番外編: いつだってお姫様
アイーダとマリーアの出会いから今までのお話です。
私とミミが初めて出会ったのは十二才の時だった。
王太子妃候補になるべく始まった厳しい淑女教育。毎日部屋に閉じこもり勉強ばかりしていたせいか、私は喘息気味になってしまった。空気の良い所で療養した方がいいのでは、という兄の勧めもあり、その年の夏季休暇は自然豊かなムーロ王国で過ごすこととなった。
隣国ムーロ王国ではアンノヴァッツィ公爵家に滞在させていただく。今回初めて名前を聞いたという程度のあまり接点のない遠い親戚らしい。公爵家には五人の娘がおり、末っ子は私と同じ年だという。名前はマリーア。理由はよくわからないが、五女の彼女が次期公爵として育てられているそうだ。
ムーロ王国に向かう馬車の中で、私は窓の外を眺めながら思わず大きく息を吐いてしまった。一緒に連れて来た二人の侍女が視線をずらし、見なかったことにしてくれる。毎日の息の詰まるような淑女教育から解放されると思うと、つい肩の力が抜けてしまったのだ。
王太子妃になりたいのかなんて自分ではわからない。
ただ、家の為には良い事なのだろう、と思う。王城で一緒に遊んでいたレナート殿下とプラチド殿下、将来はどちらかと結婚するということだ。まだ勉強ばかりでどちらがどう、とまでは頭が回らない。
とりあえず、今は少し休みたい。
うとうとし始めた私の膝に、侍女がそっとブランケットを掛けてくれた
ムーロ王国に入り、私たちは大きな通り沿いのカフェで昼食をとっていた。ムーロ王国の王都はルビーニ王国に比べるととても小さいけれど、とても活気があって皆明るい笑顔を見せている。庶民の表情を見ればその国のことが大方わかる、と家庭教師が言っていた。
日陰の涼しいオープンテラス席で街の様子をぼんやり眺めていたら、灰色の制服を着た二人の女性兵士と少年兵士がこちらに向かって歩いて来ていた。
三人は私たちの前まで来ると、揃って右手を胸にあて跪いた。呆気にとられる私たちをよそに、一番年長らしい女性が口を開く。
「アイーダ様ですね。私はアンノヴァッツィ公爵家の長女、イデアです。隣は三女のサンドラ、そして五女のマリーアです」
私は慌てて立ち上がった。足がテーブルにぶつかり、皿がガチャリと音をたてた。
「アメーティス公爵家の娘、アイーダです。あの、お世話になるのは私なので、その、頭を上げてください」
あれだけ練習した淑女の礼も忘れ、私は胸の前で両手を振った。
私の声に少年がパッと顔を上げた。肩のあたりまでの長さのちょっとぼさついた金髪は私の髪とよく似た色をしている。少年はきらきらした大きな瞳を嬉しそうに瞬かせ、ふくふくとした頬をほころばせたかと思ったら、飛び上がるように立ち上がりそのままの勢いで私の右手をしっかりと握った。
「アンノヴァッツィ公爵家五女マリーアです! 得意技はスウィングDDTです! アイーダ様、私たち同じ年なんですって! わああ、アイーダ様とってもきれい! 絵本で見たお姫様そっくり! 待ちきれなくて迎えに来ちゃったの! ここからは私の馬で一緒に行きましょう! アイーダ様は馬に乗れる?」
「えっ? えっ? スウィング……何? 馬?」
狼狽える私をじっと見つめたままぐいぐい迫って来る少年は、少年ではなく少女で、私と同い年のマリーアだった。胸を張った勇ましい歩き姿のせいで気付かなかったが、並んでみると彼女は私よりもこぶしひとつ分くらい背が低い。
サンドラにぐいっと襟首を引かれたマリーアが、やっと私から離れた。
「落ち着きなさい、ミミ。アイーダ様がびっくりしてるでしょう」
「ごめんなさい! こんなにきれいな女の子、ムーロ王国では見たことなかったから!」
「声のボリューム落としなさい!」
「いてっ」
マリーアは頭をげんこつで殴られているが、ちっとも痛そうではない。
短い髪。日に焼けた顔。制服はよく見ると肘や膝には継ぎあてがされており、袖や裾は擦り切れていた。姉たちのそれと比べると灰色もうっすら色あせている。と、言うか、姉たちの制服にはある程度のゆとりがあるが、マリーアは全体的にむっちりとしている。二の腕はぱつんぱつんしているし、ズボンはぴっちぴちで今にもはちきれそう。女性が足の形の分かるズボンを履いているだなんて信じられない。この子、本当に女の子なの?
「ほら、アイーダ様も気付いたじゃない。だから新しい制服着てきなさい、って言ったのよ」
不躾に姉たちとマリーアの制服を見比べる私の視線に気づいたイデアが、マリーアの頭を小突いた。照れくさそうに頭をかいたマリーアが笑う。
「えへへ、聞いて、アイーダ様! お父さんが新しい制服用意してくれたんだけど、すぐに成長して着れなくなるからって言って、二サイズも大きいの渡してきたの! 袖も裾も捲らないと着れないから、ぎりぎりまでこの小さい制服着てるんだあ。だってこっちの方が動きやすいんだもん!」
「……そ、そうなのね」
ええと、私は今、成長期の男児の話を聞かされているのかしら。
本当にこの子は女の子……なのだろうか。それでも私は引き攣りながら笑顔を返した。
その後、侍女たちの必死の説得で私は馬車での移動になった。一緒に馬に乗ることを楽しみにしていたらしいマリーアはたいそう残念そうにしていたが、今は元気に馬に乗って馬車と並走している。窓越しに目が合うと満面の笑みを返してくれる。
大きな黒毛の軍馬に小さなマリーアが乗っているのはとてもちぐはぐだったけれど、まっすぐに前を向いて風を切る彼女の表情はとても凛々しくてかっこ良かった。
私も馬に乗せてもらえば良かった。
私の小さなつぶやきに、侍女たちは再び視線をずらして聞かなかった振りをした。
アンノヴァッツィ公爵家はまるで砦のような屋敷だった。離れた所に建っている宿舎には、数百人の弟子たちが住んでいるそうだ。弟子たちだけではなく、使用人たちまでもがとても体が大きい。始めはびくびくしていた私たちも、優しい彼らにすぐに馴染んだ。
朝、私が目を覚ますころには、マリーアは早朝の鍛錬を終えている。風呂上がりの湯気の立った髪をタオルで拭きながら、いつも私を起こしに来てくれる。
「アイーダ、今日の調子はどう? 森へは行けそう?」
「ええ、こちらの国に来てからずっと体の調子はいいの。だから、大丈夫……」
私が寝ぼけまなこでこたえると、マリーアは飛び上がって喜んだ。今日は公爵家所有の森にピクニックに行く約束をしていたのだ。
朝食後、私は侍女に念入りに日焼け止めを塗られ、大きめのボンネットを被らされた。初めてのキュロットタイプの乗馬服は恥ずかしかったけれど、馬に乗れるのは楽しみだった。
「絶対に落とさないから安心して。全力で私にもたれかかって大丈夫だからね」
「うん、ありがとう。ミミ」
今日の馬は、比較的小さめな白馬だった。後ろに座るマリーアに遠慮なく背を預ける私を、侍女たちが心配げに見上げている。笑顔で手を振ると、いっそう涙目になった。
マリーアは私を気遣って、ゆっくりと馬を歩かせた。
やわらかな日差し、風に揺れる草木。後ろではマリーアが陽気に歌を歌っている。いったい何の歌だろう。聞いたことのない歌だが、何だかやけに勇ましい歌詞だ。
木陰で早めの昼食をとった後、マリーアお勧めの場所とやらに移動した。馬では入って行けない森の深くは、木々が生い茂っていたが、葉の隙間から差す陽光がちらちらと輝いていて眩しかった。
「ここ! ここを見せたかったの! 私のお気に入りなの!」
マリーアの指さす方向には、小さな湖があった。澄んだ湖面はぽかんと穴を開けたように広がった空の青色を映している。
「周りが木で囲まれているから風が吹かなくて、水面に波がたたないの。だから、鏡の様にきれいでしょ。秋は紅葉が映って万華鏡のような風景になるのよ」
マリーアが得意満面な笑みを浮かべて言う。私はその風景を思い浮かべながら湖を覗き込んだ。濃い森林の香りを大きく吸い込めば、胸の中につかえていたもやもやが浄化されるような気がした。
マリーアが手を引いて、椅子代わりの切り株へ座らせてくれる。マリーアはくるくると回るように、武術の型というものを見せてくれた。大きく飛び上がったり、足を高く上げたり。見たこともない動きに、私は瞬きを忘れて夢中になった。
「一生懸命鍛錬をして強くなるわ! アイーダを守ってあげるね!」
マリーアは私のことを、お姫様だと思っている。いつか、王子様が迎えに来るお姫様の私を護衛してくれると言ってきかないのだ。自分だって公爵家のお姫様なのに、おかしくて笑っちゃう。
「ねえ、ミミ。あなただっていつかは、王子様が……」
「待って、アイーダ。何かが走って来る」
私の言葉を遮り、動きを止めたマリーアが耳をすます。確かに、草をかきわけて何か大きなものが走って来る足音が聞こえた。音のする方向に振り向くと、大きくて茶色い生き物が、ものすごい勢いでこちらに向かってきていた。私はがちりと体が固まってしまい、足を動かすことはおろか、声を出すこともできなかった。
「猪だわ!」
マリーアの叫び声が聞こえたと同時に、びゅん、と何かが私の目の前を通り過ぎた。
マリーアだ。
風のような速さで走るマリーアは、猪に向かって渾身の飛び蹴りを放った。子豚のような鳴き声を上げた猪が地面をごろごろと転がり、そのまま動かなくなった。
もう慣れた。
三日も一緒に過ごせば、彼女が何をしようともう驚かない。むしろ猪が現れたことも、マリーアが一撃でそれを倒したことも、必然だとすら思える。私は落ち着いた手つきで少し乱れた上着を直した。
どこから取り出したのか、縄で手際よく猪の足を縛ったマリーアが、あわてた様子で駆け寄ってくる。よく見ると、涙をぽろぽろと流している。
「ごめんね、ごめんね。こんな猪の出るような所に連れてきて。びっくりしたでしょう。怖かったでしょう。ごめんなさい。私って本当にそういう配慮ができないっていつも怒られるの。ごめんなさい」
「私は大丈夫よ。びっくりはしたけど、ミミが一緒だから怖くなかったわ。ありがとう、ミミ」
ポケットから取り出したハンカチで彼女の目元をぬぐったが、次から次へと涙がこぼれてきてしまう。しゃくりあげて謝る背の小さなマリーアは、何だか幼い子供のようだった。
少年のように純粋で、優しくてかわいい私の妹、マリーア。
私はマリーアの頭をくしゃくしゃとなでた。やっと涙の止まったマリーアは、とぼとぼと歩いていくと、縛り上げた猪を背中に背負った。
「今晩はぼたん鍋よ! アイーダ」
袖で鼻水を拭きながらそう言うマリーアを見て、私ははしたなく声を上げて笑った。
「今泣いた烏がもう笑う、ってこういうことね」
「え?」
「ううん、何でもないわ。ぼたん鍋、初めて。楽しみね」
「我が家では肉は争奪戦だから! アイーダの分も、しっかり私が確保するわ!」
「うふふ、お願いね」
その日の晩ご飯は、本当に争奪戦だった。
もりもりと肉を頬張るマリーアを見ていたら、やっぱりこの子は成長期の男の子なんじゃないか、と思った。
私は再び、マリーアと一緒に馬に乗っていた。小さいけれどマリーアは本当に強いらしく、どこに行くにしても彼女が一緒ならばすぐに許可が下りた。護衛や侍女がぞろぞろ付いてこない外出はのびのびできて楽しい。
小高い丘の上に建っている細長い塔の前で、マリーアは馬をとめた。マリーアに抱えてもらって馬を降りた私は、塔を見上げた。
「この塔の一番上にある鐘を鳴らして、お願い事を叫ぶの。鐘の音に声がかき消されると、願い事が叶うんですって」
マリーアがのけ反って塔を見上げる。まさかこの塔を上るの?
小さな細い扉をくぐると、内部はがらんとしていて中央に簡素な螺旋階段があるだけだった。
「さ、アイーダ、おんぶするから乗って」
「え? おんぶ?」
「アイーダ、こんな長い階段上れないでしょ。背負って上ってあげる。大丈夫、アイーダなら二人背負っても余裕で上れるから」
断る隙も与えないマリーアが、背を向けてしゃがんでいる。諦めてそっとその背中に乗ると、意外としっかりしていた。マリーアは軽々と立ち上がると、ぴょんぴょんと飛び跳ねるように二段抜かしで階段を駆け上がっていく。
「アイーダ、だいじょうぶぅ?」
がくがくと揺さぶられて正直大丈夫ではなかったけれど、しゃべると舌をかみそうだったので、私はただうんうんと頷いて早く屋上に到着することだけを願った。
ほとんど息を切らすことなく屋上まで駆け上がったマリーアが、私を下ろした。背負われていた私の方がなぜかどっと疲れていた。
「わあ、ムーロ王国が一望できるのね」
「そうよ。ルビーニ王国に比べるとずっと小さくて田舎でしょう」
「でも、とってもいい国だわ」
「ありがとう。また遊びに来てね」
「ええ、必ず」
体調の良くなった私は、もうすぐルビーニ王国に帰国する。家に帰ればまた、忙しい毎日が始まる。
「さあ、鐘を鳴らすわよ。お願い事は決めた? 鐘の音に消されるくらいの大きな声で言うのよ。小さな声じゃ届かないから」
「どうして聞こえない方がいいのかしら」
「えっと、遠くにいる神様のところまで声が届いたから、とか何とか」
「ふふ。声を神様が受け取ったから他の人には聞こえない、ということかしら。面白いわね」
「じゃあ、鳴らすわよー!」
大きな鐘にぶら下がっている撞木をマリーアが振り上げる。耳を塞いでも聞こえる、ガァァーーン、という鐘の音が響き渡る。反響した木の柱がびりびりと音をたてた。
私とマリーアが口に手をあて、窓の外に向かって同時に叫んだ。
「アイーダが本物のお姫様になりますようにーー!」
「ミミとずっと一緒にいれますようにーー!」
鐘の音に私の声はかき消されたが、マリーアは声が大きすぎてしっかりと聞こえてしまった。これではマリーアの願い事は叶わない。そもそも、どんなにがんばったって私はお姫様にはなれない。父は王様ではないのだから。
仕方がない。神様に届かなかったマリーアのお願い事は、私が叶えてあげるしかない。お姫様にはなれないけれど、お姫様のようなアイーダになってあげるわ。
マリーアの背にしがみつきながらの帰り道、私はそう決心した。
それから毎年、夏季休暇はムーロ王国で過ごすことにした。
十三歳の夏、マリーアはピチピチの制服を卒業して紺色の制服を着ていた。
十四歳の夏、マリーアの身長が私に追いつき、胸もお尻も私より大きくなっていて、すっかり少年ぽさはなくなっていた。
そして、十五歳。マリーアは次期公爵からただの公爵家の五女マリーアになっていた。
何と言葉をかけていいのかとずっと悩んでいたのがばからしくなるくらい、マリーアはのん気に生まれたばかりの弟を溺愛していた。これから淑女教育をしなければならない。髪も伸ばさなければならない。そう言い、着慣れないドレスでマリーアは笑っていた。
マリーアの理想通りのお姫様になるべく淑女教育を頑張った十六歳の私はレナート殿下の婚約者となった。マリーアと一緒に見た湖に映っていたような、空色の瞳をした王子様だ。
「やっぱりアイーダはお姫様だったんだわ! 王子様が迎えに来たのね!」
マリーアは自分のことのように喜んでくれた。
十七歳の夏。全っ然モテない、とマリーアが叫んだ。
十八歳の春。
「王子様がちっとも迎えに来ないから、こっちから捕まえに来たわ!」と言ってマリーアがルビーニ王国に留学してきた。
ゴッフレードの手を借りて馬車を降りてくるマリーアは、どこから見ても可愛らしい女の子になっていた。出迎える私に気付き飛び上がって手を振るマリーアに、頭の固い兄が「はしたない!」と怒鳴った。
言葉通り自力で王子様を捕まえたマリーアは、無事レナート殿下の婚約者となった。
少年のように純粋で可愛い妹だったマリーアは、晴れて私の義姉となった。これからは、私たちはずっと一緒。
私の願い事を全力で叶えてくれた大好きなマリーア。
彼女がいる限り、私はいつだってお姫様だ。
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