王城にて 2
王城の中庭はこの国でしか咲かないという花がたくさん植えられており、一歩進むごとに見たことのない美しい花に目を奪われてしまう。よそ見をしないように気を付けながら進むと、すっきりと見晴らしの良い木陰にテーブルがセットされていた。侍女に勧められた椅子に腰かけ、背筋を伸ばして王妃様を待つ。そっとテーブルに手を乗せ、その質と強度を確かめた。硬質な天板はとても重く頑丈だが、たおやかな装飾がほどこされており、重量感を全く感じさせなかった。
いけない、ついつい身近なものの強度を確かめてしまう癖を改めるように、とアイーダに言われていたのだった。私は慌てて両手を膝の上に固定した。
鳥の軽やかな歌声があちらこちらから聞こえ、私はきょろきょろしながら木々に隠れ見えないその姿を探していた。にわかに侍女たちが姿勢を正し、お茶の準備を始めた。私は静かに立ち上がり、頭を下げた。
「王妃殿下におかれましてはご機嫌麗しく……」
「堅苦しいことは結構よ」
王妃様は扇で口元を隠したまま、隣の椅子に座った。侍女たちがすかさずお茶を出してくれる。ケーキスタンドにはケーキだけではなく、クッキーやサヴァラン、パウンドケーキが並べられていてとても美味しそうだ。思わず見とれていると、王妃様が真顔のままいくつかを取り、ぽいぽいぽい、と私の皿に置いた。意外な手早さと適当さに、実家の母を思い出してしまった。
「ありがとうございます」
「美味しい物から先にお食べなさい」
王妃様は優雅に座ってはいるが、体が完全に私とは逆の方向を向いている。さすが聞き上手なレナートの母親らしく、少ない言葉でどんどん私の話を引き出した。私が黙ると、横目でちらりと続きを促してきて、結局私一人が話し続けていた。王妃様はたまに目を見開いたり、ふむ……と息を吐いたりはするが、ほとんどが無反応だ。
いい加減しゃべり疲れてきた私は、休憩しようとお菓子を手に取った。アイーダに習った通りに小さく一口ずつ食べ、音をたてずに紅茶を飲んだ。よし、作法通りだわ。どうだ! とばかりに王妃様を見たら、眉をひそめてものすごく嫌そうな表情をしていた。
「どうだ、ってもしかしてわたくしにおっしゃいましたの?」
「ああー! また言っちゃった!」
扇を持つ王妃様の手がぶるぶると震えている。相当怒らせてしまったらしい。
「……まあ、作法の方は合格でしたわよ」
「あ、ありがとうございます」
王妃様はつん、と顎を上げて完全に向こうを向いてしまった。心なしか頬も赤い。
気まずい……もう帰りたい……。私は声に出ないようにお菓子を何個も口につっこんでそう思った。
その時、視界の上の方で何かが動いたような気がした。先ほどとは違う、強い殺気。
見上げるよりも先に、私は王妃様の頭を胸に抱え、思い切りテーブルを蹴り倒した。ケーキスタンドやティーカップが音を立てて割れ、侍女たちの悲鳴が上がる。王妃様を抱きしめかばいながら、テーブルの陰に隠れた。
風を切る音。
弓矢だ。
すぐにドガッ、ドガッ、と二回音がし、侍女たちが先ほどよりも更に大きな声で悲鳴を上げた。騎士たちの叫び声や走る音が聞こえ、途端に辺りは騒がしくなった。近付いて来た騎士に腰の抜けた王妃様を引き渡し、私はスカートについた土を払いながら立ち上がった。倒したテーブルの天板には、やはり大きな矢が二本突き刺さっていた。しかし矢は柔らかく殺傷能力の低い物で、角度的にも私たちではなく地面を狙っていたようだ。矢の飛んできた方向を確認すると、大きな木に隠された窓があった。王城内から狙ったのであれば犯人はすぐに捕まるはずだ。
「王妃様、大丈夫ですか? お怪我はありませんか」
王妃様は地面にぺたりと座ったまま、両手で顔を覆って震えていた。私と王妃様どちらが狙われたのかわからないが、突然こんな目にあって平気でいられるはずがない。どれだけ怖かったことだろう。
「王妃様、もう大丈夫です。安心してください。お部屋に戻りましょう。立てますか?」
「……無理……もう、無理……!」
「王妃様?」
王妃様は騎士が差し出した手をぱしりと払い、顔を上げた。
「んもう、何なの! ミミちゃん超かっこいい!! もう無理! 好きすぎる!!」
「え」
両手を地面に叩きつけて王妃様が叫んだ。初めて聞く完璧淑女の大声に、たくさんの人たちが走り回っていた中庭はしんと静まりかえった。
「ちょっと、見た!? テーブルを蹴り上げた時の激しくもあり機敏で優雅な動き。ああー! カシャーリ男爵の騎士を倒したところも見たかった!! どうして、レナートばかりっ」
私がぽかんとしていると、さらに王妃様はばしばしと地面を叩きながら言った。
「お、王妃様? お手が汚れてしまいますわ」
「ミミちゃんの勇猛さを伝えるためなら、わたくしの手くらいどうだっていいのです!!」
「騎士様、王妃様が動転されているわ。早く医務室へ」
「は」
呆然としていた騎士が意識を取り戻し、王妃様を抱き上げて医局のある棟へ走った。大勢の騎士と侍女たちに囲まれた王妃様は、ミミちゃん今日は泊まっていって~~! という叫び声を残して見えなくなっていった。
庭に残った私たちは、しばらくの間誰も言葉を発せず気まずい時間を過ごした。
割れた食器を片付けている侍女の足元にしゃがみ、私は地面に落ちたお菓子を数えていた。
「マリーア様、何をなさっているのですか」
「後で牢に行って、ダメになったお菓子の数だけ犯人を蹴ってこようと思っ……あっ、あああーー」
いつの間にか後ろに立っていたライモンドに、私はドレスの襟首をつかまれレナートの執務室に連行された。
*****
レナートの執務室でマリーアは近衛騎士から詳しく事情聴取された。身振り手振りを交え、マリーアは時に騎士を感心させ、時に爆笑をかっさらって話した。最終的には団長がマリーアを騎士団にスカウトし始めたので、騎士たちはレナートに追い出され聴取は終わった。
「マリーア様、本当にお怪我はないのですね」
「ええ、この通り」
ライモンドはちっとも心配していなそうな顔で尋ねた。それにマリーアが両腕をブンブンと振って見せる。
「母を守ってくれてありがとう、ミミ」
「いえ、私は何も。王城のテーブルが頑丈だったおかげです」
マリーアはけろりと答えた。レナートは目を細めながらマリーアの頬を撫でた。
そして、そのまま両手でマリーアの頭を押さえ、食い入るように顔を覗き込んだ。
「殿下!?」
次にレナートはマリーアの首や肩をくまなく凝視し、両腕を上げたりひねったりして全身を確認した。
「怪我したことに気付いていないのではないかと心配なのだ」
「やだあ、殿下の心配性―」
口に手をあてて笑うマリーアはとても嬉しそうだ。
「危ないから今日は王城に泊まっていくと良い」
「そんな、突然お邪魔しちゃ悪いです」
友人の家に泊まるんじゃないんだから。王城にはいつでも賓客が泊まれるようになっているというのに。ライモンドは思わず笑ってしまった。
「殿下。王妃様はまだ落ち着いていらっしゃらないですし、今日はイレネオ様も王城にお泊りの日です。マリーア様はお帰りになったほうが安全かもしれません」
「ふむ、確かにそうかもしれない。母上にも困ったものだ」
結局の所、王妃はマリーアを嫌ってなどいなかった。強くて心の声を漏らしてしまうマリーアに実は興味津々だった。決して感情を露わにしない王妃というイメージを守るためにそれを必死で我慢していたらしい。
「じゃあ、もう暗くなってしまうので、私は帰りますね。にっ、二回も殿下にお会いできて、嬉しかったです」
「……! ミミ! やっぱり今日は泊ま」
「馬車を用意しろ。護衛もいつもより多めに!」
ライモンドが指示すると、扉の向こうで数人の人が動く気配がした。すぐさま迎えの騎士たちがやってきて、マリーアは前後左右を屈強な騎士に囲まれ笑顔で帰って行った。
「……」
「拗ねないでください、殿下」
「…………」
「まだ正式な婚約前なんですからね!」
ため息をついて窓辺に立ったレナートは、窓に映ったライモンドをじろりと睨む。その表情は、ライモンドは初めて見るものだった。
本当に、レナート殿下は表情が豊かになった。
ライモンドとレナートは子供の頃からの付き合いだ。こんな表情もできたのか、とライモンドは感心した。
「それで、ミミはやはりあのルートでムーロ王国に帰るのか?」
レナートは腕を組み、いつもの眉間にしわを寄せた厳しい表情に戻っていた。外を眺めたまま、窓に寄りかかる。
「はい。あの村を通るルートが最短ですし、そもそも他には道がありませんので。正直な所、彼女なら何か突破口を開いてくれるのではないか、と期待しているところもございます」
「確かにミミなら、と訳もなく期待してしまうな」
「今の所期待以上です。殿下を狙ってきた刺客を二回倒しておりますし」
「……」
「おかげでレナート殿下の護衛の人数を減らすことができます」
「減らしてもいいが、その分アメーティス公爵家への警備を増やしてくれ。それから、ミミの口にする物の毒物などにも気を付けてほしい」
「かしこまりました」
レナートは目を瞑り、考え込むように口を閉じた。
「ご安心ください。マリーア様は拾い食いはしない、とアイーダ様から報告を受けております」
「とうとう私も心の声が聞こえるようになったか……!」
「なんで嬉しそうなんですか。あなたの考えることくらいわかりますよ、何年一緒にいると思ってるんですか」
そうだな、とレナートは満足そうに笑った。
*****
マリーアに関するありとあらゆることを報告させられているアイーダ。