鍛錬場にて 2
「あの……マリーア様」
「よそ見しちゃだめよ!」
「よそ見って言うか……」
「目を合わせてはだめ! 我慢して!」
「わあっ!」
「よそ見するからよ!」
組み合った騎士の足を払いあげて投げる。ゆっくりと地面に降ろしたから怪我はないはず。敵と向かい合って目をそらすなんてありえないことではあるが、二人一組での打ち込みを始めたあたりから、確かに私も気になってはいた。
木陰になった花壇の脇から、明らかにこちらを覗いている人影がある。鍛錬場の入り口にある花壇なので距離はあるのだが、あれはどっからどう見てもイレネオだ。
どうしよう、こんなに隠れるのが下手な人見たことない。そもそも、膝の高さまでしかない花壇に成人男性が隠れられると思っているのだろうか。騎士団長がガン見しているが、イレネオは全く動じる様子がない。
イレネオは微妙に身分が高いため注意できる者がいない、と聞いている。彼には近付いてはいけない、とレナートにしつこく言われているが、ここは私が行くしかないだろう。このままでは皆の気が散って練習にならない。
重い足取りで花壇へ向かうと、鍛錬場の入り口が開き、レナートとライモンドが姿を現した。後ろからは数人の護衛騎士たちが続く。レナートはイレネオの背後にまわると、冷たい目で声をかけた。
「イレネオ、王城への立ち入りは禁止したはずだ」
「わあっ、びっくりしたあ。急に後ろから声かけないでよ」
「伯母上が慌てて迎えにきて牢から出したお前を連れて領地へ帰ったと聞いていたが?」
「いいじゃないか、王城の中には入ってないよ」
「ここも、王城の敷地内だ」
ぷくうと頬を膨らませるイレネオは大人げない。あの人本当に30代なのだろうか。
「遠くからこっそり見るくらいいいだろ」
「見るな。ミミを視界に入れるな。ミミのことを一瞬たりとも考えるな」
「レナートが考えてるようなことは考えてないから! 本当に!」
イレネオが大げさに腕を振りながら立ち上がった。
自分の話をされているとなると、何となく会話に入って行けず、私は付かず離れずの距離で二人の会話を聞いていた。イレネオと向き合っているレナートは私に気付いていないが、ライモンドは私の方をちらちらと見て様子を窺っている。
「一晩暗い牢の中で蹲っていたら、突然インスピレーションが湧いたんだ! 俺たちを守ってくれる強い女神様の姿が! その神々しい姿をこれから領地に帰って彫刻することにしたんだ! 大理石だって注文した。そのモデルとしてミミちゃんを目に焼き付けているだけなんだよ」
「やめろ、素人がいきなり大理石を削るな」
「俺って形から入るタイプだしぃ」
「知らぬ。お前はまずは紙粘土で団子から始めろ。とにかくさっさと出て行け」
「ひどいよ! ミミちゃんを独り占めして!」
「もともとミミは私のものだ。これ以上ミミを見るな。イレネオを連れて行け」
「わっ、ちょっと、自分で歩ける……わあああ」
イレネオは護衛騎士に腕を掴まれずるずると引きずられ消えて行った。
額に手をあてたレナートが長いため息をつくと、ライモンドが私に目配せしてきた。
「あ、あの、殿下」
「ミミ?」
私の声に驚いて振り向いたレナートが、ぱっと顔を輝かせた。
「顔を真っ赤にしてどうしたんだ、ミミ」
「えっ、あの、その」
「いつから聞いていた?」
「えっと、最初から、です」
「……そうか……」
聞き間違いじゃなければ、ミミは私のものだ、って言ってた気がする。
うつむいて黙った私に、とうとうレナートまでが手で半分顔を隠して黙ってしまった。気まずい沈黙に耐えられない護衛騎士たちがそわそわし始め、ライモンドが眼鏡の下からじとりと視線を送って来る。
「ああ、もう。あなたたちそのうち結婚するんですから、いい加減そういうの卒業してくださいよ」
「ライモンド様。イレネオ様は何をなさってたんですか。牢に入ってたとか言ってましたけど」
「いや、まあ、牢のような所にでも行ったのではないでしょうか」
牢のような所ってどこだろう? と私が首を傾げると、険しい顔をしていたレナートが頬を緩めて私の頭を撫でた。レナートは私を見つめながら、ライモンドと会話を続けた。
「こう勝手にうろつくのなら、イレネオはやはり牢のような所に入れた方がいいんじゃないか」
「牢のような所に入れたらあの人、何やらインスピレーションが湧いてしまうようですよ」
「むむ。領地に閉じ込めようにも、伯母上が甘いからな。王姉でもある伯母上には私も命令はそうそうできぬ」
「あんなに反省しない人っているんですね。本当に殿下の親戚ですか」
「よく分かりませんが、私がこう、一回殴っておきましょうか」
「ミミに殴られたら喜びそうだからやめてくれ」
レナートは私が空中に打った軽いパンチを難なく受け止め、そのまま両手で私の手を包み込んだ。練習中の騎士たちの視線を感じて、私はあわあわと手を振りほどこうとしたが、そうだった、レナートの手はなぜか振りほどけないのだった。レナートはそんな私の様子などお構いなしに、少し考える様子を見せた後、視線だけをライモンドに向けた。
「そうだな、では、イレネオに新しい側近を数人付けろ。全員、男で。女性さえ近くにいなければ、あいつは仕事はきちんとこなす。外国語は堪能だから、諸国からの来賓の対応を任せよう。あいつのスケジュールを当面びっしり埋めるんだ。イレネオの部屋の改修工事代の分、休みなく働いてもらうこととする」
「おお、それは、イレネオ様には一番の罰かもしれませんね」
「改修工事? 罰?」
再び首を傾げた私に、レナートとライモンドがさわやかな笑顔を返してきた。イレネオの部屋、どこか壊れたのかしら?
「そんなことより、それは武術の制服なのだろうか。ミミは紺色も良く似合うんだな。今度、紺色のドレスも作ろう。髪をまとめているのも可愛いな。そうだった、髪飾りも新調しなければな」
「はわわ、殿下! 無駄遣いはいけません! 私はもう練習にもどりますね!」
「ああ、しばらく見学させてもらうよ」
今度こそレナートの手を振りほどいた私は、両手で赤い顔を隠すようにして踵を返した。走りながらちらりと振り返ると、レナートが優しい笑顔で私を見ていた。やっぱりその姿は今まで出会った誰よりも素敵で、私は目が離せなくなってしまった。そして、よそ見をして走っていた私は案の定、練習中の騎士にぶつかり、驚いた拍子にその騎士を思わず一本背負いしてしまったのだった。
よく分からないことはとりあえず殴って解決。