転生騎士は丸い丸いネコに導かれ、婚約破棄された令嬢を護る!
気楽にお読みいただければ幸いです。
誤字報告、助かります。
*始まりの前*
あっと思った時は、もう遅かった。
俺の体は重力に逆らわずに、下へ下へと落ちる。
思ったより、ゆっくりな落ち方だな。
まんま人生つうか。
でも、もう、これで。
響く衝突音。
叫び声。
赤灯がグルグル回る。
赤く染まった視界に、真っ白な風が吹く。
遠くなっていく意識の縁で、何かが俺を手招きしていた。
それは、真っ白なふわふわモコモコした猫のようだった。
*婚約破棄された丸い令嬢*
季節は夏の終わり。
新学期を迎える前に開催される、王立学園でのパーティは、お忍びで国王や王妃もお出ましになる。
この学園は、貴族の子弟と優秀な平民が、身分差を越えて共に学ぶ場所である。
宴もたけなわ。
そんな時である。
一人の男子が壇上から、無駄に通る声で言い放つ。
「アステリア侯爵令嬢。いや、アステリア! お前との婚約を本日をもって破棄する!」
壇上の男子はこの国の第一王子、アドラッドである。
金髪碧眼の眉目秀麗男子。見た目だけなら学園一。
見た目だけ、ならば。
指名されたのは、彼の婚約者、アステリア・フォースター嬢。
齢十三歳にして、地政学と法律の権威者。このリフローダ王国全領土の、管理と運営を任されている。
三国一の天才少女の名を欲しいままにしている。
会場のすみっこで、せっせせっせと栄養補給に勤しんでいたアステリアは、仕方なく前に進む。
もうちょっと、タンパク質を摂りたかったが。
未練がましく押し込んだ薄切り肉のソースが、アステリアの口元に跳ねている。
アステリアの背後に控える護衛騎士が、彼女の口元をそっと拭いた。
はぁ、よっこらせっと。
静々とアステリアは進む。
静々と進んだつもりでいる。
だが周囲の目には、小型の円形ドームが「ぽってらぽってら」移動しているようにしか見えない。
その後の、アステリアより頭二つ高い男性騎士も彼女に合わせて動く。
天才アステリア。
白金色の柔らかな髪を組みひものように編み上げ、ビスクドールのような水色の瞳はくるりと弧を描く。手足はほっそりと貴族の子女らしい優美さを醸し出す。
しかしながら彼女はこう呼ばれている。
『王宮のリフローダヤマネコ』
(注釈)リフローダヤマネコとは、リフローダ王国の山岳地帯に生息する哺乳綱食肉目ネコ科ヤマネコである。体長はだいたい大人の腕の長さ。尾長は体長の半分。体毛は白く長く密集し、その体型は丸々。あくまで丸く、コロッと丸い。以下略。
「すみません、殿下。理由をお聞かせください」
肉をゴクンと飲み込んで、アステリアは訊いた。
第一王子アドラッド、一瞬だけ言い淀む。
さすがに王族。女性に対して言っていいことと悪いことの区別くらいはついている。
アドラッドの背後で、彼のコートの裾がチョンチョン引っ張られるのを感じた王子は、意を決して言い放った。
「お前が、次期王妃にふさわしくないからだ! 特に、そのリフローダヤマネコのような体型が!」
リフローダヤマネコ、もといアステリア嬢、その瞳はネコのように縦長になった。
「えっ……。めっちゃ可愛いじゃん、リフローダヤマネコ。丸くってコロコロでモフモフで」
アステリアの護衛騎士、タカシが小声で言った。
タカシは黒髪の痩身体躯。リフローダヤマネコの姿を思い出したのか、切れ長の涼やかな目が細くなる。
あまり誉められた気がしないアステリアは、ふんっと鼻息を一つ吐く。
「では、わたくしが、リフローダスナネコのような痩身体型になればよろしい、と?」
(注釈)リフローダスナネコとは、リフローダ王国の砂地に生息する食肉目ネコ科ネコ属のネコである。
その体型はホッソリとして、腰のあたりがキュッと、くびれている。以下略。
第一王子アドラッドは、リフローダスナネコの外見を必死に思い出そうとしていたが、背後から咳払いが聞こえて我に返る。
「いや、問題は猫の種類ではないのだ! お前は体型のみならず、体型だけではなく、次期王妃にふさわしくない!」
あ、アドラッド二回も体型言うた……。
「アステリアさん、謝ってくれれば私は許します! どうか、あなたから謝罪を」
いきなりアドラッドの横に現れた女性が、アステリアに向かって言った。
しかも「謝罪」要求?
ナニソレコワイ!
「ふっ。アステリアよ。貴様はこのエイラ嬢を、川に突き落としたそうだな。隣国からの留学生かつ王族籍を持つ、か弱い美人の命を危険にさらした罪、その身をもって償うべし!」
斜めに顔を向け、アステリアを指差したアドラッドをウットリと見つめるエイラ。
「あんた、他国の令嬢を、マジで川に突き落としたんすか?」
護衛のタカシが、カワニナを見るような目で、アステリアに言う。
「いやいや、やってないって! いくらなんでも……。ん? 川?」
数日前のことだ。
「リフローダの固有種、碧色トンボの生息地が見たいのぉ」
とかなんとか、エイラがアドラッドに甘えたそうな。
何も考えていないアドラッドは、護衛数人連れて、国境近くの川原に行こうとした。
ちょっと待て。
国境付近は国防の要の場。いくら留学生とはいえ、他国の令嬢に簡単に見せられないものがある。
仕方なく、危なくない、トンボがそれなりに飛んでいる場所を指定し、アステリアが先頭に立ってエイラたちを連れていった。
「いやん、トンボのおメメ、緑色でカワイイ!」
語彙力獲得を放棄したようなエイラは、キャッキャッと川原を走った。
そう、走ったのだ。
ピンヒールで。
川原の石の間にヒールが挟まり、すっ転びそうになったエイラをアステリアは支えた。
すると、エイラはそのまま、何故か川面にジャンプインしたのだ。
「……などということはありましたが、わたくしがエイラさんを、川に落としたわけではありません」
アステリアの護衛騎士タカシも、その時の状況を思い出し、「ああ」と納得する。
しかし壇上の王子とエイラの表情は、納得とは程遠い。
「でもぉ、アステリアさん、意地悪ですぅ。碧色トンボ欲しいって言っても、くれないし」
エイラ嬢は、何かの妖怪のように、体をクネクネさせる。
アドラッドは「よしよし」とエイラの頭を撫でながら、「俺がプレゼントするから」と言う。
ちょっと待て。
カチリとアステリアの脳が鳴る。
婚約破棄なんていう茶番は、適当にやり過ごすつもりだったが、話がまずい方向に行き始めた。
この辺で止めないと、国家間の問題になる。
アステリアの表情を見た護衛騎士のタカシも、目付きが変わる。
そして彼は内心嘆息する。
――アステリア様の、スイッチ入っちゃったよ
「碧色トンボを他国へ差し上げる? 戯けたことを。いくら殿下でも、国の法律を曲げることはできません」
「えっ! 何で? てか、法律?」
第一王子は昼寝から目覚めた羊みたいな目をして、うっかり素の状態で喋る。
「リフローダ王国法第八十二条ならびに同国環境保護法第三条、及び近隣三国安全保障法第十一条に基づき、碧色トンボはリフローダ王国の管理下におかれ、国外への売買と輸出は固く禁じられております」
アドラッドは口を半開きにして、アステリアのナントカ法第何条話を聞いていた。
いや、聞き流していた。
彼が把握したのは、トンボを売ったりしちゃダメ、という部分だけだった。
その隣にいるエイラは、小さく舌打ちをする。
「ねえアステリアさん、なんでトンボ如きに、そんな面倒な法律が出来ているのかしら?」
小首を傾げ、人差し指を頬に当ててエイラは訊く。
わりとアホっぽい。
まあ、可愛いと言えなくはない。ような気もする。
質問を受けたアステリアは、もう一度フンと鼻息を吐く。
「ご存じでしょう、エイラ様。碧色トンボとはまたの名を『ドラゴンフライG』という。一万匹に一匹くらいの確率で、小型の竜に変化するものであることを」
そう、リフローダ王国の固有種碧色トンボは、単なる昆虫ではない。
その碧色の目玉に魔力を持つ、竜の一種なのである。
ゆえに王国で完全に管理し、限りなく昆虫の姿のままでいるように、保護しているのである。
アステリアの話を聞きながら、護衛騎士はふと思う。
ドラゴンフライって、トンボを英訳しただけじゃないっけ?
まさか本当に、竜種だったなんて。
「緑のトンボちゃん、すっごーい! 竜になるの? やっぱり欲しいわぁ」
エイラの瞳が、口調に似合わずギラっと光る。
「うん、くれないなら、貰っちゃうね」
エイラが片手を挙げた瞬間、アステリアが叫ぶ。
「いや、あげない! タカシ!」
「はっ!」
護衛騎士タカシが神速で壇上に上がり、エイラの両腕に魔術封じの手錠をかけた。
ついでに、小鹿のようなプルプルおメメの第一王子から、携帯している剣を奪った。
「「何するの!!」」
アドラッドとエイラは叫ぶ。
「エイラさん、あなた、わざわざ川に落ちでしょ。あの時、川底に転移魔法陣を埋めたよね。碧色トンボの幼虫を、ご自分の国に持っていくために。相手国の了承得ずに、その領土内で転移魔法を使う。
それって、領土侵犯にあたる罪だわ」
「さあ、何のことかしら。それに川底って、リフローダと本邦の、どちらの領土でもないでしょう?」
先ほどまでの、めっちゃカワイコぶってた喋り方から、エイラはいつの間にか、まともな女性の話し方に変わっていた。
「ふふふふふ! あっはははは! そう、思っていたのか」
高位貴族の嗜みなんて切り捨てた、アステリアの低い笑い声が響く。
スイッチが入った時のアステリアは、いつも以上に目がランランと輝き、話がくどくなる。
くどいが誰もツッコめない高度な内容に、会場は静まり返るしかない。
そして、敵と認定した相手をトコトン追い詰める。
それこそが、『王宮のリフローダヤマネコ』の真骨頂なのだ。
「碧色トンボの生息地に関してのみ、川面、川の水、そして川底に至るまで、すべてリフローダ王国のものである。当然、周囲の三国と、条約を締結しているわ!」
壇上のエイラは唇を噛み顔を歪ませる。
川底の所有権を国に持たせるなんて、普通やらない。考えもしない。
敗北感がエイラの全身を襲う。
慌てた足音がやって来る。
会場の不穏な出来事を、ようやく王宮も把握したようだ。
あとは国王や宰相に任せればいいだろう。
「そうそう、エイラさん、隣国の第三王女という設定らしいですが、違いますよね。隣国の更にお隣の、諜報機関の方とお見受けしました」
完璧な淑女の礼を取るアステリアの前で、エイラはただ目を伏せた。
アドラッドは状況が呑み込めず、会場にやって来た騎士たちに保護されていた。
「あんなんで良いの?」
アステリアの元に帰ってきたタカシが訊く。
「うん。隣国のお隣さんには、釘刺しとけば良いでしょ」
「まったく……。あのエイラって奴がスパイだってこと、もっと前から分かってたんでしょ」
「えへへ。でもアドラッド殿下がハニートラップ耐性付けるのに、丁度良いかと思って」
「ったく、護衛するコッチの身にもなってくれよ……」
ぶつぶつ言うタカシを慰めるようにアステリアは言う。
「でもさ、タカシのお陰だよ。タカシが川底の所有権、はっきりしておいた方が良いって言ってくれたから、転移魔法防げたもの」
頭を軽くぽんぽんされて、タカシは諦めた。
この手について行こう。
この手を守ろうと決意した今世なのだから。
前世というものがあるのなら。
タカシの前世は、日本人である。
その原因や理由は分からないが、若くして亡くなったようだ。
タカシは息を引き取る寸前、真っ白な猫を見た。
「あなたにその気があるのなら、一緒に行きましょう」
キュルンとした瞳を持つ、モコモコした、丸い丸い猫だった。
前世のタカシはその猫の前足を掴み、この世界に転生した。
もの心ついた時には、アステリアの乳兄弟としてフォースター家で生活していた。
以来、天才少女アステリアが本領を発揮できるように、影から護り支えている。
川底の所有権を主張した方が良いとアステリアに伝えたのも、日本人であった時の記憶の欠片だ。
もっとも日本の事例は、河川敷だったような気がするが、まあいいや。
「俺としちゃ、あのアホ王子との婚約が破棄されただけで十分だ」
「タカシ……」
潤んだ瞳のアステリアに、タカシは思わず赤面する。
まん丸の目も体も、可愛い。
ムリに痩せようとか、しないで欲しい。
ムリに結婚とかも、しないでくれたら……。
差し出されたアステリアの手を、タカシは優しく包んだ。
「わたくしをお家に連れて行って」
「かしこまりました」
寄り添う二人を月だけが見ていた。
*エピローグ*
リフローダ王国の山岳地帯は、夏でもそこここに万年雪が残る。
残雪を避けながら、ぽってらぽってらと歩くヤマネコ。
その毛並みは雪よりも白く長い。
そして丸い。コロコロ丸い。もこもこ丸い。
水飲み場の水面に、遠い世界の風景が映る。
血を流した若い男が、倒れ伏す画面だ。
リフローダヤマネコは、水に手を入れる。
倒れた若い男に囁くのだ。
「あなたにその気があるのなら、一緒に行きましょう」
了
たくさんの物語の中から本作をお読みくださいまして、ありがとうございました!
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