わたしの名前はミミ 1
☆逃がした魚は大きかったが釣りあげた魚が大きすぎた件、SQEXノベル様から8月6日(金)発売☆
書籍化記念 第二章スタートです。
この話の前に「登場人物」を載せているので、同時に二話更新となっています。
休みなし、毎日更新です。
よろしくお願いいたします。
深緑煙る小雨の庭を、窓越しに眺めるレナートの横顔。伏せられた長い睫毛と高い鼻梁は計算しつくされたようにバランスが良い。高窓からの微風にそよぐ金髪はキラキラとまばゆい輝きを放ち、まるで神からの祝福を受けているかのようだ。
最近、執務室の机の上に書類や資料の山が増えたレナートは、疲れているのか少しだけ顔色が悪く、さらに物憂げな色気を放っている。
レナートはふと思い出したようにちらりとこちらを振り向き、彼にうっとりと見とれていた私を見て困ったように眉を下げた。何か言いたそうに口をムニムニと動かしたものの、結局何も言わずに前を向く。そして、小さくため息をつくと歩き始めた。
大丈夫、バレてないわ。
そう思ったら、つい声が出そうになってしまい、私は両手で口を押さえた。ガッシャン、と鉄のぶつかる音がして、レナートの肩がびくりと動いた。が、振り向かずにそのまま歩いて行く。私はレナートとその護衛騎士たちの後ろを、あわてて追いかけた。
私は今、鉄の甲冑を全身にまとい、レナートの護衛に紛れている。もちろん兜をしっかりと被っているので、誰にもバレていない。歩くたびにガッチャガチャと音が鳴り、三人の護衛騎士たちがチラチラとこちらの様子を窺ってくる。甲冑をまとっているのは私だけなので、うるさくしてしまって申し訳ない。これだけバレないのなら、明日からは兜だけでもいいかもしれない。
いや、だめだ。私はレナートに見とれるためにこんなことをしているんじゃないわ!
私はぶんぶんと首を振り、当初の目的を再確認した。
初めは騎士団の練習場へもぐりこんだのがきっかけだった。重そうな槍、砂の詰まった背負い袋。そして、壁に掛けられた鉄の鎧。これがいいわ。お誂え向きに兜まで用意してある。そうだ、これを着てついでにレナートの護衛をすれば、ずっと一緒にいられて一石二鳥。私、賢い! すぐに一番小さいサイズの鎧と兜を盗み、王城に与えられている自分の衣裳部屋に隠した。
次の日、甲冑をまとい、執務室を出るレナートの護衛の列に交じると、全員の視線がこちらに向いたが何も言われなかったので、この通り特に問題なく付いて行くことができた。
小会議室に入って行ったレナートの背を見送った後、私はくるりと踵を返し、走って自分の部屋に戻った。会議後、私はレナートの執務室に呼ばれているのだ。すぐにドレスに着替え、髪を整えてもらった。
「……で、なぜ、お二人は王城の大回廊で大騒ぎなさっていたのですか?」
レナートの執務室で、ライモンドが左手で眼鏡を上げながら笑顔で言った。しかし、目は全く笑っていない。
「だって、こいつがよぉ! めずらしくつま先まで隠すドレス着て、静々と歩いてやがるから絶対何か隠してると思ったんだよ!」
先に声を上げたのは、レナート付きの近衛騎士ガブリエーレだ。不躾に私を指さし、口を尖らせている。
ガブリエーレは炎のように赤い髪に近衛騎士団の深紅の制服を着ていて、非常に暑苦しい。王城では文官のライモンドがレナートに付き添っているが、城外への視察などはたいてい彼が付き添うのだ。同じ年の乳兄弟であるため、王太子となったレナートにも全く遠慮はないし、年上のライモンドにも粗暴な態度を改めない。
「ほら、これ! 見ろよ! おかしいと思ったら、やっぱりこうだ」
「ぎゃあ! 淑女に何するのよ!!」
ガブリエーレはいきなり私の右足首を掴み高く持ち上げた。当然、私はその場にひっくり返った。あわててスカートを押さえたものの、右足は膝から下が丸見えだ。部屋には、レナート、ライモンド、プラチドにアイーダがいる。全員が私の足を見て目を見開いた。
「足首に足枷付けて歩いてる淑女がどこの世界にいるんだよ!」
「ここにいるじゃない。それに、足枷じゃないわよ! 足につける重りよ!」
「同じことだろ! あー! やっぱり俺は、こんな女、王太子妃には認めねーからな!」
「あんたに認められなくても結構よ!」
「ええと、お二人とも、一度黙りましょうか。ガブさんがマリーア様のスカートを突然めくって大騒ぎしていると報せが届いたのですが、こういうことでしたか」
こめかみを押さえながら、ライモンドが間に入って来る。やっと私の足を放したガブリエーレは、腕を組んでぷいと横を向いてしまった。私はライモンドの手を借りて立ち上がった。
「それで、念のため聞きますが、マリーア様はなぜそのような物を付けてらっしゃるのですか」
「そ、そりゃあ、筋力が衰えないように、するためよ」
ライモンドがソファに座るアイーダに視線を送る。アイーダは表情を変えないまま、静かに一度頷いた。その隣では、プラチドが笑いを堪えるようにしきりに咳ばらいをしている。
「マリーア様、あなた嘘が下手ですね」
「ううう嘘なんてついていないわっ」
「おい、正直に言えよ。もっかい足持ち上げんぞ」
私が拳を握って構えると、ガブリエーレは腰の剣に手をかける。じりじりと間合いを取っていたら、ライモンドが私とガブリエーレの頭にぺちっと手刀を入れた。
「痛っ」
「ラ、ライモンド様。あなた、いとも簡単にこの間合いに入って来れるとは、なかなかの手練れ……」
「はいはい。それで、どうして突然足枷なんてつけ始めたのですか。王太子の婚約者がこれ以上筋トレする必要がおありになるようには思えないのですが」
「ううっ!」
私は口元を押さえて床に倒れ込んだ。肩を落とし、床に手をついたが誰も心配してくれる様子はない。
「……ット……」
「え?」
「…………ダイエット……してるの……」
「はぁ? ダイエットォ?」
せっかくささやくように言ったのに、ガブリエーレが大声で聞き直す。その声に、全員がきょとんとした。私は肩を震わし、床についた手に顔を突っ伏した。
「うわあああん。そうよ、ご覧の通り太ってるのよ、私! 痩せるためには、運動量を増やすしかないの! わああああん」
私の叫び声に驚いたライモンドが一歩後ずさった。呆れ顔のガブリエーレが私を上から下まで一度眺め、首を傾げる。
「いや、太ってはないだろ」
「男の人はみんなそう言うのよ」
「マリーア様、本当ですよ。太ってなんかないですよ」
「ライモンド様は毎日私を見ているから見慣れているのよ。そんな人の言葉は信用できないわ」
何かを言おうと息を吸ったレナートが、そのまま息を吐き、上げた右手を下ろした。
「皆、私のことを太っていると思ってるんだわっ」
「誰もそんなこと思ってませんよ」
「いいえ、いいえ。そんなことあるのよ。毎日レナートが頬を撫でてくれるのは私のことが愛おしいからだと思っていたけど、最近、最近……アイーダまでもが私の頬をムニムニ揉んで幸せそうな顔してるのよー! うわあああん」
パッと扇を広げ口元を隠したアイーダが、気まずそうにそっとうつむいた。レナートは右手を見つめ、開いては閉じてを繰り返している。そう、今朝その手が私の頬肉を撫でていたのよ。
「マリーア様、それはお二人の愛情表現であって、けして太っているということでないのではないでしょうか」
「うわあん、だって、ムーロ王国から持って来た服がどれもこれも全く入らなくなったのよー!」
「間違いなく太ってんじゃねーか。レナートとアイーダ様の話以前だろ」
「うわああん、ガブリエーレも豚になればいいのよー!」
「あ゛あ゛!? 豚はお前だろ」
「う゛わあ゛あ゛あ゛ん。私のこと豚って言ったーー」
ガタン、と音を立てて、戸惑った表情のレナートが立ち上がった。ライモンドがすかさず駆け寄るがギリギリ間に合わなかった。
「ミ、ミミ。豚は非常に繊細でとても役に立つ動物で、私は、とても可愛いと思うが……」
「うわああん。レナートまでー!」
「……はぁ、これまた盛大に火に油を注ぎましたね。こういう時は、殿下は黙っていていただけますか」
「う、すまない……」
「今のはレナートが悪いだろ」
私はガブリエーレに引きずられ、アイーダの隣にぽいっと放り投げられた。アイーダに涙を拭いてもらったら少し落ち着いたので、水分補給に紅茶をごくごく飲んだ。
「最近、王城に泊まることが多かったから、王城でご飯を食べるようになって……」
私がそう言うと、アイーダの隣でプラチドが首を傾げた。
「でも、ミミちゃんは騎士団の朝練にも参加しているし、アイーダと同じ物を食べているのにどうして太っちゃうんだろう」
パチリと音を立てて扇を閉じたアイーダがプラチドを睨んだ。初めて見るアイーダの怒り顔にプラチドは背筋を伸ばした。
「プラチド殿下、お心当たりがございますでしょう。はっきり言って、ミミがこうなったのは殿下と王妃様のせいですわ」
「ええっ!? 僕?」
本当に心当たりがないのだろう。プラチドはアイーダと私の顔を交互に眺めて答えを探している。私はぎゅっとハンカチを握りしめた。
「ううう。お二人の期待のこもったお顔を見たら、応えなければ、と、目の前に山のように盛られた料理を平らげてしまうのです。しかも、王城のお料理はおいしくっていくらでも食べられちゃう……」
王城に泊まった時は、王家の皆さんと一緒に食事をとるのだが、私がモリモリと食事を平らげる姿を見るのが好きだという王妃様とプラチドの嬉々とした視線に耐えきれずに、私は次々と皿に手を伸ばしてしまうのだ。
「そ、それは申し訳ないことを……」
「ミミ。私も頬を揉んだお詫びに、ミミに大量の食事を出すのを止めるように料理長へ言っておくわ」
「うん、ありがとうアイーダ。私、がんばって痩せるわ。あと、プラチド殿下、笑ってますよね……?」
「ぶっ……、だ、だって、ダイエットに足枷だなんて普通思いつかないよ……」
話が何とか納まったタイミングでレナートがおそるおそるやってきて、私の向かいのソファに腰掛けた。その隣にライモンドが座り、ソファの後ろにガブリエーレが立った。全員が姿勢を正したのを見計らい、レナートが口を開く。
レナートのもう一人の側近登場。
ライモンドがレナートの執務のサポート、ガブさんはレナートの護衛担当です。