ノベル3巻発売記念~優しい王子様 1~
2023年10月6日(金)逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件 ノベル3巻発売です!
とうとう、ミミとレナートが結婚します。二人の結婚式がメインの1冊となっています。
短編から始まったこのお話も、ついに二人の結婚まで辿り着きました。
皆様、どうぞこのおめでたい結婚式にご参加いただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
「えっ、レナート殿下……馬に乗れるんですか?」
あれはいつの頃だっただろう。
レナートとの婚約が決まり、頻繁に王城へ出入りするようになった私は、厩舎で馬を撫でるレナートを見てそう尋ねた。
毛並みの良い白馬を優しい瞳で見つめるレナート。凛と賢そうな白馬がそっと頭を下げ、レナートに頬ずりをしていた。まるで絵画のような美しいその光景に、誰もが息を呑んで見とれている。
「ああ、人並みには」
レナートはそう言って小さく頷いた。そして、ふと顔を上げてこちらに振り向いた。
「私が馬に乗っているところを見たことがあるだろう、ミミ」
「え、ええ……そうね。そうだったわ、とても慣れた様子だったわ」
私はあいまいに返事をして、手をモジモジと動かした。
実は私が欲しかったこたえはそれじゃない。私が本当に聞きたかったのは、その馬に乗れるんですか、だ。
厩舎の担当の人たちも、実際のところは見とれているわけではない。息をひそめてその馬の様子を凝視しているだけなのだ。
白馬はレナートに首を撫でられ、気持ちよさそうに目を瞑っておとなしくしている。
「ディウィキアクスは、三年前に王城へやって来たんだ。それ以来ずうっと私が乗っている」
レナートはそう言って、今度は白馬のたてがみを手で梳いてやっている。
「私しか乗せたがらない少し気難しい馬なのだが、とても賢くておとなしい良い子なのだ。いつかミミを乗せて遠乗りに行きたいと思っている。なあ、いいだろう? ディーウィー?」
「ヒヒン♡」
レナートに愛称で呼ばれ、ディーウィーは可愛らしく返事をした。そして、伏せていた長いまつ毛をゆっくりと開くと、レナートに見えない角度ではぐきをむき出しにして、私を小馬鹿にするかのように笑った。白目を剥き、舌もだらりと垂らしていて、本当にムカつく笑顔だ。
「レナート! 見て!」
「どうした?」
私が指さすとレナートが振り向いたが、ディーウィーはすぐに表情をきりっと元に戻す。半歩だけ後ずさり、怯えたように軽く足踏みをした。
「ミミ、ディーウィーは繊細なんだ。あまり大きな声を出すとびっくりしてしまうのだよ。大丈夫だよ、ディーウィー。落ち着いて」
そう優しい声で宥められ、ディーウィーがふるふると顔を横に振りながらそっとレナートの肩に頭を置く。可愛らしく甘えるその姿に、レナートの頬が思わず緩んだ。
「ディーウィー。彼女は私の婚約者のマリーア嬢だよ。私の大切な人なのだ。君も彼女を守ってくれるね?」
「ヒヒン♡」
殊勝に返事をしたディーウィーはまた、レナートがライモンドと話している隙に、私に向かってベロリと舌を出して白目を剥いた。
「ディウィキアクスがお前に反抗的だぁ? 何言ってんだ、あいつはどの馬よりも繊細で大人しい馬だ。そんなわけないだろう」
私の訴えにガブリエーレがすぐさま反論した。
くっ、あいつ、ガブリエーレの前でも猫被ってるってわけね。馬だけど。
「レナートがとりわけ可愛がってるからって馬にまで焼きもち焼くなんて、お前……。いや、まあ、気持ちは分かるよ。お前には無理だもんな。あの控えめな態度」
「ぐっ……」
あの馬は人を見て態度を変える。レナートやガブリエーレ、ライモンドには従順に大人しく従っているのだ。そういう意味では、とても賢い。
しかし、その三人のいない時のディーウィーの態度はひどい。まさしく暴れ馬なのだ。
きれいに掃除して、新しく敷いた寝藁をすぐに散らかす。馬房を勝手に抜け出す。他の馬にケンカを売る。常に目をひん剥いて近寄る人を威嚇する。歯茎をむき出しにして白目を剥く。厩舎の人間の言うことは全く聞かない。
始めて厩舎の見学に来た時は、ディーウィーの傍若無人っぷりには驚いた。そして、この馬がレナートの愛馬だと聞いて二度驚いた。レナートの前での態度の違いに三度驚いた。さすがにもうそれ以上は驚くことはないのだが。
ただ、人を蹴り飛ばしたりなどの危害は加えない。また、毛づくろいなども拒まない。レナートに普段の我がままっぷりをけして見せることはないのだ。
我がアンノヴァッツィ公爵家の馬は体も大きく気性もかなり荒いのだが、ディーウィーほどずる賢くはない。
私は正直言って、レナートのこの愛馬とこの先うまくやっていける気がしなかった。
とある日の朝。王城の傍らにそびえ立つ騎士団員が住まう大きな棟。そこの食堂では、大皿に盛られた山盛りの料理を団員たちが奪い合うようにして食べていた。
そんな騒がしい中、扉を叩き開けて騎士団長が入室してきた。騎士団長の姿に、皆一斉に話すのをやめたものの、食べる手は止めない。
「貴様ら、ようく聞け! 国際指名手配の賊が、国境を越えルビーニ王国へ入国したとの情報が入ってきた! これより討伐に向かう! 各自、班長の指示に従うように!」
「うぉぉー!」
血気盛んな団員たちの返事が響いた。もちろん、私も一緒に雄たけびを上げた。
「ちょっと待て、マリーア。どうしてお前がここにいるんだ」
振り上げた私の右手を、ガブリエーレがしっかりと掴む。
私は頬張っていたジャガイモのバター炒めを飲み込み、その手を振り払った。
「王城に戻るよりここで食べた方が早いじゃない。朝練でお腹ペコペコだったんだもの。仕方がないわ」
「何が仕方がないだ。王太子妃がこんなところで飯を食うな!」
「何よ! 騎士がぎゅうぎゅう詰めになってるここが、この国で一番安全な場所じゃない」
「ぐっ……確かにそうだがっ、雄叫びは……」
「ガブリエーレ」
私に詰め寄ろうとしたガブリエーレを、騎士団長が呼び止める。いつの間にか食堂はしんと静まりかえり、私たちの口喧嘩に皆が耳をひそめていた。
「マリーア様の朝練参加は王家からも許可が下りている。切磋琢磨した団員と朝食を共にするのもまた、王家と騎士団が心を一つにして国を守るという志の下に信頼を確かめ合う尊い時間となることであろう。よって、マリーア様の騎士団朝食会場への参加は必然である!」
「偉そうなこと言ってるけど、騎士団長がマリーアに甘いだけだろ!」
ガブリエーレは臆することなく、びしりと騎士団長を指さした。騎士団長はちらりとこちらを見ただけで、すぐに全団員を見回す。
「以上! 討伐担当班は食事を終えたらすぐに出る準備をするように!」
「おい! 無視かよ!」
「うおぉぉーー!!」
ガブリエーレの叫び声は、団員たちの雄叫びにかき消された。
朝食を終えた私は団員たちと共に丈夫な皮の防具を身に着け、ブーツの靴紐を固く結んだ。
「マリーア様、そんな簡易な防具でいいのですか? 甲冑にはまだ予備がありますよ。怪我をしてしまったらレナート殿下が心配します」
隣で鉄の胸当てを装備していた騎士が、声をかけてきた。私は勢いよく、ドン、と自分の胸を叩く。皮の胸当てに、めしゃっ、っとしわがよった。
「大丈夫よ! 私は騎士ではないから、これくらいの軽装備の方が動きやすいの。接近戦なら私に任せて。自分の立場は分かっているつもり、前には出ないわ。安心して」
「安心できるかーー!」
頭の上から怒鳴り声が聞こえたかと思ったら、膝を抱えて靴紐を結ぶ姿勢のまま持ち上げられた。
「ちょっと、ガブリエーレ! やめてよ! 淑女を持ち上げないでよ!」
「誰が淑女だ! お前、全っ然! 自分の立場を分かってないだろ! 王太子の婚約者が賊の討伐に軽装で参加するなー! ゲホッゲホッ」
朝から全力でツッコミすぎてガブリエーレがさすがにむせ返った。それでも、私を持ち上げる腕は下ろそうとしない。背の高い彼に持ち上げられてしまい、私は足をばたつかせて暴れたものの、まったくその手は離れることがなかった。
「ガブリエーレ、あなたはレナート付きの近衛騎士でしょ! なんで討伐班にいるのよ」
「お前が勝手に参加してるんじゃないかと思って見に来たら、案、の、定、殺る気満々でいたから連れ戻しにきたんだ」
「なによう、実戦参加はこれで最後にするつもりだったのに」
「お前、しれっとウソつくなよ。チャンスさえあれば騎士団に潜り込むつもりだろ」
「えっ、また心の声聞こえちゃった!?」
ガブリエーレは心底呆れた表情をして、私を持ち上げたまま王城に向かって歩き出した。私に声をかけてくれた騎士が、残念そうに手を振っている。
レナートは基本的に頑丈な馬車移動なので、それほど馬に乗ることはありません。
でも、乗ることはできます。王子様なので。




