襲撃 2
「マリーア様……あなた……」
立ち止まったベンハミンがゆっくりと体の向きを変え、私の目をじっと見た。私はあわてて目を逸らす。この人の瞳を見ては、いけない。
「全部聞こえてますけど……」
「なんですって! あなた人の心を読むことができるの!?」
「まあ、そういうことにしておいてあげますよ」
呆れ顔のベンハミンがベランダへと続く窓の鍵を開けた。
気が付けばここは小さな物置だった。考え事をしているうちに彼の後についてここへ入ってしまったらしい。
「はっ! 私をここへ誘導する呪いをかけたのね!」
「言ったでしょ。人間を意のままに動かすような力は持ち合わせてないですよ」
ベンハミンはこちらに背を向けたまま窓を開けた。物置と言えど、王城はきちんと整備されているので窓はスムーズに開くのだ。感心したように建付けを確認しているベンハミンは隙だらけだ。右足で大きく踏みだせば一歩の距離。しかし、私はその一歩に躊躇している。彼に関しては、何が起きるのか予測ができない。
ガラスに映る彼の瞳が暗い朱色のままだったことに、私はほっとした。
「呪いって災いなんですよ」
窓に手をかけたまま、ベンハミンは言った。
「災いとは不幸のこと。誰にだって訪れるし、誰も避けることはできない」
ベンハミンはくるりとこちらを向くと、右手を胸に手をあて頭を下げた。左手はベランダに向けられている。私はゆっくりと窓辺へ近付いた。おそるおそるベランダへ足を伸ばすと、覚悟を決めて足を下ろした。
びゅう、と風が吹いて、私の髪が揺れた。
青空に白い雲が流れている。見張りの塔の三角屋根の頂点でルビーニ王国の国旗がひるがえっている。
ベランダは落ちることも、もちろん揺れることもなかった。見下ろせば、そこはちょうど私の庭の真上だった。上から見れば、大きく枝を広げる木々と青々とした芝生しかない、緑一色の庭だ。
「あなたがお水をお酒に変えれば、幸せになる人はたくさんいるわ」
「酒は百害あって一利なし」
「あら、それを言うなら酒は百薬の長なんじゃないの?」
「ふふ、あんたには害なのでは?」
「私にはね。飲まなくて良かったわ」
ベンハミンは手すりに乗り上げるようにして、眼下の庭を覗き込んだ。
「飲んだって大丈夫ですよ。アルコールアレルギーなんてないですよ、あんたには」
「そんなことどうしてわかるの」
「あんた、酒を使った菓子も料理もガツガツ食ってたじゃないですか」
「そういえばそうだわ」
「ちょっとだけなら大丈夫とか、アレルギーってそんなもんじゃないんです。多分、酒に弱いとかその程度ですよ。たくさん飲まなけりゃ大丈夫でしょ」
「認めるのね、私の水筒のお水をお酒に変えたこと」
私がそう言うと、ベンハミンの横顔がニヤリと笑った。
「かばってくれたんスね。王太子殿下に言わなかったんでしょう」
「どうかしら」
「俺が自由に王城を歩けてるってことは、そういうことでしょ」
手すりから身を下ろしたベンハミンが、こちらを見ないまま手に付いたほこりを払っている。
「レナートはあなた程度の人、敵じゃないもの」
「はは。そうかもね。あの王太子殿下は隙だらけなのに肝が据わってるって言うか、おっと、始まったかな」
ベンハミンがそう言うと、庭の奥から人の話し声がした。見下ろせば、見覚えのある日傘を中心に数人の人だかりができている。そこに駆けて来る黒い服の人物。何を言っているのかはわからないが、その声は間違いなくアントーニウスだ。そして、日傘の下にいるのはきっとアンシェリーンだろう。
「招いてもいないのに、どうして二人が私の庭に……?」
私は思わず手すりから身を乗り出す。
アンシェリーンの侍女もいつもより少ない。黒い服に至ってはアントーニウスを含めて3人だ。護衛が少なすぎる。
「警備の手薄なところが、まさか私の庭だったなんて……」
いつの間にかすぐ隣で手すりにひじをついていたベンハミンが、笑うでもなく目を細める。
違う。ベンハミンが、警備の手薄なところを作ったのだ。一般の人の立ち入りが禁止されている私の庭に、代わる代わる帝国の兵士が出入りしていた時点で気付くべきだった。一番最初に庭に現れた二人の兵士。彼らが待ち合わせしていた三人目は、ベンハミンのことだったのではないか。
「おや、アンシェリーン殿下はマリーア様に庭へ呼び出されたって言ってましたけど。あんたがここにいるってことは、違ったんスね」
「私じゃないわ」
「アントーニウス殿下は、おおかた王太子殿下に呼び出されたのかな」
「ベンハミンさん、あなたそれが嘘だって知っていたのなら、どうして」
「何もしないことは、罪になるとでも?」
女性の悲鳴が上がった。日傘が飛んで芝生を転がってゆく。
木の影から黒い服の人影が次々とあらわれ、アンシェリーンとアントーニウスを囲む。護衛であろう騎士が剣を抜き二人の前に立っているが、人数的に分が悪い。
「どうしてアンシェリーン殿下まで!?」
「出る杭は打たれる。第二皇子か、第三皇子ってこともありえるね」
「アンシェリーン殿下はあなたの主でしょう!?」
「守ることは俺の仕事じゃない」
手すりに頬杖をついたままこちらを見たベンハミンは笑っていた。
「痛ぇっ!」
足元に置いていた兜をわざとベンハミンの足にしたたかに落とした。
「今から走ったって、間に合わないですよ」
兜をかぶった私に、ベンハミンが足をさすりながら言う。
「約束したのよ、二人を守るってね」
「ちょ、あんた、ここ三階っ」
私は手すりに足をかけた。ベンハミンが言い終わる前に大きく前に飛び出す。
一本だけ大きく張り出した木の枝に手を伸ばす。思ったよりもずっと向こうにあったけれど、ギリギリつかまることができた。細い枝はそのまま大きくしなり、私は次の枝に飛び移った。先ほどよりもいくぶん太くなった枝で一回転して地面に飛び降りる。
空から突然あわられた私に、アントーニウスをはじめ全員が驚いて声を失った。わたしはすぐに身構え、さっと周りに視線を走らせる。
「はっ。一人足りない。逃げたわね!」
戸惑った表情のアントーニウスが震える手で私の足元を指した。
「お前の足の下にいる」
「あっ! ごめん! そんなつもりじゃなかったのよー! いやー! 死なないでー!」
私が下敷きにしてしまった兵士の覆面をめくり頬をペチペチと叩いたが、白目を剥いたまま動かない。とりあえず呼吸はしているようだから放っておこう。
敵なのか味方なのかわからない、兜をかぶった私にアントーニウスの護衛騎士が剣を向ける。
「何者だ! お前!」
「ええっと、ワ、ワタシハ通リスガリの兵士デース」
「怪しいやつ!」
「アントーニウス殿下ト、アンシェリーン殿下ヲオ守リスルタメニ来マシタ」
「そうか! 助かる!」
帝国がバカで良かった。
生きてりゃまあいいさ




