コミックス4巻 発売記念SS
「逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件(漫画:ながと牡蠣先生)」コミックス4巻が発売となりました!
巻末には私が書いたSSも載せていただいてます。
めずらしくプラチド視点からの、留学当時のミミの話です。
各書店様の特典もありますので、皆様どうぞ釣り上げよろしくお願いいたします!
「うちで一番強いのはお母さんよ」
そう言って私はレモンパイを頬張った。ぱちくりと瞬いたレナートの手には、一口サイズに切ったレモンパイの刺さったフォークがある。パイのそのサイズの小ささに、私は、しまった、と息を呑む。私の皿には半分の大きさになったパイが残っている。もちろん、まだ一口目だ。
「ふむ、言われてみれば、確かに弟子を含めアンノヴァッツィ家の皆はミミの母上には頭が上がらないようであったな」
レナートはそう言うと、ぱくりとパイを口に入れた。
話の始まりは、ライモンドの何気ない一言だった。
「マリーア様は顔はともかく、性格はお父様そっくりですね」
ライモンドの淹れる紅茶は絶品だ。さすが長年レナートに紅茶を出し続けていただけある。しかし、その言葉に私は思わず紅茶を噴き出した。
「まさか! 私はお母さんそっくりって言われてたのよ」
「こちらこそ、まさか、ですよ。むしろ、あんなに優しくて常識人のお母様がアンノヴァッツィ家に嫁いだのかが不思議なくらいです」
「お母さんが優しい? 私たち姉妹は、何度となくお仕置きとして廊下に逆さづりにされてたのよ!」
「逆さづり!? 一体何をしたらそんなお仕置きされるんですか」
「そりゃ、まあ、王城の壁を壊したり、庭の木を倒したり……。体を布団で包まれた後に縄でぐるぐる巻きにされるのよ。苦しいし暑いし……ああ、思い出しただけでも泣きたくなってきちゃったわ」
「お母様は、アンノヴァッツィ家唯一の非戦闘員ではなかったのですか」
そして、冒頭の言葉に繋がるのである。
「ミミの母上は確か、ムーロ王国の子爵家の令嬢だったな」
レナートがそう尋ねながら、残り半分になったパイを空になった私の皿に移す。レナートはいつもこうして、先に食べ終わった私におやつを分けてくれるのだ。遠慮したい気持ちで一杯なのに、食欲に抗えない自分が憎い。
「ええ。お母さんの実家は子爵家だけど、建国当時から続く由緒ある貴族家なの。物心ついた時からマナーの家庭教師がついていたって聞いているわ。だから、お母さんは笑顔で全ての感情を表現することができるのよ」
「それが正しいマナーなのかどうかは分かりませんが、確かにそんなご様子ではありました」
レナートに促され、ライモンドもソファの端に腰掛ける。彼は人前ではけしてレナートと並んで座ることなどしないけれど、こうしてごくプライベートな場では多少は砕けた態度を見せてくれるようになった。
嬉しくなった私は、紅茶をごくごく飲んでのどを潤す。これで話しやすくなった。
「お母さんの家はとっても厳しくって、ほとんど乳母と家庭教師に育てられていたから、両親とは朝食と晩餐の時にしか会ったことがなかったんですって。父親は仕事、母親は社交でほとんど家にいなかったらしいわ。食事中にしゃべることはマナー違反だったから、両親と会話したことはほとんどないって言ってたわ」
「まあ、そういった家がないわけではない」
レナートが小さく頷いた。最近ではめずらしい家庭ではあるがな、と付け加えて。
若干青ざめているライモンドが私たちのカップに紅茶を注ぐ。
「そ、そんな格式高い貴族のご令嬢が、なぜアンノヴァッツィ家に……」
「お母さんが16歳になった時に、国外の貴族との縁談が持ち上がったんですって———」
縁談の相手は、隣国の伯爵家の嫡男だった。送られてきた釣書を見ると、確かに見覚えがある。先日のお茶会に同席していた青年だ。
彼はまるで陶器でできた人形のように整った容姿をしていた。凛として口数が少なく、誠実を絵に描いたような人だった。
ああ、この人と一生を共に過ごすのか。そう思った時、ミミの母親の脳裏には、とある青年の顔が思い浮かんだ。
ムーロ王国の王家主催の夜会で見かけた青年。彼は王太子の護衛で、早々に引退した父親から爵位を継いだばかりのアンノヴァッツィ公爵だ。護衛対象であるはずの王太子と並んで、共にゲラゲラ笑いあっている。
なぜだろう、彼の笑顔が忘れられない。
母は、その日のうちに荷物をまとめ、アンノヴァッツィ領へ家出した。すぐに辺りを警らしていた弟子に保護され、屋敷に案内された。
「大きな口を開けて笑うあなたと家族になりたくなりました。結婚してください」
「いいぞ」
ミミの父は初対面の令嬢からのプロポーズに快諾した。さっそく二人で手をつないで王城へ駆け込み、主である王太子———現在のムーロ王国の王である———からその場で許可をもぎ取った。
王家からの信頼厚い公爵家、しかも国で一番強い男との結婚に、子爵家である母の両親は反対などできるはずがなかった。
あっという間に結婚式を終え、長女のイデアが生まれた。自分の手で子供を育てたい、と言ったらこれまたあっさり許可された。義両親や弟子たちの手を借り、親の愛とはどんなものかと考える余裕もなく子育てをした。すぐに次女、続いて三女が生まれた。もうその頃にはすっかり母親になっていた。
五女マリーアが生まれた次の日には、ゆりかご持参で弟子たちの宿舎の炊き出しの手伝いに出ていたくらいだ。
「考えるよりも、さっさと行動しちゃった方が話が早いわ。大丈夫、想像しているよりも悪いことなんて起きないものよ」
類まれなる才能を認められ跡継ぎとなることになった幼いマリーアに、母はそう言って笑った。
「ってわけ。お父さんとお母さんは出会ったその日に結婚したらしいわ」
「は、……はあ。アンノヴァッツィ家らしいというか、さすがマリーア様のご両親ですね。納得です」
ライモンドが苦笑いしつつも、納得したように何度も頷く。
「なるほど。その話を聞けば、確かにミミは母親似のようだ」
レナートはそう言って品よく紅茶に口を付けた。
「お母さんの行動力と頑固さにはお父さんも敵わないわ。だから、我が家で一番強いのはお母さん。次はお父さん。でも、状況によっては私の方がお父さんより強いと思うわ」
「それはどんな状況なんだ?」
「お父さんがお腹空いてる時とか、お母さんに怒られた直後とか」
「割とよくありそうな状況ですね」
「ええ。でも、やっぱりお父さんの方が力も強いし技の命中率が高いの。お父さんに蹴られて鍛錬場の端から端まで吹っ飛んだことがあるけど、さすがに私もそこまではできないわ」
私の言葉にレナートとライモンドがぎょっとする。
「端から端まで!? ミミはその時、大丈夫だったのか」
「もちろん! 私の受け身技術は折り紙付きですもの。ただ、宙を舞っている時はちょっとだけ意識が飛んだわ」
「娘でも容赦ないのだな」
レナートが手を伸ばし、そっと私の頭を撫でた。蹴り飛ばされた時は無事だったとはいえ、涙が出るほど痛かった。今でも忘れられないあの痛みが、レナートの優しさでようやっと癒されたような気がした。
目を閉じてレナートの手の感触を味わっていたけれど、なんだか視線を感じる。
「よくもまあ、人前でそんなにいちゃつけますね」
ライモンドが呆れ顔で私たちを見つめていた。
「ライモンド様は特別なの」
「そんな特別いりません」
ライモンドはそう言って、ポットに残っていた紅茶を私たちのカップに注いだ。そして、手早く周りを片付け、自分のティーカップと書類を持って立ち上がった。
「私は自分の部屋で仕事しますので、この後はお二人でどうぞごゆっくり」
「あっ、待って。ライモンド様」
私の呼び止める声も無視して、ライモンドはさっさと部屋を出て行ってしまった。
絶対に二人きりにさせない、と言っていたライモンドも、最近ではこうして席を外すことが多くなった。
こうしてレナートと二人きりで過ごすのにも慣れてきた。
たくさんのことが変わってゆく。
テオが生まれて、ムーロ王国を出て。たくさんの人と出会って。あっという間だった。
私もどこか変わったのかしら。自分じゃ全然わからないけれど。
レナートと私の結婚式はもう目前。
来月もWeb版逃げ釣り更新あります。
よろしくお願いいたします<(_ _)>




