月楊枝
まるで三日月のようだった。
私が糸楊枝を初めて見た時、抱いた印象だ。持ち手のついた三日月。しかし。
まさか本当に限りなく三日月に近い形の糸楊枝があるなんて、想像だにしなかったのだ。
通常、糸楊枝の持ち手は弧のテッペンから生えている。しかし、このデパートの5階にデカデカとある100円ショップの隣に佇む、外観以外の全てがぼろっちい雑貨屋で見つけた糸楊枝は、まるで鎌のように弧の先端から持ち手が生えている。
綺麗な三日月のような先端が細くなった弧を、慎ましやかに端から伸びる持ち手が遮ることもせず、それは完全に三日月を描いていた。
流石に思わず購入していた。二袋も。一袋60本入り1700円。糸楊枝は初めて買うが、こんなものなのだろうか。怖くなった私は、隣の100円ショップを絶対に覗かないことを、固く、固ぁーく決めたのだった。
「5050円お預かりします」
思っていたより、10%も高かった。
その足でデパートの7階へ上がり、食べたい昼食、否、昼食後に糸楊枝を咥えて出る時映える店を吟味していると、不意に携帯の着信が。
「洋司、休日出勤いけるよな?」
行けます。頑張ります。
私は隣の銀行で、二万円だけ下ろして会社へ向かった。
駅へ向かう足取りは重かった。とても上を向いてなんて歩けない。ああ、会社のビルが歯だったら、出勤したとて楊枝で外観を掃除しながら1日を潰せるだろうに。
と、そこへ。
否、側溝へ。
側溝へ目が向いた。財布が落ちているのだ。そそっかしい人もいるものだなあ。駅前などは人が多いから、そういう事もあるのだろう、やはり。
駅の隣には交番くらいあるだろう。私は財布と、落ちた時に散乱したのだろうポイントカード類を集め、改めて駅へ向かった。
結論から言うと、交番は駅の向こうにあるようだった。
「では、遺失物法の権利は放棄するんですね?」
これから会社に行く身である。そんな物を書いてはいられない。
「わかりました。ありがとうございます。それとなんですが、財布ということもありますので、中身の照合をご一緒にお願いできないでしょうか?」
ふむ。時間がない身でこそあるが、その辺は確かに必要か。私は駐在さんと一緒に中身を確認する。703円とポイントカード類。お札やクレジットカード、キャッシュカードなどもないようだった。ピンク色のかわいらしい財布だ。子供の物であったのだろうか。
それはつまり、個人情報が書いてあるカードがないことを意味しており、落とし主は見つからないのかもしれない、と、私は思った。
「それとなんですが……」
駐在さんが少し言い淀む。どうしたのだろうか。
「これらのカード類、財布と一緒に落ちていたんですね?」
尋ねる駐在さんの目は、少し光を増しているようだった。
「わかりました、ありがとうございます。それとなんですが、落とし主の方が現れた時、お礼を言いたいと言われることがありまして。電話番号や住所などお聞きしても構いませんか?」
それはなんだか気恥ずかしい。なんとかして誤魔化したいところだが、そこへ一筋の閃きが。
私は。
私は。
私は。
あっしは、おもむろに糸楊枝を取り出して、持ち手の方を咥えて、言った。
「月楊枝とでも、伝えてくだせえ」
駅まで戻ると、女性のすすり泣く声が聞こえた。見過ごすとあっては男が廃る。
「財布を落としちゃったの。」
中学生か、高校生か。若さより幼さが勝つ少女はそう言った。もしやさっきの財布だろうか。
「弟がね、産まれたの。生後2ヶ月。だから私、クリスマスプレゼントで弟に、室内アスレチックを買ってあげようと思ってここまで出てきたの」
赤子用のアスレチックか。一万円は下らないだろう。
「なのに財布を落としちゃって、プレゼントも買えないし、切符も買えない。見つけないと帰れない……!」
また泣き出してしまった。なるほど事情は分かった。しかし、だとするとさっきの財布ではなさそうだ。何しろカードもお札もなかったのだから。
しかし、一万円か。バイトなどして貯めたのだろうか。勉強もして、働いて。家族の為にプレゼントまで買いに街へ出てきて、この仕打ちか。
あっしにはもう、見捨てることなどできなかった。
糸楊枝を逆に咥えた変なお兄さんが、私に一万円札を2枚、渡してきた。大金である。受け取るわけには、流石にいかない。
しかし、渋る私へお兄さんは、逆さに咥えた、三日月のような糸楊枝を見せつけるかのように首を反らして、こう言った。
「どの道今夜にゃ消える運命さ。月越しの銭は持たねぇ主義でね」
お兄さんは去ってしまった。どうしよう、私はお姉ちゃんになったのに。
今日は12/24。聖なる夜が迫る昼下がり。
お姉ちゃんになった私にもまだ、サンタさんはきてくれたみたいだ。