ムーロ王国へ 1
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帰国する当日、私はいつも通り庭で早朝の鍛錬をしていた。
朝露に濡れた芝生の上で体を動かすのは気分が良い。思い切り蹴りを入れた時など、風圧で飛んだ露が朝日にキラキラと輝いてとてもきれいだ。いつかアイーダにも見せてあげたいと思っているのだが、彼女はまだ眠っている時間だ。
ひと通りの準備体操と筋トレを終え、私はこちらに向いたガゼボを振り返った。
「レナート殿下、今日は何番がいいですか」
そこではレナートが長い足を組み、私を眺めていた。こんな朝っぱらからでも、王子様は隙の無い気品と色気でほほ笑んでいる。
「そうだな、30番台にしようか」
「わかりました!」
80まである、我がアンノヴァッツィ武術の型を私はレナートに披露した。
30、31、32、33、34……
「35!」
私は左足を引き、体を反転させる。
レナートの真剣な視線を感じながら、私は動き続けた。
36、37……
「38!」
左足を大きく踏み込み右手のパンチを繰り出した。その後も39まで続け、私は再びレナートに振り返った。彼はとても楽しそうに拍手していた。
レナートはたまにこうして私の早朝の鍛錬の見学に来ることがあった。最低限の人数だけを連れ、こっそりとやって来る。公爵たちは気付いてはいるが、見て見ぬふりをしてくれているのだった。
何を気に入ったのか、毎回私が披露する型をいつもうっとりと眺めては帰っていくのだ。
「38番目はとてもかっこいいな」
「ええ、あれは右足から左足への重心の移動のタイミングと右ストレートを打った時に左手を引くのがポイントです。右足の踵は浮かせるんですよ。そして」
「落ち着いて、ミミ」
レナートはタオルで私の額の汗を優しくぬぐってくれた。今度は私がレナートにうっとりする番だ。
「40番台と60番台はまだ見せてもらえないのか」
「ええ、どちらも門外不出の秘技ですから。いくら殿下でもお見せできません。我が家でもそれを知っているのは父と私だけです」
「なんと! 習得しているのはこの世に2人しかいないのか」
「ええ、特に40番台は最後に習いますので」
武術とは奥が深いものだな、とつぶやきながらレナートは感心したように頷いていた。誰にも言わないからちょっとだけ見せて! とか言わないレナートは潔くて男らしい。
「今日ムーロ王国へ出発か。さみしくなるな」
「すぐ帰ってきますから」
レナートは汗だくの私を抱きしめた。高級なクラバットを汚してしまいそうで、私は思わずのけぞった。
「一泊しかしないですし」
「でも、往復で6日かかる」
結局、レナートは実家に泊まるのは1泊しか許してくれなかった。狭量すぎる、とライモンドが言ってくれたのだが、日程が変更されることはなかった。正直私の実家はうるさいので、1泊でも十分かな、と思っている。
「私がいない間に殿下が襲われないか心配です」
「普通は逆なのだがな」
「私なら大丈夫です。きっと何とかなります」
ふ、とレナートは少し吹き出して笑った。とても可愛い笑顔なのだから、もっとみんなの前でも笑えばいいのに、と思う。
「あなたがそう言うと、本当に何とかなる気がするね」
レナートはそう言い、私の頬を両手でむにむにと思う存分揉んでから、さわやかに帰って行った。
「では行って参ります。おじ様、馬車お借りします」
「ああ、気を付けて。お父上に宜しく」
「行ってらっしゃい、ミミ。気を付けてね」
アメーティス公爵、アイーダ、そしてアイーダの兄に見送られ、私は公爵家の馬車で自国のムーロ王国へ向かった。王都を出てから2泊かけて国境近くの街まで行き、3日目の朝にアンノヴァッツィ家の馬車が迎えに来た。ここからはこちらの馬車に乗り換え、いよいよムーロ王国へ入る。ムーロ王国でもう1泊してから実家へ到着する予定だ。久しぶりに会う我が家の御者のマッキオと従者のゴッフレードは全く変わりがなく元気そうでほっとした。
「お嬢様もお変わりなくて安心しました」
マッキオの隣に座るゴッフレードが御者台につながる小さな窓から話しかけてくる。彼は私が子供の頃から我が家に仕えてくれていて、たまに一緒に鍛錬していた仲だ。私は先ほど休憩した公園の木から失敬したぶどうを食べながら答えた。
「家の皆も変わらないかしら」
「はい。家を出たお嬢様たちもお揃いでお待ちですよ」
「うるさそうだわ」
「そうおっしゃらずに……おや、お嬢様そのままで」
ゴッフレードがまるでグローブのようなごつい手で器用に窓を閉めた。私は言いつけを守らずに窓から外を確認した。ずっと先の方で砂ぼこりが起きており、数人の男の叫び声と馬のいななく声が聞こえた。
「お嬢様、賊が荷馬車を襲っているようです。どうします」
「仕方ないわね、私たちで何とかなりそう?」
「お嬢様は中にいてくださいね」
ムーロ王国に帰るにはこの道を通るしかないのだ。引き返すわけにはいかない。馬車を道の端に停めると、マッキオとゴッフレードが襲われている荷馬車の救出に向かった。見たところ賊は3、4人だったからあの2人で何とかなるだろう。私はひとりぶどうを食べて待っていることにした。
「ぶどうの皮どうしよう。外に捨ててもいいかしら。自然に還るものだからいいわよね」
両手が塞がっているので蹴って馬車の扉を開けると、ガコン、と何かが激しく当たる音がした。慌てて見ると地面にスキンヘッドの男が倒れていた。
「やだあ、そんなつもりじゃなかったの! ごめんね」
隠れていた賊の一人がこちらの馬車の荷物を盗もうとしていたらしい。私が開けた扉に頭をぶつけて気絶してしまったようだ。頬を叩いても起きないので、仕方なく男の足を持ち引きずってゴッフレードたちの方へ歩いて行った。
「ねえ、こっちにも一人いたわよ」
「お嬢様、中にいてくださいって言ったのに」
「っ、貴様! そいつに何をした!!」
「それがのっぴきならない事故が起きまして」
いかにも人相の悪い痩せた賊の一人が走って来て、私を突き飛ばそうと腕を伸ばしてきた。私はそれをするりと躱し、ショートブーツのつま先で相手の向う脛をこつんと蹴ってやった。賊は叫び声を上げながら膝を抱えてのたうち回る。
「そこはベン・ケーイの泣き所って言う急所でね、昔々、ベン・ケーイという体中に矢の刺さった男がいて」
「おかしいだろ! 何ですでに刺さってんだよ!!」
「おい! お前ら! こいつら頭がおかしいぞ! ずらかるぞ!!」
痩せた男が足を引きずりながらスキンヘッドを背負って逃げ出した。賊はたくさんの荷を積んだ荷馬車に次々に乗り、激しく馬を叩いて逃げてゆく。奴らは本業が賊ではなく、荷を運ぶ仕事のついでに手ごろな馬車を襲って盗みを働く小悪党なのだろう。積んでいた荷はちゃんとした商品のように見えた。
「ねえ、あいつらと何を話していたの?」
「盗みを止めないと殴るぞ、と脅していました」
「……あんた、交渉下手ね」
「まあまあ、全員無事だったんですから」
ゴッフレードと立ち話をしていると、襲われていた荷馬車の御者がおそるおそるこちらの様子を窺っていた。使用人ではあるが、良い身なりをしている。きっと貴族の荷物を運んでいるのだろう。
「あのう、ありがとうございました。助かりました。おかげで荷物も全部無事です」
「災難だったわね。王都の貴族の方に仕えてらっしゃるんでしょう。今度はちゃんと護衛を付けてもらったほうがいいわ」
「はい。ここは安全な道だったのですが、最近賊が出始めまして……」
「ふうん、きっとあいつらね。でもしばらくは大人しくするんじゃないかしら」
賊に壊された荷馬車の車輪を直していたマッキオが手を上げた。
「ゆっくり走れば次の街までは行けると思います」
「何から何までありがとうございました。必ずお礼をいたします。お名前をどうか」
私たちは顔を見合わせた。アメーティス公爵家の御者たちから、決して面倒ごとに首を突っ込まないように、と釘を刺されていたことを今頃思い出したのだ。
「「「名乗るほどの者ではございません」」」
お気づきだろうか……
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> アイーダの兄、初登場 <
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