帝国ご一行がやって来た 1
「あの、レナート。その、もうそろそろいいんじゃないでしょうか」
「いや、まだだ。このまま部屋まで送っていこう」
「でも、もう人も少なくなってきましたし、それに、お、重いでしょう」
「全く重くない。例えミミが鉄の鎧をまとっていたとしても、きっとまだ余裕がある」
私はひゅっと息を呑んだ。ダイエットを兼ねてレナートの護衛をしていたのがバレたのかと思った。足枷はバレたけれど、護衛はバレてないはず。ニコニコとしたレナートにそんな感じはないから、ただの言葉の綾だろう。びっくりしたあ。
私は今、レナートの左腕に抱き上げられて王城内を移動している。筋肉量が多く、以前よりも太った(小声)、世の令嬢たちよりもずっと重いはずの私を、レナートは軽々と片手で持ち上げて歩いている。すれ違う人々は、ぎょっとしたり、顔を赤らめたり、と反応はまちまちだが、レナートの人望のおかげでおおむね好意的に見られているようだ。
こんなことになっているのも、とある事情があってのこと。
帝国の人たちが来るまでに、私とレナートの仲が非常に良好である、と王城の人たちに印象付けるためにはどうしたらいいだろうかと考えた結果、レナートは服装のどこかに私の瞳の色と同じ菫色のものを常に取り入れることにした。私はと言うと、レナートの瞳の空色のものを身につけても、青い瞳の人は国内にたくさんいるので効果が薄い、と言われた。そこで、王城を二人で移動する時は、このようにレナートが私を抱き上げて歩くことになったのだ。おかしいだろ! とガブリエーレが反対してくれたのだが、ライモンドが言った「殿下の腕力でしかできないことですから」という一言になぜか納得してしまった。
始めのうちは、至近距離でレナートの美麗な顔が見れて楽しかった。が、何かがおかしい、と思い始めてから違和感はどんどんと広がり、やっと気付いたのだ。
この抱き方、お父さんが弟のテオドリーコを抱っこして歩くときと同じだわ!
私はとたんに恥ずかしくなったのだが、どうあがいてもレナートの腕はいつも通り振りほどけないのである。なぜ、なぜ。そうなれば、あとはもう目的地を近くに変更するしかないのだった。
「レナート。そういえば、私、アイーダに用事がありました。だから、アイーダのお庭で下ろしてください」
王城にはたくさんの庭があり、その中に私とアイーダの庭を一つずつ頂いた。その庭は、デザインも用途も自分の好みのままにすることができる。例えば王妃様は、自分の庭でお茶会をよく開催している。とても豪華な庭なので、招待されるにはそうとうドレスアップしなければならないという、非常に難易度の高いお茶会である。
アイーダの庭は、たくさんの季節の花が整然と植えられ、きれいなグラデーションを見せている。
レナートとわかれた私は、バラの花の真っ盛りなアーチをくぐり抜け、アイーダの姿を探した。転がるような可愛らしい笑い声が聞こえ、私はそちらへ足を向けた。
まるで大きな花かごのような広いガゼボの中に、アイーダとプラチドが寄り添って立っていた。柱に巻き付いたつるバラが、ふたりの姿を隠すようにガゼボを覆っている。
アイーダが指さす方向にはめずらしい青いバラが咲いていて、プラチドはそっとアイーダの背中に手を添えている。
私はさっと木の陰に身を隠した。
これはまさに、理想とする恋人同士の姿。私が憧れているのは、あんな幼児抱っこではないのだ。私とアイーダの何が違うのか、少し眺めて勉強させてもらおう。
「もう少し先になれば、あちらのガゼボからの景色も見頃になりますわ。こちらから見る景色とは角度が違って面白いと思います」
「へえ、そう言ったことも計算しているんだね」
二人は見つめ合いながらコロコロと笑っている。見ているこちらもつられてほほ笑んでしまう。
「殿下。そういえば、お時間はよろしいのですか」
「あっ、そうか。名残惜しいけれど、そろそろ行かなきゃね」
プラチドはウェストコートのポケットから懐中時計を取り出し、ふたを開いた。
「あら、……まあ、何ですの、それ」
懐中時計を覗き込んだアイーダが口に手をあて、恥ずかしそうに笑った。
「ああ、これ? ふふ、王都の庶民の間で流行っているんだよ。非公式の王族グッズみたいなもので、陛下や僕たち王子の絵姿なんかが街角で売られているんだ。兄上の新作なんかは飛ぶように売れるらしいよ。悪用しなければ、特に取り締まることもせず目をつぶっているんだ。次期王子妃としてアイーダも新発売されていたから、思わず買っちゃったあ」
「いやですわ、殿下ったら」
アイーダが赤くなった頬を両手で隠す。その様子がとても可愛らしく、プラチド同様、私もえへらと口元がほころびた。そのせいで気が緩んでしまったのか、私は気付いたら二人の背後に飛び出していた。
「ねえ、それ私にも見せて!」
「わあ! びっくりした。ミミちゃんいつからいたの?」
「い、今、来たばかり、よ? それ、見せて」
「ずっと見てたんだね。いいよ。僕のアイーダを見せてあげる」
プラチドの手のひらを覗き込むと、懐中時計のふたの裏には、長い髪をたなびかせほほ笑むアイーダの美しい横顔の絵姿が貼られていた。絵が印刷された薄い布は、王族が持つにしては粗末なものだったけれど、プラチドはとても大切そうにふたに手を添えた。
「わあ、素敵! まさに女神様って感じ!」
「そうでしょ。一目見て、すぐに買っちゃったんだ。本当は買い占めたかったんだけど、それはさすがにやめたよ」
私は食い入るようにその絵姿を見つめた。本当にとっても素敵。私も欲しいくらい。
「もう少し大きいサイズでもいいですね」
私がそう言うと、プラチドは笑みを深めた。絵姿の周りをすっと指でなぞると、満足そうに懐中時計のふたを閉めた。
「これは本当は、ロケットペンダント用なんだ。でも、僕たちが首からペンダントを下げるわけにいかないから、兄上と一緒に懐中時計用に加工してもらったんだ」
「えっ、レナートもってことは……」
私が顔を上げると、プラチドが、しまった、という顔をした。
「えっと、いや、その」
「ねえ、レナートが持ってるってことは、私の絵姿ってこと? ねえ、ねえ、ねえ。プラチド殿下」
「きっとそうよ。ミミ。だって、レナート殿下が私の絵姿を持つはずがないもの。きっとミミの絵姿も売っているのね」
「わああ、見たいー! 私の分は? ねえ、私、どんな感じでした? 可愛く描いてもらってるかしら」
「ええっと、どうだったかな。僕、アイーダのしか目に入らなかったからなー」
急に冷や汗をかき始めたプラチドが、あわてて懐中時計をポケットにしまい、アイーダのドレスの袖を引っ張っている。アイーダは不思議そうに首を傾げていた。
「じゃあ、いいわ。あとでレナートに見せてもらうから」
「そ、そうだね。あ、でも、いや。もっと落ち着いてから、その、ゆっくりと、心を鎮めてからでも。あはは!」
「あはは!」
「「あはは!」」
よくわからなかったけれど、私はプラチドに合わせて一緒に笑った。
ダイエット兼レナートの護衛も日々順調にこなし、私たちの抱っこスタイルの散歩も皆が見慣れてきたころ、帝国ご一行がとうとう到着した。
先頭にレナート、すぐ後ろにはプラチド、アイーダ、そして私が並んだ。ライモンド、ガブリエーレたち側近と護衛はその後ろに控えている。
いつもより数段不機嫌そうに眉をひそめたレナートは、大仰に列をなして門をくぐってくる真っ黒な馬車を睨んでいた。婚約のお祝いをするためだけに、いったいどれだけの人数でやってきたと言うのだろう。
騎乗して先導していたルビーニ王国の騎士たちに促され、停車した馬車からは次々と黒い軍服を着た人たちが降りた。すぐに二台目の馬車の扉を開くと、中から長身で体格の良い黒髪の男性が降りてきた。他の人と同じ黒い軍服には煌びやかな金糸の装飾が施され、胸にはたくさんの勲章が付けられている。きっとあの人が皇太子アントーニウスだろう。すぐに歩き始めたものの、私たちの姿が視界に入ると少しばかり歩みを緩めた。
続いて三台目の馬車の扉が開くと、たっぷりと間を置いて、長い黒髪で水色のドレスの女性が降りてきた。手をひかれ、あわてることなくゆっくりと地面に足を下ろす様は、とても優雅でそこだけ時間が止まっているかのようだった。
あの方が皇女アンシェリーン殿下……。
馬車から彼女の姿が現れたとたん、一瞬背後がざわめいたが、レナートが軽く右手を挙げてそれを制した。
「よお、レナート。息災そうで何よりだ!」
まだ距離があると言うのに、アントーニウスは大きな声を上げ高く右手を挙げた。当然、レナートは返事もせずに軽く首を傾げて彼が近付いてくるのを待っている。
「おおっ!? 何だ、お前、随分と顔色が良くなって健康そうになったな! 細っこいのは変わらないけどな! わはははは!」
「遠路はるばるようこそいらっしゃった。疲れたであろう。離宮を一棟用意したので、そちらでゆっくり休んでくれ」
レナートが感情の全くこもらない棒読みで挨拶の口上を述べた。この場をすぐに切り上げようという魂胆が見え見えである。
「そんなそっけないこと言うなよ! お、そこにいるのはプラチドか? 相変わらずなよっこいな! 肉食え! 肉! わはははは!」
「お久しぶりです、アントーニウス殿下……」
プラチドの口元が引きつっている。アントーニウスにばしばしと肩を叩かれたレナートがよろめいた。その背中を支えようと、一歩前に踏み出したら、アントーニウスと目が合ってしまった。意思の強そうな眉、切れ長の目。ルビーニ王国ではあまり見ない面差しだ。近くで見ればまあそこそこの顔をしているけれど、レナートやプラチドの前ではてんで霞む。
「ん? 見たことない顔があるな! もしやその娘が、お前の婚約者か?」
明日の更新も見てね!あはは!