敵か味方か 3
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咲いている花の説明をこくこく頷きながら聞いているアンシェリーンは、とても可愛らしかった。背後のピンクのアネモネと同じ色の頬紅をさした彼女は、この花園によく似合っていてまるで妖精のようだった。アイーダの流れるような説明に、アンシェリーンだけでなく侍女たちも感心したように聞き入っている。その中で、ベンハミンだけがつまらなそうにそっぽを向いている。そのあからさまな態度に、私は思わずニヤついた。
「あちらのガゼボでお茶をご用意しております。少し休憩いたしましょう」
広いガゼボのテーブルには、私とアイーダ、そしてアンシェリーンがついた。紅茶を淹れた侍女はとっくに下がっている。さあ、場は用意したわよ、とばかりに私をじろりと睨むアイーダに、私は笑顔で頷いた。
「アンシェリーン殿下、私とお友達になってください!」
「ミミ!」
握手しようと差し出そうとした私の手を、アイーダがそっと止めた。先に用件を伝えておいたほうが話が早いと思ったんだけど。それとも、お姫様とは握手しちゃいけないのかしら。取りなすように、アイーダがニコリとほほ笑んで紅茶に手を伸ばした。それを合図に、私とアンシェリーンも紅茶に口をつけた。紅茶の湯気にそっと頬を緩めるアンシェリーンの表情はとても穏やかだった。
「アンシェリーン殿下、王城では何かお困りのことなどないでしょうか。もし侍女に言いにくいことなどがあれば、わたくしどもが承りますが」
アイーダがそう言うと、アンシェリーンはかすかに目を細め口の端を上げた。
「皆様にお気遣いいただきまして、つつがなく過ごしております」
「さようでございますか。困りごとがございましたら、すぐにお言いつけくださいませね」
「ええ、ありがとう」
ゆっくりと時間をかけてガゼボのつるバラに目を走らせた後、アンシェリーンは顔を背けたまま、視線だけを私に向けた。薄く開かれた唇が小さく息を吸う様子に、私はまばたきを忘れて見入っていた。
「此度は本当にルビーニ王国を訪問してようございました。こちらで見聞きするもろもろは大変得難いものばかりでございまして、このような日々を送れること大変幸甚に存じます」
アンシェリーンはそう言い終わると、やっと私をまっすぐに見て、にこりと笑った。えっと、ルビーニ王国に来て良かったー! って言ってるんだよね? 私も同じようににっこりと笑顔を返した。
「ええっと、アンシェリーン殿下は何が得意ですか。私は逆立ちが……」
「マリーア様は」
私の話を遮るように、アンシェリーンが口を開いた。私が黙るのを待って、おもむろに扇を開く。さきほどまでのとろんとした瞳とはうって変わって、きりりと眉をもちあげた凛とした表情になっていた。
「マリーア様は、弟君がお生まれになるまではご実家の公爵家を継ぐべく幼き頃から勉強に励んでいらしたとか。結果、王太子とご婚約されその知識は無駄になることはありませんでしたが、それまでの期間、どのように過ごされていらしたのか、わたしく大変興味がございます」
「それまで、とは、えっと」
「次期公爵の座を生まれたばかりの弟君に奪われ、そして、レナート殿下と出会うまでの期間です」
奪われって……。何となく険のある言い様に、私は手で口を押さえた。これは下手な事を言うと揚げ足を取られそう。ことさら美しくほほ笑むアイーダの目がそう言っている。とは言え、レナートと出会う前まではびっくりするほどモテなくて、必死で淑女教育に励んでいた記憶しかない。
「あっ、モテないのは今もか。あはは」
「?」
あわてて口を押さえたが遅かった。アイーダが輝かんばかりの笑顔で叱責してくる。ごめんなさい。
「ええと、婿を取る必要がなくなりましたので、自由になったと言いますか、その」
「……自由?」
アンシェリーンが眉をひそめ、意味が分からないとばかりに首を傾げた。
「ええ、自由になりましたので、他国に出ることができました。おかげでレナート殿下と出会うこともできました」
「そう、自由に……」
じゆう、じゆう……と、何度もつぶやきながら、アンシェリーンがさらに眉を寄せてうつ向いた。そして、そのままの表情でゆっくりと顔を上げて私を見た。
「次期公爵の座を奪われ、今までの努力や知識が無駄になった後、どのようにして立ち直られましたの」
「え。無駄に?」
「ええ。さぞかし落胆なさったでしょう、弟君がお生まれになった時は」
今度は私が首を傾げた。テオが生まれてがっかりなんて、一度も思ったことはない。
「弟はとても可愛くって、今でも私の宝物です。確かに私は跡取りとして育てられましたけど、そうじゃなくなったって、鍛錬……勉強したことは無駄にはならないですよ。どんな立場になったって、私は私のできることを全力でがんばるだけです」
私がそう言うと、ぴしりと空気が凍った。私をじろりとひと睨みしたアンシェリーンは、ぱちん、と扇を閉じた。その音を聞いた侍女がすぐさまやってきて、アンシェリーンを立たせる。
「わたくし、少し疲れてしまいました。失礼ながら下がらせていただきますわ。おいしいお茶をありがとうございました」
初めて出会った時のような小さくかすれた声で、アンシェリーンはそそくさと座を辞して行った。
「私、間違っちゃったかしら」
私がつぶやくと、アイーダがゆるく首を振った。
「いいえ。ミミの正直な姿を見てもらうのが一番だと思うわ」
そう言って、めずらしく苦笑いするアイーダは、私の頬をちょん、とつついた。
私がすぐに一人で出歩いてしまうので、今日の散歩には護衛としてガブリエーレが無理やり付いてきている。この暑苦しい人がいると、近道や抜け道を使えないのでどこに行くにも時間がかかってしまう。
「俺も近いうちにムーロ王国に修行に行こうと思うんだけど。やっぱり俺も三か月かかるのか?」
「そうねえ、基本的な筋トレとか体力づくりをこっちでやって行けばいいんじゃないかしら。あなたは騎士だから、拳を使う技はあまりしない方がいいわねえ。そうなると蹴りがメインになるから……太ももを二回りくらい太くしてから行ったら?」
「二回りかあ……、ん?」
誰もいない廊下の先に、うごめく薄ぼけた黒い塊があった。ガブリエーレが腰の剣に手をかけながら私の前に立った。二人で目をこらしてよく見てみたら、白い顔がくるっとこちらを見た。
「ひぃ! って、イルー婆様!?」
黒い塊はイルー婆だった。離宮で日向ぼっこしているはずのイルー婆が、どうして王城の廊下で蹲っているのだろう。駆け寄ったガブリエーレがイルー婆を起こす。きょとんとしたイルー婆がよろよろと立ち上がった。
「珍しい狸だけでなく、赤い狼まで飼っておるとは……恐ろしい国じゃ……」
「狸じゃないです。マリーアです、イルー婆様」
赤い狼と言われまんざらでもなさそうなガブリエーレがキリっとして片膝をついて、イルー婆に肩を貸す。
「こんなところに蹲って、どうなさったんですか」
「アントーニウスと一緒に陛下に挨拶に来たのじゃが、はぐれてしまったのじゃ。そろそろ昼寝の時間だから寝ようと思っておった」
「ここで寝たら踏まれちゃいますよ」
「離宮までお連れしましょう。乗ってください」
ガブリエーレが背中を向けると、イルー婆はよっぽど疲れていたのだろう、躊躇なくその背によじ登った。イルー婆を背負ったガブリエーレが立ち上がり、玄関へ足を向けた。私もその後をついてゆく。
「ねえ、イルー婆様が皇太子にはアントーニウス殿下がいいって占ったんですか?」
「おいっ、マリーア!」
ガブリエーレが私を睨んだけれど、ムニャムニャと眠そうな目のイルー婆はゆっくりと頷いた。
「その通りじゃ。アントーニウスが皇帝となれば帝国はこれからも永い栄光を保ってゆくであろう……ムニャ」
「まあ、行動力があるお方のようですものね」
「そうじゃ。自らの足で見分し、自ら判断することのできる……ムニャである。その辣腕は民をムニャし、国をムニャするであろう……ムニャ」
「そのムニャはどういった感じでムニャするのでしょうか」
「おい、マリーア、や、やめろっ」
笑いをこらえたガブリエーレが震える。その振動がちょうど良かったのか、イルー婆はすうすうと寝息をたて始めた。
「イルー婆様はアントーニウス殿下の派閥なのね」
「陛下の挨拶にも連れて行ったってことは、次期皇帝は自分だ、とアピールしに来たんだろ。呪術師は帝国ではかなり地位が高い。そのトップがこの婆さんだ。重用してくれる皇子を推すのは当然のことだ」
「ちっとも私とレナートの婚約をお祝いしてくれないと思ったら、やっぱりそっちがメインだったのね」
ガブリエーレが険しい顔のまま、正面を見つめる。言葉を選ぶように唸った後、イルー婆を起こさないようにそっと背負い直した。
「いやあ、そう思ってるのはお前だけじゃないか?」
「どういう意味?」
「もっと別の思惑がありそうだと思うが……。どうだろうな、俺はあまり政治的なことはわからないから、ただの余計な心配かもしれん」
変なガブリエーレ。この人が言いにくそうにしているのは珍しい。アントーニウスにはもっと別な目的があってルビーニ王国にやって来たってことかしら。
私はすやすやと眠るイルー婆をぼんやりと見つめた。
「ねえ、ガブリエーレ。イルー婆様、よだれ垂らしてるわよ」
「げぇっ、マジか!! 何とかしてくれ!!」
ガゼボってもっといい名前あったよね。
怪獣の名前じゃん、ガゼボ、なんて。
明日も更新するムニャよ!
ファービュラスでプレシャスな祝日をおすごしください~~




