帝国ご一行がやってきた 3
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私は部屋を移動し、侍女たちに全身のサイズを測られていた。今後開かれる歓迎パーティのための衣装合わせだ。ついたての向こうでは、アイーダも同じように侍女に囲まれていたのだが、体型の変わらない彼女は確認だけですぐに終わってしまった。
「ううう、皆さん、ごめんなさい。私が太ったばかりに余計な手間を」
王城の優しい侍女たちは、揃って笑顔で首を振ってくれた。が、手元のノートにはたくさんのメモが綴られてゆく。用意していたドレスのお直しがたくさん必要なのだ。
「元が痩せてらっしゃったので、これくらい増えても全然平気ですよ。もともとレナート殿下からドレスのデザインに変更を加えるよう指示されておりましたので、今回はそのためのサイズ調整ですわ。マリーア様、お気になさらずに」
「気になるわよぅ」
いつの間にか私の隣で姿見を覗き込んでいたアイーダが、振り返って私の顔を見た。
「ミミ、あなたが気にするほど太ってなんていないわよ。ミミを見て太っているっていう人なんていないと思うわ」
「ううっ、二回も太ってるって言った……」
「たいていの人はね、ミミのように出るところは出て、ひっこむところは……あら、ひっこんでないわね」
「うわわわわん、痛い! アイーダの言葉が刺さる! 昇格試験でお父さんにボコボコにされた時よりも痛い! は、放してぇ、アイーダ。お腹をポヨポヨしないでー」
やせる! 絶対にやせる! 私は侍女の皆さんに引っ張ってもらい、アイーダの腕から何とか逃れた。
衣装合わせも終わり、私は休憩時間を自分の庭で過ごすことにした。アイーダの言葉のボディーブローが効きすぎて立ち直れない。少し一人になって落ち着きたかった。
私の管理する庭は、パーゴラに見せかけたうんてい、丸太でできたラティスはもちろん登ることができるし、吊るされたロープを使えば池の向こうへ渡ることもできる。他にも花や植物で巧妙に隠されているが、アスレチックを楽しめる庭となっている。計算して木の枝を落とし、木々を渡って城の二階のベランダへ行けるようにしたかったのだが、防犯上それは却下された。しかし、お金をかけてできる限り私の希望を取り入れて作ってくれたレナートには感謝しかない。ついでに、ライモンドも。
大輪のひまわりが咲きほこる入り口を抜け、奥の池へ向かった。そこは木陰になっているので涼しくて落ち着くことができる。
「あら?」
お気に入りの場所には先客がいた。無骨なレンガを積み上げた花壇に腰掛けた、ボサボサの黒髪に黒の軍服。膝に肘を置き、がっくりとうなだれ死んだ目で池を見つめている。彼から漂う陰気なオーラのせいで、涼感誘うさわやかな池が暗澹たる魔の沼に見える。ここからおどろおどろしい魔物が出て来ても私はきっと驚かないだろう。
私の声が聞こえたのか、どんよりとした目だけをこちらに向けた彼が、ぱちりと大きく瞬いた。
「王太子妃殿下!? なぜ、ここへ?」
立ち上がりぎこちなく礼をする姿は、私がここへ来たことを心から驚いているように見えた。
「楽にしていいわ。それに、まだ婚約者だから、マリーアで良いわよ」
「……ありがとうございます、マリーア様……?」
なぜに疑問形。そもそも、なぜこここに、とはこちらのセリフだ。王城には一般に開放している庭とそうでない庭がある。王妃様とアイーダと私の庭は、そうでない方の庭だ。
「ようこそ、私の庭へ」
スカートを摘まんで淑女の礼をしたら、黒髪の男は「ここが?」とつぶやきながら、きょろきょろと辺りを見回した。
「名前を教えてくれれば、ここへ入ったこと許してあげるわ」
私はそう言いながら、彼がさっきまで座っていた花壇に腰を掛けた。そして、隣をポンポンと叩くと、彼は意図を察したようで頭を一度ボリボリ掻いてから、だるそうにそこに座った。
「ベンハミンと申します。すいません、勝手に入って。人気のない殺風景な庭だったから、まだ造作途中の庭かと思って休ませてもらってました」
気安い物言いに、私は少し肩の力を抜いた。確かに王太子の婚約者だけど、偉いのはレナートで私ではないので、あまり距離を置かれるのは好きじゃない。
「ていうか、殺風景って」
「え、まさかこれで完成……?」
「確かにアイーダの庭に比べたら花は少ないけどっ。いろいろ遊べる庭よ! どこで転んでもいいように庭師さんが石は毎日拾ってくれてるし」
「転んでもいいようにって。ああ、走るのか、あなたは」
膝に肘を置き、背を丸めてこちらを見ているベンハミンは、それが癖なのか、はあ、と軽くため息をついた。
「ええ、運動が好きだから、庭で走ったり跳んだりしてたらよく転んじゃうのよ。困っちゃうわ」
「あなたなんてまだずっとましです。俺なんか転び続けてばかりですよ、人生に」
「……」
「……」
「休日の開放日に官吏の人が連れてきた子供が遊べるように、すべり台もあっちの方にあって楽しめるのよ」
「そうですか。俺は今もずっとすべり落ち続けてますけどね、ひたすらどん底へ向かって」
「……」
「……」
どうしよう、私の周りにはいなかったタイプの人だわ。
どんよりとした目つきで池を眺めるベンハミンの背後に、植えた覚えのないしだれ柳の枝がたなびいている幻が見える。
「確かにそうでしょうね。俺のような役立たずは、あなたの周りに、いや全世界探したっていやしない」
「しまった! また口に出てしまった!」
「いいんです。腹の内側にあろうが外側に出ようが、俺がクズなことは変わりません。あなたが気にするほどの価値なんて俺にはないんだから」
こ、こいつ、やばい。今までどんな人生を送って来たのか知らないけど、自己肯定感が皆無だわ。私は口を押さえていた手を放し、首から下げていた水筒を手に取った。
「まあまあ、そんなこと言わずに、これでも飲んで落ち着いて」
「……なんですか、それ」
「神秘の森で採れるおいしいお水よ。美肌効果があるんですって」
「いや、水じゃなくて、令嬢が何で水筒を下げてるんですか」
「ああ、これ?」
私は小ぶりの水筒を持ち上げた。特注のベルトを作ってもらったので、私が走り回っても切れて飛んでいく心配はない。
「毒見無しのものは口にしないように言われているの。あと、私はアルコールにアレルギーがあるって言われたので、もしお酒を勧められたら断ってこれを飲みなさいって」
以前イレネオと一緒にワインを飲んだことがあるけど、途中から記憶がないのはアレルギーのせいだったのかもしれない。いつ検査したのかは知らないが、お酒はけして飲んではいけない、とレナートとライモンドにきつく言われている。
「アルコールアレルギー? 大変ですね、それは。残りが少ないのですが、俺が飲んじゃってもいいんですか。神秘の森の貴重な水なんでしょう」
「大丈夫よ、厨房に行けばすぐに注いでもらえるから」
「ええと、神秘の森ってどこにあるんですか……」
「さあ? 行ったことないけど近くにあるんじゃない? ささ、どうぞ」
「……どうも」
ベンハミンは受け取った水をくいっと一口飲み、ぬるい……、とつぶやいた。もらったお水を何とか褒めようと必死で頭を捻っている様子を見ると、そんなに悪い人には見えない。
そういや、呪術師っていったいどんなことをする人なのかしら。聞いてもいいのかな。でも、着慣れない軍服を着てここにいるってことは、きっと呪術師だって隠してるのよね。
私がもごもごと口ごもっていると、ベンハミンは私の話が始まるのをじっと待っている。深いクマのあるよどんだ瞳は、茶色と見間違うような暗い朱色だった。髪色も、ようく見れば黒みがかった灰色だった。
しばらく黙ったまま見つめ合っていた私たちは、草をかき分けて歩いて来る足音にハッと顔を上げた。
「んぐぁっ!」
私は突然手で口を塞がれ、背後の木の陰に連れ込まれた。すぐに身構えたが、ベンハミンは私をかばうようにしてしゃがんでいる。
「ちょっと! 何すんのよ!」
「しっ! あなたとここで一緒にいるのを見られるとまずいんですよ」
「私はこんなとこにあなたといるのを見られるとまずいんですけど!」
私たちが小声でもめていると、帝国の軍服を着た二人の兵士が歩いてきた。さっきまで私たちが話をしていた花壇の近くまでやってきて、辺りをきょろきょろと見回している。彼らは私たちには気付かずに、そのまま暗がりの方へ歩いてくる。
「まだ来ていないな」
「ああ、そのようだな」
二人の話を聞いたベンハミンが、私を背中でぐいと押してきた。
「もう一人来るようです。もっと奥へ隠れて」
「は、はい」
私の庭なのに、なぜ隠れねばならないのか。木の陰からそっと覗き込んで、二人の会話に耳をすませた。
「おい、歓迎パーティでの兵士の配置図は手に入れたのか」
「まだだ。やはり簡単には手に入らない」
「やはり、当日に各自判断して動くしかないな」
「アントーニウスにつく護衛は誰だ」
「例の5人だ」
「襲うとしたら、会場に向かう時か、終了後に離宮に戻る時か……」
不穏な会話に私は息をひそめた。この人たちは、アントーニウスを襲うために第二皇子か第三皇子が忍び込ませた刺客か。歓迎パーティでの襲撃計画か。どうしよう、誰かに知らせないと。でも、この話だけでは証拠にもならない。私は地面に手をついて思案した。
「あいつ来ないな」
「ああ、どうしたんだ。あいつが来ない事には、話が進まない」
二人はそう言い、同時に立ち上がった。そして、池の向こうに目をこらすとゆっくりと歩き始めた。がさりと草を踏む音が耳に届いた時、気付けば私は右の兵士の後頭部に膝蹴りを放っていた。
「うぐぁっ!!」
「!!」
もう一人の兵士がとっさに構えたが、着地してすぐに打った私の拳が腹にめり込んだ。すぐさま腕を取り、背中に足を載せて地面に押し付ける。ちらりと隣を見れば、最初の兵士は気を失い倒れ込んでいた。私はすぐにベンハミンを振り返った。
「どうしよう!! 倒しちゃったーー!!」
「あんたバカかーー!!」
私とベンハミンが同時に叫んだ。
ベンハミンはさっきの木の陰で腰が抜けたように座り込んでいる。王太子の婚約者でもある可愛い令嬢が突然兵士を倒したら、そりゃあびっくりするだろう。
「ど、どうしよう、ベンハミンさん。逃げられると思ったら、体が勝手に」
「どうしようったって……、ああもう! 何なんだあんた」
「こうなってしまったからには……」
「うわあああ、やめろ! 何するつもりだーー!」
兵士のズボンのベルトにかけた私の手を、あわてて飛んできたベンハミンが引きはがした。
「身ぐるみ剥いで強盗の仕業にしようかと」
「訳のわからない罪を増やすのはやめろ。あと、まず下から脱がすのもやめるんだ」
仕方ない、と小さくつぶやくと、ベンハミンの暗い朱色の瞳が鮮やかな紅色に変った。
「あなた、今、目が……」
私がそう言った時には、彼の瞳は元の暗い朱色に戻っていた。二人の兵士がぐったりと地面に顔をつける。
「……今、二人には眠くなる呪いをかけました。でもこんなちんけな術、すぐに目覚めますので、早く逃げてください。この場は俺が何とかごまかしておきますから」
「眠くなる呪い!? あなた、呪いをかけられるの?」
「ええ。お察しの通り、俺は呪術師です。こんな慣れない軍服を着せられたところで、俺の胡散臭さが消えるわけがないのに。そして、見ての通り、たいした術が使えるわけでもない。本当に、ただの牽制で連れて来られただけの役立たずなんです。それでも、知らない奴とは言え、帝国の人間を目の前で全裸にされるわけにはいきません」
私の足の下で、兵士がぴくりと動いた。
「ほら、目覚めてしまう。ここで会ったことは誰にも言いませんから、早く逃げて」
「ありがとう、ベンハミンさん! 決して、決して、私が兵士を倒したことは口外しないでちょうだい!」
ベンハミンが呆れ顔で頷いたのを確認して、私は全力で走って庭を後にした。
文字通り身ぐるみ剥ごうとするミミ。




