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給食の時間になった。
俺はまだちょっと緊張したまま、手を合わせた。
…+ Thursday 転校生の話 +…
いたーだきます。どこの学校でも変わらない食事前の挨拶を済ませると俺は箸を手に取った。
今日から俺はこの学校の生徒だ。つまり、転校生。木曜からっていうのも珍しいかもしれないけど、理由はまあ……いろいろ。
それにしても。
こっちの地域では牛乳を先に飲み干す習慣があるらしい。もうすでにパックを開いている人もいる。と、いうか早食いが基本なのか? 前の学校と同じように給食時間に班ごとに机を向け合って食べてるけど、隣のやつはもうスープを食べ終わっていた。
「……早いな。みんな」
ちょっと呆然と呟くとそいつは何のことだか分からなかったのか不思議そうにして、やがて俺の言いたいことがわかったのか「ああ」と答えた。それから、「……お前、災難だな」
「は?」
「こんな微妙な曜日に来るなんて。それも悪夢の木曜に」
悪夢?
何が悪夢なんだ、と問う前に、教室のスピーカーが音を立てる。お昼の放送だろう。聞き覚えのある曲だったので「あ、コレ、アレだな」と言いながら牛乳のストローを咥えると、なぜか急に血相を変えた。「あっ、今やめといた方が……」
『ジャジャーン! みんな元気!? エリーでぃっす!』
『ジャジャーンって何だよ!』
ブッ!
不覚にも俺は牛乳を逆流させてしまった。
なん……なんだ、この放送!
『え? 何? ウィルは“ジャジャジャジャーカジャカジャン!”の方が好み?』
何の好みだよ!
『長い。せめて“ジャーン”にしろ』
乗るのかよ!
続けてスピーカーからは女子の声で「えー、テンション低ぅ〜。そぉいやみんな、元気なかったぞー? さぁもう一度、元気ィー!?」と聞こえてくる。唖然とする俺は置いてけぼりで、クラスのやつらは「元気ィー!」「あははっ、元気元気」などと思い思いに答えている。
なんだこれ、おかしいぞこの学校! 救いを求めて担任の先生を見るが、彼女は「ナーイス、エリー!」とスピーカーに向かって親指を立てている。何がGu!だ! いいのかこんなで!
「大丈夫か?」
隣のやつが心配してくれる。
「う……ま、まあ。なあ、この放送……」
「あー、これが普通。牛乳飲むとき気をつけろよ」
ああ、だからみんな牛乳を先に飲むのか。納得しながら今日たまたま持たされていたポケットティッシュで手元を拭く間も、やけにテンションの高い放送は続いている。
『今日の特集はウケ話! ウィルとジャックの酷ォいワガママでeの兄弟の話はこっちに移りました!』
『何がワガママだ何が』
『ではさっそく行ってみよー! 今回の話は深夜二時の悪夢っ! それはeが妹の声で目覚めたときのこと。目を開けたら頭上に妹の足が!!』
『足!?』
『踵落としです。そのときeは華麗にステップを踏みそのアタックポイント200(推定)の妹の技を避けました!』
『なんでアタックポイント200なんだよ』
テンポが速すぎて若干ついて行けてないがツッコミ所そこだったか!? 華麗なステップって、寝てる状態じゃなかったのか!?
『だってフツーのゲームじゃ踵落としなんてそんなもんっしょ。“スーパーEXダメージケアー”なんてAP5000だよ?』
シャンプーか!? 比較対象がよくわからん!
放送の男子の方も「何の技だよ」と言ってるが、それはスルーして進行する女子。『えーっと、んで、eが少し離れたところに避難すると妹の声を聞きました』
『“わかった! アレだよ、※&÷△☆……” 何がわかったのか全くもってわかりませんねー』
『仰る通りだな』
『そしてe妹は声色を落ち着いたものに変え、続けます。“あのさ、殿がさ……”』
e妹いつの時代の人だ。
『“いい大人でさ……” ――と。』
『……そりゃいい大人じゃなきゃ殿なんてできねぇだろ』
……そこ笑うとこじゃねえのか!?
実際何歳から殿になれたのかは置いといて、女子の方が残念そうに「ウィルノリ悪ーい」とぼやく。やっぱ笑うとこだった。教室の生徒は結構笑ってるけどな。
『ま、いいや。“いい大人!?”とeが思っていると妹は電池が切れたようにまた寝てしまいました。そのときやっとeは気づいたのです。妹が頭を軸にして、こう、寝ようとしていたことに!』
『ってここでジェスチャーやってもわかんねーだろ!』
マジだよ! どう寝ようとしたんだよ!
というか全体的に何の話聞かされてるのかよくわからないのに、放送女子は「……まぁ、みなさん分かるでしょう」と説明を放棄した。
『そして三十分後』
『e、いつまで起きてんだよ』
『ネタ拾いのためならいつまでも!』
寝ろよ!
『……そうか』
納得するなそこー!!
『続けていい? 三十分後、再び妹が起動しました!』
『おお。ネタ拾い成功じゃん』
『フフッ、私は不可能を可能にする女……』
『いい加減認めろ。eはてめえだ』
クラスメイトたちが咽せている。隣のやつもひいひい苦しそうにしてるのに、前から女子の方がeという人物を自分じゃないと言い張っていることをご丁寧に説明してくれた。
……食えねえ。
食えるわけがねえ、給食なんてっ……!
『起き上がった妹は満面の笑みを貼り付けてこちらを見ています。そして南の方を指差し、高速で“こっちこっち”と言い始めたのです! もう、それは既に人のワザではありません! 私はできない!』
『不可能を可能にするんじゃないのかよ』
『うっ……鋭いわね。じゃあウィル、言ってみてよ!』
『……コッチコッチコッチコッチコッチコッチ……』
『う!? 何それ、何で出来んの!?』
『そりゃ日頃の鍛錬のタマモノ……』
あんた何の鍛錬してんだよ!
聞けば聞くほどこの放送委員の生徒たちが謎すぎる。ここまで培ってきたあらゆる常識を覆してくる。
放送女子は少し考えるように黙ってから、「んじゃ“優秀選手賞・宗條将、少々骨粗鬆症で手術中”って言ってごらん」と聞いたこともない早口言葉を出した。宗條将というのが誰か不明だし、出題者本人が噛みまくってて聞き取りが正しいかどうかも不明だ。
男子の方は与えられたお題をスルッと答えてから「ってかなんで優秀選手賞受賞したやつが骨粗鬆症なんだよ」とツッコミまで入れている。学校中が感心したような歓声に包まれた。
少々ってとこもおかしいだろ。いやおかしいことしかないんだけど。
『知らない。えりかに聞いてよ』
『名前を出すなって! ……てか妹どうなったんだよ』
『あー、e妹は腕を抱いて依然笑顔のまま……』
そのとき、チャイムが鳴った。
『あら、もう時間。これでお昼の放送おしまいっ! みんなまたねー!!』
プツン。放送の切れる音がスピーカーから響いて、それからうんともすんとも言わなくなった。
笑顔のまま……で?
で!? どうなったんだよ! アリかよこれ!
隣のやつは爆笑しながらも食器の中身は空。他のやつも一緒だ。
「……よく、食えたな」
「ゲホッ、……ああ、日頃の鍛錬のタマモノ?」
俺は残ってしまった給食をかき込みながら思った。――明日からはみんなに倣って汁物を先に食べよう……と。
…+…
「すっごぉい、もっかい言ってよ修」
「……キツツキキツクツツクキ」
お昼の放送は終わったが、放送室はなおも早口言葉で盛り上がっている。エリーこと華弥が「他のは?」と尋ねると、ウィルこと修は「トウキョウトッキョキョカキョク……」と呪文のように呟いた。
「すごい、すごい! 和季ちゃん、何か知ってる早口言葉ある?」
「……バスガス爆発ブスバスガイド、とか?」
「和季、お前のそのカオでそんなこと言うなよ……」
愛らしい見た目をしているぶん、ギャップがありすぎて修は若干ショックを受けている。華弥に「これも言えるの?」と促され、やはり彼は難なく言い切った。
「うーん、シャンソン歌手ジャズ歌手を三回」放送のときと同じく盛大に噛みながらさらなるアンコール。
「シャンソンカシュジャズカシュシャンソンカシュジャズカシュシャンソンカシュジャズカシュ」
「「おお〜……」」
事前の深呼吸もなければ息継ぎもない。もちろん言い間違えることもなく、感心した声と二人分の拍手の音が室内に響いた。
修、君は一体日頃から何を目指しているんだ。