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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

カテドラルのダイモナス

作者: 犬神のしゅり

 カテドラルのダイモナス

 

 Llle diabolus semper est vobiscum.

 

 足跡が付かない硬い道をさも慣れているかのように歩いていると脇にはカンカンと警鐘の音が高く響いた。


 片端が欠けている石道の横には、僕と同じような若い人間が大勢と乗っている汽車が黒い塊を出しながら走っており、先頭には綺麗な帽子を振りながら鐘を鳴らす男が在った。


 ちょうど目の前にあった、未だ明かりを灯さないその街灯へゆっくりと接物するように汽車が停まった。中からは続々と人間が意味も無く急いで降りてゆく。黒い立派な帽子とタキシードに身を包む年配、色褪せたブロンズの髪が風で酷く乱されているのに気付かぬ中年、僕と同じように少し見栄を張った服を着て、重い革製の手提げ鞄を持つ若者、中には小さな妹までを連れて来た若者もいるようだった。そして列車を降りて硬い地面に足をつけるや否や皆揃って上を見上げるのだ。此処が我らのアカデメイアなのだとようやく実感するのである。


 汽車のカンカンというその警鐘の音は周りの声をかき消していた。汽車から降りるその若者達は皆黙り、年配の人間のみがその腹の膨らみに負けぬよう胸を張って歩いていた。皆が揃ってカテドラルの中へと列を作るその光景は、我々の始まりを思わせるようなものだった。僕という小さな若者もその列の人間の一人であった。もちろん口は一寸も動かさなかった。


 この赤みがある大きなカテドラルは実はアカデメイアであるが、近辺の住民はあまりにもそのアカデメイアの建築が美しいからとカテドラルと呼んでいた。中には永遠と眠るその前まで一生それをカテドラルだと思っていた哀れな老人でさえいた程である。


 カテドラルの正面に近づくにつれ、その小さな心臓は落ち着きを失っていった。正面門には無駄に彫刻が贅沢で、その顔の細い彫りを一つ一つ見るたびにどこからか不安が込み上げてくるようだった。そして最初の彫刻から歩みを進めれば進めるほどその道は狭まり彫刻が近づいてきたが、それでもまだ十分大きいコスモスであった。


 中に入るとどの柱も見たことが無い程に大きく、限界が見えなかった。


 気づくと年配の人間達は何処かへと消え、上を見上げたままで動かない若者のみが取り残された。


 しばらくして一人のシワの多い女性が腕を後ろで組み、靴音を響かせながら近づいて来た。これまた年配であった。若者は視線を一斉に下ろし彼女の顔一点を見つめた。


 全員が自分を見るのを確認し、無駄に高々な声を上げて話し出した。


 「ようこそ。既に存じていらっしゃると思いますが、君たち全員がフィレインとソフィアを愛する学者の卵です。まずは兄弟間で親交を深めなさい。今から二人ずつ名を出していきますからお互いに集まるように。」


 女性は早々と若者の名を呼び続けた。


 「アーキス、エリュモス。シオン、エピメテウス。カスタリア、デクマ。サテュロス、デーモドコス。」


 僕は心臓を一瞬驚かせ彼を探した。すると彼は大きく手を振っていた。僕らは一瞬でお互いを認識し親交のための会話を始めた。


 「やあサテュロス。君が相棒で嬉しいよ。宜しく。」


 「デーモドコス、会えて嬉しいよ。これから二人で頑張ろう。」


 僕らは名しか知らぬはずだったが意気投合した。どうやら学派が同じようだ。


 僕らを結んだあの女性は生徒の周りをうろうろとしていた。時折生徒の会話に入り何かを話していた。僕らが話していた時にも彼女はやって来た。どうやら僕らの会話をこの騒がしい状況の中でも聞き分けていたらしい。


 「サテュロス、君はまるでエピクルースですね。ストイキスモスの口にも耳を傾けるようにしましょうね。」


 どうやら彼女は全員の名前と顔を覚えているらしい。


 「デーモドコス、君はあまり喉を痛めぬように。アカデメイアの中でアデステ・フィデーレスなどを歌ってはいけませんよ。ここはカテドラルではありません。例え神の御子が現れたとしてもそれは全くの黒い存在です。目の前の存在を疑うのは慣れていますでしょう。」


 彼女は軽く説教をして立ち去った。故にサテュロスとデーモドコスはたった今何を話せば良いか分からなくなり気持ちの落ち着かぬ空間へ飲み込まれた。


 「マギステルは存在を疑えなどと格好をつけて言ったが、そんなこと僕らは当然分かってるさ。そもそも存在を疑えと言ったマギステル自身がアカデメイアの中のダイモナスを恐れているなんて変な話じゃないか。」


 「そもそもここにダイモナスなどいるわけがないし、理由すらないよ。ここだけに限った話じゃないさ。」


 僕らは一瞬の苦しい沈黙を女性への愚痴のような批判で破った。彼女の聞き分け能力のある耳の存在を思い出したのはその後であった。


 彼女のその恐ろしい耳の存在証明だけは出来そうだと笑い合っているとその声で招集が掛かった。


 「静粛に。今から君達の部屋に案内しますからね。」


 サテュロスとデーモドコスがお互いに顔を見合わせながら待つのが終わったのは、マギステルと三人きりになった時であった。


 「サテュロス、デーモドコス。ここが貴方達のよ。」

 

 CBCL0221

 

 厚い木製のドアにはその文字が彫られていた。サテュロスはふと気になり女性がいた方を振り返るが既に何処かへ消えてしまっていた。


 「cubiculum」


 「Miseram me,,,」


 デーモドコスがあっさりと答えるとサテュロスは自分を蔑んだ。デーモドコスは微笑みながらその暴かれたドアを開けた。


 簡素な机とベッドだけが二人分置かれた部屋の天井には廃墟と化した蜘蛛の巣がかかっていた。


 サテュロスは迷いなく真っ先に綺麗な机に向き合い、デーモドコスは仕方なく、剥がれた壁の塗料が散らばった机に強く息を吹きかけた。


 「勉強は下のCBCL academでやった方が快適そうだな。」


 とサテュロスが言うと不機嫌にデーモドコスは嫌がった。


 「正直一人でやりたいよ。」


 僕が時計を久しぶりに見上げると既に午後の四時であった。騒がしく鞄からものを取り出す彼の音を気にせずに、僕は疲れてすぐに眠りについた。


 目を覚ました時には彼は何処かへ行っていた。CBCL academは気になってはいたが、今日は特に疲れがひどいせいか行く気にならない。


 僕はいつも通り分厚い本を開いて一見模様に見えるようなその波を捕まえた。囲まれた有限な海原で黙々と考えていると彼は帰ってきた。


 「明日のシンポジウムは朝の十時から、第二部が夜の七時かららしいよ。夜は葡萄酒が配られるらしい。」


 「正直葡萄酒はあまり好きじゃないんだ。君は好きかい?」


 「大好きさ。いつも飲みたいだけ飲みまくるんだよ。」


 「少量で満足できるよ僕は。ところで、どこでシンポジウムが開かれるのさ。」


 「僕らが最初にいた場所の正面にある大きな部屋らしい。巨大なドアの部屋って言っていたけどそんな部屋なんてあったか覚えていないね。」


 「なんせ上ばかり見上げていたからね。」


 「とりあえずCBCL sympって書いてあるドアだよ。」


 僕は読みかけの古い本の上に跡が残らないように薄くメモをした。


 翌朝、昨日に聞こえた汽車の警鐘で目を覚ましたが何故か懐かしい思いがした。汽車など乗って来ていないのに。


 僕が時計を見ると既に九時が終盤に向かっており、彼のベッドと机は殻だった。僕は少し急いで下へと向かった。


 相変わらず限界の見えない柱を横見しながら講堂の奥へと小走りすると、正面には大きな木製の扉があった。大きいのだが想像していた程の大きさではなかった。僕の身長の二倍程になるかならないかの扉である。


 扉をそっと開けるとあの巨大な柱のように限界のない廊下が広がっていた。右側には幾つもの黄色い小窓があったが、それは光ではなくただの塗装であった。故にほとんど気付かぬ無駄な小窓である。


 僕はすかさず声をかけたが誰の返事も無かった。もしかしたらこの廊下は想像よりも遥かに奥まであるのかもしれない。


 僕が暗いコスモスの中から扉を見つけたのは四、五分程彷徨った後のことだった。扉の中からは喉が篭った讃美歌が聞こえたが歌声は二人分しか重複していない。ただただ二つの暗い讃美歌が細々と扉の向こうから聞こえてくる。


 もしかしたら僕ら二人ずつ歌わされることはないだろうな、と少し心配になった。不幸なことに僕は遅刻した人間だ。きっとひどい罰があるに違いない。


 扉を開けるとその軋む音が部屋全体に広がった。


 中には驚くほど何もない小さな部屋があった。


 部屋を間違えたと余計な汗をかき扉を閉めるとその文字は昨日彼が教えてくれたそれとはやはり違かった。


 欠けた三角に一本の棒、点が付いたaの文字にベータ、綺麗な丸と支え合う二本の長い棒、そしてまた綺麗な丸に切れ味の良いかけ針。


 「ディアボロス、、、」


 僕は怖くなり駆け出した。暗闇の中を一直線に無我夢中で駆けていた。歌声の存在を思い出したのはその時だった。どこからか脳内にその声が届いてくる。自分の足の交互の入れ替わりはよりいっそう早まった。だが駆けても駆けても暗かった。行き道は数分だったはずなのに。


 僕が扉を見つけた時には背中の脂が出し尽くされていた。迷いも無くその大きなドアを出るとそこには彼がいた。


 「おい、初日から無断で誤魔化すのか。おかげで自分の方が罰を受けたじゃないか。」


 「もう終わったのかい。まだ始まって数分しか経ってないんじゃないか、」


 「もう二時だぞ。この時間までここに立たされている僕の身にもなれ。」


 僕は分からなかった。彼の身にもなれなかった。僕は彼が僕のことを正気でないと思うことを承知で説明をした。

すると案外彼は僕を信じ、興味さえ感じているようだった。


 「君が出てきたこのドアか。間違えて入ったんだね。饗宴はこっちの方だよ。」


 彼が指を指したのはあまりにも大きすぎる扉だった。僕らの身長の四倍はあろうかという扉であった。


 「大きすぎて気付かなかった、、、」


 彼は大きな声で笑うが僕はとてもそういった気にならなかった。


 すると彼は首を伸ばして辺りを注意深く確認した。


 「おい、右のポケットにナイフがあるから取り出してくれ。」


 そう言って彼は僕が取り出したナイフで彼を縛る縄を切った。するとナイフを構えてあの扉へ向かっていった。


 「どこ行くんだよ。」


 「どこってなんだよ。その部屋に決まってるだろう。」


 僕は彼の太い腕を強く引っ張った。だが僕の小さな体は逆に暗闇へと引っ張られた。


 「怖いのか。君」


 「そんなわけないじゃないか。」


 「あのな、僕らはフィレインとソフィアの子供なんだ。君は目の前の存在に対して何も知らないくせにどうして恐れる。こうして会話している僕の存在ですら架空だというのにダイモナスの存在だけは証明できたのか。」


 「やめろよいきなり真面目に。日常にまで存在論を持ち出す必要はないだろ。」


 「日常にまで持ち出さないから君の論文はいつも筋が通ってないんだ。知が欲しければすぐそこにあるではないか。」


 「僕の論文なんて一度も読んだことはないじゃないか。知が欲しいのは本当だけれどもそこに恐怖があれば行かないのが普通の人間だろう。」


 「まただよ、そうして恐怖の存在を勝手に証明して。嫌ならそれでいいさ、ついていかなければ良いじゃないか。」


 「行くに決まってるじゃないか。」


 扉を開けるとやはりそこには宇宙のような無限があった。恒星が一つもない故に僕は光が少しでも差し込むようにと扉を大きく開けておいた。


 「バレたらどうするんだ。」


 彼は静かにドアを閉じたが僕は反論しなかった。また彼と無駄な討論をするのは嫌だった。そして僕は彼が知を愛するという意味を履き違えていることも同時に喉で堪えた。


 相変わらず何も見えないその廊下をサテュロスとデーモドコスは早足で突き進んだ。


 僕らが扉を見つけたのは三分程歩いたその時であった。僕はもう一度扉の文字を確認した。夢ではなかったのである。


 「見て、この扉の文字」


 「なんて書いてあるんだ。」


 「君はラテン語しか分からないのか。親の母語であるというのに。君はいつも偉そうな口ばかりで何も知らないじゃないか。」


 「いつもいつもって昨日知り合ったばかりじゃないか。第一ソフィストを目指す僕たちは当然何も知らないのさ。そんなことも忘れていたのか。」


 「言語が理解できるか理解できないかでは論点が違うだろ。そしていちいち声を荒げるなよ。」


 「饗宴の一種じゃないか。」


 「ただの口喧嘩だよ。そしていちいち哲学に結びつけるな。そしてこの発言もまた日常から哲学を何とかなんて言うんじゃない。」


 「で意味はなんなんだ。」


 「ビアボロス」


 「発音じゃないよ、意味だよ。」


 僕はまた彼を罵りたかったが我慢した。


 「ダイモナスだよ。」


 彼は自分で謎を解いたかのように手を叩いてなるほどと険しい顔で囁いた。


 二人が久しく話すのをやめると讃美歌が聞こえてきた。


 「聞こえたぞ。君が聞いたのと同じか?」


 「間違いない。でも扉を開けた時には聞こえなかったんだ。」


 「君、恐れながらゆっくり入ったんだろ。僕が勢いよく開けるからすぐに入るんだぞ。わかったか。」


 「なんで僕なんだよ。」


 「経験者じゃないか。なんだ君こわ、、」


 「分かったよ。めんどくさいな君は」


 僕の心の準備など全く与えずにすぐに彼は扉を開け僕を突き飛ばした。


 何かに足を取られ顔が床にぶつかった。急いで顔を上げて見上げると、あの大きな柱があった。あの廊下のようにその先が全く見えなかった。何故か分からないが僕は講堂にいたのだ。


 一瞬、急に訪れたその日の明るさで目が眩んだ。意識を奪うような強い目の錯覚の中に転んだ時の記憶が蘇った。


 何かに足を取られた僕の顔は床にぶつかり転がった。動かない顔が転がり目を動かすと頭がない僕の体が首から血を高く上げながら力なく歩いていた。カランと高い音がして僕の頬をナイフが傷つけた。縄を切ったあのナイフだ。


 悪夢に襲われるように強かったその目の眩みはすぐに治った。


 「デーモドコス!どこにいる!」


 僕は大きく叫んだ。だが聞こえるのはデーモドコスという名前が永遠と繰り返されるその音だけだった。


 僕は急いであの部屋に向かった。その扉へ着いたのは二分が経たない時だった。


 ディアボロスと書かれたその小さな扉はがらんと開いていた。中からはあの憎い讃美歌が聞こえるが右からしか聞こえなかった。どうにも音の聞こえ方がおかしかった。頭の左を叩くとひどい痛みが生まれ、叩いた左手には血がついていた。


 「左耳がない、、、」


 僕がそれを認識すると急にひどい痛みに襲われた。止血するために下着を脱いで頭に巻いたがそれが触れると余計に痛い。


 尋常じゃない痛みを堪えてまた足を前に出していくと、重い頭が転がっていた。


 「デーモドコス!」


 僕は叫ばざるおえなかった。足元にあったのは探していた友人の重い頭だった。僕は思わず後退りし壁に背中を頼った。


 目の前のその光景に、僕は絶望することすらできなかった。左から右へ流れるその列はどこかで見たことがあるものだったが、僕の脳は既に正常に動かなく、何故か思い出すことができない。


 

 くり抜かれた彼の大きな目玉が中心に置かれた三角形のオブジェ。

 先が曲がってしまったナイフ。

 まつ毛が一本だけ残ったもう片方の目玉。

 失ったはずの僕の耳。

 デーモドコスの頭。

 頭がなく、左足が逆方向に折れている彼の身体。

 僕の頭

 片方に丸くなったあの縄


 

 ふと怖くなり横に目を背けると、そこにはデーモドコスの身体があり、そこから微かに見える彼の頭は讃美歌を口にしていた。


 僕の体は要らないらしく文字列に並べられた僕たちの目の前で自然発火していた。悲しくなった僕は隣で歌うデーモドコスと共に讃美歌を口にした。


 遅れてやって来た、色褪せた髪の長い完璧な胴体は讃美歌を歌わずに、


 Llle diabolus semper est vobiscum.


 とだけ囁き、黒帽子でピリオドを打った。

 

 扉の文字は更に深く、濃く、ディアボロスの存在を示していた。

 

 Διάβολος

 

                                               令和四年五月

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