ムーロ王国へ 5
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「テオ! 13!!」
「はいっ!」
テオドリーコは元気よく返事をすると、空中で一回転してきれいな受け身を取って着地した。
「姉様! 見てた? じゅうさんの回転受け身、僕できたよ」
「……はあ、はあ、み、見てたわ、ちゃんと。素晴らしい受け身だったわ。良かった……姉様ちょっと疲れたから休ませて」
私はテオドリーコの横にどさりと膝を抱えて座り込んだ。危なかった。弟にとんでもない大けがを負わせるところだった。
ぽっくり。ぽっくり。
「……ん?」
草をかき分けて進む、まぬけな蹄の音が近づいてくる。ぽくり、ぽくり。
「やあ、ミミちゃん、ご機嫌よう」
「……バルトロメイ様? なぜ……」
「ミミちゃんが庭でテオと遊んでるって聞いたから、会いに来たんだ」
「いえ、……なぜ、ロバに乗ってらっしゃるのですか」
「可愛いでしょう。乗りやすいんだよ」
大きな耳のロバに揺られてやって来たのは姉ニーナの夫バルトロメイだった。つまり、ムーロ王国の王太子である。黒髪青目の整った顔つきをしているが、とりわけ美しいという程でもなく、いわゆる親しみやすい容姿をしている。見た目通り落ち着いていて穏やかな人だ。
駆けてきたテオドリーコが躊躇せずにロバの鼻先を撫でているところを見ると、いつもロバに乗って我が家を訪れているようだ。
「ロバに乗っていると話しかけやすいようで、通りの街の人々に声をかけてもらえるんだ。民の声が直接聞けるというのはなかなかいいものだね」
「そうですか。でも時間がかかるでしょう」
「ははは。朝、王城を出て今着いたよ」
「ははは。やだ、バルトロメイ様ったらのんびりさん」
私たちは声を上げて笑った。王城から我が家までは馬なら1時間ほどだ。暇なのか。
「テオ、バルトロメイ様がいらっしゃったから、家に帰りましょう」
「うん、ロバに乗ってもいい?」
「いいよ。しっかり掴まるんだよ」
バルトロメイはテオドリーコを抱き上げてロバに乗せた。私たちはその横を並んで歩いた。
「ミミちゃんがまさかレナート殿下と結婚するとは思わなかったよ。ルビーニ王家からの書状が届いた時、アンノヴァッツィ公爵夫妻は、質の悪いいたずらだ、って言って王城に訴えに来たんだ。本物だって説得するのに、僕の父上も母上も宰相も将軍も薬師も、果ては占い師まで呼んで大変だったんだ」
「私もまだ信じられません。バルトロメイ様はレナート殿下とお会いになったことはあるのですか?」
「もちろん。挨拶程度だけれどね。とても美しくて真面目な方って感じだったな」
「ええ、私なんかよりよっぽど色っぽくて困ってます」
「ははは。でも、ミミちゃんを選ぶあたり、真面目なだけじゃないんだろうね」
どういう意味!? 私が目を見開いて黙ると、バルトロメイは更に楽しそうに笑った。
確かに私みたいなのを未来の王妃にしようなんて、レナートもおかしいし、それを認めた国もどうかしてる。アイーダの代わりが私に務まると思えない。
「むしろ君の代わりがいないから、選ばれたんじゃないかな」
「心の声にナチュラルに返事するんですね」
「レナート殿下に大切にされてるのがわかるよ」
「えっ。そんな、見た目でわかるほどに変わりましたか?」
「いや、実家には1泊しかしないって聞いたから」
ほらー、心配性だって言われちゃってるじゃない、どうするのよレナート。私は小さくため息をついた。家に近付いてきたので、一応テオの背中についた葉っぱや土を払い、証拠隠滅をしてからロバから降ろした。
家に入ると、応接間で姉たちがお茶を飲んでいた。大きなテーブルに私のおみやげを広げて、ひとつひとつを吟味している。
「合流しておいで。久しぶりでしょう、姉妹水入らずは。おいで、テオ。僕とロバに乗って遊ぼう」
「ロバトルメイ様と遊ぶー」
「テオ、バルトロメイ様よ」
バルトロメイは優しくほほ笑みながらテオドリーコの手を引いて連れて行ってくれた。私は自分でお茶を淹れ、久々の姦しいお茶会を楽しんだ。
「さて、聞かせてもらおうか、ミミ」
全員が揃った夕食の席で、父が一度咳ばらいをしてから低い声で言った。
バルトロメイは今夜は泊まっていくらしい。ロバで帰るにはもう遅い時間になってしまったからだ。彼がいるせいか本日のメニューは晩餐と呼ぶにふさわしい豪華さだった。
「レナート殿下って素敵な方なんでしょう。楽しみだわあ」
「母さん本気で言ってるの? 私はやだわ。そんな高貴な方にお会いしたらボロがでちゃう」
「何てことしてくれたのよ、ミミ」
「大国の王太子様なんてどうやってもてなしていいのかわからないわ」
「ちょっとちょっと、ここにこの国の王太子様がいらっしゃるのよ」
私があわてて姉たちを止めると、バルトロメイは「僕も何着ていいか迷うなぁー」とニコニコしている。私は非常に不安になった。本当にこの家にレナートを呼んで失礼はないのか。父だけが眉をしかめ、無言でパンをひたすらちぎっている。
「殿下はどのようなお方なのだ」
「ザ・完璧王太子」
「ミミより失礼な人は我が家にいないから大丈夫よ」
母が大きな肉を切り分け、テオドリーコと私の皿によそってくれた。ぐうの音も出ない私は肉をちまちまと細かく切って口に放り込んだ。
「そういえばお父さん、レナート殿下のことで相談があるんだけど」
「何っ! 私に相談だと!?」
父が急に慌て始めた。皿の上にはちぎったパンが山積みになっている。
「レナート殿下って、動作が優雅ですごくゆっくりなのに……避けられないのよ。気が付いたら背後に立っていることもあるわ」
「何ですってっ! ミミがやすやすと背後を取られるなんて!」
母と姉たちが口に手をあてて顔色を失った。バルトロメイとテオドリーコだけが表情を変えずにおいしそうに食事を続けている。
「……それで?」
テーブルに肘をついて指を組んだ父が、眼光鋭く続きを促した。
「そうねえ、ニコニコしているのに、力が強くて掴まれたら振りほどけないし。あんな人初めて会ったわ」
「……なるほど……」
あーでもないこーでもない、と騒いでいた母と姉たちが、一斉に黙って父の言葉に耳を傾けた。
「動きが非常に緩慢であるというのに隙が全くなく、気付いた時には動きは既に封じられ抵抗する間もなく一瞬で命を奪われてしまう、という、伝説の暗殺者集団がひと昔前にいたと聞いたことがある」
「えっ、まさか殿下が」
室内はしんと静まり返った。給仕していた使用人たちも遠慮して壁際でじっと息をひそめ、私たちの様子を窺っている。焦りから喉が渇いたのか、父はワインをぐっと一気飲みした。
「いや、その暗殺者集団は50年ほど前に壊滅したと聞いておる。その伝説の技も継承者はおらず既に廃れたと言われていたが……まさか、ルビーニ王国の王太子がその技を……!?」
「落ち着いて、お父さん。そんな感じはないよ、あの人」
「どんな時でも油断は禁物だと言っておるだろう!! 明日、朝一番で国中に散らばった師範たちを呼べ! レナート殿下を迎え撃つべく対策を練らねばならぬ!!」
「公爵、殿下を撃っちゃだめですよー」
父のグラスにワインを注ぎながら、バルトロメイが笑顔で言った。
「そうだった、講和条約締結に向けての和平会議だったな」
「婚約前の挨拶にいらっしゃるんですよー」
バルトロメイはそのままの笑顔でくるりと私の方に振り返った。
「こうなると思ったから僕は今日来たんだよ。心配だから君の婚約式にも出席するね」
「バルトロメイ様……お願いします」
私は彼に頭を下げた。父だけはひとり顔を赤くしたり青くしたりと忙しかった。
おっとりしているようでも、やはり王太子。彼がいればレナートが来ても何とかしてくれるだろう、……多分。
レナート最強説