ノベル2巻&コミック1巻 同時発売記念SS
本日7月7日、ノベル2巻とコミック1巻が同時発売となります!
どうぞよろしくお願いいたしますー!
区切りの良いところまで、と、ついつい夜更けまで仕事をしてしまうのが、王太子レナートの悪いところである。
王城にマリーアが泊まる日であれば、彼女が王太子の棟でレナートの帰りを舞って(誤字ではない)待っていてくれるのだが、本日はそれもない。だから、こんな時間まで執務室にこもってしまったのだ。
それでもやはり、疲れていたのだろう。気付けば執務机に頬杖をついたまま、レナートはうっかりとうたた寝をしていた。
目を覚ましたレナートは、パチパチと瞬いた後、そうっと身を起こした。インク壺は蓋が閉まっており、紅茶のカップも離れたワゴンの上に置いてある。
良かった。インクや紅茶をこぼしてしまうような大惨事は起こしていないようだ。
レナートは気だるげに目を伏せ、小さく息を吐いた。そんな間の抜けたことを考えているとは思えないような、美しいしぐさだった。
「今、何時だろう」
壁にかかっているはずの時計が見当たらない。まだ寝ぼけているのだろうか、と、指先で目頭を揉んだ。
「お茶でも飲んで落ち着くか」
ワゴンの上のポットのお湯はまだ温かい。それほど長い時間寝ていたわけではないようだ。
装飾の多い上着を脱ぎ、シャツの袖をまくる。うっかり引っかけてお湯をこぼしてしまわないよう、最善の注意を払って紅茶を淹れた。
私だって、これくらいのことはできるんだ。
紅茶の入ったカップを両手でしっかりと握り、レナートはゆっくりとソファに向かって一歩踏み出した。そして、二歩目の足がワゴンに当たる。ワゴンが揺れ、その拍子にポットが倒れ、蓋がころりと床に落ちた。あわてて拾ったが、蓋は少し欠けてしまっていた。しかし、ようく見なければ分からない程度だ。大丈夫、まだ使える。幸いポットは空だったので被害は最小限だった。
ソファに腰掛け、ぬるい紅茶に口を付けた。
一息ついたレナートは、時計がないことを思い出した。仕方がない、扉の外にいる警護の騎士に尋ねるとするか。
扉を開き、外へ踏み出そうとした足を宙に浮かせたまま、ぴたりと止める。
開いた扉の先には、暗闇が広がっていた。ただの暗闇ではない。チカチカと無数の星が瞬く、夜空だった。
レナートはごく自然に扉を閉じた。
何だ、今のは。
そこにあるはずの廊下はなく、星明かりの浮かんだ、どこまでも続くうすら明るい宵闇だった。あごに手を置いたレナートは、姿勢よく突っ立ったまま思索した。
「そうか、これは夢か」
ぽん、とレナートが手を打つと、それを合図にしたかのように扉が勢いよく開かれた。開いた隙間から、金色の髪の子供が顔をのぞかせる。
「ねえ、どうして扉を閉めちゃったの?」
怒ったように頬を膨らませた子供が、レナートを叱る。
「テオドリーコ?」
レナートは思わずマリーアの弟の名を呼んだ。
いや、違う。肩のあたりまで伸ばしっぱなしの明るい金髪、丸く大きな紫色の目。マリーアによく似たテオドリーコのようではあるが、髪の色が違う。というか、これはまさにマリーア本人だ。
「そうか、子供のミミか」
ふむ、と再びあごに手を置き、レナートは深く頷いた。
そういえば、夕方にプラチドと一緒に執務室へやってきたアイーダから、幼少期のマリーアの話を聞いたばかりだった。だから、夢に出て来てしまったのだろう。確か、髪が短くボロボロの軍服を着ていて男の子のようだった、と言っていたはずだ。
目の前にいるマリーアは、軍服ではなく、質の良いシャツとサスペンダーを付けたズボンを履いている。膝にあて布がつけられているのが子供らしくて可愛らしい。
「ねえ、ちょっとこっちに来て、手伝ってちょうだい」
子供のマリーアがレナートの手を取って駆け出す。勢いよく引っ張られたレナートは扉の外に足を踏み出してしまった。しかし、その足は何もない宙をしっかりと踏みしめ、落ちることはなかった。子供のマリーアとレナートは仲良く手をつないで夜空を走っている。
振り返ると、さっきまでいた執務室の扉がぷかりと暗闇に浮かんでいる。
なるほど、やはりこれは夢か。
レナートは確信した。
「ミミ、いったいどこへ行くんだ」
急に足を止めた子供のマリーアが、大きな瞳を何度も瞬いてレナートを見上げた。
「私はミミじゃないわ。マリーア姫。皆、私の事をマリ姫って呼ぶわ」
「マリ姫」
「うん。あなたは誰」
子供のマリーア、改め、マリ姫がニコニコと微笑んだ。その笑顔を見たレナートが眉をひそめる。
「マリ姫。いくら手伝ってほしかったからと言って、名も知らないような見ず知らずの人間に声をかけてはいけない。私が悪人だったらどうするんだ」
「え」
「君は確かに強いだろうが、そういった慢心がいつしか隙を作ってしまうんだ。いつもライモンドに言われているだろう」
「え」
マリ姫はおろおろとしながら、もう一度「え」とつぶやき、頭をぼりぼりと掻いた。そして、またにっこりと笑った。
「とりあえず、あなたが悪人じゃなくて良かったわ」
地面……ではなく、宙に膝をついて、レナートはマリ姫と目線の高さを同じにした。それが嬉しかったのだろう、マリ姫はひょこひょこと歩いてレナートにさらに近付いてくる。
ずいぶんと人懐こいな。確かマリーアは子供の頃から武術に秀で強かったそうだが、見ず知らずの大人に対してこんなに警戒心がないとは。そういえば、あっさり誘拐されたこともあったな。夢の中ではあるが、レナートは心配で気が気ではなくなってきた。
「君は、マリ姫は、ここで何をしているんだ」
「あ、そうだった。あなたにあれを取ってほしいのよ。私じゃ手が届かないの」
マリ姫が指さす先には、何もなかった。上下左右、そして背後にも広がっているのと同じ星空があるだけだった。不思議に思いながらも、レナートはその先に手を伸ばしてみた。
「おや」
指先に何かが触れた。探ってみると、固い棒状のものが確かにそこにある。握ってひっぱってみると、一本の立派な竹が姿をあらわした。長さはレナートの身長ほどもある。
驚いたレナートが目を丸くしていると、両手を高く挙げたマリ姫がそれを受け取った。
「ありがとう、これがほしかったのよ」
「こんな長い竹を、一体どうするつもりなんだ?」
「この川を渡るのよ」
「川だって?」
よく見れば、夜空に浮かんでいるように見えた星は、さらさらといっせいに同じ方向へ流れて行っている。
「ほう、これが天の川か」
こんなにメルヘンチックな夢を見るとは。レナートは自分に感心した。
「この棒をね、川にこう突き刺して、びよーんって跳んで行こうと思ってるの」
「ええと、棒高跳びの要領で川を越えようというのか。向こうへ行ってどうするんだ」
「会いたい人がいるのよ」
「何だと」
再びレナートは宙に膝をつき、マリ姫の肩に手をかけその小さな体をガクガクと揺すった。
「私はここにいると言うのに、いったい誰に会うと言うのだ。私以上に会いたい人物がいると言うのか。それは誰だ。どんな奴だ。国内の人物か。年は? 身分は? 名は何という? 自分で言うのも何だが、この国で一番の優良物件は私だぞ」
「ゆうりょ……? 待って、待って。早口で何を言っているのかわからないわ」
頭を揺さぶられ、マリ姫がくるくると目を回す。ハッとしてあわててレナートは手を離した。
「すまない、小さな子供相手に取り乱してしまった」
「ん、大丈夫。お父さんのキックよりはずっとましだわ。ええと、川の向こうにいる人はとっても会いたい人なのよ。あのね、一年に一回しか会えないの」
「なぜ、一年に一回なんだ」
えへへ、とマリ姫が舌を出して照れ笑いをする。
「私が川の向こうで遊んでばかりで勉強をさぼったから、罰として一年に一回しか会えなくなっちゃったの」
「なるほど。……一年に一回とは、それはさみしいな」
レナートがそっと頭を撫でると、マリ姫がくすぐったそうに目を瞑る。
もしマリーアと一年に一回しか会えないとしたら。そんな悲しいことはない。想像すらしたくない。なんてかわいそうに、とつぶやこうとした瞬間、マリ姫がすばやく両手で竹を持ち上げた。
川を飛び越えるつもりなのだろう。レナートは邪魔にならないように、そっと距離を取った。
「今日が一年で一回会える、その日なのだね。マリ姫」
「え? 違うわよ」
「違うのか!?」
両手を伸ばして頭の上に長い竹を持ち上げたまま、マリ姫がきょとんとする。
「おととい会ったばかりよ。でも、どうしても会いたいのよ。川を渡るのは大変だけど、行っちゃおうと思うの」
だって会いたいんだもの。マリ姫はそうはっきりと言うと、竹を構え身を低くして駆け出す姿勢になった。
「会いたいから何がなんでも会いに行く、か。……なるほど、それでこそ、私のミミだ」
レナートは、誇らしげに深く頷いた。
マリ姫の視界にはもうレナートの姿はない。まっすぐに川の向こうを睨んで集中している。ふう、と一度息を吐くと、いきなりトップスピードで駆けだした。
マリ姫が川の真ん中に竹を突き立てる。
……はずだった。
マリ姫とレナートが想像していたよりも、川は深かったらしい。あんなに長かった竹はあっという間に川に飲み込まれ見えなくなった。バランスを崩したマリ姫がそのまま川に落ちた。
「うわぁーー!」
川に飲み込まれたマリ姫の足が蹴り上げた星が、コツン、コツン、と二つ、あさっての方向へ飛んでいった。悲鳴と共に、マリ姫が大量の流星に流されてゆく。
この天の川はどこまで流れているのか。このままではマリ姫は宇宙の果てまで流されていってしまう。
あんなに会いたがっていた人に、会えなくなってしまう。
「マリ姫!」
レナートは彼女の名を呼びながら、必死に手を伸ばした。
「うわあ!」
しっかりと握った手が、思っていた以上に大きい。しかも、何か固い。レナートはギョッとしたが、先ほど叫んだのは自分ではない。聞き覚えのある、この声は。
「殿下、起きたんですか。びっくりさせないでくださいよ」
目の前には、たいそう驚いた表情のライモンドが立っていた。レナートは掴んでいたライモンドの手を放した。手を開いたり握ったりしながら、状況を確認する。
どうやら自分はソファで眠っていたらしい。クッションが一つ、床に落ちている。
「こんなところで仮眠を取るくらいなら、きちんと部屋に戻って眠ってください。明日も朝から仕事なんですからね」
クッションを拾い上げたライモンドが呆れ顔でため息をつく。文句を言いながらも、心配して様子を見に来てくれたのだろう。レナートはゆっくりと立ち上がり、窓辺へ向かった。
少し肌寒いな。窓ガラスに映る自分はシャツ姿だ。いつ上着を脱いだのだろうか。シャツは腕まくりまでしている。
「あれ? 殿下! また落としたでしょう。ポットの蓋が欠けているではないですか」
ライモンドがワゴンの上のポットを見て小言を言う。
窓から見上げた先には、満天の星空が広がっていた。
「あっ」
レナートが思わず声を上げた。ぼんやりと見つめていた視線の先で、流れ星が二つ、ポーン、ポーン、とあっちとこっちへ飛んで行って消えた。
「どうしました? 殿下」
「流れ星だ」
「へえ、願い事しましたか?」
「早すぎて間に合わなかった」
「あっ!」
今度は、隣に並んだライモンドが叫んだ。
「流星群ですねえ」
二つの流れ星を合図に、たくさんの星が一方向へ流れては消えて行った。まるで、川の流れのように。
「織姫と彦星は会えましたでしょうかねえ」
ははは、とライモンドが笑う。
「きっと、会えただろうね」
レナートがこたえる。
どんなに遠くまで流されたとしても、あのマリ姫だったら、必ず戻って来て会いに行けたに違いない。
何だか急にミミに会いたくなってきたな。
早く明日になるように、と、レナートは空を見上げながら、そう願った。
夢のような夢ではない話。
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他にもプレゼント企画などのお知らせを活動報告にまとめてありますので、是非そちら読んでいただけると嬉しいです。




