歓迎パーティ 1
「まったく、ひどい目に遭ったわ」
私はレナートの執務室を後にして、しびれた足をひきずりながら廊下を歩いていた。
あの後、私は縛られたまま床に正座させられ、ガブリエーレにひくほど怒られた。その後は、縄を解いてくれたライモンドにも怒られた。レナートたちは庭の奥にいた庭師さんからの通報を聞いてすぐに駆けつけてくれたそうだ。心配させてしまって、私は少しだけ反省した。
足のしびれが取れてやっとまともに歩けるようになった頃、廊下の角を曲がるとベンハミンが立っていた。
「あ、無事だったんですね」
休憩でもしようとしていたのだろうか、片手にサンドイッチを持っている。私の顔を見て、少しだけ眉を上げた。
「ええ、無事よ。っていうか、知ってるってことは」
「うちのお姫さんが兵士に何やら良からぬことを指示してましたからねえ。なかなか呼ばれないなあって思ってたんスよ」
「いいの、そんなこと言っちゃって」
「アイーダ様にちょっかいかけて、あなたを揺さぶろうとしてるんですよ。そんな簡単に心に隙ができるようなタマじゃないって言ったんスけどね。あんた、よっぽど姫様のこと怒らせたんだな」
怒らせたのはレナートなんだけど。だからと言って、何があったのかを私の口からはちょっと。
「はあ~~……、働きたくないなあ……。仕事増やさないでくださいよ、仲良くしてくださいよ。……もう帰って寝たい……だるい……」
両手で顔を覆ったベンハミンは深いため息を吐き、そのままぶつぶつと不平不満をつぶやいている。
「私だってお姫様と仲良くする夢は諦めてないんだけどね」
「夢か……夢見れる年頃っていいですね。俺の人生はもうずっと悪夢です」
「ねえ、一緒に走ってみない? いろんなことどうでも良くなって明るい気持ちになるわよ」
「俺はもうすでにどうでもいい日々を走り続けています、ひたすら暗闇に向かって」
「そんな斬新な断り方されたの初めて」
「……」
「……」
「……んじゃ、また」
骨っぽい手のひらを軽く挙げ、ベンハミンは背を丸めてふらふらと去って行った。
あのひと、ほんとにルビーニ王国に何しに来たんだろう。
「ねえ、あいつ……やばくない? って、ちょっと、無視しないで! ミミちゃん」
振り向かずに歩き出したが、腕を掴まれてしまった。近くに潜んでいるのはわかっていたけれど、あえて気付かないふりをしていたのに。
「ごきげんよう、イレネオ様。じゃ、私急ぐので」
「待って待って、久しぶりに女の子と話すんだから。逃がさないよ!」
そう言ってイレネオは私の腕を両手で掴んだ。
「そんなことより、あいつ誰。見た目もヤバいけど、言うこともヤバくない?」
「帝国の呪術師の方です」
「うわー、そんな感じ。こわーい、近付かないでおこー」
「イレネオ様は大丈夫です、きっと。隙がありすぎて呪いかからないっていうか、むしろちょっとかけてもらった方が」
「ミミちゃんは俺の魅了の術に全然かからないね」
「魅了の魔法使う前に不老の魔法を練習したほうがいいんじゃないですか」
「年のことは言わないで!!」
やっと私の腕を離したイレネオは、すでに遠くなったベンハミンの後ろ姿を目で追っていた。
「イレネオ様、外国に出張中って聞いてましたけど」
「そうなんだよ! 聞いてくれる?」
「じゃ、私、忙しいんで」
「レナートのやつ、いくら俺が外国語に堪能だからってさあ、エヴォカリ国へ出張を命じたんだよ! 信じられる?」
「エヴォカリ国って、どこでしたっけ」
「南西にある暑~い国なんだけど、女性は皆頭からつま先まで長いローブ着てて目しか見えないんだよ。しかも、全く家から出てこないの。何日も女性とひとっ言も話さないとかさあ、ありえないでしょ? めちゃめちゃ頑張ってさっさと交渉終わらせて、予定切り上げてさっさと帰ってきたんだ」
髪を触ろうと伸ばしてきた手をぱしりと叩く。イレネオは王太子候補として育てられた過去があるので、数か国語が話せて不利な交渉事も丸く収めるくらいの英知がある。やる気にさえなればとても優秀な人なのに、どうにも軽薄すぎて信用がない。
「俺を帝国のお姫様から遠ざけたかったんだろうけどさあ、俺だってそこまで見境ないわけじゃないんだよねえ。あの小賢しいお姫様はタイプじゃないんだよなあ」
「女性なら誰でもいいのかと思いました」
「そんなことないさ。俺が好きなのはミミちゃんだけだよぉ、って、話の途中でどこ行くの?」
「今夜、帝国の歓迎パーティなのでその準備があるんで忙しいんです」
「へえ、まだやってなかったんだ」
「アントーニウス殿下がびっしり視察の予定を入れていて、スケジュールが空くのが今夜しかないそうです」
へえ、と興味無さそうに腕を組んで、壁に寄りかかったイレネオは、よく見れば髪も少し乱れていて疲れたように見えた。きっと、交渉を頑張ったのは本当なのだろう。
「俺は疲れたから今夜のパーティはパスしよう。久しぶりに家でゆっくりしようかな。あ、ミミちゃん、お水くれる? 帰国してそのままライモンドに書類渡して来たんだけどさあ、お茶のひとつも出してくれないんだよ。冷たい奴だと思わない?」
「パーティの準備があるから早く追い返したかったんじゃないですか」
水筒のお水を手渡すと、イレネオはコップに口を近付けてハッと目を見開いた。
「ん? これ……、え? 酒くさいんだけど……。ちょっと待ってまさかでしょ。俺の可愛いミミちゃんが、いつの間にか酒を持ち歩くような飲んだくれに……」
「え? そんなはずは」
「わあああ、だっ、ダメダメダメ! ミミちゃんは、絶対酒飲んじゃダメだからね!」
水筒に直接口をつけて味見しようとしたが、青ざめたイレネオに全力で止められた。
「ほんと、マジでやめて。俺、もう地下牢はごめんだよ……」
水筒には厨房で入れてもらったお水が入っていたはずだ。その後は私以外、誰も触っていない。私の脳裏に、働きたくない、と言いながら両手で顔を覆ったベンハミンの姿が浮かび上がる。もしかしてあれは瞳の色が変わるのを隠していたのだろうか。アルコールは私にとって毒だということを彼は知っている。
―――たいした術が使えるわけでもない。
彼が自嘲気味に言った言葉に、私は背筋がぞっとした。
レナートが指示したというドレスは相も変わらず派手な色で、そして、背中側の腰の部分に大きなリボンが付いていた。上品で高級そうな布で作られたリボンは可愛いけれど、レナートってこういうデザインが好きなのかしら。
姿見で何度も確認していたら、支度の終わったアイーダが私の部屋に姿を見せた。
「まあ、可愛いわね、ミミ」
「アイーダこそ! とっても素敵!」
侍女も交えてお互いのドレスを褒め合っていたら、案内役の騎士がパーティの開始を告げに来た。控室にはすでにレナートとプラチドがいて、私たちの到着を随分と前から待っていたようだった。
「わあ、お揃いだわ!」
私が叫ぶと、レナートが少しだけ口の端を上げた。私の腰のリボンと同じ生地がレナートの襟元にあしらわれている。隣を見れば、プラチドの襟元もアイーダのドレスの生地と同じだった。
「わあ、仲良しっぽくってとっても嬉しい!」
両手を広げてくるくると回ったら、いつの間にか後ろにいたガブリエーレにぶつかってしまい、すごく嫌な顔をされた。
「いいか? お前は自分とレナートの身を守るだけ! 復唱!」
「私は自分とレナートの身を守るだけ!」
「余計なことはしない!」
「しない!」
「サボるな! ちゃんと言え! 頭のナックルむしり取るぞ!」
「ガブリエーレ、もういいだろう」
睨み合う私とガブリエーレの間にレナートが割って入った。ガブリエーレが舌打ちをしながら後ろの近衛騎士たちの列に並んだ頃には、レナートはいつもの不機嫌そうな王太子の顔になっていた。そんな顔も素敵、とニヤニヤしながら眺めていたら、会場へと続く扉が開き、アイーダにそっと背中を押された。
扉の外まで聞こえていたざわめきは一瞬で止み、会場に走らせたレナートの冷たい視線に人々が緊張する。私たちに続いて入場したプラチドの笑顔に、場が少しだけ緩む。最前列をしっかり確保しているロザリアとその取り巻きを見つけ、私が笑顔で手を振ると、会場に和やかなおしゃべりが戻ってきた。
先に会場入りしていたライモンドがすかさず寄って来て、アントーニウスの到着を告げた。レナートが歓談を楽しむ貴族たちに視線を向けると、再び会場は静まり返った。
ガブガブの本職は近衛騎士です。
第二章から読み始めてイレネオ様のくだりがわからない方は、25話あたりを読んでいただけると良いかと・・・




