ムーロ王国へ 2
襲われた御者は何度も頭を下げてゆっくりと王都に向けて荷馬車を走らせて行った。
予定外の出来事に時間を取られたので予定が狂ってしまった。馬車は少しだけスピードを上げていた。次々と流れていく窓の風景を眺めていたら、木々の生い茂る林を抜け、のどかな農村風景が見えてきた。
そういえばこの国に来るときもこの村を通ったわね。
ぶどうの残りを食べながらふと思い出した。たった半年ほど前のことなのに、とても昔のことのように感じる。故郷ではよく食べていたこの赤いぶどうですらも、懐かしい。学院でできた友人、全種目に参加した体育祭、そしてレナートとの出会い。短い期間にいろいろあったな、と感慨に耽っていたら、馬車が急に止まった。私は前につんのめって座席に頭をぶつけそうになったので、うっかり受け身を取ったら持っていたぶどうの皮が床に散らばった。
「どうしたの?」
「すみません、お嬢様。……それが」
外を見ると、村人たちが10人ほど馬車に向かって走ってきていた。うおー、と言う雄叫びと共に鍬やスコップを持ち上げている。
「えええー! 今度は何なの!?」
戸惑いながら馬車を降りたゴッフレードが、振り上げられた鍬の柄を難なく受け止めた。背が高くごついゴッフレードに見下ろされ、村人はそれだけで腰が抜けて地面にへたり込んだ。
「どうなさったのですか、あなたたちは一体……」
ゴッフレードが訊ねると、村人たちは一斉に土下座した。
「!?」
「申し訳ありません!! 貴族様! どうか私たちを捕らえて王城へ連行してください!!」
「お願いします!!」
「お願いします!!」
「おねげえしますだ!」
ゴッフレードが困っているので、仕方なく私も馬車を降りた。
「おお、これは貴族のお姫様だ」
「間違いない、姫様だ」
「お願いします、姫様」
「こら、まちげえね、姫様だっぺや」
私の姿を見た村人たちは、土下座したまま嬉しそうに声を弾ませた。彼らが手にしていた武器は、使い古されてはいるがきちんと手入れされている現役の農機具だ。本気で私たちを襲おうとしたわけではないのがすぐに分かる。
「話くらいは聞いてあげるから、頭をお上げなさいな」
「優しい姫様だ」
「これはいけるかもしれない」
「話を聞いてもらえるぞ」
「オラたつ、えんらいツイてんどぉ」
「一人ものすごく訛ってる奴いるな」
堪えきれずにゴッフレードがツッコんだ。村人たちは全員きょとんとしていて、その意味が分からないようだ。
「……あのねえ、どんな理由があるのか知らないけど、襲うんだったら相手を選びなさいよ。こんなムッキムキの御者の乗った馬車襲っちゃだめよ」
全員がぽかんとマッキオを見上げ、すぐさま青ざめた。
マッキオは丸太のような腕をした筋肉ムキムキの大男なのだ。彼を乗せて走らなければならないので、我が家にはとても大きい軍馬しかいない。
「申し訳ありませんでした、ここでは何ですから村に寄って下さい。すぐそこなので」
比較的まともそうな中年の村人が馬車を村へ誘導する。村の入り口には簡素な柵があり、ナヴァーロ村、と書かれた標識があった。馬車を降りるとふわりと果物のような甘い香りがした。入り口から村の中心部に向けては細長い花壇が作られており、花の香りがしないのは不思議だなと思った。
「いい香りのする村ね。何を植えているのかしら」
「はは、びっくりしますよ。ちょっと見てみますか?」
村人が花壇の向こうの畑から作物の葉を引きちぎって持ってきた。
「どうぞ。嗅いでみてください」
「ありがと……くっさ!!」
手渡された青々とした葉を鼻に近づけると、鼻腔をつらぬく刺激的な匂いがした。
「あはは、臭いでしょう。ナヴァーロ村は、この作物を育て葉を収穫しています。乾かして砕いて香辛料にするのですよ。この辺りは気候も土地も悪く、こんな物しか生えないのです」
「そ、そう。でも村は良い香りがしたのに」
私が涙目でそう言うと、村人は今度は足元の花壇の花を一輪摘んだ。
「この花とその葉を一緒に嗅いでみてください」
「一緒に? あっ、これよ。村に入った時に嗅いだ香り」
「ええ、理由はわからないのですが、花と一緒に嗅ぐと柑橘系の香りになるのです。我々も毎日臭いのは勘弁なので、花を植えてごまかしているのです」
「へえ、面白いわね」
私は後ろを歩くマッキオとゴッフレードに葉と花を渡した。二人は代わる代わる匂いを嗅ぎ、くさっ、とか、これ好きな香りかも、とか言っている。
ベンチのある木陰にハンカチを置き、村人が私に座るよう勧めてきた。言われるがまま座ると、村人たちが次々に私の足元に跪いた。
「実は、うちの村長の娘が誘拐されたのです」
「誘拐!?」
「はい。おととい急に姿が見えなくなり、領主様のお屋敷にも何度も行っているのですが、なぜか門前払いで取り合ってもらえないのです。早く警備隊なり騎士団なりに連絡をしてもらいたいのですが、領主様が動いてくれないことには……我々が直接王城に行ったところで、相手にもされないでしょうし」
そりゃあ領主が誘拐犯なんでしょ、と思ったが、証拠もないのに貴族の悪口を言うわけにもいかない。ゴッフレードもちらりとこちらを見た。彼も同じことを思っているのだろう。
「ここの領主さまってどなた?」
「ナルディ伯爵様です」
「ふうん。お会いしたことはないわねえ。……それで、貴族の馬車を襲って逮捕されて王城へ入り込もうって思ったわけね。逮捕されれば警備隊と直接話せるものね」
「はい、……申し訳ありません。でも、わしらはこうするしか……」
「もう! どうしてこの国の人は捨て身の作戦しか考え付かないのよ!」
レナートといい村人といい、他人の為に自分の身を犠牲にしたがるって、何なのこの国民性。
私はため息をついて、立ち上がった。
「この先に車輪の壊れた貴族の荷馬車がいるわ。急げば追いつけるはずよ。車輪を直す道具ぐらい村にあるでしょう。恩を売ってその貴族に王城へ連れて行ってもらいなさい」
村人たちは私の言葉を聞き洩らさないように、目を見開いて聞いている。私はスカートのポケットからハンカチを取り出し、一番前にいる村人に手渡した。ハンカチには私の名前が刺繍されている。
「王城に行ったら、ライモンドという王太子の側近がいるから、彼にこのハンカチを見せて訴えなさい。茶色い短髪のいけ好かない男だけど、仕事は早いから」
「ひ、姫様!」
「ありがとうございます!」
「ありがてぇことだんべぇ」
「王太子様のお知り合いなんですか」
「おい、急いで修理道具持ってこい!」
「わだすら、やっぱツイてんどぉ」
「訛り一人増えたな」
またツッコんだゴッフレードを手で制して、私は地面に膝をついて村人と視線を合わせた。
「いい? もうあんな無茶なことしちゃだめよ。正しい事はきちんと正しく訴えなさい。世の中悪い人ばかりじゃないんだから」
修理道具とハンカチを持った若者たちは既に村を出ていた。多分30分もしないで荷馬車に追いつけるだろう。
賊と村人でずいぶんと足止めをくらってしまった。私たちは残った村人たちに見送られ、村を出た。ちなみにぶどうの皮は村で処分してもらった。コンポストに入れて堆肥にしてくれるらしい。
「お嬢様、急ぎますから揺れますよ。明るいうちに国境を越えたいので」
マッキオが太い腕に力こぶを作ってそう言うと、身構える前に馬車が跳ねた。そこからはしばらく馬車はかなり揺れた。文句を言ったって仕方がない。私は修行の一環と思い、車内で片足で立ちバランスを取る訓練をした。
ごっついのがゴッフレード、ムキムキのマッチョのマッキオって覚えてくださいねー