真の敵 4
「まったく、相変わらずあか抜けない田舎者ですわね。呆れて声も出ませんわ」
そう罵りながら、私の髪を丁寧に梳いてくれているのは、ロザリア・ピノッティ侯爵令嬢だ。化粧品など美容に関する商売に長けているピノッティ侯爵家の娘であるロザリアは、貴族令嬢でありながら美容の知識が豊富で髪結いまで自ら器用にこなす。
親戚同士の私とアイーダが王子の婚約者となり、アメーティス公爵家に権力が集中するのを避けるため、他国出身の私の後ろ盾にはピノッティ侯爵家がつくこととなったのだ。現在は和解しているが、ロザリアは以前はアイーダと王太子妃の座をめぐって対立していた。表向きは未だ対立しているように装っているので、謀反を考える貴族のあぶり出しにちょうどいいらしい。
「こんな品の無い髪型で外を歩いていただなんて、いったいどういう神経なさっているのかしら」
ロザリアは絡まった私の髪をやさしい手つきで一生懸命ほどいてくれている。
「はぁぁ~~、ロザリア様に会うと癒される~~」
「なっ、何ですって。おかしなこと言わないでくださいまし。レナート殿下からの依頼で仕方なく来ただけなんですからね! 私は!」
「やっぱりツンだけじゃダメなのよ、デレががないと、デレが」
「あなたにおかしな格好で王城をうろつかれると、後見する我が侯爵家の沽券にかかわりますのよ! ただそれだけのことなんですからね! ちょっと、マリーア様、聞いてますの!?」
今日一日、アンシェリーンからにらまれ続けた私はさすがに疲れていた。ロザリアは今度は強めに私の肩を揉んでマッサージをし始めた。
「あなたをアンシェリーン姫に負けさせるわけにはいきませんのよ。私のすべての技術を持ってあなたを美しくしてさしあげますからね!」
「え、どういうこと」
「到着早々、空色のドレスを着ていらしたって聞きましたわよ。私たち王国の貴族令嬢一同、アンシェリーン姫のマリーア様に対する無作法に腹をたてておりますの」
「はっ……、空色のドレス……」
そうか、言われてみればあれは水色のドレスではなくて空色だ。私の前で堂々とレナートの色をまとって登場したということだったのか。ということは、私は初日からケンカ売られてたのか……。気付かなかった。
「まったく、あなたという人は……。そうそう、帝国の歓迎パーティで着るドレスはお直しが終わりましたので、お父様が衣装係にお届けに行きましたからね。私が逐一進行を確認して差し上げましたから、あなたになんてもったいないほどの最高の出来ですわよ。オーホホホホ」
「レナートが私のドレスに修正を加えるなんて、めずらしいわよね」
「ええ。少し不思議な指示でしたけど……殿下はああいった装飾がお好みなのかしらね。来季からはあの形が流行るかもしれませんわ」
「どんなデザインなのかしら」
「それは当日まで教えないように、と殿下から言われておりますの。せいぜい眠れない夜を過ごすといいですわ」
「そんな素敵なドレスなのね。楽しみだわ。ありがとう、ロザリア様」
「べっ、別にマリーア様のためではありませんわ! 殿下に言われたからそうしただけです。田舎者は本当に思い込みが激しくて疲れますわ」
ぷい、と横を向いてしまったロザリアの真っ赤な耳を見て、私は、ほほほ、と上品に笑った。
ロザリアのマッサージが気持ちよすぎて少しだけ昼寝をした後、私は教会から戻るレナートのお出迎え準備に向かった。いつもの階段前で、侍女の皆さんと準備に励んでいると、今日は王城にお留守番だったプラチドが顔を見せた。
「ミミちゃん、ごきげんよう。準備は進んで……っ、ぶっ、あはははは、今日はまた、すっごいね!」
ヤギの全身着ぐるみを着て振り向いた私を見て、プラチドが壁に両手をついて笑っている。着ぐるみはヤギののどの部分に開いた穴から顔を出せるので、ちゃんと私だということはわかるようになっている。侍女の皆さんががんばって作ってくれただけあって、最高の出来だ。
「ええっと、それは一体何をしようとっ……」
「この柱時計の中に入ろうと思ったんだけど、時計が小さくて入れないのよ。だから、侍女の皆さんに押し込んでもらってたところ」
壁に掛けられた柱時計のふたを開き、私は頭を突っ込んだ。侍女たちがしっぽのついたふわふわのお尻をぎゅうぎゅうと押す。
「それってもしかして、七ひきの子ヤギをやろうとしてるのかな。だったら、僕の棟にもっと大きな柱時計があったから持って来てあげるよ! 待ってて!」
私が返事をするのも待たずに、プラチドは走って行ってしまった。プラチドの部屋のある棟は、こことは対角にある場所に建っている。走って行ったとしても、もうしばらくかかるだろう。時間を持て余してしまった私は散歩に行くことにした。すれ違う人々が、私の着ぐるみを見て笑顔を返してくれる。
庭にはもうベンハミンはいなかった。少しだけ寂しく思いながら、静かな庭を散策した。
「……っ、……と言って……が、着くころには……」
「早めに……、……しなければ」
聞きなれない男たちの声がして、私はとっさに木の陰に隠れた。帝国の人たちは、私の庭を本当に造作中の人気のない庭だと思っているのだろうか。ここは密談をするための場所じゃないのよ。
帝国の軍服を着た二人の男は、辺りを気にする様子もなく大股で歩いて来る。日当たりの良いベンチに腰掛けると、さすがに身を寄せ合って小声で話し始めた。私はついつい身をひそめつつも、耳を澄ませた。
「エーリク殿下の忍ばせた密偵が掴まったらしい。どうやら歓迎パーティで皇太子を襲う計画をたてていたらしい」
「さすがにルビーニ王国もそれは用心していて、二重三重に罠をしかけ、警備計画を盗みに来たところを捕らえたらしい。あの王太子付きの赤髪にボコボコにされたとか」
「赤髪に赤い制服って、あいつ目立ちすぎだよな」
わかる。ガブリエーレは目立つ容姿のくせに、声まででかいのだ。
エーリク殿下というのは確か帝国の第二皇子。アントーニウスと同じ年の腹違いの弟だ。その下にはまた腹違いのレオンという第三皇子がいて、アンシェリーンと同じ母親だったはず。
「とりあえず、パーティで襲う計画はこちらも取りやめだ」
「ああ。狙いは最終日だ。先に大量の荷物を船に乗せるために多くの兵士が先発で出発する予定だ。そこで護衛はかなりの数が減る。視察にはルビーニ王国の騎士が付くが、王城内では付かない。城内の警備の手薄なところへ誘い込もう」
「警備の手薄なところって……あるのか?」
「ああ、いくつか見繕ってある」
「そうか、王太子と別行動の時だな。あの赤髪がいるとやっかいだ」
王城内に警備の手薄なところなんてあるのかしら。もっと良く聞こうと身を乗り出したら、ヤギの角が木の枝に引っかかって、がさり、と音が鳴ってしまった。
「誰だっ!」
二人の兵士が同時に振り返る。私は地面に手をついて四つん這いのまま、頭を振った。
「メエェ~~」
「何だ。ヤギか」
「驚かすなよ」
兵士たちは立ち上がり、ゆっくりと歩いて去っていった。私はペタリと地面に座り、息をついた。帝国がバカで良かった。
日々の努力のおかげか、はたまた昨日のロザリアのマッサージが良かったのか。
「やったわーー! 見てちょうだい! 皆、見てちょうだい!」
全く入らなかったワンピースが以前のようにすんなりと着れたのだ。
痩せた! 私、痩せたのよ!
毎日励ましてくれていた侍女の皆が笑顔で拍手してくれている。鏡の前でくるくると回ると、ふわふわのスカートが花のように広がった。
「アイーダにこの姿を見せて来るわ!」
「アイーダ様はこの時間、庭でお花に水やりをしていらっしゃいます」
「そう、行ってみるわ。ありがと」
天井に手が届くほど高くスキップしながらアイーダの庭に向かった。華やかな花で彩られたアーチをくぐり、庭を見回した。誰も見当たらないが、素焼きの敷石が濡れている。先ほどまで人がいて、庭の手入れをしていたのだろう。鼻歌を歌いながら、敷石の濡れていないところを選んで歩いた。奥まで進んでも、アイーダはいなかった。プラチドの部屋に行っているのかしら、と足を留めると、遠くからバタバタと走って来る足音が聞こえてきた。振り返らずに耳をすませば、軍靴を履いている体重の重い男二人の足音だ。
「いたぞ! アイーダ嬢だ!捕らえろ!」
何ですって!?
大きな体のわりにすぐに私に追いついた男が、右手を伸ばしてくる。私は振り向かずに、肩に伸びてきた腕を掴み、男の勢いを利用して地面に放り投げた。その低い姿勢のまま振り向き、続いて走ってきた男の腹に肘を入れ、怯んだ隙に側頭部に回し蹴りを放った。男は気を失い、がくりと敷石の上に倒れた。最初に放り投げた男が立ち上がったので、大きく一歩で近寄り、得意のトラースキックを決めた。
「ミミ!」
「マリーア! 無事か!」
聞きなれた足音と、防具のぶつかる音。たくさんの騎士が走って来る気配。しまった、また助けを待たずに自ら倒してしまった。
私はあわてて足元で蹲っている男の腕を引っ張った。
「う、うぐぐ……」
「さあ、早く、立って!」
男の腕を自分の首にまわし、肩を貸して無理やり立たせる。
剣を抜いて駆けてきたガブリエーレを先頭に、近衛騎士とレナートが花壇の向こうから姿を見せた。
「おい、マリーア! だいじょう……ぶ……か……?」
「ほら! 立ちなさい! 頑張れ頑張れ! あなたならできるわ! さあ、立ち上がって私を拘束するのよっ」
私はふらつく男を支えながら、背中をドンと叩いた。
「うぐっ」
「さあ、もうひと踏ん張り。立ち上がって、叫ぶのよ! 私をアイーダと見間違えました、ってね! 華奢でスマートなアイーダと、私を、見間違えました!! と、さあ、高らかに叫ぶのよ!!」
「うっ……た、助けてくれ……」
眉間にしわを寄せたまま固まっていたガブリエーレが、かまえていた剣をゆっくりと鞘にしまう。その後ろで、レナートが困ったようにこめかみに手をあてた。
「……全員、拘束しろ」
ガブリエーレがそう言うと、騎士たちがいっせいに動き出し、倒れていた男たちを縄で縛り上げた。
「えっ、ちょっと、何で私までっ」
ガブリエーレがなぜか私を後ろ手に縛る。そして、私は騎士たちの手によって拘束された男たちと一緒に連行されたのだった。




