自分を後継者にしてくれた義父である浅井亮政への恩のため。理解はできるし、実際それを裏付ける証拠はある」
「ええ、拙者はただ浅井家の名跡の存続と田屋家の存続だけが目的です」
「だからこそ怪しいんだ。どうしてあの”次期当主”を連れてきたんだ?」
義統の言葉に明政は押し黙る。
「それはもちろん、拙者では浅井家を継ぐのが務まらないからです。そしてもう一つの理由は、賢政―――我が甥っ子は心優しい子です。もし浅井家が滅びたとして、その運命の渦中にいてほしくないのです」
「貴様とあれの父の久政は元々後継者争いをした仲。そしてお前は負けた。なのにあれのことを心配するのか?」
「ええ、そうです。もし浅井家当主が駄目だとしても、せめてお命だけでも・・・」
田屋明政の懇願に唸る義統。少し考えたあと、隣に座る重政に意見を求める。
「重政、お前が連れてきたのだ。お前の意見を聞かせろ」
「はっ。某としては、渡りに船の提案でした。某は元々、田屋殿を寝返らせることを計画していました。そして田屋殿は若狭武田家に付いてくれた。それだけで満足ですが、田屋殿と三回目に対面したとき、田屋殿から新九郎殿を捕らえる提案をされました。そしてその理由を聞いて納得して、改めて計画を作り直しました」
「改めて・・・というと、今回の侵攻計画か?」
「はい、某とまごい―――某の部下たちと新九郎殿を活かした策を練りました」
「具体的にはどういったものだ?」
「まずは井口家を寝返らせます」
聞き覚えのない家名に義統は首を傾げる。
「井口家は湖北を支配する豪族で高時川など、伊香郡の用水を管理する”井頼り”の家です。湖北四家の一つに数えられており、現当主の井口越前守経親の妹は、浅井家当主の浅井久政様の正妻でございます」
「そ、そうなのか!それは知らなかった。つまり・・・」
「ええ、井口経親の甥は新九郎殿。十分に交渉が可能です」
「確かに、次期当主を手に入れたのはでかいな」
ただ、この作戦には色々と弱点があるのを重政は知っている。
それは、北近江を支配する時。渋々といった感じで従われては、後々反乱を起こされる可能性がある。ましてや、甥を人質に取られたから仕方なくとなれば、一生恨まれることになる。
人質作戦は、新九郎に忠誠を誓う相手にとっては有効だが、その裏にはいつか反乱を起こされるという危険が伴う。だからこそ、最後の切り札として取っておきたい。
重政や和丸、孫犬丸たちはそのことを理解しているからこそ、まだまだ裏で動いている。それを義統には悟られないように。
「井口家は伊香郡の中でも有力な豪族。多くの豪族たちがこちらに寝返るでしょう。井口家の領地は小谷城の近くにあります。そこから一気に攻めることが可能です」
「一つ、よろしいでしょうか」
重政の話に明政が入る。
「基本的に伊香郡の豪族は、朝倉家が味方していれば裏切るとは思います。しかし、寝返らない可能性のある家もあります」
「それはどこだ?」
「赤尾氏の赤尾清綱、阿閉氏の阿閉貞征、雨森氏の雨森清貞。ここらへんは周囲への影響力が大きく、且つ浅井家に重用されている人物。おそらく敵になりますので、注意をしたほうがいいかと思います」
「なるほど、貴重な情報感謝します」
重政が軽く頭を下げる。その後、別の質問を明政にする。
「浅井家一族だと、どうなりますかね?」
「そうですね、結束はある程度はあります。浅井玄蕃允政澄を始めとして、浅井井伴、浅井亮親などは敵に回ります。ただ・・・久政の息子たちは分かりません」
「どういうことですか?」
「久政自身は、息子たちとの関係があまりうまくいっていません。むしろ我が甥、賢政は弟たちと仲が良く信頼を置かれています」
重政はその内情を聞いてますます頭を悩ませる。
孫犬丸からはできるだけ賢政を生かすように言われており、明政ともその約束をしてしまった。そうなると、できるだけ賢政が浅井家滅亡後に武田家に対して恨みを持たないようにしたい。でないと、いつかは反乱を起こされるから。
ただ、賢政が納得する形になると、肉親を滅ぼすのは一番まずい。久政は父親とはいえ当主だから仕方が無い部分がある。その他の一族もまだ大丈夫。
しかし、賢政と仲の良い弟たちを殺すのは後々恨みを買ってしまう。だが、生かすとしたら、それはそれで面倒くさい。浅井家一族があまりにも多いと、それを悪用する輩が現れる。結局反乱が起きる。
どの道をたどっても、行き着く先は反乱。重政はますます頭を抱えるしかない。
だがここで、若狭武田家にとって幸いなことが起こる。それはもちろん和丸の策であったが、結果は予想以上のものだった。ある意味この出来事が、浅井家の命運を分けたのかもしれない・・・
一月下旬 近江国浅井郡小谷城
「殿、急用で某を呼んだとお聞きしましたがどのようなご要件でしょうか?」
「賢政の居場所が分かった」
「若様の居場所がですか!それは良かったです!」
「賢政は今、田屋の所にいてそこから動けない状況だそうだ」
「!!!まさか田屋の大殿が若様を人質にして反旗を!」
上座に座る男は、下座の男をじーっと見つめる。その視線に首を傾げる下座の男だったが、上座の男―――浅井久政は深く息を吐く。
「なあ、玄蕃允よ」
「はっ、何でしょうか?もしかして先鋒を?それなら―――」
「違う。賢政は帰り際に何者かに襲われてしまい、動けないらしい」
「では、その襲った者は田屋の大殿ではないのですか?」
「もちろん俺もそれを怪しんだ。しかし、田屋ではどうもなさそうな気がしてきたんだ」
「???では誰が若様を襲ったと?」
久政は目の前の男をじーっと見つめる。その視線に気付いた男はハッとして、すぐさま口を開いた。
「ま、まさか某を疑っておられるのですか!某は長年浅井家を宿老として支え、これからもそのつもりであります!」
久政と年のあまり変わらない浅井政澄は必死に否定をする。
「もちろん俺もお前は無いと思った。何しろこれまで忠実に仕えてきた家臣だからな。しかし、それでも色々な噂や証拠が出てきてな」
「な、何が出てきたのですか!」
「この頃六角が攻めてくるかもしれないという噂が飛び交っているだろ?後は三好家と繋がっているのではないかという噂が。それらは意図的に浅井家と豪族たちを分断するようなもの」
「ええ、ですから某はもちろん、若様も否定のために各豪族への誤解を解きに回っているのですよ」
「そうだな、しかしふと考えてみた。もし、お前が裏切っているとしたらどうなるか?」
「!!!どういうことですか!」
「全ての辻褄が合ってる気がするんだよ。最初に六角家から離反することの議論の際に賛同したのはお前だったな。そしてお前と遠藤が悩んでいる賢政の背中を押した。しかし、結局上手くいかず、和睦ですべてが終わり、残ったのは浅井家への不信感のみ。あの和睦の時、俺は反対をしたがそれを諌めてきたのは賢政とお前ではなかったか?」
「うっ、そうですが、あの時は内部が分裂したからで・・・・」
「もしかしてあの時点で、六角家によって調略されていたんじゃないだろうな?内容は、”浅井家の当主”にすること」
「そ、そんなことは全く考えませんよ!」
全力で否定するが、久政の疑った目は戻らない。
「今回の噂が広まった時、各豪族達への弁明に最初に手を上げたのはお前だった。もしかして、自分の味方に付けるためでは?」
「全く違います!」
「あの噂を蒔いたのもお前。そうすることで弁明をしに向かうという口実ができる。そしてお前は一人になれて、賢政やその他の息子たちも一人になる。賢政を殺して田屋に罪を擦り付けて、その田屋を討つことで名声を手に入れる。そして六角家が攻めてきたところで、仲間についた豪族たちと共に裏切って、俺をも討つ。そうして六角家によって浅井家の当主になれる」
「こじつけです!」
「何よりもの証拠は、お前は元々”本家の子”だからだ!」
その言葉に政澄は口を噤むしか無い。そう、浅井政澄の父親は久政から二代前の当主であり、久政の父である亮政の正妻の弟にあたる。
ただし政澄は庶子であり、彼が生まれた頃には亮政が婿養子入りをしていて、結果的に本家を継ぐことはなかった。
「元々本家を継ぐのは自分だった。故に内心では俺のことを憎んでいた。自分は本家の人間だから、正当な理由がある。裏切るには十分な理由だ」
「ち、違います!そのようなこと、一度も思ったことはありません!」
「証拠となる書状が届いている」
その書状を見せられて、政澄はますます顔を青くする。
「その書状は、元若狭武田家当主である武田紹真(信豊)殿から送られてきたものだ。内容は、お前が酒の席で酔った勢いて言った俺への不満」
「た、確かに言いましたが、それは酒の席ですし、ここに書かれているほど―――」
「認めたな!お前は確かに、俺への不満があったのだな!」
「で、ですが、謀反を起こすしてやる、などとそのようなこと言っていません!」
「俺はもうお前を信用していない。武田紹真殿の方がよっぽど信頼できる」
武田信豊は生きていくために、色々な家にお邪魔していた。だからこそ、そのお世話になっている家ではできるだけ好感が持たれるような行動を心がけていた。
それが今味方した。
「お前はとりあえず牢に入れる。そして徹底的に洗わしてもらう」
「殿、信じてください!某は何も―――」
「早く連れていけ!」
久政の命令で、隠れていた護衛たちが政澄を囲う。そして縄で縛ると、そのまま地下牢へと連れて行くのだった。
和丸はあくまで噂を流すことで、そして武田信豊に書状を書いて送ってもらうことで、内部での分裂を狙っていた。あくまで、政澄が疑われる程度だと思っていた。
だが結果的に久政が非ぬ疑いを導き出してしまい、牢へと囚われて政澄が会った豪族たちにも疑いの目が向けられて、結果的には浅井家内部での大きな混乱に繋がったのだった。
浅井政澄の出自に関しては諸説あります。
次の投稿は、八月四日か五日になると思います。